七番の帰還
本章は今話で終了であります。
【王国暦129年10月15日 13:45】
月面宇宙港での整備を終えて、『アンドロメダ―』はやっと……『アース』への帰還の途についた。
月面基地はと言えば、北極迷宮、宇宙港ともに、まだ封印処理はしていない。月面からグリテンへ、一方的に鉱物資源を運搬し、送りつける輸送船の生産施設こそ完成したものの、魔物への教育が済んでいないから。せめて稼働させて、資源を潤沢に入手してから封印処置を行おうと思う。まあ、急がずとも百年スパンで考えればいいかな、って気がする。
「百八十度回頭、メイン空力機関全開」
「百八十度回頭、メイン空力機関全開、アイ・サー」
ゆっくりと艦が反転していく。あまり遠心力は感じられず、操艦の確かさが窺える。
艦の姿勢制御が完了する。
現在、『アンドロメダ―』は衛星軌道よりも上に位置しており、高速で周回中。そこでメインの空力機関に魔力が注がれ、減速が始まり、艦は落下を始める。
「姿勢制御、突入予定ラインから左舷にプラス一度修正」
「左舷プラス一度、アイ・サー」
ぐぐっ、と後側に引っ張られる感覚が強くなる。自由落下で加速を始めたのだ。
「バリュート展開」
「バリュート展開! アイ・サー!」
トシゾーが指示を出すと、新規に備え付けた艦尾バルーンが展開する。メイン空力機関の部分だけ穴を空けた、大きな風船は、半球状に縫い合わされていて、艦の後部を覆う。縫い合わせの糸には『耐熱』の魔法陣が刻まれていて、魔力を通すことで突入時の発熱に耐える。風船の内部に貯められた空気も断熱材になるのだけど、これは循環させて冷却している。あまり温度が上がりすぎると風船の形状が固定できないので、一定温度に保っているというわけ。
このバリュートは、私が夜鍋して、乗組員に手伝わせて、艦内備え付けの工業用ミシンで縫い合わせた。一目一目に心が籠もっているのよ!
ぐぐぐぐぐ、と一度前に体が持って行かれそうになり、それが収まると、再度、後に引っ張られる。先ほどよりも緩やかに。
「艦橋シャッターオープン」
「シャッターオープン、アイ・サー」
艦橋のガラスを保護していたシャッターが上がり、黒い空が見えた。まだ、ここは宇宙と言っていい高さなのだろう。しかし、もう断熱圧縮による赤い風景ではない。
艦は進行方向とは逆向きになり、メイン空力機関が懸命に減速を行っている。
「バリュート収納、補助空力機関、一番から四番、全開」
「バリュート収納、アイ・サー」
「補助空力機関、一番から四番、全開、アイ・サー」
「マスター、お願いできますか?」
「うん」
ここで、外壁にへばりついて、補助空力機関を擬態していたミスリル銀スライムに指示を出す。練習の通り、仮設の五番~八番の補助空力機関として機能を始めた。
十分に速度が下がったところで、トシゾーが指示を再開した。
「百八十度回頭」
「百八十度回頭、アイ・サー」
ゆっくりと、艦が進行方向に前部を向ける。姿勢制御が完了したところで、私はミスリル銀スライムに再度指示を出すと、擬態を解き、艦の両側に二等辺三角形を形成し始める。デルタ翼を模してみた。揚力を得て、艦の速度が安定して落ちていく。
『アンドロメダ―』はこの後、減速しつつ『アース』を半周して、ポートマットへと着水予定。
「じゃ、外に行ってくる」
「はっ。お気を付け下さい」
ロンデニオンに直接乗り込まないのは、ポートマットにドックがあることと、そこの検疫施設の方が規模が大きく、人員に余裕があるから。今回は私が乗艦しているので、着水前に艦の内外を『浄化』するけど、そうじゃない場合も今後はあり得るだろうから、手順を省略することはしない。乗組員たちは、私も含めて十日間、隔離施設で過ごし、健康状態を確認しつつ、1G重力下への順応訓練プログラムを受けることになる。
