第18話 背水の陣大作戦
相棒+三人娘が落ち着いたところで、俺は顔を上げてアウローラに目を移した。熊獣人は呆れ顔で俺を見下ろしていた。
「もう話は終わったかい。悪いがあまり時間が無い」
「分かってるよ。……リナ、ノエル、フリア、ちょっと離れて……いやくっ付くなって。アウローラと話がしたいんだって」
「話をするのは私じゃなくて村長だがね」
可愛い女の子との密着状態には流石に照れ臭いものを感じつつ、俺は一人ずつ優しく引っぺがしていく。リナはともかく幼女二人のホールドは非常に強固だった。
ノエリアとフリアを引き離すのに手間取る傍らで、アウローラはサナトリウムの扉を開け、外で待機していた獣人を入れた。
入ってきたのは、鋭い目付きの竜獣人……だったが、
(……村長も負傷したとか言ってたっけ、そういえば)
久方ぶりに顔を合わせた村長は、左目に眼帯をし、体中に包帯を巻いていた。あちこちに血が滲んでいる。
頭上で揺れているアホ毛は健在のようだが。
「傷は、どうだ」
低い声でそう言われ、俺は小さく肩を竦めながら答える。
「村長さんの方が痛々しいと思うけど」
「……ふん。皮肉かそれは」
村長は面倒そうな顔で俺を一瞥し、次に目をくしくし擦りながら鼻をすすっている猫獣人へ視線を移した。
「フリア、ルカが呼んでいたぞ。小屋の外で待っている」
「! お兄ちゃん……もう……歩ける、です?」
「大分回復したようだが、アフターケアは怠るな」
ぴぴこん!とフリアはアホ毛を大きく反応させていた。
おお、アホ毛が二本……などと村長とフリアの間で目を行ったり来たりさせつつ、俺は少しだけ首を傾げてみる。
「フリアにはお兄ちゃんがいたのか」
「……はい。えと、ユイ、さん……兄のこと、なのですが」
「ん?」
おどおどしつつもかしこまった表情で俺を見つめるフリア。
目が充血していて真剣味が薄れているが、言わないでおこう。
「兄の、病気、治してくださって、ありがとう……ございました」
……なるほど、やたら懐いてくれていたのはそういう訳か。
ぺこりと頭を下げたフリアをぽふぽふ撫でて、ついでに猫耳にももふもふさせてもらいつつ、俺は自然と頬を緩めた。
「どういたしまして」
こうして助けた人からお礼を言われるのは良いものだ。
猫獣人は小首を傾げながら柔らかくはにかんだ。
「では、私、お兄ちゃんのとこ、行ってきます……えと、また……お見舞いに……来ますので。安静に、して、くださいね?」
「あーい。ほれ、ノエルも行きたいなら行ってこい」
フリアほどではないが、先程からノエリアもそわそわしっぱなしだった。以前は毎日出掛けていた彼女のことだ、おそらくルカ君の見舞いにも行ったことがあるのだろう。
しかしノエリアは行くのを躊躇っているようだった。チラチラとこちらを見ながら『うゆぅ』と指同士を突き合わせている。
「俺は大丈夫だ。リナ、二人の付き添い頼めるか?」
「相変わらずの過保護っぷりね……まあ、ユイらしいけど」
俺が視線を向けると、リナは顔を背けてさっと目尻を拭いながら小さく笑い、尻尾をしゃんとさせて立ち上がる。横髪で煌く髪留めの赤い宝石が小さく揺れていた。
リナも行くということでやっと踏ん切りがついたのか、ノエリアは指をつんつんさせたまま俺をちらっと見て、
「ユイ……もう絶対無理しちゃダメなのですよぅ」
「分かってるよ」
「ほんとですか? また、どこかに行ったりしませんか?」
俺はノエリアをまじまじと見つめ返した。
「……ん、行かないから安心しとけ」
「うゆぅ……ぅー♪」
湧き上がる罪悪感を殺しつつ、俺は幼女に笑いかける。
足元まである長い髪を梳くように撫でてやると、ノエリアは頬を俺の手に擦り寄せてきた。白いほっぺがすべすべでもちもちだ。
それから迷いを振り切ったようにノエリアはフリアと手を繋ぎ、リナについてサナトリウムから出て行った。
「さてと。それじゃ、話を始めようか」
