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すしプロ:涙と慰めで交わす最初の握手。  作者: 千石杏香
第一章 一年ぶりの「はじめまして」
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Ⅱ あんたなんか、もう二度と会いたくないわ。

査証の交付が終わり、熾子(チヂャ)は日本大使館から出た。


電話をかけたものの、何度呼び出し音が鳴っても念仁(ヨミン)は出なかった。


念仁(ヨミン)は――確か今日は授業はないと言っていたか。


仕方がないので、熾子(チヂャ)は念仁の住むアパートまで向かった。口から漏れる吐息が、白く長い尾を断続的に引く。気温は低いのに、身体中が汗ばんでいる。それほどまでに――熾子は殺気立っていた。


アパートの階段を昇り、勢いに任せてその部屋のドアを開ける。鍵はかかっていなかった。土足のまま駈け込んで、声をかけた。


おい念(ヨミナ)仁!」


1DKの狭い部屋だ。かすかに煙草の臭いがする。念仁(ヨミン)はベッドでうつ伏せになって寝ていた。ゴーッ、ガーッと、酷い(いびき)をかいている。


熾子(チヂャ)は周囲を見回す。


壁には――コスプレに使われた錫杖が立てかけてあった。


熾子は錫杖を手に取り、念仁の尻を思い切り叩いた。


갸악(ギャアッ)!」


念仁(ヨミン)は海老ぞりとなり、二、三回転しながらベッドから落ちた。床の上で尻を抱え、あががががと声を上げる。しばらく悶絶したあと、恐る恐る頭を上げ、そしてぎょっとしたような顔となった。


熾子は皮肉に笑んでみせる。


コスプレが(コスプレガ・)得意なようね(トゥッキヂョ)?」


「チ、熾子(チヂャ)――どうしてここに(オチェソ・ヨギエ)!?」


ふざけんな(チャンナンチニャ)この野郎(イ・セキヤ)! お前のやったことは(ネガ・ハン・ヂスン・)全部お見通しだヂョンブ・ガンパヘッタ!」


熾子は錫杖の尻でどんと床を打ち鳴らした。それから、念仁のコスプレ画像に行き着いた経緯を一気にまくし立てた。罵声を吐いているうちに、なおのこと頭に血が昇ってゆくのを感じた。


これっぽっちも(チョクムド・)似ていない(ダルチアンヌン・)世界最悪の(セギェチェアゲ・)コスプレだ(コスプレダ)! よりによって(ハピリミョン・)イルペに(イルペエ・)こんなものを(イロンゴルル・)上げて(オッリダニ・)恥ずかしくないのか(ブクロプチドアンニ)!? おまけ(ケダガ)に――」


スマートフォンを取り出し、画面を念仁に突きつける。


何だ(ムォヤ・)()の『つゆりちゃんの(チュユリチャンエ・)おしっこ飲みたい(オヂュン・マシゴシポ)(ヌン)てのは!?」


히익(ヒイッ)!」


イルペの会員は全てハンドルネームを持っている。特定のユーザーが、今までどのような書き込みをしてきたのか、どのようなスレッドを建てたのかも全て検索できる。


ゆえに、熾子は念仁のハンドルネームで検索をかけたのだ。


()前の書き(グルル)込み(ボゴ)んで、正直(ソルジギ)吐き気がしたわ(トナオル・ゴカタ)! 『御坂美琴が(ミサカミコトガ)履いた(シノットン)ルーズソックス(ルジュソクス)百足くらいをベッキョッレヂョンドルル鍋で煮詰めて(ネンビエ・ヂョリョソ)出汁を取って(グクムルル・ネソ)飲みたい(マシゴシポ)だとか(ランドンヂ)、『つゆりちゃんが(チュユリチャンイ)歩いた(ゴロットン)地面の土を(ヂミョネ・フルグル)ご飯に(バベ)かけて(プリョ)思う存分(マウムコ)味わいたい(スンミヘボゴ・シポ)だとか(ラドンヂ)そんな(クロン)変態的な(ビョンテガトゥン)書き込みばっか(グルバッケ・)じゃねえか(オブジャナ)! 女を(ヨジャルル)莫迦にしてるだろバボ・チュィグバゴ・イッソ! 普通(サンシクチョグロ)土の味しかしねーよフグマッパッゲオプチャナ!」


