第16話 異世界、のべつ幕なし
うう、7時10分ごろの更新を目指しているのですが、中々予定通りにいきません。
申し訳ありません。
アルファブラ大森林某所、アルトゥンハ村西側・選別結界縁部。
「……クソッ、どうなってやがる」
口の端から灼熱の息を吐き出しつつ、ラウルは唸った。
その全身には魔獣の噛み跡や切り傷が刻まれて、纏っている衣が真っ赤に染まっていた。背後には負傷して立ち上がれない獣人たちが数名、眼前には___樹海を埋め尽くすが如き魔獣の大軍勢。
どの魔獣も興奮しているらしく呼吸が荒い。立ち昇る魔獣の熱が風に乗って狼獣人の顔にぶつかった。
ラウルは顔をしかめながら、血の唾を吐き捨てる。
「繁殖期にはまだ入ってねぇはずだろうがよ……何を鼻息荒くしてやがんだ魔獣どもがッ!!」
咆哮と共にラウルの顎門から青白い火球が飛び出し、牙を向いた魔獣の土手っ腹に着弾。圧縮された魔力が炸裂し、凄まじい爆風の嵐が空間ごと魔獣を消し炭に変える。
空気中の魔力を取り込み、自身の魔力で圧縮・指向性を持たせて外部へ再放出するラウルの天稟術『不知火』。
天稟術を完全に使い熟せる獣人はアルトゥンハ村でも一握りしかいない。獣人族特有の魔法とも言える天稟術は、発現させて初めて一流の戦士と認められる登竜門でもあったりするのだが……結界が張られて戦闘の機会が少なくなったせいか、滝登りに挑む鯉は月日を追うごとに数を減らしている。
日常で消費される食料等を集めるにしても、ある程度修練すれば使えるようになる身体強化だけで事足りてしまうからだ。
中途半端な戦闘技術しか身に付けようとしない、そんな平和ボケしたゆとり獣人が魔獣の大群なんぞに遭遇すると非常に危険であるため、そういった危機に対してはラウルのような実力者が助太刀に行くのが村の定石となっているのだが___
「二十、三十……五十以上はいるか、クソったれ……!」
___これほどまで大規模に膨れ上がった魔獣の軍勢は、もはや個々の危機にあらず、村そのものの危機であろう。
鋭い刃状の歯と爪と毛を持つ剣虎、突進と同時に赤熱した牙先で敵を爆破する轟猪、角の形状を自在に変える幻鹿、身体中生えた棘を四方八方に飛ばす散弾鼠、堅牢な甲羅と必殺の噛砕を併せ持った獄門亀、殺傷性の致死毒を内包する毒杯蛇。
複数の種の魔獣が結託して群れを成すなど聞いたことがない。
集団で採取をしていた獣人たちに襲い掛かっていた所を、近場にいたラウルが駆け付けたのだが、負傷者が多過ぎていくら時間稼ぎしても撤退がままならない状況である。
先ほど脚の無事な獣人が救援を呼びに行ったところだ。
できれば、天稟術に熟達した村長かアウローラ……未完成ながら天稟術を扱える猿獣人のエドゥ、猫獣人のサラ、狐獣人のゾランのうち誰かが来てくれると戦力的にも心強いのだが。
自分の娘と人間族の少年の二人については務めて考えないようにしつつ、ラウルは『不知火』で魔獣をまとめて焼き尽くす。
(……くそ。本っ当に……俺は……何なんだ)
軽い小手調べとはいえ、あの少年は容易くラウルを打ち倒した。アウローラに対しては何故かいつもビクついているが、実力的には獣人族最強の村長に匹敵するかもしれない。
彼が今何歳なのかは知らないが、少なくともラウルよりは確実に若いだろう。あの戦闘センスは間違いなく天性のものだ。
本人は自覚していないようだが……。
ラウルは少年を戦いに巻き込むつもりはなかった。
獣人として、そして父親としても、自分の娘を救ってくれた恩人を戦いに引きずり込むわけにはいかないのだ。
「らぁッ!!」
爆炎に何とか耐えて抜けてきた魔獣へ八つ当たりするように拳を叩きつけ、ラウルは牙を剥き出す。
___本当に、俺は何もできなかった。
この手でリナに焼印を押し付けたその瞬間から、何をするにしても自分の正当性を見出せない。本当にこれで正しいのか、また選択を誤ったのではないか。
ラウルは今、自分が何をすべきなのかが全く分からなかった。
リナの病気はおろか心の傷でさえ、唯葉は瞬く間に癒して見せたのだ。それなのに自分は……嘘でも『リナを拐す』と、娘を奪うと言った唯葉の顔を殴ることすらできなかった。
土にまみれながら、無様に懇願することしかできなかった。
こんな自分のどこが父親だと言えようか。
もはや、妻やもう一人の娘に合わせる顔もない。
今の自分にできることは、できる限り唯葉とリナの邪魔をせずに身を引いて、影でこそこそ生きていくことだけだと知った。
だから___こんなところで、娘や恩人に迷惑をかけるわけにはいかなかった。守るべきものを失った自分に唯一残ったのは、この天稟術と身体強化の術。魔獣と戦う力だけなのだから。
(戦場でくらい、見栄張りてえしなァ!)
