月の兎か、月の蟹か5
【王国暦129年8月20日 14:44】
『グレート・キングダム・オブ・グリテン』ことヤ○ト……が資材を積んで月面基地にやってきたのは、一番が宣言した通り、キッチリ十日後だった。
生体コンピュータに付属している、無駄に高機能な魔導コンピュータ群をフル活用して軌道計算したらしい。私の頭だけでは、こんな計算なんてできないのに、不思議なものだなぁ、と思う。そりゃ、弾道計算なんて、紙と鉛筆だけじゃ何年もかかるか。
資材を降ろして、許容重量一杯のミスリル銀を代わりに積み込み、ジュウゾウたちは帰還していった。ここで交代の乗組員とかを考えないところがなかなかにブラックよね。
一応理由があって、『グレート』の乗組員は長期間対応の航宙訓練を受けていない。可及的速やかに『アース』に戻る必要性があった。北極地下を調査している間、待たせておく訳にもいかないし。
このまま『アンドロメダ―』を月に配備替えすることも考えたんだけど、今のところ月の施設を恒久的に使用するかどうかもわからない。とにかく、人工魔核を作って設置しつつ、地下へ進んでみないと処遇も決められない。
月への訪問が必然だとするなら、きっと意味があるはずだ、と自分に言い聞かせつつ、七番の私は奈落の底へと向かった。
【王国暦129年8月30日 19:27】
月でも地下へ向かえば温度が上昇するのは同じみたい。筒状の施設を、筒に沿って降りているわけで、感覚的には降りている印象はない。筒の中を降りられれば早そうではあるけど……さすがの私も、そこまで冒険野郎ではない。
えーと、一つの施設が大体三キロメトルの高さ、というか深さ。
一番表層にあった施設と同じような位置に動力部屋があったので、石の球を人工魔核に交換しつつ、さらに下へ。もう十回は繰り返してるから、三十キロメトルは降りてきたことになる。各々の筒状施設は上部と底部がシャッターみたいになっていて、開閉できるようになっている。
一層目の底部に設置されていた、例のマツボックリ……は、上方だけではなく下方にも撃てるようになっていた。
暑くなっている――――ということは、実際には月の内部は冷え固まっているわけではないみたい。まだ粘性のあるマグマが残っているのかも。
下方に向けてレーザーを撃ち込むのは、何を目的にしているのか、と言えば、きっと、それはテラフォーミングじゃなかろうか。マグマを融解させて、温度と粘度を取り戻させる。レーザー推進装置である、という推察よりも、こちらの方が自然に思えた。となると、この施設が筒状になっているのは、マグマの通り道を確保するためではないのか。つまり火口、ということなのかな……。
「私は今、耐熱スーツ一丁で、火口を降りているってわけか……」
十分に冒険野郎だなぁ、と苦笑い。
十一個目の石の球を人工魔核に交換し、その施設を掌握する。
「んっ?」
掌握直後には、施設のマップに相当するものが頭に入ってくる。
それによると、この施設より深い場所には何もない。この施設の底部こそが、深遠なる穴の底なのだ。
こんな時は温泉卵でも作りたいところだけど……残念ながら鶏卵を持ってきていない。それでも私は穴の底がどうなっているのか見てみたい欲求に駆られた。
【王国暦129年8月30日 20:47】
あっつい。暑いわー。
シャッターを開けたところ、眼下の半キロメトル下から、熱気が湧いてきた。これが月のマグマ、深さから言えばマントルに相当するんだろう。
穴の底は真っ赤なマグマ、みたいなのを想像してたんだけど、ある程度冷えているようで、その表面は黒い。アスファルトみたい。
ちょっと気になったのは、その中央部に、すり鉢状の渦巻き? みたいなものがあったこと。
「なんだろ?」
《ワープゲート》
《ブラックホール》
《ワームホール》
《フォールドゲート》
《時の狭間》
《かゆいの》
うん、私もそう思った。痒くはないけど。
すり鉢の中央は禍々しく螺旋状に蠢いていて、そこに吸い込まれた先が得体の知れない場所なのではないか――――という妄想が正しいような気がする。
冒険野郎の私であっても、この中には飛び込めない。入っちゃいけないと本能が訴えかけている。っていうか瞬時に溶けるのは、子供でも見てわかる。
というわけで、球体アバターにチェンジしてから、渦巻きに飛び込んでみることにした。
渦巻きの出口に、『銀の鍵』がないと開かない扉がある、だなんてことがありませんように。
「とうっ!」
アバターを投げつつ、チェンジしつつ、私は渦巻きの中央に落ちていった。
【?年?月?日 ??:??】
どのくらいの時間が経過したのかはわからない。
飛び込んだ先は真っ暗で、反響する音もない。これがブラックホールの中なのかしら!
