第12話 父親の意地
主人公無双させるつもりが、感染病治療したり過去話を覗いたり……。
も、もうすぐ暴れてくれるはず。
___それから一週間後、早朝未明の密林縁部。
村の外れにログハウスを建てたからか、人間族の俺にちょっかいを出す者は居らず、アルトゥンハ村滞在初日やその翌朝に比べれば格段に静かな日々だった。
なんとなく、この静けさが感染病患者たちの余命を象徴しているような気がしてもやもやしたのだが、その度にノエリアが頭突きで活を入れてくれた。本当は俺の方が元気付ける立場でなければならないというのに……情けない話である。
当の幼女はいつも以上に明るく振る舞うようになっていた。
サナトリウムにも度々出掛けているようで、ノエリアにも感染しやしないかと心配していたのだが、どうやらこの感染病、人間族には移らないらしい。
徐々に感染者が増える中、村の雰囲気が暗くならずに済んでいるのは九割方彼女のおかげであろう。
俺も負けてはいられない!
……などと気張ってみたところで、ルシがいない今、俺が無能に等しいということは自他共に認めるところである。
という訳で、この一週間。
俺は、アウローラが持って来てくれた本……村中からかき集めた百数冊の医学書を片っ端から読み漁っていた。
何事も基礎となる知識がなければ考えようがない。
そう考え、六時間の睡眠と三時間の剣術稽古を除いたほぼ全ての時間を医学の勉強に費やしたのだ。ブリタニカが腰を抜かすような分厚さの専門書でも『思考の加速』を使えば短い時間で読破できたし、そもそも言語理解の能力が文字にも通用してくれたことは僥倖以外の何物でもなかったと言える。
頭痛がするまで勉学に励んだのは大学受験以来になるか。
おかげで異世界の病に対する大体の対処法を覚えてしまったが、これでようやく、俺はスタートラインに立てたわけだ。
……異世界の医学に四苦八苦している間にも、村にはいくつかの墓石が増えていた。
立ち止まってなどいられない。ここからが正念場なのだ。
「ふう、こんなとこか」
きれいに分断された大量の薪が、ログハウスの裏庭に小枝のように散らばっている。
一つ頷いて、俺は腰に吊った鞘に太刀を納めた。
ノアールトゥレントを斬り裂いて折れてしまった陸奥守吉行ではなく、囚われの身のルシが送ってくれたもう一本の刀だ。
さしずめ陸奥守吉行二代目と言ったところか。
二代目とは言っても、洞窟の岩盤から抽出した鋼を魔法で鍛えて超頑丈に仕上げた一品らしいので、鉄格子の残骸から急造した廃刀と一緒にするのもアレだろう。
「ふむ……よし、こいつの銘は『斬鉄剣』にしよう。鉄斬れたし」
今しがたクシ切りにしたばかりの薪を抱え、俺は家に戻る。
勉強に身を費やす一方で、俺はこの太刀を使って『力』の制御を試みていた。木や石・鉄など色々な物を斬ったり割ったり、現在は出力の微調整を主眼に置いて習練中だ。
ノアールトゥレントのような報われぬ犠牲を二度と出さないための修行、と言えば聞こえはいいが、実質ただの自己満足である。
やらないよりはマシだろう。
如何せん最初は刀の扱いすら覚束無く、自分の脚に当たったり、手首を捻ったりと何度も憂き目にあったものの、どうも俺には剣の才能があるらしく一日で自在に振り回せるようになった。
例の『力』を使っての加速中はなぜか自分の手足のように操れた剣術であるが、意識して使ってみると中々に難しいものだ。
……誤って爪先をざっくり斬ってしまったときは真面目に死ぬかと思ったが、気が付けば傷は塞がっていた。デコピンのたんこぶや舌の咬み傷が回復しなかった辺り、体の再生力に『力』が作用してくれるのは致命的な傷を負った時だけなのかもしれない。
ともあれ、今は『力』に慣れるのが先である。
今朝は宙に丸太を放り投げてから地に落ちるまでに何等分できるか挑戦してみたのだが、六十四等分が限界であった。
もっと精進せねばならんだろう。
裏庭に積んである薪の山に新しい一角を追加してから、俺は庭の隅に設置してある巨大瓶の水を汲みに行く。
「んしょ……ふう」
手製の桶に揺れる水面へ目を下ろしつつも思考は続く。
もっとも、感染病治療に余裕がないのもまた事実。
毎朝ぶんぶん刀を振り回してる暇があるなら治療に専念しろ、と言われても否定できない。とはいえ、あまり焦って根を詰め過ぎては得るモノも得られないとも思うのだ。
刀振ってる間にも、こんな風に思考の整理ができるのだし。
……自分で言うのもなんだが、言い訳にしか聞こえない。
「よし、ノア。お水だぞー」
ノアールトゥレントの実が埋めてある墓に近付き、そこに桶の中の水を注いでいく。墓標代わりに立ててある折れた刀のふもとには小さな双葉がぴょっこり顔を出していた。