その娘にしても、接近戦では恐らくラウルも敗北を喫してしまうぐらいの戦闘力を秘めていたりするわけで……ここで唯葉とリナに頼ると負けたような気がしてくるという意地もある。
徐々に包囲網を縮めてくる魔獣たちを前に一歩も引かず、ラウルは大きく息を吸い___火球を撃つ。
気合の乗った『不知火』は大軍のど真ん中に着弾した。
だが、爆発で先頭の魔獣たちが黒焦げになって崩れ落ちたとき、足踏みしていた後続の軍勢が急に動き出した。
(チッ……勘付きやがったか、メンドくせえ!)
ラウルの『不知火』は、広範囲高威力を誇る代わりに連続で撃つことができない___その単純な弱点に気付かれたようだ。
雪崩をうって押し寄せる魔獣を前に、ラウルはうんざりした声を出しつつ魔力で肉体を強化する。
構える両拳。だがこの大軍勢相手に徒手空拳はただの蛮勇。
だから彼の拳が狙うのは魔獣ではない。
「___ォおッ!!」
高密度の魔力をまとった掌底が、裂帛の声と共に地を穿った。
増大した質量と強化された速度を併せた莫大な運動量がラウルの足元に炸裂し、小規模の地割れを引き起こしたのだ。
魔獣の足並みが崩れ、反作用でラウルは後ろへ吹っ飛ぶ。
「どうだらァ! 今のうちにさっさと逃げんぞッ」
土まみれになりながらも立ち上がり、ラウルは近くに倒れていた数人の獣人をまとめて担ぎ上げて全力で逃げ始める。
後の時間稼ぎはこれから来るであろう増援に丸投げだ。ここからはできるだけ退避を優先する。
「ぐ……すまねー、ラウルさん」
「今度天稟術の特訓だかんなお前ら!」
「それは……勘弁……」
脹脛と右肩を赤く染めた獣人は、そこでがくりと失神した。
他の獣人もかなりの深手を負っているが、こういうときのためのサナトリウムである。
幸い、唯葉のおかげで感染病患者は順調に数を減らしつつあり、これぐらいの負傷者なら迎える余裕があるはずだ。
どうにかして選別結界まで逃げ切ればこちらのもの___
「___っ!?」
突如、ラウルの前方の茂みがガサゴソと揺れ動いた。
他の魔獣に回り込まれたのか……と思いきや、茂みから凄まじい勢いで飛び出してきた何者かがラウルの横をすり抜けて、追随する魔獣の大群に突っ込んでいった。
あまりの速度に視認すらままならない。
(増援か………いや、まさか)
ラウルのこめかみにぴきーんと嫌な予感が走った。
これほどの速力を発揮できる獣人は、ラウルの知る限り村に一人しかいないはずだった。しかし彼女は感染病から回復したばかりの病み上がりで、現在はまともに戦闘できる状態ではない。
ならばアレは一体誰なのか?
