悪役令嬢はどこにもいない
個人的に書いているシリーズからの派生短編ですので色々わかりにくいかとは思います。
「君との婚約を破棄する」
きらびやかなホールの中央で放たれた言葉は、まっすぐ私に届いた。
他の音はぜんぶそれに吸い込まれたように、部屋は静まり返る。
頭の中でパチン、と留め具が外れたような感覚がした。
これは、おもったより面白い事態になっているわね?
私は公爵家の次女、アマリア。細かいことは置いておきましょう。あまり必要ではないから。なんだか偉いお家のお嬢様だと知ってもらえていれば構いません。
そんな私には物心ついたころに婚約者がいました。王家の三男でユークレス様。お互い家を継ぐことはないけれど、王家から爵位の一つをいただく予定です。
関係は、特に可もなく不可もなくかしら。それなりのお付き合いをさせていただいて、それなりの関係を作り上げてきたと思っています。
私たちの間に甘さはありませんでした。先ほども言ったように、悪い関係ではありませんよ。サラダとスープみたいなものです。バランスは悪くありません。
状況が変わったのがここ1年ほどのこと。
私たちは16になると、とある学園に通うのが決まりなのですが、2学年になった年にやってきた転校生の男爵令嬢さんと婚約者様がいい感じになってしまったのです。
流石に露骨な逢瀬はありませんでした。ちょっと気にすれば誰でも気づくのでおざなりとはいえ、体裁は保ちつついちゃいちゃと。それはもう甘いのなんの。スイーツは好きですが、口に甘みが残りすぎるのは考えものです。
今は人の目すら気にするつもりがないのか、お二人は肩を寄せ合って私と対峙しています。ときおりチラチラとアイコンタクトをとっては微笑むので、胸焼けしてしまいそうです。
「聞いているのか、アマリア!」
「あ、はい」
ぼんやりしていたら思わずお返事がおざなりになってしまったけれど、誰も気にしていないみたい。そうよね、こんな騒ぎが起きているのだから、今更すぎる。
今は学園の保護者も多数出席しているちょっとしたパーティの最中。皆さまいつも以上にお行儀よくしていた中でのこれですもの。本来慌てて止めに入るだろう大人たちですら言葉を失っていますし。もちろん、私と婚約者と、転校生さんのご家族も。
それはともかく、婚約者様とその隣に立つ転校生さん、それから数名の男子生徒を見つめます。
次はどう動くのでしょう。少しばかりたじろがれたのがわかりましたけど、なにかしら。
すると婚約者様がキッと目つきを鋭くされました。
「なにも知らぬような顔をして!お前が彼女を厭ったせいで、彼女は仲間はずれにされ悲しんでいたのだぞ!」
私はなにもしていませんから、たしかにその顔色を見る力はあるのでしょう。
ただ、彼女をきにしたことはあれど、厭ったことなどありません。そのせいで仲間はずれにされたと言われても、学園内で権力をもっているわけではないですし。
色々言いたいことがありますが、ひとまずは大事なことを伝えましょう。
「私、彼女を嫌ったこともなければ、さほど交流もないのですけれど。何か誤解されていませんか?」
そう言えば、「しらばっくれるな!」と婚約者様から怒声が飛んできました。思わず眉をひそめてしまいます。ただの怒りならまだしも、こうも攻撃的なのは苦手です。
いっそのこと、ここで微笑んだりすれば気を削がれないかしら? 今ならできそうな気がするけれど、そうは問屋が卸しませんでした。
私の反応をどう受け取ったのか、婚約者様は勝ち誇ったような顔をしています。
「心当たりがあるのだな? お前は彼女を妬み、陰湿ないじめを行なった! それが真実だ!」
勘違いを加速させているご様子。
もう、何かいうのも疲れました。こういうやりとりは今までしたことがないからかもしれません。
というか。妬み。どこからその発想が生まれるのでしょうか。私がいつあなたに好意を…あぁそうでした、彼はそういうのがわからない人なのです。
ひとつため息をついて、転校生さんを眺めます。ええ、おどおどしていますけど、満更でもなさそうなのはわかりますとも。
それにしても、いくら好いた相手と添い遂げたいとはいえ、このふたりはやり方が悪いのではないでしょうか。普通に我が家と婚約者様のお家の代表にその旨を伝え、相談すればよかったのに。すぐさま解消とはならずとも、慰謝料が発生しようとも、ずっと円満だったのですから。
きっと、お二人は恋物語の主人公気分なのでしょう。それ自体は咎めません。私だって物語は大好きです。なんなら、こんな物語のような展開、ワクワクしてしまいます。私が悪役なのを除けば。
