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第14話 ほどかれた心

後半、エロ……ではないですが、そっち方向を意識した描写があります。

苦手な方はご注意ください。



 ログハウスに帰ってみると、リナが朝ご飯を作っていた。


「……おかえり、ユイ」


 死人のような青白い顔で微笑むと、狼少女はテーブルにスープを置こうとしてよろめいた。スープが音を立てて零れ、かくりと膝を折って倒れかけた彼女の体を慌てて受け止める。


「あ……ごめ、んなさい。作り直すから……」


 そう言って離れようとする少女。

 歩くだけでも辛いだろうに、何を馬鹿の一つ覚えみたいに無茶をするのか、などと気の利かない台詞は口が裂けても言わない。

 その代わり俺は、ぎゅっとリナを胸に抱き寄せた。


「ユイ……?」


「……」


 彼女の体は、薄氷のように冷たかった。

 何度か口を開閉してみたものの、どう声をかけていいのか見当もつかず、結局俺は貝のように口を噤んでしまう。

 黙りこくったままの俺から何かを感じ取ったのか、リナは何かを悟ったようだった。


「………………、そう。あの話を……聞いたのね」


 弱々しく俺を突き放そうとリナを、腕に力を込めて離さないようにする。火照った俺の肌と青ざめたリナの肌が密着し、彼女の心臓がトクトクと脈を刻んでいるのが分かる。

 リナも心音を感じたのか、力を抜いて俺に体を預けてきた。

 訪れる沈黙。やがてリナの囁き声が静寂を破る。


「本当は、分かってたの。あの忌み子の子供が、偽装魔法を使ったニセモノだってこと」


「……」


「私はただ、お母さんを、私のカラダに流れる人間の血を、信じてみたかっただけ……その自分勝手な思いが、あの悲劇を招いたんだから、身から出た錆、なのかも、ね」


 自嘲するように、リナは喉から乾いた笑い声を漏らした。しかしそれはすぐに啜り泣くような嗚咽に変わる。


「それでも……私……私は、正しいことをしたんだってッ!」


 力の無い小さな拳を俺の肩に叩きつけながら、


「……思いたかった。けど、みんな……私を否定するの」


 狼少女はぽろぽろと涙を零した。


「ねえ、ユイ。私は、間違ってたのかな」


 今にも散りそうな儚い声で、彼女はそう俺に問うた。

 俺は目を閉じて、ゆっくりと記憶をたぐる。崖の上で少々物騒な出会い方をして、落ちたところを救われ、そこから何かと村に住む手伝いをしてくれた半人半狼の少女。

 父親に向かって啖呵を切り、俺の膝の上で『嫌われたくない』と目を伏せ、でこぴんされて涙目になる狼少女。

 その中で___俺は。

 彼女が心から笑うところを……見たことがない。


「……俺が拒絶するかもしれないって、不安だったのか」


「っ、ぅ……ん。そう、ね。怖かったんだと、思う……っ」


 身を震わせ始めたリナの背中を、落ち着かせるように擦る。

 未だ中途半端で不安定だった俺の覚悟が、今、最後の欠片を得て初めて形になった気がした。


「___リナが俺を助けてくれた理由、やっと分かった。そして、これでようやく、恩が返せるような気がする」


「……え?」


「リナは今までに二度、人間を助けた。一人目は災厄を齎した」


 俺は少しリナから体を離して、ちょっと微笑みかけてみる。


「でも二人目が引き起こすのは災厄じゃない。俺はアルトゥンハ村を救おう。そうして初めて、俺はリナを肯定してやれる」


「………ぁ」


「感染したみんなも、そしてリナも。絶対に死なせはしない」


 少女は口を半開きにしたまま俺の言葉を聞いていた。

 やがて、リナの心幼い顔がくしゃりと歪み、俺の胸に抱き付いて子供のようにむせび泣き始めた。

 その小さな背中を、俺はあやすように撫でた。



 ***



 もちろん今までも本気だったつもりだ。

 真剣に治療に取り組んでいた。

 だが『全力』だったかと言えば否定せざるを得ない。剣術の訓練を行えるだけの余力を残し、睡眠も取っていた。持てる力を尽くす覚悟が定まっておらず、通り一遍の姿勢だったのだ。


 俺は、リナの看病と並行して感染病治療に死力を尽くした。


 感染病を完全に回復させる治療薬……ではなく、症状の一つ一つを解析してそれを和らげる方法を模索する。最先端の科学者でさえ十年かかる新薬の開発を、まだ初心者の域を出ない俺なんかが真似できるものだとは思っていない。