ちなみに『ノア』というのは、ノエリアが魔獣の個名をもじって名付けた芽の名前である。
《きっと、この子も必死で生きようとしてるのですよ》
慈愛の微笑みを浮かべながらたっぷりの愛情を萌芽へ注ぐ幼女に比べて、俺の不甲斐なさときたら。
まだ救いようのあるレベルだと思いたい。
「……今日もがんばろ」
いや、俺は今日から本格的に感染病治療に取り掛かるのだ。
こんな顔してたらまた幼女に頭突きされかねない。
墓に水をやり終え、気持ちを新たに立ち上がった所で、
「ぁ………ユイ。おはよう」
「ん、おはよーリナ」
のそのそと起きてきた狼少女に、俺は呑気な返事を返した。
リナは尻尾をふらふらさせながら隣までやって来て、寝ぼけた顔で首をこてんと傾げる。
「また、剣、振ってたの? 精が出るわね……」
「勉強ばっかしてると猫背になりそうだしな」
「あはっ……そう。ちょっと待ってて、朝ごはん作るわ」
そう言って貯蔵庫に歩いてくリナを、俺は目で追う。
なんだかんだで忙しない俺とノエリアだが、それを根っこの部分で支えてくれているのが彼女だった。
サナトリウムにノエリアを安全に送り届けているのはリナだし、水を貯める巨大瓶を作ったのもリナだ。ログハウスを掃除し、食料を調達し、食器や衣服など日用品まで作っている。
わらぶきベッドやテーブルの作成は俺も手伝ったのだが。
何と言うか……甲斐甲斐しく夫と娘の世話をする、新妻みたいな存在になりつつあるのだ。
「リナ、今日は俺がごはん作ろうか?」
そう言うと、リナは胡散臭そうな目で俺を見る。
「……ユイって、料理、できるの?」
「む、聞き捨てならないな。料理なんてお茶の子さいさいです」
ぴくぴく動く狼耳の間にチョップをいれ、俺はリナとポジションを交代する。
少ない材料に工夫をこらして上手く調理するのは、親から離れて自立した者の必須スキルなのである。
「何食べたい?」
「…………食べられれば、何でも……ぃ」
「ん」
傍観を決め込んだらしいリナが背後で座り込む音を聞きながら、俺は貯蔵庫から豆と肉、それと根菜を取り出していく。
これらも全て、リナが採ってきたものだ。
「そういえば、リナ、今朝ラウルが顔を出してたぞ」
「……」
「まだ日も昇ってないうちにな、あそこの窓からこっち見てた」
日頃世話になっている分の感謝も込めて、全力の野菜スープでも作ってやろうとやる気満々の俺である。
肉は筋を切って噛みやすく……根菜類は軟骨から出し汁を取って煮込めば柔らかくなるだろうかなどと野菜スープのレシピを脳内で組み立てつつ、俺は野菜類を手に取って品定めする。
「確か一昨日も来てたんだよな。やっぱりラウルもリナのこと心配なんだろな。俺は寝たフリしてたけど」
「……」
「ま、当たり前か。娘が人の家で寝泊まりしてるわけだし」
「……」
「あんまり過保護なのもアレだけど、親バカってやつなのかな」
「……」
「…………、……。リナ?」
沈黙したまま、狼少女は一向に返事をしようとしない。
どうしたのだろうと思い、俺は溢れんばかりの食材を腕に抱えて振り返り___それらをまとめて取り落とした。
「リナ!?」
頽れるように倒れた少女を助け起こし、必死で呼び掛ける。
その白い肌は、氷のように冷たく透き通っていた。
***
___リナが感染した。
なぜ、ではない。
どこから、何をしていた時に、どのようにして感染したのか。
そう考えるようにしてきたのだ。感染者が増える度に、現実から逃げるように。
しかし、リナの蒼白な顔を見た瞬間。
頭が真っ白になった。
そして気が付けば、俺は走り出していた。
最初はどこへ向かってるのか自分でも分からなかったが、
「はぁ、ふぅっ」
このことを、まず先に知らせておかねばならない人がいる。
頭より先にそのことを理解したらしい脚は、俺を勝手にその人物の居る場所へ導いてくれていた。
村の道を疾駆し、俺はとある家の前で立ち止まった。
「ラウル、いるか! 開けてくれ!」
そう叫びながらノックすると一撃で扉が吹っ飛び、ちょうどドアを開けようとしていたらしき獣人の『ぐぬぉ!?』という悲鳴をも巻き込んでぶっ倒れてしまった。
豪快に破壊されたドアの上に立ち、俺は家の中を見回す。
「どこだラウル!」
「ここだクソ野郎!」
怒声と共に下のドアが激烈な勢いで跳ね上がり、俺は空中で反転して受け身を取った。どうやら踏んでしまっていたようだ。
狼獣人は頭から湯気を出しつつ俺を睨む。
「いきなり人様の家のドアぶち破りやがって、何の用だ!」
「それはお互いさまだ。それより、リナが感染した」
聞いた瞬間、ラウルの顔が能面のような無表情に変わった。
それから荒く鼻息を吐き、ドアを乱暴に持ち上げる。
「……要件はそれだけか? ならとっとと帰れ」
それ、だけ?
