第3話 不思議ちゃん無双
誤字・脱字等、お気付きの点がありましたら感想で指摘して頂けるとありがたいです。
合わせて六人となった獣人の前で、とりあえずドアノブと鉄棒は床に置き、俺は『うはあ怖え』と小さく身を縮めていた。
魔導書を吊った鎖が、応援するようにちゃらりと音を立てる。
ちなみにルシは、村の獣人さんとの都合上あんまり口をきくのはよろしくないという話だった。
つまり俺は、孤立無援というわけだ。
「おい」
「……なんでしょう」
中世ヨーロッパのランスっぽい巨大槍を天井に半分めり込ませたゴリラ面の獣人が俺を指差し、ドスの効いた声で言う。
「その白い髪と赤い目はなんだ。俺たちの真似事か?」
そういえばそんな話もあったっけと髪に手をやってみる。
「ええと、何と言うか」
「ああ知ってるさ。偽装魔法だろ、俺たちの村に紛れ込むための」
「んぇー……じゃあそんな感じで」
逆らうと今すぐ飛びかかって来そうなので、俺は素直に頷く。
しかしこれは逆効果だったようだ。ゴリラ顔のこめかみに青筋がびきりと走っていた。武器に手を添える獣人までいたが、先ほどの狼獣人が片手を上げて制する。
え、なんて答えればよかったの?
思わず口がへの字に曲がるが、いずれにせよ馬鹿正直に『異世界語を身に付けるために体の色素を脱色しました』なんて言えるはずがなかった。……それに、
「では、少年。貴様がこの村にきた目的は?」
正面に立つこの獣人さんの頭から、ぴょこんと飛び跳ねるように生えているアホ毛が気になって仕方がないのが本音だ。
しかしこの人、竜を人型にしたような超絶恐ろしい風貌なので、笑みを漏らすわけにも行かず真顔を保つのに必死な俺である。
二本の捻じくれた角の間でふらふら揺れている羽毛のような毛を追ってしまう目を、俺は強引に正面へ戻す。
何の話だったっけか?
や、そうだ。村に来た目的を聞かれたのだった。
何しろこの状況だし、都合の良さそうな嘘があれば言ってみたいものだが、どう言えば現状が好転するのかも分からない。
この際だから普通に答えてみる。
「獣人さんをモフ……じゃない。俺も人間族に迫害されてしまったので、この村に置いてほしいなーと思ったのです」
危ない、本音がちょろっと漏れてしまった。
慌てて繕ったが、獣人たちの空気はいよいよ刺々しくなる。
「迫害、か。人間族のお前が、なぜ迫害されるのだ?」
なんでだっけ、と俺は首をひねった。
魔力のない体質がどうたらこうたらとルシに教わった記憶はあるのだが、焦った頭はどうも巡りが鈍くて思い出せない。もっとよく聞いておけばよかったと今更ながら後悔する。
英語のテスト前に調子こいて単語帳見直し損ねた気分だ。
黙ったまま思考を巡らせていると、獣人さんたちは勝手に結論に至ってしまったようで、
「ふん……なるほど。そうか、人には言えぬような事情があるわけだな? 人間族の少年」
村長さんのアホ毛が『!』という感じでピンと直立した。
い、いやちょっと待って。
今思い出してるところなんでもうちょい待って。
ふざけてる場合ではないのに、結局思い浮かんだのが昨日の巨大カピバラの顔だけというのはなんか、すごく、アレだ。
「知っているか」
「ん、何を?」
いきなり話を振られ、思わず素で返してしまう。
竜獣人は窓の外を指差しながら、
「この村には……今までに二度、お前と同じような人間が来たことがある。一人目は、あいつだ」
目で追ってみると、窓枠の端っこから頭をひょっこり突き出してこちらを覗き込んでいる小さな幼女と視線がぶつかった。
