第2話 虎穴に入りたくない
ファンタジー系小説ではもはやお約束、幼女ちゃんのご登場。
読者の皆さまの癒しになれば幸いです笑
では、どうぞ。
どうすりゃいいんですの?
と、目の前の幼女に尋ねても、おそらく言葉は伝わってくれないのだろう。異世界なのだから当たり前だ。
今までの密林生活では生き残るのに必死だったし、ルシはなぜか日本語を話せたので、異世界言語はすっかり失念していた。
ルシは恐らくこちらの言葉も話せるだろうし、彼女を通して翻訳を行うという手もあるにはあるが、これからそんなワンクッション置いての会話を続けなければならないのかと思うと面倒である。
ここに来て不勉強が祟るとは……。
「……bjxあむxy? みゅkohqあ」
幼女は小さな手を伸ばし、俺の頬をぺたぺた触り始めた。
話す言葉はまったく意味不明だが、火傷が痛々しく見えたのか、気遣わしげな表情で俺を心配してくれている。優しい子である。
しかし肝心の言葉が届かない。
(……そうだ)
お返しに幼女の長い髪を梳いてやった時、ある考えが閃いた。
俺は後ろのルシに顔を寄せ、こそりと囁きかけてみる。
「ルシ。例の魔法……『血の履行』で、異世界の言語を身に付けることはできないか?」
言うと、魔導書は困惑したようにページを揺らした。
『え? っと……血の履行は、代償を払った者の望みを叶えるのに最適な魔法を検索して付与するっていう代物だから、そこに「相互理解」の魔法が適用されれば……』
謎説明だ。
頭にハテナマークを浮かべつつ首を傾げると、ルシは一旦言葉を切り、やれやれといった口調で再開した。
『……まあ要するに、できなくはないってコト。それで、今度は何を代償にするつもり?』
「そう、それなんだけどな。例えば___」
俺のなでなでを気持ち良さそうに享受してらっしゃる幼女の白い髪の毛、そして赤い瞳。
それらに目を落としてから、俺は続ける。
「___体の色素、とかはどう?」
『お馬鹿』
魔導書は即答したあと、ため息混じりに言葉を続ける。
『って、本来なら忠告すべきなんだろうけどね……血の履行で体を強化しちゃったあとだし。確かに、今のマスターから色素を抜いても身体的な影響は少なそうか』
「いけそうか?」
『……一応聞いとくけど、言葉を学ぼうっていう選択肢はないの? マスターってかなり頭良いじゃない』
末尾に付け加えられた言葉は全く心当たりがない。
「めんどいからやだ」
『言うと思ったよ。じゃあ始めるからね』
魔導書の幾何学模様が、鈴のような音色を発する___と同時、俺は自分の体から何かが抜き取られるのを感じた。
内側から外へ……というよりは、脳の内部に向かって全身の力が吸われていくような感じだ。
目を閉じ、その得体の知れない感覚に身を委ねる。
「うあnjeしky___ってます、よ、ザざザザ___」
俺の変化に気付いた幼女が、何やら言いまくっている。
やがて『血の履行』の魔法が完全に発現し、一瞬のノイズの後、新たな力が世界の音を変質させた。
「___大丈夫、です?」
とてつもなく心配そうな表情で、幼女はそう言っていた。
目を開けて、俺はその言葉を頭の中で咀嚼する。
「……うん、大丈夫」
「そうですかー。ならよかったのですよー」
こくんと頷きながら返事を返すと、幼女はほっとしたように表情を緩めた。……どうやら魔法は成功したようだ。
いつものことだが、ルシもいい仕事をしてくれる。
「うゆぅー。いきなり髪と目の色が変わり始めたものですから……びっくりしたのですよ」
「あー……」
視線を上に向けてみると、幼女ほどではないにしても二ヶ月間の密林生活を経て伸びまくった俺の髪が、白色に染まっていた。
いや、白く染まったというより……色が欠けた、と表現した方が正しいだろうか。色合いにしても、純白というよりはむしろ燻んだ灰色のような中途半端なものになっている。
「なあ……俺の髪とか眼をとか、何色に見える?」
白くなった毛先をくりくりと指先でいじくってみる。
「うゅ? 白い髪に、赤い目ですね。私たちとお揃いですー」
なるほど、色素はがっつり抜かれたようだ。
心なしか皮膚の色も薄くなっている気がするが、体中の火傷痕で大した違いも分からない。
体のあちこちを見回していると、
「それより、あなたのお名前を教えてほしいのですけど」
幼女は俺のあぐらの上にすとんと腰を下ろし、ぷらんぷらん足を揺らしながら俺を見上げた。
長い白髪が、はらりと幼女の顔に垂れていた。
俺のよりずっと綺麗な白色の髪。
それを除けてやりながら、俺は洞窟を照らすロウソクの揺らめきに目をやってちょっと考え込んでみる。
(……外国風に名乗った方がいいのだろうか)
細かいことを考え出したらキリがなさそうだ。
