第9話 ティー・ブレイク
新学期が始まりました。
ああ、私の春休みが……。
ログハウスの木壁に寄り掛かり、庭先で見つけた茶っぱを入れた食後のお茶(カップはルシのお手製)を一口飲み下してから、俺はふうと息を吐いた。
腹も膨れたところで、話を始めるとしよう。
「さて、リナ」
「何?」
同じく雑草ティーを飲んで一息ついていた狼少女は、女の子座りした状態のまま俺を見上げた。
隣に浮かぶルシの上にカップを置き、俺は真顔で言った。
「おでこを出しなさい」
リナは『何言ってんのコイツ』って感じの顔で俺を見た。
しかし、俺が真顔を崩さずにいると、要領を得ないという表情で首を傾げながらも額を出した。
俺はそのおでこに勢いよくでこぴんした。
「いったぁ!? いきなり何すんのよ!」
鞭を撃つような音と共にひっくり返ったリナが、額を手で押さえ涙目になりつつ抗議の声を上げる。
昨日ルシとの衝突でたんこぶができたばかり部分に、またしてもたんこぶが膨れている。だが今度はルシに治させたりはしない。
俺は、腰に手を当ててリナを見下ろした。
「干し肉美味しかった、ごちそうさま。……けど、ルシとノエルを小屋に残したまま出かけたのは頂けないな」
そう、守るべき対象を放置したリナへのお仕置きである。
至って真面目な顔でそう言うと、リナはたんこぶを押さえたままぽかんと口を開けた。
「……え、えぇ?」
「次からは戸締りを確認してから行くか、信頼できる人に留守番を頼んでから行きなさい」
「いや、ちょ」
「あと無言で出かけるのもダメだ。遠出するときは、誰かに行き先を伝えてから行くこと。帰るのが遅くなりそうなときもね」
「ユイは私のお母さんか!? 私もうすぐ十五歳なんだけど!」
堪え切れなくなったように立ち上がって叫ぶ狼少女。
ふむ、リナはまもなく十五歳になるらしい。ラウルから誕生日を聞き出してお祝いでもしてみようか。
(そういえば、この国じゃ十五歳で成人なんだっけな……)
ということは一応、まだリナは未成年ということになるのだが、やはり彼女も思春期の少女。束縛されたくはないのだろう。
もちろん俺に彼女を束縛する権利などない。なので俺が今言った注意はいわゆる『余計なお世話』に当たるわけだが、やっぱり心配なものは心配なのである。
それに、リナ自身にも問題はある。
「でもリナ、お前は俺を見張るためにこっちに来たんだろ? 今朝は早速俺から目離しちゃってたけど、大丈夫なのか」
「……、あっ」
リナはパッと口に手を当てた。みるみる顔が青ざめていく。
俺の地雷発言やラウルとの親子喧嘩でうやむやになっていたが、リナはその場の勢いで『やらなきゃいけないことがあるから』とか言いつつどっかに行こうとしていた。
あと『ここでお別れね』とも言っていたか。監視役がお別れしてどうするという話である。
リナはちょっと自覚を持った方がいいと思うのだ。
「ゆ、ユイ……私がいない間、変なことしてないでしょうね」
「してないよ」
「誰かの、う、うなじ舐めたりとかしてないわよね?」
何を思い出しているのか、リナは頬を赤らめながらそんなことを聞いてきた。
何を馬鹿なことを言い出しやがるのだこの狼少女さん。
今朝のアレは不可抗力だし、そもそも野外でそんな変態みたいなことするわけない……と言いかけたところで、
「……ぅゅ」
リナの背後、熱々のお茶にふぅふぅ息を吹きかけて冷ましているノエリアと目があった。
ゆりかご幼女は目をパチパチさせると、ぷいっと顔を背けて視線を外した。ほっぺからうなじにかけて肌が赤く染まっている。
そういえば食糧探索のとき、俺は……
《あむあむ……うまー》
《う、うゆー! ユイ、私はごはんじゃないですよぅ!!》
(……)
変態なのは誰だ。
俺だよ。
ごめんなさいお巡りさんこっちです。
「え、ちょっと、なんで黙っちゃうのよ。まさかあなた」
「いや待て……あれも不可抗力ってことで何とか」
「あれってどれよ!? ああもう、ちょっと目を離した隙に……」
リナに向かってあれこれと注意したものが、一瞬にして説得力を失ってしまった気がする。
……と、とにかく話題を変えてみよう。
「えっ、と、そうだ。リナ、ラウルって何の用でここに来たんだ? 俺を呼びに来たとか言ってた気がする……んだけど……」
頭を抱えて唸る狼少女に話を振ると、リナは顔を上げ、ジト目でこちらを睨んできた。
話題転換しようとしたのが露骨すぎたらしい。
心なしかノエリアまで引き気味の目で見てくるような気がして、俺は背中に冷や汗をかくのを感じた。助けを求めてルシを見てみるが、黒い魔導書は我関せずといった体で窓辺にだべっていた。器用にもカップを革表紙の上に乗せたままである。
ダメだ、孤立無援すぎて泣けてくる。
何とも微妙な空気の中、リナはおもむろに首を傾げて、
「……ユイ?」
「はい」
「おでこを出しなさい」
本日二度目の打撃と悲鳴がログハウスに木霊した。
十分後、俺はリナに連れられて村の集会場に来ていた。