表情で『へるぷみー』と申し立ててみるが、ノエリアはぷるぷる震えるとぴょこんと頭を引っ込めた。
あんにゃろう……俺だけ置いて逃げたようだ。
「ノエルとは、話したか。どんな子だと思った?」
「……今は裏切られた気分かな」
「ふん。得体の知れないお前のような人間と、関わり合いにならぬようにするのは、当たり前の処世術だろう」
処世術とは、これまた難しい言葉を使うものである。
しかし獣人さんの言うとおり、俺は村に来たばかりだし、というか転生者だし、それ以前に異世界人だし、関わらない方が身のためだというのは理解できなくもない。
でも君たちはもうちょっと優しい雰囲気で接してください。
そんな俺の切実な思いを知ってか知らずか、竜獣人は俺を睨んだまま言葉を続けていく。
「それに、ノエルは一度、私たちの村を救ってくれたことがある。だから彼女はこの村にいることを許されている」
「……」
「元よりあの子は、人間族にしては珍しいほど純粋だ」
彼女は、自分が唯一の人間族としてアルトゥンハ村にいる理由を教えてはくれなかった。
純粋じゃない俺は首チョンパされるしかないのだろうか。
「問題なのは二人目のほうだ」
俺の思考そっちのけのまま獣人は勝手に話を進める。
いやはや、鉄棒とドアノブの破壊を謝罪する機会はいったいいつになったら巡ってくるのだろう。
あれ、考えるべきはそっちじゃなかった気がする___
「二人目の人間族は、奴隷商人だった」
___と、そこで俺は思考を止めていた。
奴隷商人という言葉に、聞き覚えがあったからだ。崖から落ちる直前にルシから受けた説明の一部分。
獣人族は人間族に迫害され、また奴隷にもされていると。
「その人間を助けてしまった時、私たちは知ったのだ。善なる人間と悪しき人間。人間族には二つの種類があるのだと」
各々の武器を抜き盾を構え、もはや完全に戦闘モードに移行した白き獣人たち。その赤い敵意が総じて俺に突き刺さる。
もしかしたらと思い、俺は冷や汗を掻きつつ後ずさった。
そう、おそらくだが……彼らは、
「そして貴様は、おそらく後者であろう? 少年よ」
彼らは、俺を奴隷商人か何かだと勘違いしている。
先程の尋問じみた質疑応答は、俺が危険因子であるか否かを占う試金石だったのだ。
「やれ」
不合格だと、アホ毛の竜獣人は俺にそう告げていた。
瞬間、雄叫びを上げながら俺に突撃を仕掛ける獣人が一人。最初に突っ掛かってきたゴリラ顔の男だった。仮にもログハウスの中であるというのに、全く構わず猛然と槍を突き出してくる。
その巨躯も相俟って、凄まじい威圧感だ。
ただ___その動きは、とても緩やかだった。
(…………。え? ん? あれ?)
明鏡止水とでも言えばいいのだろうか、漣一つ立たない己の心に俺自身が不思議に思っていた。
どう表現しようものか……『脅威に感じなかった』。
強いて言うなら、指先に摘まんだアリが噛み付いてくるぐらいの脅威にしか感じなくなったのだ。ゴリラ獣人が。
思考が冴え渡り、視界が澄み渡る。
捻じるような回転を加えて唸りを上げるランス、その鈍い銀色の輝きが隅々まで見える。まるで俺の五感が時の流れから置いていかれているかの如く。それでいて、どこか身体に馴染むような、懐かしさすら感じるような、筋肉骨格血液全てが今ようやく本気で駆動したような___体が喜びに満ちているかのような未知の感覚。
俺の心臓を串刺しにするつもりなのだろうか?
