第10話 人、それを無茶振りという
サナトリウムというのは『療養所』という意味らしい。
アウローラに案内されてやって来たのは、村の中心部から離れた選別結界の西側境目、背の高い木々の間を縫うようにして作られたあばら屋の小屋群であった。
俺のログハウスは村の西側にあるが、サナトリウムは東側。
距離にして十キロほども離れた位置にあった。
獣人は種族上、肉体の治癒力が優れているため、基本的に外傷の治療はほとんど必要ないという。故にここサナトリウムは、重篤な傷を負った者・重い病を患った者の治療を主目的として建設された村でも唯一の医療施設なのだとリナが教えてくれた。
村でも特殊なポジションに位置する施設であるから、そこでするであろう話もまた特殊に違いない___
「……」
___などと呑気に構えていたのだ、先刻までは。
しかし、この凄まじい悪臭がする空間に、決して少なくない数の獣人が呻き声を上げている光景を見てもまだそんな思考を巡らせることができるほど俺も鈍くない。
アウローラからもらった麻布で口と鼻を覆い、眉を顰めながら、俺は眼前の惨状を黙って見下ろしていた。
「うゆぅ……みなしゃん、くるしそうでしゅ」
俺の肩の上で、同じく麻布を口周りに付けたノエリアがぎゅーと両手両脚で首を締め付けてきた。確かに色々とショッキングな光景だが、俺も苦しいのでやめてください幼女さん。
首の拘束を緩めようと四苦八苦している俺の隣で、アウローラが無機質な声で淡々と説明する。
「感染病だ。毎年、この時期……魔獣たちが繁殖期を迎える直前に村で流行り始める病気でね。病状は下痢、嘔吐、発熱がない代わりに体温がひどく落ち込んじまう。最期は虚脱状態に陥って、年寄りみたいによぼよぼになって死んでいくのさ」
「死……!? な、治らないのか」
俺は愕然とした言葉を漏らすが、この事はノエリアも知るところなのか、俺の喉がますます絞まっていく。
真面目な場面だというのに……い、意識が落ちそうである。
助けを求めて隣の狼少女に視線を送ってみるが、リナはさらりと横目で流し、厳かに告げていた。
「治療法がないわ。そもそも何の病気なのかすら分からないのよ。さしずめ、不治の病ってとこかしらね」
不治の病___ここの獣人たちが全員死ぬというのか。
やっとこ幼女ホールドを解いた所で、一人、辛そうな顔の獣人が外に連れ出されていた。
主な症状が、下痢や嘔吐……脱水症状が心配だが、見回っている獣人がこまめに水を飲ませているようだ。しかし患者の容体は全く良好とは言えない。体中の水分が抜け落ちたかのように、幼い獣人までもが老人のような皺ばんだ様相を呈している。
窓の外に目を移すと墓碑らしき石が見えて、俺は思わず隣のリナの手をぎゅっと掴んでしまった。
「……? どうしたの、ユイ」
リナは、どこか影の差した瞳で俺を見た。
俺は手を離しつつ首を横に振った。
「ん、や……ごめん、なんでもない」
「そう」
リナは暗い目を前に戻す。俺はしばしその横顔を見つめた。
……なぜか今、幼馴染の顔が頭に浮かんできた。
受験前夜に風邪を引いて、申し訳なさそうな表情で俺を見てくる女の子。卵でとじたお粥を作ってやると弱々しく礼を言う。
あいつは昔から体が弱かった。おかげで卵粥が得意料理の一つになっているぐらいだ。
「……」
思えば、あれが最後に見た顔だったか。
沈黙したまま考え込んでいると、不意に後ろの扉が開いた。
ドアの角が後頭部に当たったノエリアが肩から転がり落ちるのを右腕で止めつつ、俺は首だけ回して振り返る。
「お、お前らやっと来たか」
入ってきたのは巨体の狼獣人、ラウルだった。
途端に隣の少女の獣耳が逆立ったかに見えたが、流石にいきなり噛み付いたりはしない。
分別は弁えてくれているようである。
「……あー、ま、ここで話すんのもあれだし、外に出るか」
狼獣人に連れられ、俺とノエリア、次にリナが扉をくぐる。最後にアウローラが扉を閉めた。
俺たちはそのまま近くの木陰に移動した。ラウルが切り株に腰を下ろし、俺を真っ直ぐに見つめながら話を切り出す。
「リナから聞いたが、お前さん、この村に定住したいそうだな」
「んむ……まあ、他に行くあてもないし」
「親はいないのか? 兄弟とか、他の親族は」
前の世界に置いてきました、なんて言えるはずもない。そもそも俺の両親はとっくの昔に死んでいる。
五歳頃に、俺は片桐家に引き取られて養子となった。
なので戸籍上では、幼馴染が義妹に当たるのだが。
微妙な顔で黙っていると、表情から何かを悟ったらしいラウルがボリボリと髪を毟りながら頭を下げてきた。
「まあ、その髪と眼じゃ仕方ねえか。悪いこと聞いたな」
何が仕方ないのかとても気になるところだが、敢えて何も言わずにこくりと顎を引いておく。
すると今度は頭を抱えて『ぬぅぅぅ』と唸り始める狼獣人さん。何かしら頭を働かせているようだが、結局答えは出なかったらしくガバリと立ち上がり、はるか頭上から見下ろしてくる。
い、威圧感満載で怖いんだけども。
「だーもう、まどろっこしいのはやめだ。ユイ、いいか、村に滞在するには条件がある!」