だって、冤罪は楽しくありません。最初から婚約者を嫌い、冷たくしてたのにヒロインには愛を与えて悪役を怒らせるとか、泣かせるとか、ドラマチックにしてほしかった。それなら私も後々笑えたのでしょうに。
さて、なんだか冷めてきたのでこのイベントもこの辺りで良いでしょう。
「私、そのようないじめに覚えはありません」
「この期に及んでまだーー」
「ないものはないのです。とはいえ、お二人が思い合っていることは私にもよくよく伝わりました。婚約の破棄お受けいたしますわ」
ここで婚約者様にすがりつき、転校生さんを貶めでもすれば盛り上がるのでしょうが、私は自身が恋の主役になるならまだしも、邪魔をするのは好きではありません。それは観ている側だからこそ楽しめるもの。ヒロインに感情移入してときめくタイプです。
あっさり受け入れた私に面食らう婚約者様。何か期待したかしら? それを叶えられずごめんなさいね。
でも、これは違うんだもの。
微笑んでみせれば、またぽかんとしているふたり。
それがなんだか可愛らしくて、私はついクスクスと笑ってしまう。気が緩んできちゃったみたい。
さてさて、特に婚約者様方からも、他の方からも反応がないので、そろそろお暇するとしましょう。
私は、呼ぶために、小さく手を揺らしました。
学園で開かれたパーティ。その最中起きた婚約破棄騒ぎ。誰もがその騒動についていけず、遠巻きに眺めていた。
いつのまにか浮気していた王子の家族も、その相手の転校生の親も。それからアマリアの両親も、突然子供達が起こしたことに頭が真っ白になり、どうともできない。
話がひと段落し、ようやく正気に戻ったアマリアの父が、可愛い娘への仕打ちに拳を握りしめた時だった。
ーーリン。
微かな音が響く。こんな時にベルを鳴らす者はいないはずだが、気のせいにしては、多くの人間がそれを耳にした。ざわりと一瞬のざわめきののち、今度はたしかなパン、という音が鳴る。発生源はアマリアだ。
視線が集まるのを待っていたように、アマリアはキラキラとした笑顔を見せる。それは、令嬢であればまずしない表情。だが、あまりにもアマリアに似合っていた。
「それでは新たな恋を祝いましょう!」
またしても令嬢には似つかわしくない、大きな声。まるでオレンジが弾けるような声音は、アマリアの家族ですら聞いたことがないものだ。学園生も、王子も、みな、戸惑っている。
その間に、アマリアにはまだ変化が起きていた。
公爵家特有の金の髪は亜麻色に。バイオレットの瞳は、透き通る空色に。
色と表情が変わるだけで、多くの人間が彼女に魅入った。
それが本当の姿なのだと。彼女を最も輝かせる色彩だったのだと、誰もが口にせずとも思った。
顔立ちが大きく変化したようには見えないのに、今までの何倍もの輝きを放つアマリアは、ちらりと王子と転校生を見る。ふたりはアマリアに見惚れながらも、その目にアマリアへ向けた恋慕はない。
それに満足したようにアマリアはまたにこりと笑った。それだけで男女問わずどきりと胸が高鳴る。
「私は乙女座の星護。恋の乙女。どうぞ、私の祝福を受けてくださいな」
キラキラ、ふわふわと花びらが王子と転校生の上に降り注ぐ。まだ状況に追いつけないふたりでも、これが「良いもの」なのは感づいた。
ざわめく会場など目に入らないのか、アマリアは笑顔のままゆっくり礼をする。
「今回はなかなか貴重な経験ができました。それではみなさま御機嫌よう」
そこだけは普段と変わりなく、優雅にきめて、アマリアはその場から消え去ってしまった。
ここは世界のどこかにあるお屋敷。通称星の宮。煌びやかなお屋敷の一室で、2人の人物がお茶を飲んでいた。
1人はさらりとした金髪と鋭い赤い瞳で中性的に整った顔立ち。身体つきも起伏が薄く、すらりとしていて性別はうかがえない。
もう一方は亜麻色の髪に水色の瞳をした可憐な乙女だ。焼き菓子を頬張る姿は、誰がみても幸せそうにみえる。
「ティノ姉さん、今回は派手にやったそうだね。迎えにいった兄様たちが頭を抱えてたんだけど…」
「あのふたりは厳しいのよぅ。そもそも、レオのほうがずっと派手じゃない」
表情は全くの無のままだが、どことなく咎めるような声色で金髪…レオが問うと、ティノと呼ばれた乙女は心外だ、と口を尖らせた。
「僕のは仕事だし、隔離してる世界だから影響はないんだよ。あと。ちゃんと処理される」
「私のも処理してくれるんでしょ」
「だろうね。でもやるのは僕では無く我らが父母だから。ほどほどにしないと申し訳ない」
「硬いわねぇ」