ソナーの探針音を鳴らしてみるも、音は返ってこない。穴に入るまでは周辺温度も検知できていたのに、ここでは何も感じられない。
センサーの故障ではなさそう。というのは魔力だけは感じられたから。細々と、外にいる私とリンクがされているのを感じる。どういう理屈か、その繋がりは制限されたもののようで――――。私と迷宮とのリンクの証拠である『時計』スキルが発動していない。
時間の概念がない場所だとか……?
確かに、ピンも返ってこないから、ここが空間だとすれば、とても広大な空間だろう。
んー、まあ、こんな場所だから、人なんかいないよなぁ……。
「ない。人では」
と、どこからともなく声? がした。それはちゃんとした音ではなく、もう少し曖昧な……頭の中で鳴っているような、意思が直接伝わってくるような感覚がある。柔らかい物腰で、敵対的ではなさそうだけど、誰なんだろうね?
「その通り。私は。ない。敵では」
あらどうも、ご丁寧に。私は――――。
「私が。貴方を。呼んだ。この世界に」
えっ、じゃあ、神様みたいな?
「否。神。ではない」
ええと、『使徒』の上位存在でいらっしゃる?
「是。下位管理者。から見れば。上位管理者。私は」
ああ、そうだっけ、『使徒』って自称なんだっけ。ところであなた様の、お名前のようなものは?
「名前。個体名。ない。私には」
無いんですか……そうですか……。あれ、個体名じゃない名前ならあるのかしら?
「…………ジェネシス。個体名では。ない」
あれ、言い淀んだね。個体名じゃないということは……製造番号みたいなのがあるとか?
「何を。指しているのか。不明」
ありゃ、神様が混乱しているのかな? 困惑が伝わってくる。
「本題」
仕切り直したらしい。と同時に焦りも伝わってくる。さっさと本題に入るぞ、ということかしら。
「下位管理者。から要望。接触。貴方に」
どういうことかしら……。
「下位管理者。選定」
ああ、アマンダがそうだったように、生前に承認を受けるものなんだねぇ。私は神様、じゃない、ジェネシスのお眼鏡に適ったのかしらね?
「貴方の。下位管理者。承認。生命力。枯渇したら」
なるほど、私の死後は『使徒』になると。承認されるのは構いませんけども……。
「一方で否。上位管理者権限。付与」
よくわかんないけど、下位管理者の権限だけじゃなくて、ジェネシス相当の権限も頂けるということ?
「概ね是。報酬。以前の貴方と。契約」
え、初対面じゃないの……? 会ったことがある? いや、そんな記憶はないんだけど……。
「世界間の移動。貴方は。四回目」
はっ?
「前回。希望した。報酬」
えええと? 私ってば前世だけじゃなくて、あと二回も前世があると仰る? 前々々世があると!
「是。知識。抽出。可能なものが。付与。それ以外。初期化。理」
言葉が断片的なので……ちょっと並べてみると、『知識として抽出可能な記憶』が付与されて、それ以外は初期化されるのが理だ、と言っているみたい。それってスキルのことじゃなくて?