昨日派手に戦闘したせいで、扉やら床やらが陥没していたはずのログハウスだが、綺麗に修復されていた。
うちのログハウスの扉も直してほしいものだ。
「なに? クエスト受注でもするの?」
「もっかいデコピンされたくなければ黙ってなさい」
「はい……」
前世ネタが通用せず、俺はしょんぼりと肩を落とした。
おでこのたんこぶがヒリヒリと痛みを訴える。
気が付けば日は頭上を越し、時すでにお昼頃……などと考えると満たしたばかりの胃が控訴を起こしそうなのだが、もちろん俺たちは昼飯をたかりに来たわけではない。
外ではしゃぎ回っているノエリアとルシを眺めながら、俺は床に座り込んだ状態からリナを見上げて話を切り出す。
「んで、ラウルはいつ来るんだ?」
「……そういえば、待ち合わせ何時にするか決めてなかったわ」
「マジかよ」
どんだけ白熱した喧嘩を繰り広げてたんだ君たち。
というのも、リナと熾烈な取っ組み合いをしていたラウルは元々俺に用があったということで、去り際に『後で集会場に顔出せ』という伝言を俺に残していたらしい。
ぶっちゃけ体育館裏に呼び出されてボコられるいじめられっ子な心境なのだが、出会い頭に火球ぶっぱとかされないだろうか。
……などと色々心配した矢先にこれであるから、拍子抜けもいいところだ。
「じゃあなに、来るまでここで待ってなきゃいけないのか」
「……わ、悪かったわよ。デコピンする?」
リナは不貞腐れたように口をへの字に曲げ、やや前屈みになって髪を掻き上げて額を差し出す。
俺はあぐらをかいたままゆらゆらと体を揺らした。
「別に気にしてないからいいけど」
親子喧嘩というのは、今のうちにやっといた方がいいものだ。
親の言葉を聞くことができるのも、自分の言葉をぶつけることができるのも、生きている間だけなのだから。
こればかりは一回死んでみないと分からん感覚だろう。
「そ、そう……?」
リナは白い前髪を元に戻すと、ぴくぴく獣耳を動かした。
しばしの間、俺は半目になってボーッと空を見つめ、リナは髪を弄くりながらチラチラとこっちを見ていた。こういうのんびり待つ時間というのも嫌いではない。
が、そんな沈黙は思いの外早く破られることになる。
「ユイー」
『ますたぁー』
「おう、ノエル、ルシ。どした」
ノエリアとルシが窓の外でぴょこぴょこ跳ねていた。
「うゆぅ、アウローラさんが来たのですよー」
「あう……? 誰だそりゃ。ラウルじゃないのか」
「はい、違いまみゅ!?」
こくんと頷いた拍子に、窓枠に鼻っ柱をぶつけてしまったらしいノエリア。涙目幼女にすぐさまルシが回復魔法をかけていた。
俺はふむと唸りながらルシに問う。
「アウローラ……って言ったか、どんな人だった?」
『んーとねーぇ、熊の獣人さんだった。すごく強そうだったよ』
「そりゃそうでしょう。あの人実力的には村で三番目だもの」
「おうふ……」
事も無げなリナの言葉に、俺は呻き声を上げた。
なぜそんな実力者さんがやってきたのか……というか、熊の獣人といえば昨日の尋問でも見かけた気がする。
ドアノブ引っこ抜いちゃったときに目があった獣人。
……あの人女性だったんかい!?
「とりあえず出た方が良いわね。行くわよユイ」
「で、出会い頭に首かっ飛ばされたりしないですよね」
熊獣人さんの指に生えていたカミソリじみた爪を思い出しつつ、俺はおろおろ声を出す。
「されないに決まってんでしょ……何びびってんの」
呆れたような声を出す少女にくっついて、俺は集会場ログハウスから出ると、熊獣人もといアウローラさんにご対面した。
二メートル強はあろうかという体躯に鎧のような筋肉をまとい、獣耳の片方が齧られたように一部欠けている。近くで見ると自分が酷く矮小に思えてくる、そんな人だ。
凄まじい凶暴性を秘めた血色の瞳が俺を見下ろす。
「あ、改めまして……片桐唯葉と申します、はい」
なんとなく敬語で名乗ってみると、熊獣人は眉を上げた。
「……なんだいあんた、人間族のくせにずいぶん腰が低いんだね。あたしはアウローラ・ランドベリ。治療師だ」
治療師、だと?
凶戦士と言われた方がむしろ納得できる見た目なのに?
「妙なこと考えてんじゃないだろうね。首捻じ切るよ?」
「とんでもございません」
やばいやばい、危うく墓穴を掘るところであった。
俺はノエリアとルシを抱き寄せつつ、長大な爪をカチカチ鳴らしているアウローラから離れるように移動した。村の中で三指に入る猛者に喧嘩なんて売りたくない。
超怖い。ドアノブ壊しちゃってごめんなさい。
「ふん、まあいい……ついて来な。話はサナトリウムでする」
そう言ってから、アウローラはズンズンと歩き出した。
とりあえず俺はリナに身を寄せ、耳打ちする。
「……リナ」
「何?」
「いざというときは守ってください」
「………」
ノエリアと一緒になってぷるぷる震えている俺に、リナはどこか情けなさそうな視線を送っていた。
お読みくださり、ありがとうございます。