あなたの青が好きだから
ノー何とかノーライフとはよく言ったもんだと思う。あたしは自他共に認めるノーインコノーライフだ。笑わないで聞いてほしい。本当にそうなの。正直自分でも相当危ない域に達していると思っている。美幸は「そんなの全然大丈夫だよ~」と言っていたけれど、朝日君には「こいつはなまらヤベえやつだな」という目で見られたことがある。口には出していなかったけれどあの目はそういう目だった。しかも小暮君には「東雲ちゃん面白ーい!」と言われた。悪気はないみたいだったが、馬鹿にされているみたいである。
あたしの自慢のインコはブルーのセキセイインコ、淡雪。通称ユキ。ユキはいい子だ。籠から出しても逃げないから、いつも籠の外にいる。
我が家の周りは道内でもそれなりに有名な星影のブナ林であり、野生動物や野鳥、色々な虫、北海道固有種の植物など、自然がいっぱいだ。お隣に住んでいる陽一郎さんというおじいちゃんは、タカを手懐けただとか、キタキツネをエキノコックスから救っただとか、真偽不明の武勇伝を持つブナ林のボスと呼ばれる男である。そんなおじいちゃんが手懐けた野鳥の内の三羽がユキと仲良くしてくれている。カラスの夕立と、クマゲラの時雨、そしてアカゲラの白露。みんなユキに優しくしてくれる素敵な男の子達。
今日も窓辺で鳥は歌うの。
★
ふくらスズメとは言うけれど、ふくらカラスとも言うのだろうか。窓枠に留まった夕立は羽毛を膨らませて丸くなっている。真っ黒なお団子みたいでかわいい、と言いたいところだけどやっぱりカラスは大きい。スズメみたいにかわいいとは言えなさそう。
「ユウサン! オハヨ! オハヨ!」
ユキが夕立に寄って行く。しかし夕立は微動だにせず丸くなったまま目を閉じている。
「オハヨ!」
「くゎ……」
ユキは首を捻っている。夕立、寒くて元気がないとかそういうことなのかな。ちょっと心配なので、あたしは窓辺に歩み寄る。いつもならあたしに気が付くと挨拶するのに、今日は黙ったままだ。
「おーい、夕立。どうしたの」
カラスに話しかける女子高生というと何だかヤバいやつみたいだけど、実際周りからはそう見えているのかな。もしそうなんだとしたら、あたしなんかより朝日君の方が相当ヤバいと思う。夏頃から、なぜか朝日君は夕立に懐かれている。それにあたしは見てしまったのだ、朝日君が夕立に笑いかけているところを。あれはかなりヤバい。
夕立は丸くなったままだ。眠っているのかな。
椅子を引っ張って来て座る。部屋に吹き込む風はもう凩と言ってもいいもので、頬には冷たさが触れては流れ、触れては流れていく。もう少しすると時雨が降り、雪が降るだろう。クマゲラの時雨がやって来たのは二年前の今頃だったかな。高校受験を控えた当時のあたしは、おじいちゃんの家の庭に鳥が増えていて驚いたんだよね。
「キョーンッ」
窓枠に大きな黒い影が飛んできて留まる。噂をすれば何とやらで、赤い頭頂部が特徴的なクマゲラだ。クマゲラはキツツキと雖もカラスサイズなのでかなり大きい。
「キョキョッ」
遅れてやって来たのはアカゲラで、並んでいると小さくてかわいらしい。
キツツキ二羽が揃ったので、ユキが嬉しそうに翼を広げた。
