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4.春鹿の名演技

「藤沢兄貴の面子だけは汚したくねえ。畜生、行くぜ、やってやるぜ」

 四肢が硬直しちまい、ありったけの勇気を総動員させねばならなかった。

「なにビビりよんねん。どうしても行くんだったら、ウチ、もう止めんさかい。さっきはありのままの気持ちを伝えたまでや。せやけどアンタ、どっちつかずやな。優柔不断すぎる」

「慎重派なんだよ」


 と反論しながらも、おれの脳裏に、しくじった自分自身の無様な姿が浮かぶようだった。

 メッタ刺しにされたおれ自身。腹部からとめどなく鮮血があふれ、路上の雨と混じり合う。孤独感を味わいながら、やがて意識は遠のいていく……。


 真っ先にルミ子の笑い顔が浮かんでは消えた。

 一つ年上のホステス。垂れ眼で下唇が厚ぼったく、胸なんてあってないようなもんで、そのうえO脚だったが、陽気で愛嬌たっぷりだった。たがいの心の寂しさを慰め合ったこともある。どんなに邪険に扱っても、見返りを求めない優しさをくれた女。


 いつまでも傷を舐め合う仲に嫌気がさした。彼女のマンション(ヤサ)から飛び出し、知り合いのコネを使って、やくざの世界に転がり込んだ。

 それっきりルミ子とは連絡を取っていない。どうせあいつは、おれのことなんかきれいさっぱり忘れて、いまごろ他の男をくわえ込んでいるにちがいない。その程度の関係だった。




 そのとき、春鹿が予想外なことを言ってのけた。

「アンタ――ずばり女いてはるやろ。気張らんでええやん。そんなに思いつめるんやったら、こんな仕事ほっときーな。迷うときはすっぱりやめた方がええ。ウチは別にハンパ者呼ばわりするつもりなんかないんよ」彼女はおれの手首をつかまえて必死に訴えた。「ウチには見えんねん。アンタの別の運命が。つまり、鉄砲玉をやめた別の道の未来や。その後のアンタは、どっかでマトモな仕事に就き、その人と暮らしてるとこも見えんねん。近い将来、きっとそうなる。その人、アンタが帰ってくるとこ、心待ちにしてはるよ」


 正直おれの心は揺れた。どうやら春鹿の言い分には信憑性があるようだ。こいつの予知能力とやらはやけに生々しい。

 『つぐみ』に眼をやった。

 木積と長身の手下は戸口に立ち尽くし、おれたちの方をにらんでいた。長身はスーツの内側に手を忍ばせている。武器を飲んでいるのだろう。


 まちがいない。どうやら情報が筒抜けのようだ。なおさら出ていったところで、返り討ちにされるのがオチだ。場合によっちゃあ、懐に入られるまえに、この場にいても銃撃戦がおっ始まる恐れがあった。もっとも、こっちには堅気が一人いることだし、手出ししなきゃ、向こうもスルーしてくれるかもしれない。


 やるか、やらざるべきか――そして結論を出した。

 工場の敷地に生い茂った藪めがけ、おれはベレッタを放り投げた。この雨が銃把についた指紋を消してくれる。足はつくまい。――これが答えだった。

 どうか春鹿の予知能力とやらが、単なる願望ではありませんように!


