第25話 終熄
申し訳ありません、前話が24話なのに23話と表記されてました。
修正致しました。
___時間は少し巻き戻る。
ログハウスにて猫獣人の治療を受けていた俺は、溜め込んでいた心身の疲れがついにピークに達したのか、いつの間にか眠り込んでしまっていたらしい。
「起きてくださーいっ!」
「ふぁごっ!?」
鳩尾をど突かれ、闇に沈み込んでいた意識が急浮上する。
俺は跳ねるように体をビクつかせて起き上がった。
「うごご……ノエル? と、フリア、か?」
「うゆ! おはよーです、ユイ!」
「あ、う、お、おはようございます……ユイさん」
白幼女と猫少女から朝のご挨拶を頂戴する。
更に彼女たちの後ろ、片膝をつきながら呆れたような目線を俺に向けているのは、フリアの母親だ。
「こんなときにお昼寝とは、呑気なものですね」
えっと、こんなときってどんなとき?
などと呑気に首を傾げてみた直後、俺は今がどんな状況であったのかを思い出した。
慌てて立ち上がって窓辺に走り寄ると、漆黒の龍、そしてそれを包囲する狼、熊、竜の獣人の姿、そしてそこから少し離れた場所にしゃがんで地面に手を付けているリナが見えた。
眠りに落ちたのがいつなのか分からないので時間の感覚が完全に無くなっているが、戦闘痕から見て、俺が眠りこけてからそれほど時間が経ったわけではなさそうだ。
「え、と……リナさんは、今、結界を、封鎖してるようです。リナさんの天稟術、すごいんですよ。ぶわわーって広がって……」
やや興奮気味のフリアが、アホ毛を仄かに発光させつつ俺の左でわたわたしていた。不思議物質かこのアホ毛は。
だがちょっと待ってほしい、寝起きで頭が全然回らない。
一先ず思考を整理し、現状把握に努める。古龍vs村長とラウルとアウローラ。そしてリナが天稟術とやらを使って結界を封鎖している。天稟術というのは察するに、獣人特有の魔法というやつなのだろうが、それが終われば、古龍を倒すのみとなる。
そして……あれ、なんか思考の加速が使えるようになってないか俺。ぐりんと首を回してサラを見る。
「……なんですか? その気持ち悪い顔は」
「まあ寝起きだかんね。俺の頭治してくれたのはサラさん?」
「私は、あなたの中に蓄積されていた澱みを浄化しただけですよ。色々な意味で治し切れませんでしたが」
「そうですか。大分楽になった、ありがとう」
澱みだか浄化だか何だか知らないが、頭が軽い。
中身まで無くなってしまったのかと心配になるくらいだ。
いやホントに、俺にもこういう魔法使わせてほしいところだが、無い物をねだってる場合ではない。
俺は獣人たちの戦いをじっと見つめる。
ちょうど結界を塞ぎ終えたのか、リナが立ち上がっていた。古龍の隙を窺うように、彼女の視線も戦場を見据えている。正直俺の目では、殆ど全部残像にしか見えないのだが。
「うっは。みんなむちゃくちゃ強いな」
「そう、ですよ。みんな、とっても強いです!」
何故かドヤ顔で無い胸を張るフリア。
「龍などに遅れを取るような種族ではありませんから。あとは彼らに任せておけば大丈夫です」
右隣のサラも、どこか誇らしげにそう言った。
確かに、決して遅れを取っているようには見えない。
声も目線も交わさず、まさに以心伝心の如く互いと上手く連携を取り、あの古龍を完全に手玉に取っている。
___しかし、
「ユイ」
振り返ると、小さな幼女が俺を見上げていた。
「皆さん、勝てると思いますか?」
猫親子は同時に、同じモーションでノエリアを見た。
俺はノエリアとしばし見つめ合った。
……何かしら超能力でも持ってるのではなかろうかこの幼女。
「無理だろうな」
サラとフリアの目が、今度は俺の方を見た。
二人とも不満そうに目尻を下げている。動作から表情から完全にシンクロしていて微笑ましいが、そりゃ村長たちへの信用に真っ向から喧嘩を売るような発言なのだから不機嫌にもなろう。
しかし、これは信用とかそんな問題ではなくて、
『古龍を殺すためには……逆鱗を破壊する必要があるんだよ』
横からするりと滑り込むルシの言葉。
そう、古龍に『普通の殺し方』は通用しないのだ。
「逆鱗……?」
眉をひそめるサラに、俺はうなじを指でトントン叩きつつ、
「背中のどこかにある逆さまの鱗。どんな傷を負わせても、それがある限り古龍は何度でも復活できるらしいんだな。かといって逆鱗を破壊するだけで倒せるってわけでもない。それどころか本体の方が無事なら逆鱗も再生する……まあ要するに」
『古龍を倒し切るには、それに足る致命傷を与えるとほぼ同時に、逆鱗を破壊するしかないってこと』
俺の言葉を引き取って要点をまとめるルシ。少し魔力が回復したのか、ふらふらと浮かび上がって俺の肩に着地する。
土埃で汚れた表紙を撫でてやりつつ、俺はノエリアを見る。
小さな女の子はもじもじとお腹を押さえていた。
お腹が減った……わけではないだろう。
「ユイも、また、戦わなきゃいけないってことですか」
目を潤ませながらの上目遣い。
また、ということは、俺がノエリアとの約束を反故にしたことはすでに彼女も知るところなのだろう。
こんな状況だし当然か。
「……たぶん、リナたちは逆鱗のことを知らないから」
我ながら遠回りで言い訳がましい言葉だ。