とりあえずここまでの会話から、ルシの魔法はいわゆる自動翻訳的な効果をもたらしているものと分かる。
俺は今まで通り日本語で話しているはずだが、この子にとっては異世界語に聞こえているのだろう。逆に、俺は彼女の言葉を日本語として解釈できている。相互的に作用する魔法なのだ。
つまり……ここでは和風に名乗っても、相手には異世界風の名前に聞こえているはずである。
というわけで、気にせず名乗ることにした。
「俺の名前は、片桐唯葉。ユイでいいよ」
「ユイ……ですか。なんだかきれーな名前ですねー」
幼女は何度か口の中で『ゆい、ユイ』と繰り返していた。
確かに、語感的に女の子寄りであることは認めよう。しかし俺はこの名前を密かに気に入っていたりする。雪の重みに耐えて伸びる一つの芽に因んで付けられた名前だ。
ややあってから俺の名前を覚えたらしい幼女が、我に返ったようにこちらの方へ視線を戻して、名乗り返す。
「うゆ。私はノエリア・シェルリングと申します。気軽にノエルと呼んでくださいねっ」
「そうか、よろしく。……ああちょっと待て、こいつも」
思い出したように魔導書を手元に引き寄せて幼女に見せる。
確か、ルシは『俺を牢屋に入れることに抗議した』から吊るされたのだと言っていた。
つまり村の人たちは、この魔導書が確固とした自我を持ち、また言葉を話せることも知っているはずである。
ならば橋渡しするのが筋だろう。
「この魔導書は、ルシっていうんだ。色々と物知りな俺の相棒ってことで……一つよろしくね」
『ま、ますたぁ……忘れずに紹介してくれるなんて……!』
ルシは感激したようにページをぷるぷる震わせていた。
幼女もといノエリアは魔導書をまじまじと眺め、そのくりくりとした瞳を赤く煌めかせていた。
やがて、その柔らかそうな頬をふにゃりと緩めると、
「ルシ、よろしくですー」
『……う、うん! よろしくね、ノエルちゃん!』
魔導書ルシは勢いよく俺の右手から飛び出して、ノエリアと熱い抱擁(?)を交わしていた。
新たなる友情がここに誕生せしめたようだ。
「ところでノエル」
「あい?」
二人が友情を確かめ合っているのをひとしきり眺めてから、俺はノエリアに話を向ける。
「ここって獣人族の村だよな」
「あい」
こくりとノエリアは頷く。
「ノエルって人間族?」
「あいー」
ぴょこぴょこ体を揺らしながら頷く。
「村にいる人間はノエルだけなのか」
「……あい。ユイで二人目なのですよー……」
力なく頷き、ノエリアは肩を落とした。
人間族が獣人族を差別化しているという話は、崖から落ちる前にルシから解説を聞いた。
確か、奴隷にもされているとか何とか言ってた気がするのだが、人間が獣人族の村にいるというパターンは逆にアリなのか。
思った疑問がそのまま口を動かす。
「なんでノエルは獣人族の村にいるんだ?」
幼女はしばらく視線を彷徨わせたあと、
「えと、ぅ……谷よりも高くて、山よりも深い理由があるのです」
「なるほど、そりゃ仕方ないな」
『………、うん? 何これ、ツッコミ待ち?』
確かに超絶的薄っぺらな理由に聞こえるかもしれないが、そこにツッコミを入れるのは野暮だと知りなさい相棒。
ここで彼女の事情に深入りするほど馬鹿ではない。
「それじゃ……そうだな、ノエルは今何歳?」
「う? えと、いーち、にーぃ……」
指折り数えたあと、ノエリアは右手のパーと左手のチョキを俺に向けて突き出してにっこり笑った。
「七歳でしゅ!」
「なあルシ、トートバッグとか持ってない?」
『お持ち帰りとかさせないよ!?』
ごちん!と魔導書が俺の脳天をぶっ叩き、俺は目を白黒させつつ地面にひっくり返った。
冗談なのに、まさか本の角でど突かれようとは。
ちょっと本気で痛かったので涙目になっていると、ルシは地面に身を擦り付けて謝り倒してきた。ホコリが付くでしょやめなさいと制する、その一連のコントみたいな流れを見て、ノエリアはほっぺが落ちそうなくらい表情を緩めてきゃっきゃと笑った。
話を続けても大丈夫そうだ。
「さてー、ルシには後でお仕置きするとして」
『本の角はやり過ぎましたごめんなさい!』
「お黙りなさい。してノエル、一つ尋ねたいことがありますの」
「口調変になってますよぅ?」
「おっと失礼……いやな、結局ノエルに何しにここまで来たのかなって思ってさ」
さらりと本題をぶっ込んでみると、
「うゆゆ、そうでした。忘れるところだったのですよー」
そう言って、ノエリアはぴょこりと俺のあぐらから立ち上がり、身にまとったボロ布の懐から何かを取り出した。
ちゃりんと音を鳴らしたそれは……銀色のカギだった。
「村の皆さんが呼んでいますので、一緒に行きましょうっ」
もっとも、カギはいらなかったようですけどねー?