ティノは、テーブルの上にあった焼き菓子をもうひとつ頬張る。
「あ、これも美味しいわ!」
花が咲いたように笑うティノに、やはり表情は変わらないままレオが頷く。
「確か、ロスがいいバターが手に入ったと言っていた」
「さすがね! 乳製品の目利きが上手!」
「…あっちで甘いものはたくさん味わってきたんじゃなかった?」
「ん〜まぁ…でもそれはそれよ」
つぎつぎとお菓子を頬張るティノを眺めながら、レオは紅茶を飲む。それから、ティノの所作を見て首を傾げた。
「短期間の割には、随分馴染んでいたんだね」
「え? あぁ、これね」
菓子はほおばるが、それ以外の動きにはどことなく気品がある。
レオはティノと何度か食事やお茶の時間を共にしているが、そう言った動作は見たことがなかった。
ティノはほっそりした手を頬にあてる。
「公爵令嬢って、マナーが大変なのよね。当時は素直に受け止めてたけれど、振り返ると、よくみんな当たり前のようにやるものだなぁって感心しちゃう」
「なるほど、完全に同化していたからこそ、習得できたのか」
得心がいったと頷くレオに、ティノは頬を膨らませ抗議の意思を見せる。
「記憶があっても、ちゃーんと覚えます〜!」
「恋のお相手がその手の身分なら、でしょう」
「それはまぁ否定はできないけど」
あっけらかんと意見を変えたティノだったが、何か思いついたように手を打つと、姿勢を正した。
「記憶は閉じ込めていたといえど、あれはいちおう私ですから。マナーや教養を身につけた私も、また私だと思っていますわ」
「それは、アマリアスタイルとでも呼べばいい?」
「…あなた、たまに変わったこというわよね」
レオの言葉に、空気が抜けたように気を緩めたティノ。レオはといえば「変わったこと」に対して首を傾げていた。だがどちらもそこには深く突っ込むことはなく会話が続く。
「だって、ティノ姉さんは個人ではなくて、乙女の概念が集まってるんだよね。区別するのにいいかとおもってたけど、どうなの?」
レオの質問に、ティノは「うーん」と眉をよせる。
「もちろんベースはあるけれど、世の乙女像とでもいうのかしら。まとめて今の私なのよね。だから要素を強くして抽出すれば今回と同じく別人みたいになれるし…あら、そう考えたらそのなんたらスタイルって言い方でもいいのかしら…?」
「僕とはタイプがかなり違うよね」
「そうねぇ。あなたはちゃんと1個体だから。記憶も引き継ぎだから混ざりはしないんでしょ」
「そうだね。最初は流石に混ざりそうになったけど、今は全く」
ティノとレオはぼんやりと最初の頃を思い返す。
「空っぽじゃあ仕方ないわよね。でも本当に下の子が出来たって気がして嬉しかったのよ」
「最初に姉って呼ぶように決めたのも姉さんだったっけ」
「だって呼ばれてみたかったんだもの」
「姉さんらしい」
穏やかに会話が続く。内容はだんだんとささやかな日常の話へ変わっていく。
ティノが派手にやったこと…とある世界に令嬢として紛れ込み、人の生を体験する、という遊びのことはだんだんと忘れられていく。
余り褒められたことではないので軽く注意はあっても、その程度彼女たちにとっては消しゴムをどこかに落としてきてしまった、という程度の出来事だ。
だが、ふたりがお茶とお菓子を楽しんでいる間にも、アマリアが消えた世界では、だんだんと「アマリア」などいなかったということに塗り替わっているため、いろいろなつじつま合わせが起きている。それで足りない何かを抱える人もいる。影響はそれなりに大きい。
アマリアだった乙女はそんなこと考えてはいないけれど、その事象に詳しいレオは「どうでもいいこと」と置き捨てる前に、ほんの少しだけ、同情した。
娘と思って育ててきた両親、遊んでくれた兄や姉。彼らは喪失感を抱えて生きていくのに、当の本人は何とも思ってはいない。
人として生き、妹として暮らし。恋にしか関心のない彼女に変化があるかと思っていたけれど、そんなこともなかったか、という気持ちは紅茶とともに腹の中へ流し込むと、レオは席を立つ。
「あら、どうしたの?」
首を傾げた彼女に、レオは微笑んだ。
「いや、せっかく美味しいお菓子と綺麗な女性がそろってるんだから、僕が独り占めするのもよくないと思って。コルヌスとアリウス、それからディーとデューがこの時間はいたはずだから呼んでくるよ」
「まぁ! それはにぎやかでいいわね! じゃあ部屋を移しましょうか。そっちの手配は任せてちょうだい」
「うん、おねがい」
はしゃぐティノの鼻歌は子守歌に似ていて、レオの聞いたことがない音だった。