彼女を守れなかったことへの謝罪と懺悔、続けて言おうと思っていた言葉が一瞬で頭から消え、しばらく体が硬直した。
俺は絶句しかけた口を何とか動かし、
「リナは……ラウルの娘だろう。心配じゃないのか?」
「あいつがどうなろうと俺には関係ねえ、俺はあいつを捨てたんだからな。その話はもう聞いてるだろ?」
「……」
「文句がありそうな顔だな。言ってみやがれ」
ラウルは力任せにドアを玄関口へ叩き戻した。
ギロリと煌いた紅の眼光が、俺を射抜く。
「……。なら、一つだけ」
俺はラウルの赤い双眸をじっと見つめる。人間と獣人、骨格自体が違うリナとラウルの間で、唯一似通っている吊り目の瞳。
奥底で惑うように揺れる虹彩までそっくりだ。
この眼の前で戯言を吐くのは、至極不本意なのだが___
「ノエルが眠ったあとは、弱った狼少女と家に二人きりだ。リナは可愛いし、これを楽しまない手はないよな」
「……あ?」
「帰ったらリナ犯してみてもいいか?」
___直後に迫ってきた拳を見ながら、俺は言った甲斐があったと自嘲気味に思考を巡らせる。
加速感覚の中でもなお避けきれず、受け止めた右の腕骨が砕ける音を骨伝導で直に聞きながら宙空を吹っ飛んでいく。
だが、壁を突き破って地面に着地した時にはすでに骨は繋がり、跡形もなく修復していた。一瞬だけ脳を焼いた激痛は、俺が招いた報いとして受け取っておくことにする。
「……てめぇ」
ラウルは、微かに後悔を滲ませた顔で歯噛みしていた。
俺を殴ったことに対する後悔……ではなく、反射的に感情を爆発させてしまった己の底意への後悔。
痺れの残る右腕をぷらぷらと揺らし、俺は笑う。
「怒るよな。そりゃもちろん、父親だもんな」
「うる、せえ。今のは……獣人族の、誇りが許さなかっただけだ」
「そうでもないと思うけど。だってラウルなら、少し考えれば俺がそんなことしないって分かるだろ?」
その単純な結論に至るより先に無意識で反応したということは、心の奥底で、リナを『ただの獣人』以上の存在すなわち家族として捉えている証左ではないのか?
言外にそう宣言した俺の前で、ラウルは沈黙する。
胸倉を掴んでくるか怒鳴り散らすか、正直殴りかかってくるほどとは思っていなかったが、むしろこちらの方が分かりやすい。
「歪だな。娘に嫌われ、自分も娘を嫌わなければならないって感じか。本当は一緒に家族として暮らしたいんじゃないのか? 毎日のように……娘の寝顔を眺めたいんじゃないのか?」
「___ッ、黙れぇッ!」
咆哮と共に爆音が轟き、ラウルの顎門から火球が飛び出した。
俺の頭……よりやや上を狙い、下に回避した俺を叩き伏せようという魂胆なのか、火球を吐き出すや否や地面を舐めるような姿勢でこちらへ接近している。
俺は素早くしゃがみこみ、ラウルの予想通りに下へ回避。と同時に木片を後ろに投げて火球を爆発させた。
「ぐっ!?」
俺が死角になって木片が見えないラウルには、完全な不意打ちとなった。爆発の光で一瞬視界を奪われた狼獣人の隙を突き、爆風の勢いを利用して一瞬で懐に入り込む。
胸倉を掴み、相手と体の位置を入れ替えるように腰を回転させ、俺の三倍はあろうかという狼獣人の巨体が宙を舞う。
いわゆる投げ技___背負い投げである。
ラウルは鈍い音を立てて大地に叩き付けられた。
肺の酸素を根こそぎ吐き出され、苦しげに呻く狼獣人を見下ろしながら、俺は思ったままに言葉を紡ぐ。
「ラウルとリナとの間で、何があったのか……教えてくれよ」
あの烙印は、ラウルが付けたものだとリナは言っていた。
ここまで娘を思っている彼がそれをしたのだ。それ相応の出来事があったのだろうとは思う。
ラウルは倒れたまま俺を見上げ、どこか気の抜けた顔で何度か咳をした。それから無理やり空気を吸い込み、呟く。
「……ユイは……強ぇな」
それが腕っ節の強さを言っている訳ではないことは分かったが、俺はあえて無視して素っ気なく首を横に振った。
「ラウルみたいに火は吐けないけどね」
「はっ、だろうな。だが俺は……娘一人も守れねえ半端者だ」
土まみれの体を起こして、ラウルは自虐的に吐き捨てた。
背負い投げしたときは圧倒的な重量を感じさせたラウルの背が、今はひどく小さなものに見えた。
「お前には、到底及びそうもねえ……人としても、獣としても」
「……」
「望み通り教えてやるよ。昔、何があったのかをな」
そして、狼獣人はぽつぽつと語り出した。
アルトゥンハ村の過去話を。
お読みくださり、ありがとうございます。