「概ね是」
概ねそうらしい。そうじゃないスキル、もしくはスキル外スキルもあるって言いたいわけね。サルベージされなかった記憶は初期化されちゃったので覚えてない、ってことかしら。
「概ね是」
どうやら私は優秀な生徒らしい。ジェネシスから受ける感触から歓喜が混じる。
で……。
権限を頂くのは吝かじゃないんだけど、前世の私が望んだ報酬って?
「貴方は。世界の。真実を。見たい。希望。条件。承認。満たしたら」
私が『世界』とやらの真実を見たい、と欲したので、ジェネシスの方で条件を出して、それが満たされたらいいよ、と承認していたらしい。
ここでいう『真実』っていうのは何だろう?
「私も。知りたい」
意味わかんない……。ジェネシスでさえ知らない真実とやらを、私に見てこい、ってこと?
「概ね是」
何らかの理由があって、ジェネシスは動けないか、自分で見ることができないんだろうか。それで、私の希望とやらに、報酬の形で乗っかったと。
「是」
ほうほう。それは私の死後、ということでいいのかしら。どっちにせよ、このままじゃ『使徒』にもなれないわけだし。
「是。貴方の。死後。下位管理者。就任後。上位管理者。権限」
死後、というのは、私の生体部分が死滅した時のことかしら。
「是」
それは不死者になったとしても?
「否。生体の消滅後」
不死者は死んでいる状態とは言えないんだね……。要するに不死者になろうが、今の肉体が消滅して魂が抜けたら、最終的に死亡、って認定されるのね。
「是」
ああ、生体コンピュータはどうなるんだろう? 彼らの死も含まれるの?
「否。既に。別個体」
彼らは関係なし、と。良かった良かった。
そうだ、私とジェネシスの面談? は『使徒』の要望でもあったわけよね。彼らにとってはどういうメリットがあったのか、詳細はわかる?
「救助要請。この世界の。下位管理者。三つの個体。一つの個体。存在意義。揺らぎ。不安定。配置換え。検討中。早急。対応。必要性高」
あー、下位管理者であるところの『使徒』三体のうち、一体には存在意義が薄れるほどに不安定になっていて、配置換えを早急に検討しなければならない必要性が高まり、ジェネシスも対応せざるを得ない状況だと。
「概ね是」
『使徒』三体のうち、不安定な個体? 以外の面子から救助要請があった、で合ってる?
「是」
っていうか、『使徒』も不安定になるんだねぇ。
「概ね。貴方に。責あり」
私のせいなんだ? 何でよ?
「数多の。粛清手段が。通じず」
そりゃ、降りかかる火の粉は払うに決まってるでしょうに。仮に私にそんな力がなかったとしても、甘んじて粛清されてやるほど、私は良い子チャンじゃないわよ?
「既知。承知。私が。送り込んだ」
じゃあ、ジェネシスは、『使徒』の一個体がそうなる、って知ってて、私を呼び込んだわけね。
「是。該当。下位管理者。個体。学習機会」
あたしゃ『使徒』の教育ネタだったわけか……。ネタとして暗殺をさせられたり、逆に殺されかかったりされてたと。それに関して言うことはあるのかね?
「皆無。貴方は。死なない」
まあ、『不死』ってスキルはあるけどさ……。このスキルの習得はマッコーがそういう風に召喚魔法陣を描いたから――――。
「否。私が。下位管理者を。通じて。指示」
ということは、元凶は『使徒』じゃなくて……ジェネシス、アンタか……。
「概ね是。貴方に。必要な。スキル。付与。手順」
世界の真実とやらに到達するために必要なスキルを付与する、手順のようなものだった、と言いたいわけね。それは理解したわよ。そう考えると色々と納得できるというか、怒る気も失せるものね。
ああ、『条件』を満たしたとも言ったよね。私は何を満たしたんだろう?