と、幼女が全壊した檻の方を見ながらそう言うのを聞いて、俺は後で村の皆さんに謝罪しとこうと改めて思った。
とはいえ、よく考えたら、檻をぶっ壊しちゃってごめんなさいと謝るときはどういう態度を取ったらいいのだろう。
土下座するというのも、なんかちょっと違う気がする。
そんなわけで、破断した鉄の棒を手に持ち、魔導書は鉄枷の鎖でスラックスのベルトに括り付け、さも農村らしい田んぼ道を歩いてノエリアに案内された先は……村における集会場的な役割を担っているでっかいログハウスだった。
ここで話し合いでもするのだろうか。
拳と拳の話し合いにはならなそうで何よりである。俄然やる気が湧いてきて、俺は無駄に気を引き締めていた。
___ところが、そこで重大な問題が発生してしまった。
「離してくれノエル。俺は今からあの牢屋に閉じこもる」
「逃げちゃダメなのです……皆さん待ってるじゃないですか」
「あれ待ってるなんて体じゃなかっただろ。三名ほど完全武装して臨戦態勢ばっちりだったぞ」
「……襲ってきたりはしないと思うのですよ」
ログハウスの中をちらりと覗いた時点で、俺は即座に回れ右して逃げ出したい気分に駆られていた。
そこには五人の獣人。うち三人は文字通り武器を背負っており、ヤル気満々で目をギラつかせていたが、俺としてはむしろ真ん中に立つ二人の丸腰の獣人の方がよっぽど強そうに見えた。
何やら顔を寄せて話し込んでいたのだが、お世辞にもいい雰囲気とは言い難かったのである。
「やだよ、俺もうすでに色々ぶっ壊しちゃってるのに。もはや俺があいつらにぶっ壊されそう」
「う、うゆぅ……」
そんなログハウスの扉を、俺は一度開けてしまっている。
そーっと中を覗き込んでみたら真ん中の熊っぽい巨躯の獣人と目が合い、びびって思わず全力でドアを閉めてしまったところ、俺の怪力でドアノブが引っこ抜け、直そうにも今度は扉ごとぶっ壊れてしまう可能性がなきにしもあらず、結局現実逃避気味にこの場から離脱しようとしてノエリアに阻止され今に至る。
肉体が化け物じみたモノに進化したからといって、精神まで強化されたわけではないのだ。
へたれ上等。
俺の弱卒フリーダム精神を舐めるでない。
「で、でもでも……獣人族の皆さんは、とっても良い人なのです。何とかなると思うのですよぅ」
あの剣呑極まりない雰囲気の中へ、壊れたドアノブと鉄棒を片手に突撃しに行けとおっしゃるのかこの幼女は。
虎穴に入らずんは虎児を得ずというが、できないもんできないのである。むりむりと首を横に振って拒否を示してみると、
「うゆー! じゃあ私も一緒に行きますから、ほら!」
脚をぐいーと引っ張る幼女に、俺は踏ん張って耐える。すると、いきなり幼女が俺の脚から離れて走っていった。
ようやく諦めたかと思い、回れ右して___俺は固まった。
俺の目と鼻の先に、いつの間にか白い壁みたいなのが聳え立っていた。俺はゆっくりと視線を上げた。
「……」
具体的な擬音で表すのなら『ぬぅん』という感じの威圧感溢れる狼っぽい獣人が、はるか高みから俺を見下ろしていた。
「……ん? 入らんのか?」
「……今入ろうかと」
「じゃあさっさと入れ」
再び回れ右して、俺は肩を縮めながらログハウスの中へ入る。
まさかの六人目の刺客が出現。
中にいた五人が全員だと誰が言った?って感じだ。
(生きて帰れるかなぁ……俺)
そんな取調室に連行状態の俺を、ノエリアはログハウスの影から覗いていた。振り返ると俺と幼女の目がぴたりと合う。
(ご武運を祈るのですよ)
ノエリアがそう口パクで伝えてくるのを見て、
(……ご武運は祈らなくていいから、ご健勝を祈ってくれ)
切実にそう思う俺だった。
お読みくださり、ありがとうございます。