俺は改めて村長とアウローラに向き合った。
その際、側で浮かんでいたルシが俺をじっと注視していたことには努めて気付かないフリをした。
***
ひとまず最初に、結界周辺の魔獣の状況について話してもらったのだが、これが思いの外時間がかかってしまっていた。
気が付けば日は傾き、まもなくおやつの時間に差し掛かる頃合である。家にきびだんご残ってたっけなと頭の片隅で思案しながら、俺は難しい顔をしてあぐらをかいていた。
「ふーむ……要するに?」
『暴走した魔獣は未だ増加中。このまま飽和攻撃を浴び続ければ、およそ三時間後に選別結界が崩壊し村に雪崩れ込んでくる……って何回説明すればいいのさマスター!? 火傷で頭もやられちゃったのかなもっかい回復魔法かける必要がありそうだね!』
「ありがとう、でも要らないよ。魔力は温存しといてくれるか?」
『え、あ、うん……』
真顔で応じると、ルシはすごすごと引き下がった。
俺はめまぐるしく思考を回転させる。ルシが要約してくれた単純な結論を頭で理解するのに手間取っていたのは、並行して天使の話と魔獣の群れをどうするかを考えていたからでもあった。
ようやく考えがまとまってきたが、パズルを完成させるにはあと二つほどピースが足りない。
一先ず俺は村長に話の矛先を向けてみた。
「それで、これからどうするのかな? このまま結界が壊れるのを待ってる訳でもないでしょうに」
「……古龍が統制するあの軍勢に正面から反抗を挑むのは愚策だ。故に我々はこれから、霊人族の集落への避難を開始する」
村長はこめかみをぴくぴくさせながらそう説明した。
とりあえず俺は眉尻を下げてルシを見た。
『霊人族っていうのはね、他種族との交流を好まず、獣人族に次ぐ強い魔力と独自の魔法形態を持つ種族なんだ。長寿であることでも有名かな。容姿的特徴としてはとんがった耳が分かりやすいね』
「まんまエルフさんじゃないですか」
総じて美男美女であるという例の伝説が有名な。
一瞬思考が逸れかけてしまったが、まあ正直獣人族ほどの魅力は感じないので話を戻す。モフエルフがいるなら話は別だが。
「避難、か。動ける獣人ならそれでいいだろうけど」
俺はちらりと小屋の外に視線を投げる。
複数の小屋の連なりから成るサナトリウムには、この小屋以外に収容されている感染病患者が何人もいるのだ。ルシの経口輸液治療で快方には向かっているが、自力で歩ける者は少ない。
彼らも避難するとなると他の獣人から手助けが必要になる訳で、避難速度に大幅な遅れが生じる。自身を強化できる獣人族であれば一度に何人運べるかとかそういう問題ではなく、強い揺れや衝撃を患者に与えるのは極力避けなければならないからだ。
魔獣に包囲されているこの状況では致命的なロスだろう。
「彼ら……感染病の患者たちは___」
「置いていく」
「___ん、っと?」
淀みなく帰ってきた村長の答えに、俺は自分の思考がつまずいて転んだような感覚を覚えた。
村長は、底の窺い知れない無表情のまま言葉を続ける。
「自力で歩けぬ者は置いていく。足手まといを引きずって歩ける程私たちに余裕はない」
「小を捨てて大を救う、とな? 村長の鏡だな」
という俺の発言はまたしても皮肉と受け取られたらしい。村長は露骨に舌打ちをして至極不機嫌そうな顔になった。
しかし、割とあっさり最後のピースのうち一つが埋まった。何か俺の思考通りに現実が進んでいて怖いくらいなのだが……天使さんが幸運をおすそ分けてしてくれているとでも考えておこう。
さて、残るピースは一つのみ。と言ってもこれはルシと二人きりの時に話すべきことなので後回しだ。
「とりあえず村長、病人は置いてく作戦は却下で」
「……何?」
「その霊人族の集落がどこにあるかは知らんけど、できるだけ患者のみんなも連れてって。避難の効率とか考えなくていいから。あとラウルにはリナとノエリアを最優先で守れって伝えて……それから避難が終わったら何でもいい、空に目印になるようなの打ち上げてちょうだいな。そしたら俺もとんずらする」