 感染病で死ぬ、というのはつまり、体が細菌に対する免疫を獲得する前に身体機能が停止させられることを意味する。

 従って、俺がするべきはまず患者の命を永らえさせ、より抵抗力を高めさせることだろう。

 感染病の主な症状は、下痢、嘔吐、脱水症状の三つ。

 この症状から考えられるのは、体が体内に取り込んだ物質を拒絶しているということ。恐らく経口感染だろうから、村人には手洗いうがいを徹底させるように指示しておく。

 また、体が老人みたいに皺ばんでいく症状は、ひどい脱水症状の副作用のようなものだろう。汗だけでなく排便や吐瀉によって体の水分が抜けてしまっているのだ。そして抜けた分は補う必要がある訳だが……この手の患者は消化管を休めさせることも重要だ。

 無理に食事を取らせる訳にもいかない。なので最低限、水には塩を溶かして与えるようにした。

 日本でも熱中症対策として常識だったものである。


 と、日常的な予防としてできることはこれぐらいだった。

 後は、わらぶき布団で体温を高めに保たせたり、煎じた薬草の汁を飲ませて脱水症状を抑えたりと試行錯誤。

 今まで村では、どうやら様々な特効薬を試して一気に治療しようという人体実験じみた強引な方法を試していたようで、俺のような地道すぎる治療は目から鱗だそうだ。アウローラなどは水に塩分を混ぜる理由を聞いただけで驚愕に目を剥いていた。


 そうして、体感時間で十日___現実では三日が過ぎた。

 

 俺の『力』を使った思考の加速。睡眠時間はほぼ削り、刀を振る時間は省いて治療作業の一点のみに集中。

 思考の回転速度は、およそ三倍にまで増幅していた。

 おかげで丁寧に段階を踏んで治療を進めることができるのだが、その代償か、俺の頭には常に鈍痛が付き纏うようになった。

 心身に無理させている自覚はあるが、今は無理させるべき時だと割り切っている。

 食事を取るのも忘れかけ、書き物をしている最中に幼女があーんしてくるのをもぐもぐ食べている状態だ。治療にかかりっぱなしの俺に代わって、ノエリアが見張りの目を掻い潜ってこっそりルシに会いに行きご飯を作ってもらっているらしい。

 時折確保され、獣人に首根っこを掴まれて俺の家にテイクアウトされてくる光景ももはや見慣れたものになってきた。

 どうやら洞窟の入り口を見張っているのは獅子獣人のティモさんのようで、ノエリアをお持ち帰りしてくるのは大体彼だった。至極不本意そうな顔で俺にずいと差し出してくるのだ。俺が礼を言うと満更でもなさそうな顔で帰っていくが。

 ルシはルシで、お弁当の他に魔力を練ったり新しい刀を打ったりと忙しくしているようだ。ノエリアに聞いた感染病の症状から推察した耐病療法を紙に記して俺に送ってくれたりもしている。

 俺とルシ、そしてノエリア___それぞれが自分のできることを尽くして治療に当たっているのだ。

 

「……ユイ」


「ん」


 俺を呼ぶか細い声に、和紙っぽい質感の紙に走らせる手を止めて思考の加速を一時停止する。振り返ると、ベッドの上でお腹を抑えながら顔をしかめる狼少女が俺を見つめていた。

 一時はかなり危険な状態に陥った彼女であったが、必死の看病が功を奏し、最初の峠は何とか超えていた。

 今は若干ながら身体に生気が戻り、顔色も少し良くなった。

 この感染病は、治療法がないとはいえ致死率が百パーセントとかそんな死神的なものではない。ウイルスの侵食に最後まで抵抗し、ついに克服した獣人も数人だが過去にいるという話を聞く。

 そういった人たちには抗体があるのだろうが……残念ながらこの世界には血清という概念がない。

 一足飛びな治療は不可能というわけである。

 なので、彼女も予断を許さない容体であることに変わりはない。だから俺はリナのほっそりとした身体を優しく助け起こす。


「いつも、ごめんね……」


「大丈夫だから、謝らなくていいよ」


「……うん」


 俺の首に腕を回しながら、リナは弱々しく微笑んだ。

 思い返せばかなーり小っ恥ずかしい……『俺はアルトゥンハ村を救おう』とか自己陶酔した阿呆みたいな台詞だし今すぐ地面に穴を掘ってそこに『あーもー死にたい!』と叫びたい衝動に駆られたりするのだが、まあ、その甲斐もあってか。