前部に移動して、エアロックから顔を出し、カラビナを掛けつつ、艦の先端部に立つ。
艦体の熱が取れて、今は高空の冷気に晒されている。酸素も薄いし、まだ宇宙服を着てないと凍り付いてしまう。
艦の先端で両手を広げてみる。風圧で震える両手を押さえつけながら。
「やってみたかった……一人だけど」
これをやると船が沈む……なんてことはない。ヌードを描かれるとかもない。レオ様になら裸体を晒してもいいけど! ぐえっへへへへ。
「――――――――『浄化』」
艦を包み込むように、念入りにじっくりとウィルスや細菌を殺していく。危険な宇宙生物のミイラを触った後だし、天体Xに何かが付着してたかもしれないし、月面の宇宙港に怪しい病原体がいたかもしれず……リスクは減らした方がいい。どっちみち、大気圏突入時の加熱と冷却に耐えられる生物はいないはずで、問題になるのなら、それは艦内だったり、乗組員の体内だったりする。
消毒作業が終わり、艦内に戻る。
「作業終了、最終減速を開始せよ」
『アイ・マム』
艦内放送で了承の連絡があり、直後に下から突き上げられるような感覚が襲ってくる。補助空力機関が垂直方向に力場を向け始めたのだ。あとは段階的に高度を下げ、南からポートマット西迷宮にある第三ドックにそのまま入港予定。
「地球か……股……何もかもが……」
宇宙服のまま、ちょっと恥丘を触ってしまう。言葉の綾というものに可能性を感じる今日この頃。
【王国暦129年10月15日 15:37】
ポートマット南沖に着水、『アンドロメダ―』は空中機動モードから水上航行モードに移行する。何だろう、大地に足を着けているわけじゃない、不安定な水上だというのに、この安心感は。魂が重力に引かれるってこういうことなのかしら。
「うぅ…………」
その安心感も束の間、体中が重く、椅子にしがみつく。重力がキツイ。艦内の1G重力施設で慣らしていたつもりだし、筋力トレーニングもしておいたはずなんだけど、常に1Gが掛かる状況がこれほどキツイとは。
「ま、マスター……」
「うん、トシゾー、頑張れ、入港指示を」
「アイ・マム……」
見ればトシゾーだけではなく、他の艦橋要員もグッタリしていた。それでも何とか方位指示を出して、『アンドロメダ―』は微速前進を続けた。
ポートマットは相変わらずの曇り空で、空気が読めないこと、この上ない。
「百八十度回頭」
「百八十度回頭、アイ・サー」
体の重さに辟易しつつも、頑強な魔物たちは何とか指示を遂行している。『アンドロメダ―』は懐かしい水中抵抗を感じながら、ゆっくりと反転、後ろ向きで入港する。
「マスター、横断幕があります。何と書いてあるのかはわかりません」
「オカエリナサ……イ? 誰の差し金だろうね」
思わず苦笑する。だって『イ』が反転しているんだもんね。フェイか、フレデリカの仕込みかしら。
「お帰りなさい、ですか。どこの国の文字なのでしょうね」
「きっと遠い国の文字だよ」
こんなことで望郷の念が高まるとは思わなかった。六番が必死に武家屋敷を作っているのを笑えないなぁ、と自嘲するほどに。
【王国暦129年10月15日 16:09】
静かにドックに入港すると、すぐに係留作業が始まった。ミスリル銀スライムはドロリと変形して、艦底よりも下に滞留してもらう。このスライムは構成するミスリル銀を引っぺがしていくと、魔核みたいなのがあって、それが本体。従来の概念を覆すようなスケールの魔物だけど、その本体はだいたい半メトルくらいの大きさ。最低限のミスリル銀は必要みたいなので、トータルではヒューマンサイズと言っていいかも。