「待て、貴様___おい! 何をするつもりだ!」
言うだけ言ってさっさとサナトリウムから出て行こうとする俺を村長の大声が引き留める。俺は足踏みしつつ振り返った。
そういえば肝心な部分をまだ言ってなかったか。
「小を捨てて大を救うって言っても、小はなるだけ小さい方がいいでしょ? なら俺が務めようかなって」
俺の言葉の意味を測りかねたアウローラと村長が二人揃って眉を寄せる姿は、少し滑稽に見えた。俺は片頬を上げて笑いを抑えつつ続けてこう言っておく。
「要するにあれだ、ここは俺に任せて先に行けってやつだ。まあ、俺自身はルシに頼りっきりになりそうだけど」
その場で戸惑うように揺れていたルシにおいでおいでと手招きをすると、ルシは側に立て掛けてあった刀を咥えて飛んできた。
未だに不可解そうな顔をしたままの二人を後ろに残し、俺はルシと一緒にサナトリウムを出る。
色々とやっておかねばならないことがある。
患者をできるだけ早く輸送するための担架も作っておきたいし、結界周辺に散らばっている魔獣たちも迎撃しやすい位置に誘導してある程度纏めといた方がいいだろう。
と、一人思考をくるくる回転させ始める隣で、
『マスター……』
「んー?」
『……ノエルちゃんを裏切るつもりなの?』
「あー……約束は破ることになるかもね」
だがこれは、現実的で一番の最善策だと思うのだ。
村長が言った通り、古龍とかいうドラゴンが率いる魔獣の軍勢と真正面から迎撃するのは無理がある。だからこそ小を捨て大を救う道を選んだ___俺の予想以上に彼は『村長』だった訳だ。窮地にして極めて冷静かつ迅速な判断。
村長の指示通りに事が運ぶとすれば、結界が破壊されるより先に獣人の大半は避難を開始、雪崩れ込んできた魔獣がサナトリウムの病人たちに食らい付いている間に逃げることができる。
直接的な表現は避けていた村長であるが、これは言わば体のいい捨て石作戦だ。囮と言い換えてもいいか。
が、今のままでは少々『捨て石』が多すぎるのではないか。
犠牲を払うやり方を選ぶなら、次にするべきはできるだけ捨て石の数を抑える方法を考えることだ。
せっかく感染病が治ると希望を持ち始めた患者たちを絶望の淵に叩き落すような真似をすれば、枕元に化けて出られてもおかしくはない。俺も夜はぐっすり眠りたい派なので、いや今は関係のない話かもしれないが、まあとにかく___捨て石が一つ、或いは二つで足りるのならそれでいいだろうというのが俺の考えだった。
つまり、俺とルシで魔獣の群を留めておき、その間にできるだけ多くの患者を逃がそうという『背水の陣大作戦』だ。
背水の陣というのは俺の主観だけれども。
獣人族の気性から鑑みて、感染病患者を守るために古龍の大群と徹底抗戦……とかいう無謀な話になってたら説得が面倒そうだなと思っていたのだが、そこは村長の判断力に感謝である。
状況によっては俺も『無茶』をせざるを得なくなるわけであり、それはつまりノエルとの約束を反故にするという裏切り行為として見られてもおかしくない訳で……
『ちょ、ちょちょちょっと待って。まさか、あの魔獣たちを一人で食い止めるつもり!?』
「そんなわけないだろ、俺とルシの二人だよ」
『なお悪いよ幾ら何でも無謀過ぎる! ボクの魔法で支援したっていつまで魔力が持つか分かったもんじゃないし、もちろんマスターの「力」は強力だけどまだ正確な正体も掴めてない状況で___』
「おう、忘れるところだった。最後のピース思い出した」
ぱちりと指を鳴らして、俺は爪先でくるりと一回転する。
声を荒げていた魔導書は面食らったように空中で静止した。
「ルシ、『生命の飛躍』っていう魔法について教えてくれるかな? たぶんそれが、俺の『力』の正体だと思う」
___選別結界崩壊まで、あと二時間四十七分。
お読みくださり、ありがとうございました。