脳裏を過ったのは、一週間前の戦いの記憶。
火球を爆発させ、生じた刹那の隙で目の前から掻き消えた神速の少年。あのときラウルは一瞬で地面に転がされた。
「……おい、嘘だろ」
魔獣たちがでたらめな速度で薙ぎ倒されていく。
大群の間隙を縫うような疾駆に沿って、神速の刃が途切れのない軌跡を描き、脚部の腱を断って機動力を奪っているのだ。
ともすれば魔獣の命など一瞬で刈り取れるような威力を秘めた、精緻極まる斬獲の厭舞___
「___ごめん。ちょっと寝てて」
片刃の剣をパチリと鞘に納めながら、少年はそう呟いた。
一瞬の静寂を挟み、最後の一体が地響きを上げて土に倒れ伏す。命を奪わずして完遂された大群の制圧・無力化。
尚も余裕を残した様子の彼はラウルに視線を移すと、
「さ、早いとこ逃げよ……って、なに頭抱えてんの?」
ラウルは思う、何故よりによってお前が来てしまったのかと。
狼獣人の複雑な心境をそっちのけにしたまま、少年、片桐唯葉はこてんと不思議そうに首を傾げていた。
***
猫少女の救援要請を受けて来てみれば酷い有様だ。
負傷した獣人を何人も担いだ状態のラウルがこんもりした小山にしか見えなくて、危うく魔獣と一緒に掻っ捌くところでした。
ともあれそんなこんなで、とりあえず暴走気味の魔獣さんたちには静かにしてもらったわけだが、
(ちょっと派手に動き過ぎたかな……すぐ治ったけど)
今の戦闘で三回ぐらい身体の骨が折れた。左膝と手首と肘関節にピリピリとした妙な麻痺感がしつこく残っている。
そりゃ当たり前だろう。毎日刀の素振りをして若干筋肉が付いてきたとはいえ、凡人の域を出ないレベルの体であんな無茶な動きをすれば過負荷で体中至る所がポキポキ逝ってもおかしくはない。
高揚状態がもたらす影響で痛みは感じなかったし、骨の二本三本は大目に見ておくことにしよう。
「さて……あらかた片付けたけども。まだいるな」
刀の鯉口を切りながら、俺は周囲を見回す。
木陰からぞろぞろと姿を現す魔獣は、口の端から涎を垂らし目は血走って、どいつもこいつも完全な興奮状態に陥っている。
残念ながら『対話』は成り立ちそうにない状況だ。
「お、おい……ユイ」
「ん?」
振り返ってみると、こんもりラウルがぐらぐら揺れていた。
よくよく見ると中々滑稽な姿で吹き出しそうになった。
「お前さん、なんでここに」
「なんでって……えっと、フリアだっけ? あの子が助けてって」
俺は油断なく刀の柄に手を添えたまま横に目を動かす。ちょうど小さな猫幼女が近付いてきたところだった。
「わ、わあ……お、お、お」
「お?」
「……お、お強い……のですね、ユイ……さん」
「そーかね。まあそこそこ頑張ったしな」
立ち上がろうともがいている魔獣の群をおどおどと見回しつつ、馬鹿丁寧な口調で話し掛けてくる猫獣人。
名をフリアという彼女は、人間族のクォーターであり風貌がやや人に近い。先っぽが桃色に色付いたアホ毛が特徴である。アホ毛と言えば村長にも生えていたっけか。
アホ毛と言えばもう一人いたような気がするが、忘れた。
「っと」
や、そんなことを考えてる場合ではないな。
上から蜘蛛っぽい魔獣と蛾っぽい魔獣が挟み撃ちを仕掛けてきたので、フリアの足を払って転ばせつつ、刀を横薙ぎに一閃する。
流れるような円を描いた白刃が蜘蛛の脚二本と蛾の片翼を斜めに切り落とし、撃墜した。
「おーいラウル、早いとこ逃げちゃってくれ」
猫幼女の首根っこを掴んでラウルの方にぽいと放り投げてから、さらに降ってきた一体の魔獣を叩き落とす。
「……チ、分かってんよ。フリア、逃げるぞ」
「え、でも……ユイ、さん、は」
「足止め役のあいつが逃げてどうするってんだ」
不安そうな猫獣人を連れて走り出すラウルは、チラリと肩越しに俺を見て、複雑そうな表情を浮かべていた。