 彼女はもう、過去に囚われたりすることはないと思う。

 憑き物が落ちたとでも言うのか、今のリナは表情から力が抜け、目には柔らかくも力強い光が奥底に覗いていた。


「持ち上げるよー。んしょ」


「……重い?」


「前にも言ったと思うけど、軽過ぎて心配なくらいだ」


「そ、そう。……ふぅん」


 血の気の失せた顔に複雑そうな表情を浮かべるリナ。

 片腕で抱き上げると少々密着し過ぎなほど近くにリナの顔が来てちょっと照れくさいが、彼女にとってはむしろこの後にする行為の方が余程堪えるものがあるだろうと思う。

 裏庭の端っこまでリナを運び、向かい合うようにしてそっと地面に下ろす。狼少女の腰の帯を解くと下衣がぱさりと落ちた。

 それから俺は、彼女の体を支えて両目を瞑った。


「はい、いいよ」


「ん……」


 青白いリナの頬に微かな赤みが差す。リナはぷるぷる震える手で俺の両耳を塞ぎ、外の音をシャットアウトした。

 ……そう。残念ながら我が家には、トイレがないのである。

 野外で用を足すなんてのは、俺も密林生活の中で慣れたもので、尻拭きになる柔らかい葉も知っているしで大した問題ではなかったのだが、現在のリナではそうもいかない。彼女が嘔吐や下痢の発作を起こした際は手ずから介護してあげる必要があった。

 それこそ、お花摘みへの移動からそのアフターケアまで。


「……終わった、よ」


「ほい。じゃあお尻拭くね」


 いやはや、しかしさすがに……こればかりは何回やっても慣れるものではないわけで。

 体の弱かった幼馴染の世話で、然るべき看病の仕方は心得ているつもりだが、お手洗いの手伝いまではしたことがない。

 仕事と私事を切り離して考えることができるプロの看護師でない以上、どうしても意識してしまうのだ。無心になる他ないと懸命に指先の感覚を意識の外へ追いやろうとしても、


「ん……っぁ……」


 尻尾の付け根に手首が当たり、ちょっと色艶を含んだ声が耳元に零れてきてびっきゅーんと背筋が伸びる。

 これではいかん、と瞬きを繰り返し脳内思考をリセット。

 病人相手に欲情するとか人間としてどうなんだ。

 

「……はい、キレイになった」


「ぁ、ありがとぅ……」


 消え入るような声で礼を言ったリナは、三日前には考えられないほどほんのりとした桜色にほっぺを色付かせていた。

 表情はやはり、まだ少し苦しそうだったが。

 ……まあ、血行が良くなってる証として受け取っておこう。

 ログハウスに戻る際、リナと俺の心臓が一緒になって早鐘を打つ音がぴっとりくっついた肌越しに聞こえてきたが、互いに素知らぬふりをしたのは暗黙の了解と言えた。



 その後、いつものようにリナの便を観察し終えた(本人の了承は得ています)俺は、紙に記したカルテを見直していた。


「……ふむ」


 テーブルの横に広がっている紙の束は、他に感染した獣人たちのカルテである。三日である程度体調が回復したリナと違い、こちらの経過はあまりよろしくない。

 しかし、頑張ればそれもまもなく改善できるはずだ。

 人間には感染しないものであることや、詳しい症状解析の結果、俺は病気の正体に検討がついていた。

 病名は『コリカラ病』。医学書の隅にちょこんと乗っていた記述から、腹痛を伴わない下痢、極度の脱水症状などが一致。具体的な治療法は存在しないとのことだが、今度ノエリアを介してルシから話を聞けば、何かしら対策を得られるに違いない。

 ……結局はルシに頼らねばならん自分が情けないというか、洞窟から出てきた彼女に『マスターってこの程度だったの?』って失望されないか心配なのだが。

 ま、俺の株価なんて今はどうでもいい。

 今するべきなのは、ルシすら対抗策を知らなかった場合にも対応できるよう知識を蓄えておくことだ。

 周りに広がる医学書の一つをつまみ上げ、混合毒に対する解毒剤調合の概要に目を走らせながら、俺は再び熟考に没する。


 その背中を、ベッドの狼少女は黙って見つめていた。



お読みくださり、ありがとうございます。




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