()これは誤解だ(クゴノヘヤ)! 誤解なんだ(オヘラゴ)!」


念仁は白々しい釈明を始めた。


これは(イゴン)決して(ヂョルデ)変態的な(ビョンテヂョギン)(グル)き込みなんか(タウィガ)じゃない(アニャ)! もっと(オヒリョ)プラトニックなプッラトニク・ガトゥンものなんだ(ゴヤ)! つゆりちゃんが(チュユリチャン・ウン)この世界に(イ・セギェエ)舞い降りた(ヌダソプシ・ナタナン)女神様(ヨシニミ)であることは疑いない(トゥッリモプソ)けれども(クロッチマンソド)夜空に(バマヌレ)輝く(ピッナヌン)星のように(ビョルチョロム)手が届かない(ソニ・タッチアナ)! それなら(クゴラミョン)せめて(ヂョゴド)銀河から(ウナスエソ)滴り落(トロヂョ)ちてきた(オン)ての雨水を(ビンムルル)飲みたいと(マシゴ・シッダゴ)考えるのは(センガカヌンゲ)当然じゃないかダンヨンハンゴ・アニヤ!――」


言い終えないうちに、熾子は念仁の頭を錫杖で殴りつけた。


黙れ(タッチョ)! 解る言葉で話せイヘガヌン・マッロ・マレ!」


念仁は頭を抱え、うづくまった。


(とど)めを刺してやろうと思い、錫杖を振り上げる。しかし思い留まった。こんなもので頭を殴り続ければ頭蓋骨が割れかねない。代わりに、手元にあるリモコンやら漫画本やら灰皿やらを手に取り、片っ端から投げつけた。


お前の女神様は(ノエ・ヨシヌン・)私だろが(ナゲッチ)! つゆりちゃんと私チュユリチャンラン・ナランどっちが大切なんだオヌ・チョギ・ジュンヨヘ!?」


最終的にテレビを投げようとし、両腕で持ち上げる。しかし、その直前に念仁と目が合った。目を(まる)くし、投げるのか、と無言のまま訴えている。熾子はその格好でしばらく動けなかった。お互いに目を(まる)くして、はぁはぁと息を切らしていた。


テレビを下ろし、吐き捨てるように言う。


あんたなんか(ノ・タウィヌン)もう二度と(トゥ・ボンタシ・)会いたくないわ(ボゴッチ・アナ)。」


念仁の顔に狼狽の色が表れた。


()別れるのか(ヘオジヌン・コヤ)?」


まさか(ソルマ)恋人を続けられるギェソギョネハル・スイッスルなんて(ゴラゴ)思ったの(センガカンゴヤ)? イルペに(イルペエ)入り浸っていて(・ヌッロ・プトソ)そこに(ゴギエ)女性を(ヨソンウル)莫迦にした(バボチグパヌン)変態的な(ビョンテチョギン)書き込みを(グルマンヂョッゴ)していながら(イッスミョンソ)本当に(チョマル)虫唾が奔る(ヨッキョウォ)。」


あれだけ(クロッケナ)俺を(ナルル)振り回してきたのにかモッテロ・チュィグベワッスミョンソ――?」


ここ三ヶ月ほどの記憶が頭をかすめる。けれども、とにかく拒絶しなければならないと思った。


さよなら(アンニョン)学校で会ってもハッキョエソ・マンナドもうこれ以上(ド・イサン)話しかけてきたり(マル・コッチ)しないでよね(・アヌン・コジョ)。」


心残りがなかったと言えば嘘になる。その気持ちを振り払うように(きびす)を返し、玄関へと向かった――それでも、できるだけ速足で。


ドアノブに手を掛けたとき、恨めしそうな声が聞こえてきた。


「ああ――分かったよ(アルケッソ)俺も(ノド)もうお前なんかド・イサン・ノ・ガトゥン・ゴ彼女だと思わねえよ・ニョジャチングラゴ・センカガネ。」


熾子は足を止めた。しかしそれも一瞬のことであった。ドアを開け、外へと踏み出す。冷たい外気が頬に触れた。ドアノブを振り払い、一歩二歩と部屋から離れる。


ドアが閉まる直前、念仁の叫び声が聞こえてきた。


お前は(ノン)キムチ女だ(キムチニョイダ)!」


ドアの閉まる音がした。


熾子は背後を振り返る。


視線の先には、異様なほどの静けさが落ちていた。


腹立ちまぎれにドアへと近づき、どしんと蹴った。


どこからか、さっきからうるせぇぞという声が聞こえてきた。


無性に遣り切れない苛々した心を抱えつつも、帰路を急いだ。


   *


その日から――だった。


その日から――どういうわけか熾子の髪の毛と瞳の色が真紅(まっか)に変わり、どういうわけか持っていた服が全て緑色に変わり、どういうわけか持っていた髪留めが全て唐辛子の形に変わり、どういうわけか身体からは(ほの)かにキムチの匂いがするようになった。しかも、どういうわけか周囲はそれを気にも留めなかった。


熾子は――名実ともにキムチ女となった。

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