「うん、昨日リナから聞いたよ」
「まず一つ目___って聞いてんのかい!」
ラウルは切り株の根っこに躓いてずっこけた。
真顔の俺に、しかしリナから注釈が入る。
「待ちなさいよユイ、三つ目の条件はまだ説明してないわ」
「あ、そっか。そういえばまだ聞いてなかった」
「……ち、調子が狂うぜおい。一番重要な条件聞いてないとか」
脱力して肩を落としたラウルは、ちらりとリナに目をやってから気を取り直したようにピンと獣耳を立てる。
「じゃあ、話を続けるぞ……三つ目の条件だがな、ユイ」
「あい」
「あい?」
ノエリアと同じ風の返事を返してみたら俺の肩の上に乗っている本人がご反応なされた。
前見えないから手を退けてくれませんかノエルさん。
「ちょいとお前さんに頼みたいことがあってな。……この村で蔓延している感染病を治療してほしい」
「あい……」
「……あい?」
ノエリアと俺はこてんと同時に首を傾げていた。
感染病というと、さっき見た不治の病ってやつだろう。
治せって……俺に言ってんのだろうか。
「俺、別に治療師でも何でもないんだけど」
「人間族は知恵が豊富だろう。俺たち獣人はまあ、自分で言うのもなんだが、頭の回転が鈍くてな……」
カチカチと殺気の篭った音が聞こえてきたので振り返ると、俺の後ろでアウローラが爪同士を弾き合わせていた。
……ラウルさん、もうちょっと言い方に気を付けてください。
俺の首が飛んでしまいます。
「知恵の革命を起こしてきたのは、いつも人間族だ……その結果、獣人族がこんな森奥にまで追いやられちまったってのは皮肉だろうが、そんな些事に構って身内の命を見過ごす訳にもいかん」
「……」
「感染病の治療に、協力してはくれねえか」
あい……とふざけるのはここまでにしておこう。
俺は思考回路を切り替えて考える。この条件を断れば村の定住も却下されるだろう。ログハウスまで建てたのに今さらどっか行けというのは俺も困るので、現状では受諾するしかない。が、果たして無責任に受けていい条件なのか。
サナトリウムに目を移し、病人たちの様相を思い浮かべる。
前の世界ではそこそこの高校に通っていた俺だが、もちろん医学系志望のエリートなんかでは断じてない。
むしろ物理系なので、そういうのはさっぱりである。
だいたい最先端科学を走る日本の学者でさえ、新薬を一つ作るのに十年掛かるという話だ。片桐唯葉とかいう感覚派代表がおいそれと手を出していい領分ではないだろう。
故に答えは否。
無理だ。ここは断って、別の道を模索するべきである。
と、正論を並べて否定を促す理性の傍らで___
『ありがとね、ユイにぃ』
___脳裏に浮かんだ幼馴染の言葉に、俺は目を閉じる。
頭を苛む鈍痛に顔をしかめながら、卵粥を少しずつ頬張る彼女の唇は、微かに、でも確かに、笑っていたのだ。
「……分かったよ。出来る限り、がんばってみる」
気付けば、俺はそう答えていた。
「受けてくれるか!」
「ふん、猫の手よりは役に立つんだろうね」
思わず声を上げるラウル、相変わらず不機嫌な口調のアウローラの二人を前に、俺は目を閉じたまま思う。
できるかできないかではない。やるかやらないかなのだ。
無論、素人が首を突っ込んだところで足を引っ張るだけであろうことに変わりはない。
しかし俺には、この上なく頼りになる相棒が___
「……あれ、ルシは?」
___そこでようやく、見慣れた黒革表紙の古本が見当たらないことに気付いて俺はきょろきょろと周りを見回した。
そういえば、サナトリウムに入った頃から姿を見ていない。
どこに行ったのだろうか?
「あのねユイ、獣人族は魔法を信用しないものなのよ。それぐらい人間族の常識として知ってるでしょう」
呆れ顔でそう言ったのは、俺の隣にいるリナだ。
「ん、む………も、もちろん」
俺は冷や汗をかきながら頷いた。
い、異世界から来たのでそういうことは以下略。
「なら分かるでしょ? 感染病の治療に魔法は使わせない……あのルシっていう式神の子も同じことよ」
「……ん、んん? いや、ちょっと待って」
し、式神とはなんぞや?
異世界から以下略。
いやいや、それよりもである。
「それはつまり……ルシの手助け無しで治療に当たれってこと?」
「そうよ」
代わりに、私とノエルが協力に当たることになってるけど。
そう続けたリナの言葉は、どこか遠くに聞こえる遠雷のように、俺の脳みその内側で虚しく木霊していた。
……異世界樹林のど真ん中にリスポーンさせられ、二ヶ月かけてようやく踏破し辿り着いた村で最初に要求された緊急クエストは村を蝕む感染病の治療。
しかし受注後に強力な初期パーティが強制封印。
頼みの綱は臨時パーティとなる狼少女と幼女、そして例の『力』だけとなるが、知識力の勝負になるであろうこの依頼に限っては役に立ちそうもない。素寒貧で始まる我が異世界冒険譚……。
……色々と詰んでないかこれ?
『ユイにぃなら、きっとできるよ……こほ、こほ』
『お前はさっさと風邪を治しなさいな』
心の中では、ごはん粒をほっぺにくっつけた幼馴染が、穏やかな微笑みを湛えて俺を見つめていた。
お読みくださり、ありがとうございました。