「決めた。おれは捨て駒になんかならねえ。行ったり来たりのどっちつかずの人生だったが、今度こそ腹をくくる」

「賢明な判断や。よっ、男前!」


 戻ろう、ルミ子のもとへ。ぶん殴られてもいい。泣きつかれでもしたら、なおけっこう。

 負け犬同士の傷の舐め合いと罵られてもいいじゃねえか。生き恥さらすにゃ、まだ若すぎる。

 そういうわけで春鹿に尻を叩かれながら、工場の裏口からずらかることにした。別れ際、彼女は応援しとるで、と両手を振ってくれたのを、おれは一生忘れまい。


 おれはその足で凧西組の事務所に戻り、仕事の失敗を詫びた。同時にこの業界から足を洗う旨を伝え、けじめとして左手の指を一本失う羽目になった。

 たっぷり痛い思いをしたが、数年後にはルミ子と一緒になれたんだから、いいじゃねえか。




 透が去ったあと、春鹿は『つぐみ』のスイングドアを押した。

 店内には、御手洗組の幹部とその取り巻きがテーブルを囲んでくつろいでいた。

 いっせいに春鹿の方を向くと、頭をさげた。なかには直立不動の姿勢で正し、お辞儀する者までいる。


 春鹿はまったく臆することなく、中央のソファーに崩れるように腰をおろした。全身ずぶ濡れだ。すかさず黒服の男がバスタオルをよこした。

 優雅に脚を組むと、マスターにアイスティーを頼んだ。


「どや、春鹿お嬢さん。凧西の鉄砲玉、うまいこと丸め込めたか?」

 となりでふんぞり返っている木積が言った。ひざの上に乗せた葬式まんじゅうみたいなダルメシアンを撫でている。

「せやな。なんとかなったわ。思いなおしてまた来んことを祈るしかあらへん」

「――で、首尾を教えてもらいましょか」


「それがな――――」

 春鹿は透とのやりとりを簡単に説明した。

「――にしても、凧西の若造、よくもまあ予知能力などと信じ込んだもんですな」


「だてに劇団で修業しとるわけやない。話術と演技を試すにはもってこいの機会やったで。はじめはちょこっと手ぇ焼いたけど、なんとか説得できたようや。ウチと変わらん年やのに、運命がどうのとやり返してくるもんやから、面食らってしもうたわ」バスタオルで頭ををごしごしやりながら、春鹿は言った。「でもよかったな。これでこちらも無用な殺生はせえへんですんだ」


「たかだか凧西の若造だがな」

「ウチはもう余計な争いは見とうない。ウチみたいな小娘で、それを防ぐことができるんやったら、喜んでひと肌脱いだるわ。アンタらかて、無闇にドンパチ起こしたらアカンで。こないだのダンプカー突っ込ませたのはいかがなものか」


「その件についてはこちらの早とちりでして、いまさら後にも退けず……。みんな反省しとりますぜ」紫色のスーツを着こなした長身が言った。「ですが、いい加減、御手洗親分……もとい、お父さんをこれ以上心配させんといてください。お嬢さんの身に、万が一のことがあったら、私どもも気が気じゃありやせん」


「この会合はお嬢さんを説得させるために集まったんですぜ。いつまでも芸能人に憧れるなどと、我がまま言わんといてください」


「ウチは一流の女優になるまで、御手洗家の敷居を跨ぐつもりはあらへん。そう言うたはずや。折れへんで」と、春鹿は腕組みしたままそっぽを向いた。「凧西組のあの兄ちゃんは口説けても、ウチは口説けんで」


「わしらの身にもなってくださいよ。親分にどれだけ絞られてるか」と、情けない声を出したのは、五分刈りで首に入れ墨の入った男だ。


「まあ……ええやないか。春鹿お嬢さんの好きなようにさせたれ。納得いくまでな」木積が割って入った。サングラスを中指で正し、「春鹿お嬢さん、それよりも、さっきの鉄砲玉、しまいにはどないな方法で口説き落としたんで?」


「ウチの武勇伝ってやつやな。よっしゃ、聞かせたる!」春鹿は待ってましたと言わんばかりに手を叩いた。「決め手となったのは、あの兄ちゃんの胸にぶら下げていた宝物や。極度に緊張しとったせいか、無意識のうちに手が伸びよる。そんでもって、しきりにフタを開け閉めするんや。ウチはピン、ときた。どうせ好きな女の写真が入っているに決まってる。それでカマかけたってわけや」


「占い師がよくやるバーナム効果っちゅうわけか。お人好しだとまんまと引っかかりよる」

「女の子こと持ち出せば、ウチの『なんちゃって予知能力』を、まんまと信じよった。で、あとは平和的に誘導するだけ。ホンマ、あの名演技、見せてやりたかったわ」


「鉄砲玉の若造も、よほどスレてなかったんでしょうな」

「予知能力なんてありゃせえへんけど、女には直感があるんよね。ウチにはわかる。あの兄ちゃんはヤーさんの世界で腐らすにはもったいない。ひとりの女を大事にする男や。なんて言うか……眼は腐ってなかった。だから賭けてみたんや、兄ちゃんの未来に」


「おーお。どうせわしらはハラワタまで腐っとるからのう!」

 禿げ頭の男がおどけると、一同爆笑した。


 満足げな顔をした春鹿が、

「命拾いしたな、鉄砲玉さん」と、つぶやき、汗をかいたグラスを指ではじいた。




        了

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