「オハヨ! シグレ! シラツユ!」
「キョン」
「キョッ」
あたしには別々の鳴き声に聞こえるし、実際そうなんだろうけれどこれで会話は成立しているのかな。動物って不思議だな。
小鳥の餌台に明らかに小鳥じゃないものも多く集まるおじいちゃんの家の庭は近所でも有名だけれど、最近あたしの部屋の窓辺も鳥の集会所として井戸端会議のおばさん達の話題に上がっているらしい。ソースはうちのお母さんだ。「娘さんのお部屋、カラスまで来るんですってね」と言われたそうだ。
ユキと時雨と白露は何やら会話をしているように鳴いている。が、夕立は丸まったままだ。
もうしばらくみんなのかわいい姿を見ていたいけれど、そろそろ時間かな。あたしは椅子から立ち上がる。
「オネーチャン! オネーチャン!」
「ごめんねユキ、あたし出かけなきゃ。約束してるからさ。遅れると朝日君にお小言言われちゃう」
朝日君。という言葉に反応したかのように夕立が目を開けた。吸い込むように深い漆黒の瞳があたしを見上げる。
「かあ」
ユキを籠に戻し、窓を閉める。名残惜しそうに時雨と白露が飛び立ち、おじいちゃんの庭の餌台へ移る。夕立はまだ窓枠に残っていた。すっかりふくらカラスではなくいつものシュッとした美形カラスに戻っている。
パーカーとスウェットからワンピースに着替えて、待ち合わせの公園に向かう。あたしが着くと、もう朝日君は来ていた。コートの前を開けて、中はどうやらジャケットのようだ。いつものメッセンジャーバッグを提げている。おそらくあの中にはポケット単語帳とか一問一答問題集ミニとかが入っている。ガリ勉だなあ。
「日和」
「お待たせー、朝日君」
「待ったよ東雲ちゃーん!」
朝日君の後ろからひょこっと小暮君が顔を出した。うええええ!? 何でいるの!?
「日和ちゃん! お出掛け楽しみだね! わーい!」
さらにその後ろから美幸が顔を出した。遅刻魔の二人がなぜ!
「俺がモーニングコールで叩き起こした」
言いながら朝日君は単語帳を見ている。
ええ、すごいことするね。
「かあ」
カラスの鳴き声がして朝日君の顔が変な感じに歪んだ。「げっ」と言った気がする。鳴き声のした方を見ると異様なほど綺麗なカラスが噴水の枠に留まっていた。青に緑に煌めく羽が水滴を浴びてさらに光っている。
「あれ、夕立付いてきちゃったのかな」
「なんっ、何で」
朝日君は「ちょっとごめん」と言ってトイレの方へ駆けて行った。なぜか夕立がそれを追い駆けていく。
「どうしたんだ晃一のやつ」
「こーちゃんが変なのは今に始まったことじゃないよ」
「確かにそうだよなあ」
「うんうん」
美幸、朝日君、小暮君は幼馴染。三人のやり取りはトリオ漫才みたいだなって思う。朝日君がツッコミで、ボケの二人にいいようにいじられているといった感じだ。
ほどなくして朝日君が戻ってくる。夕立の姿はない。
「お帰り、いきなりお腹壊しでもしたの」
「いや……」
朝日君は何だか思いつめたような顔をしている。
「どうしたよ晃一」
「栄斗が今日も元気そうだなと思ってな」
「あー、俺はいつでも元気だぜ!」
小暮君それ絶対馬鹿にされてるよ!