そのランスが描く軌道が鮮やかに瞳に焼き付いていく。まっすぐにしかし滑らかに俺の左胸へ。手で掴もうと思えば掴めるが、実際に食らってみるとどうなるのか興味もある。
(……、)
ここで俺は、こちらに接近する一つの気配に気付いた。
窓の外。そこにはノエリアがいるはずだが、さらにその背後から凄まじい速度でこちらへ迫る影があった。
……この気配には覚えがある。
おそらく、崖の上で俺を襲った獣人の女の子。
彼女から感じられた脅威度はゴリラ獣人のそれより上だが、放たれる殺気は俺に向けられたものではなく___
「___待って!!」
大音響が轟き、意識のアクセラレーションはそこで終了した。
窓から飛び込んできた少女の蹴りが、ゴリラ獣人の突き出す槍の側面を打ち抜いていた。鋼の切っ先が俺からわずかに逸れ、木の床にズガンと勢いよく突き刺さる。
砕けた木っ端が頰にピシピシ当たって痛い。俺はぱちくりと目を瞬かせて、俺を捉え損ねた大槍をちらりと横目に見、それから体をぶるりと震わせた___こんなもん食らったらどうなるも何もなく即死に決まっている。何を考えていたのだ俺は。
今更ながら目尻にじわりと雫が迫り上がる感じがした。
そんな情けない俺の前に、一人の獣人の少女がふわりと柔らかく着地。俺を庇うようにすっくと立つ。
彼女の頭には、見覚えのあるとんがった獣耳が生えていた。
「……何の真似だァ、リナ」
水をさされたことに酷く気分を害した様子のゴリラ獣人は、槍を床から引き抜き、乱入者の顔を睨みつける。
しかしリナと呼ばれた獣人少女は意にも介さず、
「彼は殺すべきではないわ。少なくとも今はまだ、利用価値があるはずよ。なぜ性急に事を運ぼうとするの?」
「お前には関係のない話だろうが!」
吠えるゴリラ獣人を、竜獣人が片手で制する。
「落ち着け、エドゥ。……リナよ、なぜここにきた?」
立場・実力共にリーダー格なのであろう彼も苛立っているのか、アホ毛が少し逆立っていた。
その身から何とも形容し難い威圧感が放出されている。
少女は一瞬だけ、気圧されたようにピクリと獣耳を震わせると、少しだけ目を伏せて呟くように言った。
「……殺しちゃダメよ。殺しては、いけないわ」
「それはお前が決めることではない」
「でも、彼はまだ___」
「お前はまた、あの日のような災厄を招く気か?」
尚も抗議しようとした少女は、その言葉で狼狽した。
色の薄い肌が白を通り越して蒼白になり、顔からは微かに残っていた血の気さえも引いていく。
獣耳と尻尾が金縛りにあったように直立不動で硬直している。
「ハッ、ガキが粋がってんじゃねえよ。すっこんでろ!」
ゴリラ獣人は咆哮し、大槍を横薙ぎに振るう構えを見せた。
あのリーチが狭いログハウスの中を薙いだとき、少女も俺も諸共塵に帰るだろうことは容易に予想できる。故に俺も他人事ではないのだが、思考は全く別の方向を向いていた。
電信柱より太く見えるその鉄の塊を片手で振り回すその膂力にはただ感服するばかりだが、なぜに少女を巻き込むのか。
それに一応、彼女は俺の恩人である。
再び訪れる臨界点突破の感覚を、今度は自然に受け入れながら、俺は床に置いてある鉄の棒切れを右手に掴み取って、
「___っづお!?」
ゴガォン!!という、鉄と鉄とが激しく衝突する重低音が木床を砕き割り、ゴリラ獣人は反動に耐えかね踏鞴を踏んでいた。
『……いやちょっと待って。なに今の』
「んー?」
ルシが唖然とした声を出す。
俺を守ろうとしてくれていたようで、目の前に青い魔法陣が構築されかけていたが、それも光の粒になって消えていった。
しかしながら、俺は少々拍子抜けした気分である。
真正面から槍を受け止めると質量的に鉄棒がへし折れそうだったので、棒の底を使って突き崩してやったのだが……やはりと言うか何と言うか、実に容易いものだった。
腕がちょっと痛いが。
このゴリラ獣人、見掛け倒しで実は弱かったりするのか。
「………あっ、あ」
へたりと膝の力が抜けたように、少女は床に座り込んだ。
