裏山の魔女
「水晶の魔女」シリーズ番外編。山奥の集落に暮らす小学4年生のユカリと、町からやってきた6年生のユズルの二人は、夏休みに「魔女」の魔法に触れる。
巨大な魔女猫、メインクーンのアーサーに見張られながら、しゃべって遊んで勉強もする。ありきたりだけれども、二度とない夏休みの物語。
ユカリの家の裏山には、魔女が住んでいる。
本当は、裏山よりも、もっと裏の、裏の、奥の山だけど、間には誰も住んでいないから、ユカリのお父さんもお母さんも、みんな「裏山」とよんでいる。
お父さんは毎週、その裏山の魔女のところへ、頼まれものを届けにいく。小麦粉とか、野菜とか、だいたいは食べ物を、小さなトラックに積んでいく。
ユカリの家は農家で、親せきも農家で、それぞれの家で作っているものが違うので、色々な食べ物を、物々交換で手に入れる。
それで魔女は、食べ物を買って、お返しをくれる。
ユカリが楽しみにしているのは、お菓子と、それからシロップだ。
魔女は風邪よけの、甘いシロップを作っている。真っ赤なシロップに、ソーダをかけると、きれいなピンク色の泡がシュワシュワとたつ。そこに、ミントの葉っぱを、おまじないをかけて入れて飲む。ちょっとピリッとするけれど、おいしい。
お父さんには、風邪を引かない魔法のお酒、を作ってくれている。お母さんにも、風邪を引かない不思議なお茶を作ってくれる。どっちも、ユカリには変なにおいに感じるけれど、二人にはおいしいらしい。ユカリが「変なにおい」って言ったら、二人は「まだお子さまだ」と言って笑った。少しくやしかった。
魔女のつくる「風邪よけ」は効く。
魔女のシロップを飲みはじめてから、ユカリは風邪を引かなくなった。お父さんも、飲んでいるのはお酒なのに、二日酔い、とかいわなくなったし、お母さんは前よりも元気になったと思う。
親せきのおじさんやおばさんたちも、魔女の薬をもらっている。
集落のみんなが集まる、集会の時のお酒は「魔女のお酒」になった。
魔女のお酒だと、悪酔い、というものをしないらしい。
お酒が大好きなおじちゃんが、魔女に感謝だ、と言っていた。ナントカの数字が悪かったらしいのだけれど、魔女の薬で良くなったらしい。
会ったことはないけれど、だから多分、魔女は良い人だと思う。
お父さんの話によると、とてもとても大きな猫を飼っているらしい。
どのくらい、ときいてみたら、ユカリぐらい、と言われた。
この世にそんな猫はいないと思うのだけれど、魔女の猫なら、そのぐらい大きくてもおかしくない、のかもしれない。
あと、その猫はとびきり、かしこいらしい。
どのくらい、ときいてみたら、お父さんはやっぱり、ユカリぐらい、と言う。
そんなにかしこい猫がいるのだろうか、と思うけれど、魔女の猫だから、ありえるのかもしれない。
夏になると、ユカリのまわりは、とてもにぎやかになる。
セミは毎日うるさいし、太陽はギラギラしている。虫ははね回るし、そして雑草! 朝から晩まで、畑やあちこちで雑草をひく。
ユカリの家では、あまり農薬を使わない。だから、雑草もすごく元気だ。
農薬を使えばいいのに、と思ったこともあるけれど、虫が死ぬ毒が、いっぱい濃くなって人間の体に入ったらあぶない、と言われて、少し納得した。
納得したことと、しんどいと思うことは、べつもの、だけど。
終業式のあと、通知票を受け取って、バスで家に帰った。
ユカリの住む集落は、校区でもいっとうに不便なところの一つだ。
国語は「できました」、社会も「できました」、理科は「まぁまぁできました」、算数は「がんばりましょう」と、だいたい去年と同じだ。