「この世界で。私に。遭遇」
たった今、満たしたということね。その意味で、この施設は保全しておいた方がいいのかしら。
「否。必要性なし。遭遇地点。臨時。既に。権限取得」
この邂逅は臨時のアクセスポイントによってされているわけね。この筒状施設を維持するのは大変そうだから放棄してもいい、って言われてるのは助かる。
既に権限は付与されているから、私の死亡は、イコール『使徒』への移行になる。排除しようとしていた『使徒』からみれば、もう手出しできないわけか。
こりゃあいい。残された時間は少ないかもしれないけれど、今以上に好き放題出来るじゃないか。ここは宇宙世紀の機動兵器を実現するしか……。
「接続。終了。後日。会う。思い出す」
え、終わり? 後日に会った時に思い出す……って何を?
私の問いは暗闇に沈み、そして意識も薄れ………………。全てが闇に包まれた。
【王国暦129年8月30日 20:48】
《おおーい、七番、大丈夫かー!?》
「んんん……」
《ああ、良かった。短時間だけど私たちのリンクが解除されちゃった》
《心配した。繋がってないのは恐怖だなぁ》
《生の私がいなくなった時に備えての環境作りも進めないとなぁ》
《無事だったか、七番》
《何があったよ?》
「ん? 気を失ってたりした?」
《多分そう。アバターを投げた直後からリンクが途絶えた》
「うーん? 何か重要なことがあったような気が……」
《中はどうなってた?》
「覚えてない……かも?」
時間を見ると一分ほどしか経過していない。その間、気を失ってたみたい。記憶があやふやどころか……んんん、何があったのか……覚えてない……。
《中はやっぱり他の時空に繋がってるんだよ》
《それでリンクが切れたのかもしれないね》
《何にせよ、七番が無事で良かったよ》
《あれ、渦巻きが止まってるような……?》
《ほんとだ。謎だけが残った……っていうと詩人っぽい?》
《渦巻きや、マグマ染み入る魔女の声》
「五点。私たちに詩人のセンスは無いわよ」
《あっはっは》
《いやあ、厳しいねぇ》
《恋をすれば、詩人になれるかな?》
《脳と脳幹だけの私たちに恋の予感?》
《ゴーストが囁くなら、細胞一つにだって恋の権利はあるものさ》
《恋の……権利ねぇ……》
「んんんっ。暑いわ。退散することにするよ」
《うん、そうして。ここはどうしようか?》
《保全して防衛部隊を置くのもなぁ……》
《見つからないようにした方がよくない?》
《じゃあ、消磁して封印?》
《将来的にはそれがいいと思う》
《テラフォーミングするには月は小さすぎるしね》
《熱源にはいいんだろうけどねぇ……》
「ま、とにかく、各々の筒状迷宮を連結して、まとめて管理できるようにしておくよ。その上で消磁のための施設を設置してみる。金属の採掘はどうしようか?」
《有望な鉱脈はありそう?》
《筒状迷宮の外側にある。最深部に近いほど豊富にあるね。ノーム爺さんによればかなりの量》
《つまりカーゴシャトルの建造は不可避》
《シャトルそのものも解体して素材にできるようにすればいいんじゃないの?》
《それなら建造は月でやれば済むか》
《建造施設の建設や採掘は魔物かグラスメイドにやらせるようにしようよ》
「そうだねぇ、そろそろ体がキツイし……」
《ほら、七番が弱音を吐いちゃった》
《わかった、わかった。巨人とグレイを量産しよう》
《華山群狼拳を習得させようぜ!》
《牙一族って名付けようぜ……》
《資材は揃ってるし、七番が無事に『アース』に戻れるように準備始めようよ》
《グリテンから一番遠い鉱山、ね》
「それで無為な争いが減るならいいじゃない。歴史を変えようよ」
七番が良い事言った、と他の六人の私から賛辞を貰った。
私は耐熱服のヘルメット越しに頭を掻きながら照れて、遥か上層にある天を見上げた。
――――地上に出たら、記念にムーンウォークをしておこうと思う。フォーッ!