それを横目に見ながら、衝撃の余力で少し歪んでしまった鉄棒をくるくる弄び、俺はのんびりとした口調で言う。
もう怖くなかった。ちょっと目尻に雫が溜まったままだけど。
「俺は良いけど、その子は巻き込まないでおくれよ」
「て……めぇ!? 何しやがった!!」
さっきから大声を出してばかりですねゴリラさんや。
というか、さっきからゴリラ獣人と竜の獣人しか喋ってないし、他の獣人が空気すぎ___
「おっと」
___と思いきや、いつの間にか俺の側面に回っていた獣人族の影が二つ。一方は鎌のような形状をしたノコギリを持ち、もう一方はツーハンドソードを振りかぶっている。
いやはや、何とも物騒な。
やはり何の脅威にも感じないとはいえ、ここで避けると隣の少女に当たってしまう。少しだけ考えを巡らせた後、
「失礼します」
「え……きゃあ!?」
鉄棒を口に咥えて右腕に少女の体を抱き上げ、脚のバネを収縮、そして解放。全力でバックステップする。
ログハウスの床がさらに陥没し、爆発的加速を得て後退する俺と少女。その影を縫うように鎌と剣が円弧を描くが、すでに俺たちは扉を突き破って外に飛び出たあとだ。
余力にブレーキをかけると、十数メートルほど下がったところで勢いが止まった。足に力を入れすぎたのか土が抉れている。
「あらー……もうちょっと手加減しよ」
靴底が一センチぐらい磨り減っているのを確認しながら、独り言のように呟いてみる。
この調子じゃ服がもたなそうだった。
しかし今は服を気にしている場合ではない。腕の中で俺を見上げながら『な……な……』と慄いている少女を見やってから、こちらに駆け寄ってくる幼女に視線を送る。
ノエリアは自分の長すぎる髪の毛に一回つまずいて転倒、強かに鼻を打ち付けたと見えて、涙目でこちらに走ってきた。
「う……うゆぅー。だ、大丈夫なのですか、ユイ。すごーく派手に吹っ飛ばされてましたけど」
「全然余裕。腕がちょっとぴりぴりするけどな。それよりノエル、この女の子腰抜かしてるみたいだから見といてくれる?」
少女をノエリアに預けてから、鉄棒を右手に握り締める。
直後、結局ぶっ壊れてしまったログハウスの扉から、ゴリラ獣人が槍を携えて飛び出してきた。
ここで正面から一撃を跳ね返してやってもいいのだが……反動で腕が痛むのは嫌だ。謎の馬鹿力を発揮できても体は常人らしい。
ならばと俺は棒を逆手に持ち替えて迎え撃つ。
「おおォおァァあああああああああああああ!!」
(うるさいなぁ……)
そんな大声出すと筋肉に酸素が回らないよ、などと科学的反論を頭に思い浮かべつつ。
突進の勢いを最大限に生かした鋼鉄の一突きだが、動きが直線的だった。真正面からは受け止めず、大槍の側面に棒を添え、左脚を下げながら、舐めるように衝撃を流し___弾き飛ばす。
槍の表面が鉄棒を擦過し、火花が散っていた。
瞠目する獣人の顔。
左方向へ逸れていく槍の切っ先。
それらを全てはっきりと現認しながら、俺は本能が命ずるままに鉄棒を順手に持ち直し、左腰に据える。
その構えを見る人が見れば、こう言うはずだ。
___居合斬り。
「にゅ!」
あ、ちょっと待って変な声出た。
締まりのない己の奇声と共に、相手とほぼ密着した態勢から足を踏み込み腰の回転を利用、相手の懐を掻っ捌くように鋼鉄の一閃を振り抜く。ドグッという痛そうな音が獣人の腹を撃ち抜いた。
「ご、ぶっ……」
たった一撃でゴリラ獣人はあっさりと膝をつき、泡を吹きながら気絶してしまった。
「……」
静寂が空間を支配する。
気を失った獣人を一瞥した後、ログハウスから出てきた他の五人に視線を移し、俺は手を頬にやりながら、
「変な声出ちゃった……恥ずかし」
『言い方を無駄にエロくする必要はあるの?』
「……ルシってやっぱりそっち方面の知識も豊富なんだな」
『くそう墓穴掘った!?』
唸り声を上げながら続けて突進してくる二人の獣人。その巨大な鎌と剣の鈍色を、俺はちょっぴり頬を赤らめながら迎え撃った。
お読みくださり、ありがとうございました。