そろそろ、算数が本当にむずかしい気がする。
体育は「たいへんよくできました」で、これは1年生の時から、ずっと変わらない。じまんだ。
小学校に入る、ちょうどその年の春に、魔女がやってきた。
それからずっと、魔女のシロップを飲んでいるので、小学校入学前にかかったきり、風邪はちっともひいていない。なので、休んだこともない。
2時間に1本もないバスなので、間違えないよう、しっかり確認する。
二度確認したのは、ふしぎな先客のせいだ。
この集落の人間は、みんな顔見知りで、知らない人がいたらすぐ分かる。まして子どもなら、全員が同じ小学校と、中学校に通うのだから、分からないわけがない。
バスのがらがらの座席には、知らない子どもが、座ったまま寝ていた。
男の子だ。多分5年生か、ひょっとしたら、6年生かもしれない。
その子はとにかく、疲れた顔をしていた。
目の下にはくまができていたし、とにかく青白くて、いかにも弱そうだった。みけんにはシワがよって、ものすごく疲れた大人みたいな顔だった。
こんな顔にはなりたくないな、と思いながら彼を見ていると、バスの運転手さんから、さっさと座りなさい、と手振りで指示された。
この集落に戻る小学生は、ユカリしかいない。
そんな一人のために、路線バスが続いているのは、とても親切なことだと思うので、運転手さんのいうことに、素直にしたがった。
林業の集落……正式な名前はちゃんとあるけれど、製材所があるので、みんなそうよんでいる……を抜けたところで、男の子が目を覚ました。
礼儀だと思ったので、あいさつをした。
「おはよう」
彼はとてもおどろいた顔をした。まるで、どうしたらいいかわからない、というようだった。たった一言、同じように「おはよう」と返す。それだけでいいのに、それすら分からないみたいだった。
「おはよう」
もう一度くり返すと、にぶい声で、おはよう、と返ってきた。
何だか面白い感じのしない子だ。学年が上でも、「子」だと思った。
どこから来たの、とか、そういうことをきこうかと思っていたけれども、なんだか気分ではなくなった。ちゃんと話してくれる気がしないし、話しても楽しそうな気がしない。
彼が、夏休みの短くない期間を、この辺りで過ごすつもりらしいことは、大きな荷物で分かった。誰かの家の親せきなのだろうか。5年生か6年生にもなるのなら、一度は集落に来ているはずだと思うけれど、まったく見覚えのない顔だ。
ふと、山向こうの「魔女の村」を思い出した。
裏山の、そのもっと向こうには、魔女ばかりが住んでいる村がある。
大人たちが、そんな話をしていたような気がする。
とすると、彼は「魔女」の関係者なのだろうか。でも、こんなに疲れ果てて、生気のない顔をした「魔女」なんて、いるのだろうか。いない気がする。
少なくとも、ユカリの「裏山の魔女」は、こんな顔をしたりはしない、と思う。
風邪を引かなくなる、魔法のシロップをつくる「魔女」が、疲れた顔をしたりするはずがない。たとい、元気そうな顔はしていなくとも、死にそうな顔はしていないはずだ。
この子は、今にも死にそうな顔をしている。
バスに酔っているのかな、と、がんばって良い方に考えてみたけれども、どう見てもこの「疲れ具合」というのは、まさに長い間病気にかかっていた人のものだ。ちょっとの乗り物酔いでする顔じゃない。「魔女」からシロップやお茶をもらう前は、集落に出入りする人の中にも、時々こんな顔の人がいた。
今では、もうちっとも見ないのだけれども。
あんたは「魔女」のところへいくの?
