1.待ち伏せ
3ヶ月もの間、創作活動から外れていると、極度のスランプに陥ってしまいました。
かくなるうえは昔の習作を引っ張り出し、こねくりまわして勘を取り戻すしかない。かれこれ17年前ぐらいの作品です。
いまどきやくざモノで、しかも甘ったるい内容が玉に瑕。某企画に参加したとき、お題目を『雨』と提示され、書いた一品。
しかしながら本作は致命的な欠点があるのは否めない。はじめ一人称で進めていたのに、後半三人称へと視点にブレが生じているためです。じっさい、某講師に指摘を受けております。
今回、せっかく手を入れるんだったら、最初から三人称で書くべきだったのに、なかなか捨てがたく、思いきってそのままで強行してしまいました。あらかじめご了承ください。
約12000文字、全4部です。
「初陣は誰だって舞いあがるもんさ」と、藤沢の兄貴は、酒で喉がつぶれた声でねぎらってくれた。「とにかく仕事はきっちり片をつけろ。いいか、失敗はゆるされねえ。しっぽ巻いてバックれるなんざ、もってのほかだ。もっとまずいのは、やり損じておまえが返り討ちにされ、誰の差金か発覚することだ。――ハクをつける絶好のチャンスじゃねえか、透。頑張ってこいや」
あのとき兄貴は、仁王様みたいな顔をめずらしく緩めた。
おれは思わず泣きそうになった。拾われて一年足らずなのに、重要な仕事をあてがってくれた兄貴の面子をつぶすわけにはいくまい。
そこは閉鎖された工場跡。いまのおれの潜伏場所だ。
ちょっとした規模の鉄工所だったのだろう。工場内の片隅には、H鋼や鉄パイプやら、錆びた材料の山がそのまま放置されている。七月特有のけだるい熱気がこもっているだけで、あとはガランとしていた。
トタンの屋根が悲鳴をあげていた。雨漏りでおれの足もとが琵琶湖みたいになっている。
そこらじゅうにできた水たまりを避けながら、シャッター開きの出入り口に近づいた。あらかじめ、シャッターはおれの背丈ほどまで開けている。
無理もあるまい。外はどしゃぶりだった。
工場の敷地内、すぐそばに置かれた廃車になったライトバンが白い飛沫をあげていた。まわりを取り巻く木々も、同じくメッタ打ちの憂き目にあっていた。
道路を挟んで、向いのカラオケ喫茶『つぐみ』が見えた。
首にかけたネックレスが気になった。小さなロケットがぶらさがっている。フタを開けようとして思いとどまった。
気もそぞろだ。こんなことでは先が思いやられる。
挫けそうになるのを、両手で頬を叩いて気合を入れ直した。
腕時計に眼を移す。十一時をまわったところ。決行まであと二十分ほどのゆとりしかない。
堅気のころ、同棲していたルミ子の顔が浮かんだ。安っぽいスナックで働いていた地方出身の娘だ。
……なんで感傷にひたってるんだ、おれは? らしくねえ。
おれの名は軽尾 透。
今年の冬で十八になる。凧西建設に所属するやくざの構成員だ。とは言っても、なりたてホヤホヤの鉄砲玉にすぎなかったが。
かれこれ三週間まえまで遡る話だ。
凧西組の事務所に、かねてから敵対していた関西の組織が突撃隊を送りつけてきたのだ。奴らはダンプ特攻で事務所表側を半壊させやがった。
ダンプ特攻とは、やくざ同士の抗争における常套手段のひとつで、ダンプカーを相手事務所に突っ込ませる手荒な攻撃手段だ。兵隊数人の中への殴り込みに比べて敵に与えるダメージが大きく、道路交通法違反と器物損壊程度の罪状ですみ、さらに懲役は銃器使用の場合より低いメリットがあるのだ。
となれば、報復に出なきゃ、しまりがつかねえってもんだろ。
そういうわけで、関西に鉄砲玉を差し向けることになった。牽制として、舎弟頭の命を取ってこいとの通達がくだった。