検疫が済んだらミスリル銀を小分けして、複数の迷宮の倉庫にぶち込むことになる。私的には、宇宙出張の最大の成果なんだけど、他人はどう思うかしらね。
「マスター、係留作業が完了しました」
「お疲れ様。全乗組員に告ぐ。本艦は天体Xの排除という困難なミッションを成功させ、無事に帰還を果たした。我々は『アース』を救うという偉業を達成したのだ。諸君らは魔物であって魔物ではない。すでに人類と呼んでいいだろう。誇るがいい。諸君らは、救世主だ!」
「マスター……。ありがとうございます」
トシゾーが涙ぐんでいる。艦橋要員も魔物泣きしていた。
「『アンドロメダ―』万歳!」
どこからともなく、艦内をシュプレヒコールが満たしていった。
興奮が少し冷めたあと、私は冷静に指示を出す。
「では、チェックリストに従って、離艦準備作業を開始せよ」
「はっ」
トシゾーを含め、全乗組員が作業に入ると、外部から音声通信が入る。
《お帰りなさいませ、マスター、お疲れ様でした。消毒部隊が待機しております。面会希望者も多数待機しております》
イチの声だった。
「ただいま、イチ。元気だったかい?」
《はい、ジャンジャンバリバリ頑張っておりました》
他の私とは会って会話しているはずだけど、私が複数いる、って感覚がちゃんとあるのが凄い。今日は魔物の成長に驚いてばっかりだなぁ。
「こちらは離艦作業中、外側は消毒してあるけど、一応始めてちょうだい」
《はい、マスター。艦外殻の消毒作業を開始いたします》
私も作業をしたけど、念のため、ということ。この後、ドック内は塩素臭さで満たされるのだろう。その影響で塗装が漂白されていくから、将来的に船は白い塗装で統一されていくのかもしれない。
【王国暦129年10月15日 17:28】
艦内の作業が終わり、第一~第四迷宮も省力モードに移行した。外殻の装甲に通っていた魔力が止まり、補修作業に入れるようになる。もちろん、月面迷宮で完璧な補修はしてあるけど、大気圏突入はやはり大事で、バリュート展開装置も含めて再調整と整備をしなければならない。バリュートシステムは元々の仕様にはなかったし、何回か試験はしたものの、ぶっつけ本番での使用だったことは否めない。
仕様書はイチに転送してあるし、興味深く整備してくれるだろう。今回の試験結果は良好だったから、今後は『グレート』や『クイーン・エマⅡ』にも搭載されるに違いない。
『全乗組員はA2デッキに集合』
トシゾーが艦内にアナウンスする。誰かは留守番をした方がいいんだけど、今回は全員が検疫所行き。何しろ、長期間の宇宙空間滞在は、今回が初めてなのだから。
自らが実験動物になった自覚はある。トシゾーたち、選抜された魔物たちも道連れにした自覚もある。今後、この世界が宇宙進出をするのかどうかはわからない。もし、本格的に宇宙に行くのならば、今回の長期航宙の記録はきっと役立つことだろう。
全乗組員……トシゾーと私も含めて、A2デッキにある外部ハッチ前に集合した。
「ハッチ開きます」
プシュ……と気密が抜ける音がして、『アンドロメダ―』はほぼ一年ぶりに、『アース』の空気と繋がった。
ゴゴン……とハッチが開き、タラップが架けられる。
「英雄たちに! 敬礼っ!」
っと、出迎えてくれたのは国軍のトップ連中、ファリスやパスカル、トリスタン……そして、奥の方にエミーもいた。
管楽器による勇壮な音楽がドック内部に響き渡る。あら、いつの間にこんな上手な音楽隊が編成されたのかしら。初めて聴く曲だったから、グリテンで作曲されたのかなぁ。大陸から音楽家の亡命も続いているみたいだし、それなら嬉しいわよね。
あれ、エミーの口が四角くなってる。何を驚いているのかなぁ?