「日和ちゃん、そういえば今日ってどこに行く予定なの? わたしこーちゃんから出かけるって言われただけで詳しいこと聞いてない。ハルくんは聞いてる?」
「いや、俺も詳細は何も。東雲ちゃんが最初に晃一誘ったんだろ? 今日の予定は?」
あたしはバッグからチケットを四枚出す。それを見て美幸と小暮君がぽかんと口を開けた。朝日君は単語帳を見ている。
チケットにはこう書かれている。
『星影科学館割引券』
「科学館に行くのか?」
「ええー。わたしもっと楽しいのが良かった……」
「だって手に入ったから。折角なら皆で行こうと」
星影科学館は近隣の街でもそれなりに有名な科学館で、子供には分かりやすく、ガチ勢にはそれはもうしっかりとの対応をすると評判だ。小高い丘の上にあり、天文台も兼ねている。
あたしは別に理系ではないし、特別科学に興味があるわけでもない。でも星空は好き。
朝日君は熱心に展示物を見ているけれど、美幸と小暮君は小学生向けの『仕組みが分かる!』とかいう装置をこれでもかというほど楽しんでいる。あたしも一緒に盛り上がっているのだけれどね。
電球がたくさん付いた装置に近付いた時、小暮君に明かりが直撃した。『確認してからスイッチを押そう!』と書いてある。スイッチがたくさん並んだボードを背にした美幸が「ごめんねー」と言っている。
「バッグで押ささっちゃったみたいー」
「びっくりしただろもう」
あたし達がそんなこんなをしている間も朝日君は複雑な装置の前で「なるほどな」なんて言っている。朝日君だって文系選択者だけれど、数学も理科も理系並みにできるからこういうところは楽しいのだと思う。本当に勉強熱心というか、やっぱりガリ勉なんだな。
「ここはおまえの居場所じゃないだろ」
ん? 何を言っているんだろう。朝日君の見ている方は展示物の陰になっていてこちらからは見えない。誰かいるのかな。
「騒ぎになる前に……。あ、やめろ。おい」
バッ! と振り向いた朝日君と目が合う。
「おーい、そこに何かあるの?」
駆け寄ると、朝日君はあたしから目を逸らした。
「何でもない……」
うーん、変な朝日君!
一通り見学した後、あたし達はプラネタリウムを見た。星影市は綺麗な星空を見ることができると、そこそこ名の知れた街でもある。ここの天文台には夏になると天文ファンが多く訪れる。夏に限らず、流星群とかの時期になるとそれを見に本当にたくさんの人が訪れるのだ。星影市、またの名を星降る郷。暮らす人々にとって、星が降るような故郷でありますようにという願いのこめられたこの名前はとても綺麗で、あたしも好きだ。
あー、カラス座はあるけれど、インコ座はないのかあ。
ふむふむ。また一つ勉強になりましたよ。
好きだなんて言ってるけれど知らないことばかりだよね。でもさすがに星座早見盤とかを買う気はないかな。必要になったら朝日君に借りればいいよね。
帰りに近くの喫茶店でお茶してから帰った。いちごパフェ美味しかったなあ。美幸が一口くれた抹茶パフェも美味しかった。朝日君と小暮君には「こんなに涼しくなったのによく食べられるな」と言われたけれどデザートは別腹とも言うし気温なんか関係ないよ。使い方間違ってるな。
「楽しかったよー」
「オネーチャン! オカエリ!」
籠の中で出迎えてくれるユキを外に出してあげる。そして、窓を開ける。待ち構えていたように時雨と白露が飛んで来た。本当に仲良しだね。
あれ、夕立がいないな。
そういえば別れ際朝日君が空を見上げていたな。もしかして朝日君のところかな。懐かれちゃってもう。おじいちゃんに焼き餅焼かれるぞー。
「ぴぴ」
「ユキも一緒にお出掛けできればいいのにねえ」
「ぴ」
伸ばした指にユキが留まる。小首を傾げてこちらを見ている。
「ユキとお話しできればいいのにね」
「オネーチャン!」
「ふふ、ありがと」
★
白に混じる青がとても綺麗だ。そう思ったのは二年前の春にペットショップに行った時。今年は受験生なんだから、と言われながらも、ちゃんと勉強するという約束をして我が家の一員に入れてもらった。今ではもう、ユキのいない生活は考えられない。
この子と離れたくないというのは理由としては弱いだろうか。でも、それがあたしの決めたことだ。あたしはこの街を出ない。だから、星影市立大学を目指す。
ノーインコノーライフ。それがあたし。
ペットと飼い主にはいつか必ず別れが訪れる。怖くないって言ったら嘘になる。ユキがいなくなってしまったらあたしはどうなってしまうんだろうって。ユキと出会ってから、毎日がとても楽しくて、きらきらしているんだもの。
その時が来れば分かるだろう。あたしがどうなってしまうのかは。
だから。
それまでは、傍にいたい。
あなたがあたしといたいって思っている間はさ……。
ずっと一緒にいようね、淡雪。