しかし、現状『弱点を把握』し、かつ『古龍と戦えなくもない』のは俺しかいない。俺にすら敗北したサラでは戦えまい。
というか、村長とかの他にゴリラとかキツネとか強そうな獣人もいっぱいいたはずなのだが……どこに行ったのか、と改めて窓の外に視線を投げてみると、
『あっ、飛ばれちゃった』
「そりゃまずい」
某狩りゲーの火竜みたいなバックジャンプしつつのブレスで空に舞い上がる、黒い古龍の姿があった。
空中戦は絶対やばいだろう。
空でも戦えそうな鳥の獣人とか見たことがないし、天空の王者と言えばドラゴンだ。ワールドツアーとか始められたら困る。
(早く行かなきゃならんが……肝心の武器がなぁ)
俺は、ちらりと右手の刀に目をやった。
このひん曲がった刀では戦えない。
古龍の守りを突破するには、強い武器が必要だが、まだルシには頼れない。いっそサラの剣を借りてでも……。
「わ、私は……ユイに戦ってほしくありません」
隣からのか細い声に視線を戻すと、唇をきゅっと結んだ幼女が、顔を俯かせつつ___懐から長刀を取り出す所だった。
いやちょっと待って頂きたい。
明らかにノエリアの身長を上回る長大な刀が、抜き身のまま服の中から取り出されるとか、何の手品だ。リナといいノエリアといい彼女たちは物理法則を一体なんだと思っているのだろうか?
というか、この刀、なんか見覚えがある。
「でも、ユイは……戦うべき運命にあるのでしょう」
ノエリアはそう言いながら、その刀を俺に差し出した。
そうだ。これは、あのとき折れたはずの___
「ノアの力を、使ってください」
___陸奥守吉行だ。
黒革の巻かれた木製の柄を握り、刃に目を落とす。
深みのある光沢を纏う刀身に一切の曇りはなく、修繕した跡など見当たらない。それ以前に、こいつは確か、ノアールトゥレントの墓としてこの家の裏庭に刺しておいたはずだ。
そしてそのあと、何やら白い繭みたいなのを形成して……
「……ノアって言ったか今?」
「はい。ティモに乗ってここに来た時、ノアに呼ばれたので、ルカに乗り換えて裏庭に行ってみたらこうなってました」
獣人の皆さんが完全にタクシー扱いだ。
しかし、いや、それより考えるべきは『これで戦える』かどうかだ。ノエリアが獣人の手綱を完全掌握している件についてはこの際置いておこう。ノアに呼ばれた云々も後回しである。
この瀬戸際に降って湧いたような武器だが、元の陸奥守吉行程度の強度しか無ければとても使えたものではない。
ルシに目配せして合図を送ると、
『マスター……それ、たぶん「式神」だよ。大量の魔力を持つ者の感情が、一つの道具に積層することで宿る精霊みたいなもので……解析した限りでは、古龍にも十分通用すると思う』
「ノエル、恐ろしい子」
「うゆ?」
可愛く首を傾げてるが、冗談でも何でもない。
だってこのタイミングで……いや、もうやめとこう。
考えるだけ無駄な気がする。
(……ノア、か)
刀を見下ろし、黒い柄を硬く握り込んでみる。
硬い質感が手のひらに返ってくるが、それ以上に俺を突き放そうとするような強い拒絶を感じる。
しっかり握っておかないと手が弾かれてしまいそうだ。
「ユイ、気を付けてくださいね」
いまいち手に馴染まない刀をぶんぶん素振りしていると、幼女が自分の手で両目を塞ぎつつそう言ってきた。
「なんで目塞いでんの?」
「うゆゆ……私は、ユイが戦う光景は見ません」
……意図が分からない。
サラの方を見ると目を逸らされ、フリアは両手で口を押さえつつノアを凝視していた。ふぁああとか変な声が漏れている。
ここで『こいつを見てどう思う?』とかフリアに聞けば『黒くて太くておっきいです』とか返ってきそうな顔だ。
うん、こんな時に何考えてるんだ俺は。
「だって、約束したじゃないですか。ユイは無茶しないって」
「お、おう……」
改めてそこを突いてくるとは、この幼女やりおる。
俺の良心ゲージが割と瀕死なので、戦いに行かないでとか彼女に言われると困る、と思ったのだが___
「私は、これから目の前でどんなことが起こっても分かりません。ユイは約束を破らないんです」
___指の隙間から赤い瞳を覗かせながら。
ノエリアは、微かに震えていた。
「ですから……ちゃんと、帰ってきて、くださいね?」
無茶はしないでという約束。
それを破らない、すなわち『俺は無茶をしない』___ちゃんと帰ってくる。
彼女はただ純粋に、俺の無事を願ってくれていた。
俺にとっては口約束にすぎないものに、彼女がどれだけの想いを込めていたのか……それが垣間見えた気がした。
「……分かった」
ならばこそ、もう嘘はつけない。
どう足掻いても絶対に生きて帰らねばならないだろう。
というかそうしないと良心の呵責で死にそう。
「それじゃ、行ってきます」
古龍を、殺す。そしてその上で生還する。
為すべきことは理解した。後は___
『マスター、古龍が!』
___前に、進むだけだ。
ノエリアに一つ頷いて見せてからくるりと踵を返し、俺は窓から外を見る。灰色の雲が渦を巻いて古龍の顎に吸い込まれている。
またブレス攻撃がくる。
地上では、ラウルもまたブレスの攻撃準備に入っている。持てる全ての力を注ぎ込むつもりのようだ。その背後で屈んでいるリナは何やら、手に魔力を練り込んでいるようだが。
古龍を倒すための作戦か何かがあるのだろうか?