「お姉様!」
騎士もビックリするような速度で、後の方にいた女王陛下がジャンプして、私の方にすっ飛んできた。はしたないというか、そんなことをするエミーを今まで見たことがなかった。一応は検疫したとはいえ、まだ隔離されてないといけないのに、手順を全部無視して飛んできた。段取り、段取りが……台無しですよ!
グワッシャン!
と、人と人とが抱き合う擬音とは思えない音が響いて、私はエミーにタックルされて、そのまま抱きかかえられた。
「ぐあっ」
内臓が揺れる。私の乳は揺れなかったけど、ちょっとだけエミーの乳が揺れた気がした。
「お姉様! この髪……!」
「髪?」
ポニーテールが結べるギリギリの長さ。オレンジ色の憎い奴。宇宙に行っている間はロクに手入れもできなかったから、少し傷んでるかしら?
「こんなに真っ白になって……!」
エミーはブワッと大粒の涙を流した。ちゃんと涙が下に落ちるのはいいなぁ、だなんて、余り関係ないことを思いながら、エミーの言葉を反芻した。
「髪が、白い?」
「黒魔女殿が白い髪に……」
近寄ってきたファリスも口を大きく開けている。今すぐに鏡を見られる状況ではないけど、そんなに酷い様子なのかしら。
《!》
どこからかアバターで覗いていたのだろう、他の私たちからも驚きの声が聞こえてきた。ただ、その声には、『エミーに見つかっちゃったよ……』的な、対処に困っているニュアンスが含まれていた。そっか、他の私たちは、月面基地で七番の私の変わり様には気付いていたんだね。放射線の影響か、何が原因かはわからないなぁ。
《…………》
私たちの中には、対処に困っている反面、エミーに七番の私の姿をちゃんと見せておきたかったらしい。なんでも、『アース』を離脱して、天体Xを破壊して、月面基地を整備して、戻ってくるということの想像がつかなかったみたい。それこそ、危機を演出して、『アース』地上のどこかに降り立って……という、どこかのアポロ計画捏造論みたいなことをしてもわからないから、らしい。
でも、それも憔悴しきった私の姿を見て、疑念が払拭されたみたい。
まー、実際に行ってきた私からすれば、それはどうでもいい。とにかく、エミーや他の人も含めて、心配させるのも何だよね。
「これは白いのではなく、銀髪だよ、エミー」
「なっ!」
「ぎっ、銀髪の黒魔女殿も素敵ですっ!」
絶対違う、と思っていそうなファリスが、私のウソに乗っかってくれた。
「うん、どうかな、イメチェンしてみたんだけど……」
エミーの疑わし気な視線が痛い。けれども、私の意も酌んでくれたみたい。
「悪くない……と思います。見慣れたら良いかも……」
「ホント? 嬉しいなぁ」
私もあまり嬉しくない様子で喜ぶフリをする。
ここにいる誰もが、迷宮管理者の憔悴した姿を見て、不安を感じている――――のが伝わってきた。
抱きついているエミーが、顔を上げた。
「お姉様、髪を染めましょう」
二言目がそれかよ、と苦笑してしまう。
「ああ、うん、紫にでもしてみようか」
それでヒョウ柄を着込んだら大阪のおばちゃん認定されそう。
「何でも良いです。帰ってきてくれてよかった」
エミーは無事に、とは言ってくれなかった。そんなに外から見たら衰弱しているように見えるのかな? っていうかさ、航宙期間が長かったんだから、どんなに健康な人でも弱るってば。
あ、弱ってるって認めちゃった。
「うん、ただいま。ただ今戻りました」
――――他に何をすればいいのか思いつかず、精一杯、笑ってみせた。
次話から次章となります。
白くなっちゃった黒魔女ちゃんが次章では………………!