そこから魔獣たちの追撃を避けつつ、俺とラウルは安定した速度で堅実に結界へ引いていった。七人もの獣人を背負って走りながら息切れもしないラウルのスタミナは感服ものである。
その後ろをちょこまか付いていくフリアは心配そうな顔でしきりに後ろを見返していた。
殿の俺は魔獣の無力化に徹する。
(……何とかなりそうだ)
襲ってくる魔獣は多いが、幸いにして相対的な脅威度は低い。
この程度なら、加速を使えば問題なく対処できる。
「ユイ、さん、が、頑張ってくださいぃっ」
「おー」
十秒置きにアホ毛から応援が飛んでくるし、気力も充分。
この調子で結界まで逃げ切れれば大丈夫そうだ___
『___ォォ!!』
「ッとぉ!」
「は、はうぅ!?」
唐突に地鳴りが起こり、どこからか猛獣の雄叫びのような轟音が響いてきた。次いで凄まじい振動が足元を駆け抜ける。
俺は何とか態勢を保ち刀を構え直すが、フリアはすっ転んだ。
「おぶっ!」
ラウルもバランスを崩して転倒、獣人累々の下敷きになる。
ここぞとばかりに飛び掛かってきたのは皇軍蟻___解体作業において右に出る者はいないと言われる厄介な魔獣が、巣をひっくり返したかような津波となって押し寄せてきた。
俺は思わず舌打ちした。数が多いだけならどうにかなるのだが、蟻の脚を覆っている分厚い鎧のような装甲が問題である。
(刃は……通らなさそうだな。うへぇ)
大体の魔獣は脚を折れば無力化できるだけに、俺はあからさまに嫌そうな顔になる。硬い甲殻は概して衝撃に脆いため峰打ちが有効なのだが、反動がもろに腕へ跳ね返ってきて痛いのだ。
再生能力があるとはいえ、進んでやりたいものではない。
「ま、だからってやらない訳にはいかないけど」
言いながら、俺は再び加速感覚に没入する。
カサカサといかにも虫っぽい動きで接近してきた蟻たちが、途端にゆっくりとした流れへと変わり___
___こめかみを穿つ激痛と、口元の生温い感覚。
(……っ、くぁー。こんな、時に……ッ)
妙なノイズが脳を揺らす。ぐらつく体を無理やり立て直して刀を振るい、一匹の皇軍蟻の顎から脳髄にかけてを粉砕。
殺してしまった。今、この状態で手加減できる余裕はない。
覚束無い千鳥足を必死で動かして魔獣の攻撃を掻い潜り、皇軍蟻の鎧脚の関節部、機動性を高めるために装甲が薄くなっていた部分を斬り裂き断ち割り抉り刺し貫いて、
「づあッ、はー……はあ、ぜえ。きっつ」
何とか制圧を遂げ、がくりと地面に膝をつく。
鼻腔がひどい血生臭さで充満している。
(あー……くそ、やっぱし反動来たか)
折れた右肘の治癒も遅く感じる。火に舐められるかのような痛みが腕を這い上がり、俺は刀を取り落としてしまった。
「……!? ユイ……さんっ、しっかり、してくださいっ」
俺の異変に気付いたらしいフリアが駆け寄ってきた。
その背後で、ラウルが地面に落としてしまった負傷者たちを再び背中に担ぎ上げようと踏ん張っている。ひとまず魔獣の波は一段落したようだが___。
不意に暖かい風が頬を撫で、俺は空を見上げた。
(……あーくそ。これはキツイよ天使さん)
それを見た瞬間、紛う方なき本音が胸の内から零れ落ちた。
まるで流星群のように降り注ぐ漆黒の火球。その中でも飛び切り巨大な塊がフリア目掛けて飛来していた。彼女は俺を心配する余り自分の危機に気付いていない。
逃げろと叫ぼうにも喉からは掠れ声しか出ないし、折れた右腕はまだ使い物にならない。それなら、と気力で身体を動かす。
全身を使った体当たりでフリアを突き飛ばし、襲い来る衝撃から覆い被さるようにして彼女を守る___。
『___マスター!』
どこか懐かしい、相棒の声が聞こえたような気がした。
直後、背中に凄まじい衝撃が走り、目の前が真っ暗になった。
お読みくださり、ありがとうございます。