ものすごく、そう聞いてみたかったけれど、できない。してはいけない。
「魔女」のことは、ユカリたち「奥の集落」の人間の秘密だからだ。
そして裏山の裏の、ずっと裏にある「魔女の村」のことは、本当はもっと大きな秘密なのだ。うっかり聞いてしまったから知っているけれど、本当はユカリは「魔女の村」のことは知らない、はずなのだ。
だから、知らない顔をして、口にチャックをしている。
子どもだって、そのぐらいできるのを、きっと大人は知らない。
もしも「魔女」のことを、ばらしてしまったら、どうなるのか。
ユカリは、それを知らない。
おとぎ話の中では、いつだって「魔女」との言いつけをやぶった人は、とても不幸になる。図書室にある「魔女の出てくる本」では、いつもそうだ。
学校のみんなは、先生も、ユカリのことを「魔法の話が大好き」だと思っているけれど、ユカリにとっては、これはまじめな「研究」なのだ。「奥の集落」の人間にとっては、魔女とはとなりに住んでいるものなのだから。
ユカリはもうずっと魔女のシロップを飲んでいて、そしてそれから病気にかかっていない。つまり、魔法のおかげだ、と思う。
ということは、あの「魔女」を怒らせたら、逆に魔法で病気にされてしまうかもしれない。あるいは、何かもっと悪いことが起きるかもしれない。
そう、たとえばほんのちょっぴりだけ使った農薬が、ものすごい毒にかわってしまったりとか。もし毒が畑にまかれたら、もうおしまいだ。
「魔女」のことを、ずっとだまっていることができたのは、そういう色々な、魔女が起こせるかもしれないこわいこと、をいっぱい考えてみた、研究の成果だ。
農家というものは、たくさんの悪いことが起きると考えて、手を打っておく。そうしないと、大自然の力の前に、人間の力はいつだって負けてしまう。そういうものだと、おじいちゃんたちが言っていた。だから、いちばんいやなこと、を考えるくせがついた。
いちばん悪いことを想像すると、たいていのショックはがまんできる。
たとえば、収穫を楽しみに待っていたリンゴを、カラスに食べられてしまったとか。それはカラスのご飯になったのだ。台風で枝から落ちて、誰も食べないままくさるより、きっといいことなのだ。
もちろん、おとぎ話の「悪い魔女」ならともかく、うちの「裏山の魔女」は、集落に悪いことなんてしない、と思う。
そう思うけれども、やろうと思ったらできる、かもしれない。
なら、そもそもそんな気にはならないでもらう方が、かしこいというものだ。
それに、シロップをくれる「裏山の魔女」はともかく、その山向こうの「魔女の村」の魔女たちが、みんな親切だとは限らない。だから、用心はするべきだ。
この男の子が、ひょっとしたら「魔女」の関係者だとしたら、無理に話を続けたりしないのも、それはきっと、かしこいこと、なのだろう。
あいさつをしたあと、彼はまた目を閉じた。本当につらそうだ。
橋を渡ってしまうと、「奥の集落」だ。
集落に一つだけある「お店」の前で、バスは止まる。ここが終点だ。運転手さんにあいさつをして、バスを降りる。あの子もだ。
バス停にはお父さんがいた。トラックに、たくさんの荷物を積んでいる。今日も「魔女」のところへ、荷物を届けにいくのだ。
「ユカリ!」
お父さんに名前をよばれたので、ユカリは大きく手を振った。
「通知票、もらってきたか?」
さっそくの言葉に、ユカリは困って、あいまいに笑った。
「体育は『たいへんよくできました』だよ」
「算数は?」
じっとお父さんを観察して、それから、あきらめて答えた。
「『がんばりましょう』」
はははは、とお父さんは声を上げて笑った。ばかにされている気がする。
「『速度と時間』が難しいんだよ!」
メートルで計算していたのに、答えではキロメートルに単位を変更しないといけなかったり、地味にひっかけが多いのだ。あと、100分ではなくて、60分で1時間というのが、とてもややこしい。つい1時間を100分で計算してしまう。
夏休みは、算数との戦いで終わりそうだ。それと雑草。
ランドセルの中に入った「宿題表」を思い出すだけで、うんざりだ。
落ち込むユカリを放って、お父さんは、例の男の子に声をかけた。
「あんたが『先生』のいとこか?」
ユカリは少しびっくりした。なんとなく「魔女」というものは、てんがいこどくの身の上で、親せきなんかいないと思っていたのだ。
男の子は、むっつりだまったまま、うなずいた。
「よし、じゃあ、助手席に座れ」
ユカリは声を張り上げた。そこはいつもはユカリの席だ。
「私の座る席がないよ!」
「荷台に乗れ」
お父さんの返事は、とりつく島もない、というやつだった。
くちびるをとがらせながら、ユカリは、野菜が盛られた荷台に乗る。魔女はジャガイモの他に、色々な種類の豆と、お米と、それからたくさんの砂糖を注文したらしい。たぶん、この砂糖のいくらかが、ユカリのシロップになるのだろう。
そんなことを想像すると、荷台に乗るのも、なかなか悪くない。
荷物をあれこれながめているうちに、トラックは細い山道を抜けて、ユカリの家に着いた。お父さんがトラックを止めたので、ユカリは荷台からおりる。
「そんじゃ『先生』のところへ行って来る」
「いってらっしゃい」
お父さんと、それからついでに例の男の子に手を振った。お父さんは少し笑ってくれたけれど、男の子はぼうっとしたままだった。