(なら、好機だ)
勝負の分かれ目となる局面であろう。
もし獣人側が古龍に致命傷を与えられたならば、そこに便乗して逆鱗を砕いて決着だ。逆鱗の場所についてはルシに解析してもらうか、もしくは俺の視力でできる限り早く見つけ出せば……
『待って……これ、なんか変だ』
刀を握り締めて身構えていると、不意に。
俺の隣に浮かぶ魔導書が、呻くような声を漏らした。
「どうした?」
『……そうか、魔法を使ってこないのはそういう……でもこれは、体内に別の……回路と源を新しく構築して……』
「おい、ルシ? 何が分かったんだ?」
『ホワイトレス・ドラゴン、陰属性を司る古龍……今まで一切魔法を使ってこなかったのは……龍の内的意思の抑制のおかげ。それがもし、古龍の内部で本能的な自己進化を促したとすれば』
何を言ってるのかさっばりだ。
珍しく俺の声をそっちのけで独り言を呟いていたルシは、まるで悪夢でも見たかのような声色のまま言葉を続けた。
『そんな馬鹿な……けど、天使の力が……ああダメだ、マスター、リナちゃんたちを止めないと……』
「……とりあえず落ち着け。何が分かった?」
『今度のブレスは一発で打ち止めじゃない。二発目が来るっ!』
その言葉がどんな意味を持っているのか、頭の中で咀嚼し切るのにしばらく時間を要した。
古龍のブレス。村長に重傷を与え、ほんの小さな飛火で『生命の飛躍』の再生力を上回るダメージを俺に負わせ、選別結界を真正面から粉砕し、ラウルの全力攻撃でやっと撃ち破れた火球。
いずれも甚大な威力を知らしめる光景だったが、その後の戦いで古龍はこれを器用にも連射してみせた。
ただし……『短い溜め』からの『小さなブレス』をだ。
あんな、自然界の魔力を片っ端から吸い上げて放つブレスを連続して撃ち出すなど、できるはずがないだろう。
もっとも、理性がそんな結論を弾き出す傍らで___
「ルシ、家の中でみんなを守れ!」
『で、でも……待って! 行っちゃダメだよ、戻ってマスター!』
___リナが危ない、と。
俺の本能が、割れんばかりの警告を発し始めていた。
(古龍を倒して、生きて帰って……けど、それだけじゃダメだってのに、ちくしょう!)
俺以外のみんなが死んでしまったら何の意味もないではないか。本末転倒すぎて冗談にもならない。
ルシの声も聞かずに窓から飛び出して、転がるように走る。
たった数十メートルがとてつもなく長く感じる。
一秒に満たない時間。
もう少し、決断が早ければ間に合ったかもしれない瞬刻。
目の前なのに、どうしても手が届かない。
古龍のブレスとラウルのブレスが衝突し、巻き起こる爆風。
直後に空へ駆け出す狼少女。
爆風に紛れ、古龍の顎に収束する『二発目のブレス』。
そして___信じられないほどの脚力で地を跳躍したラウルが、リナに追いついて、その脚を掴んで引き戻していた。
下へぶん投げられて落下するリナ。入れ替わるようにブレスの前に出た狼の男の双眸が一瞬、俺を捉えた。
その頰が、実に皮肉げな笑みを浮かべたのを最後に___ラウルは爆発に巻き込まれ、俺はリナを抱き留めながら地面を転がって、爆発の衝撃波から守るべく彼女の体に庇っていた。
お読みくださり、ありがとうございます。