二〇〇三年に発足されたマル暴――いわゆる警視庁組織犯罪対策部、略して『組対』のおかげで、いまどき昭和に起ったという物騒な戦争にはならないだろうが、少なくとも今後、小競り合いに発展しかねない。
そこでこのおれが起用されたってわけだ。藤沢兄貴の言い分は、おれの面が割れていないことが最大の利点だと言った。
むろん仕事の成否を問わず、警察にパクられたら、それなりに食らい込むにちがいない。
単なる捨て駒かもしれない。だが凧西組の意志が託されてんだ。せいいっぱい忠義を尽くすつもりだ。たとえ臭いメシを食わされる羽目になったとしても御の字さ。
銃の扱いをひと通り学び、千葉の山んなかで射撃訓練をした。中学のころ、元自衛官の連中にまじり、エアガンでサバイバルゲームをしたことがあった。飲み込みは早い方だったろう。
七月十四日の十一時三十分に、喫茶『つぐみ』にて、敵の幹部連中の会合があるとの情報をつかんでいた。店内に入るまえに、舎弟頭の一人を始末しろと命を受けたわけだ。
「『つぐみ』の真向かいに、つぶれた工場がある。おまえはそこで待ち伏せしろ。心の準備もかねて、朝から張っておけ。――いいか透。奴らが来たら、一気に間合いをつめて、土手っ腹に二連射しろ。おそらくボディガードが迎撃してくるだろうが、そいつらとはやり合わず、さっさとずらかれ。撃ち合いになったら、てめえの命の保証はねえと思え」
耳もとで藤沢兄貴の声がよみがえった。ここでいう間合いとは、わずか三メートル以内。電光石火の俊敏性が試される。ガードの頭数しだいでは、まちがいなくおれの方がカウンターを食らっちまう。
「天気予報では三日後に、台風八号が本州を縦断するようだ。関西はそれこそ暴風域の真っ只中だろう。この雨風がおまえにとって隠れミノの役目を果たしてくれる。おまえの面が目撃されるのも防げるかもしれねえし、なによりドサクサに紛れて、攻撃、撤退がしやすいはずだ」
「雨がひどすぎた場合、会合が延期される可能性はないんスか?」
三日まえ、事務所での作戦会議のときだ。おれは聞き返した。
「ある筋の情報によると、幹部のうちの数人が過密スケジュールを縫って、わざわざ出向いてくるそうだ。その日じゃないと都合が悪いとのことだ。ご苦労なこったな。とにかく槍でも降らねえかぎり、延期はないと思え。おまえは関西へ出向き、指定した場所で待機してろ。そしてチャンスをうかがえ。いいな」
兄貴……おれ、絶対やるよ。ちょっぴり膝が笑ってるけど、勘弁してくれ。
もう一度、工場の入り口から、カラオケ喫茶を見つめた。思っていたほど風は強くなかったが、雨脚の方は一向に衰える様子はない。さすがに行き交う人はいないし、車も思い出したように通りすぎるだけだ。
煙った眼と鼻の先に、店のネオンがにじんで見えた。
そのときだった。
どこかで割れたガラスを踏む音が聞こえた。
反射的におれは身を硬くした。
背後で人の気配が沸いた。
懐に手をやる。とっさにふり向いて銃を突きつけた。……くそっ、情報がダダ洩れってわけじゃなかろうな?
「なんやねん、おっとろしいなあ!」
おれのすぐそばで、女子高生らしい娘がカバンで胸を守っていた。
長い髪も制服もずぶ濡れだ。背丈は一六〇前後。華奢だが発育はよろしい。快活そのものといった少女だった。ルックスも悪くないが……。
「なんだ、てめ。脅かしやがって!」
安堵しながら、おれはベレッタをおろした。
危うく引き金を引いてしまうところだった。もっとも、薬室に初弾が入っていなかったし、安全装置も掛けたままであることを思い出した。これでは引き金は連動しない。――しまらねえ話だ。