※月の兎か、月の蟹か4
【王国暦129年8月4日 9:24】
実のところ、この月の北極に空いた大穴は、謎の松笠部分よりも下に続いている。
私が迷宮として掌握したのは、その表層部分に過ぎないのだとわかった。
「うーん、深さが想像できないのよね……」
つまり、筒状の『迷宮っぽいもの』が、延々と地下に向けて続いている。もしかしたら、月の中心部まで続いているのでは? いや、まさかねぇ?
《探査用のアバター、いや、プローブでいいか。作ればいいじゃないか。素材はあるんだし》
《中心まで通ってるとしても八百キロメトルくらいだね》
《土圧はないとして、問題があるとすれば気圧か》
《空気は薄いし、重力も低そう。普通に生体が活動できそうだけど》
《いや、無重力じゃね?》
《星の中心とか。何が起こるんだろうねぇ!》
「んー、そこに行くまでに重力の影響は受けそう」
《途中から体重は軽くなるかな》
《中心まで詰まっているなら、って前提だけどね》
《えーっと、万有引力の法則からすると……》
《要するに月の半径は『アース』の1/4、質量が1/100。計算すると0.16倍の重力=引力だから大体1/6》
《密度が同じ、って前提とすれば、月の内部はどこに行っても1/6で変わらないことになるけど》
《んにゃ、比較にならないくらい月のが軽い。『アース』は中心部が異常に重い構造になってるはず》
「じゃあ、月の成り立ちはジャイアントインパクト説で正解ってことなのかな?」
《『アース』のマントル並みの軽さだから、そうかもね》
《原始地球に火星サイズの天体が絶妙な角度で衝突した、ってやつね》
《それで剥がされたマントルがまとまったものが月である、と?》
《マントルって、何だか響きが嫌らしい……》
《なんでトルコ風呂って呼ばれてたんだろ?》
《さあ?》
「じゃあ重力中心点がどこにあるか、にも依るのか」
《強引に話を戻したね》
《うん、密度は平均的じゃない、ってわかってるのに、天体としてはそうしないと算出できないもん》
《それでもまあ、重い金属ほど中心近くにあるはずだから》
《金銀、ウラン、レアメタルがザクザクあるはず》
《その意味では中心部に近づくほど密度は平均的になるのか》
《ちょっとだけね。大体、金属は遍在してるはずだよ?》
「製錬施設がないと持ち帰れないなぁ……」
《宇宙人の施設を利用できないかな?》
《炉はあるけど、あれって砂専用じゃない?》
《んー、雑多な素材を投入しない方が良さそうではある》
《耐熱煉瓦は……無理かな?》
《残念ながら粘土が見つかってない》
《砂と岩はあるけど、土がないのよね》
「謎金属を加工して坩堝にすればいいんだけどね」
《面倒臭いわけね》
《わからないでもない》
《でも、一度帰還してからもう一回月面に来る手間を考えるとなぁ》
《それでも最低限、製錬してからじゃないと》
《ノーム爺さんに頼めば粘土だって出来るでしょうに》
《輸送船を造りたいだけなんじゃない?》
「うっ、否定できない……」
《まあまあ。それは貴重な資源を発見してから考えようよ》
《うん、獲らぬタヌキの何とやらだよ》
《まずは調査しようよ》
《ここは球体アバターを作るのに一票》
《浮上できた方がよくない?》
《底に行って安定するまでに何が起こるかわかんないなぁ》
「中心に近づけば軽くなる。そりゃそうだ。ええと、私の体重が……」
《ああっ、乙女の尊厳のために、ここでは言わないでおこう》
《そもそも1/6だから。今二十キロくらい?》
《いや、もうちょっと軽いはず。十七キロ弱》
《やめてあげて! もう七番のライフはゼロよ!》
《書架で調べてきた。元の世界で言う、中東地域にある公衆浴場のことだってさ。日本に於いては男性の客に女性の垢擦り師をつけたサービスが、売春防止法によって困窮していた性風俗産業と結びついちゃったのが固定化したそうな》
《調べてきたのかよ!》
「それよりは熱さ対策が必要じゃないか?」
《みんな、スルーしないで一番の努力を認めてあげようよ……》
《特殊浴場のことなんて、しらなーい》
《私のくせにカマトトぶって!》
《ソープランド、ソープランド》
《サイクリング?》
《いやいやいやいや》
「うう……みんな真面目に答えてくれよう」
《ごめんごめん、泣かないでくれよ七番。月は完全に冷えてるわけじゃないよね?》
《多分ね。でも、掘ってみないとわかんない》
《宇宙人ってば、掘れる部分まで掘ったのかな?》
《埋め込んだんじゃないかな、こう、筒をさ》
《ケーソン工法みたいな?》
《そうそう。宇宙人のやることはわかんないけどさ》
「それにしても、宇宙に『使徒』の痕跡といえば、ミスリル銀スライムくらいのもので、それも直接関与をしていた証拠はなし。宇宙人? はいったい、この世界にどう関わってくるのかも不明。かえって謎が深まっちゃった気もするのよね」
《この施設の謎を解けば、少しはわかることがあるんじゃないかなぁ》
《粘土より何より、人工魔核用の皮が、月面の施設では作れないからなぁ……》
《『グレート』は結局出発させてないんだっけ》
《うん、途中でキャンセルしてる》
《じゃあ、皮をたくさん持たせて月に運ぼう》
《少しでもミスリル銀を持ち帰ってくれれば『アンドロメダ―』が楽になるしね》
「んじゃ、月面北極迷宮? を深部まで掌握して、何があるか判明したら帰る」
《その辺りが妥当なところだろうねー》
《『グレート』は十日後に現地着くらいのスケジュールで組むよー》
《どうせ後日、『グレート』にもバリュート付けるんだよね? なら、月面で装着しちゃえば?》
《いや、それだと七号の帰着が遅れすぎる。エミーに怒られる》
《うーん、まあ、確かに……。せめてスライム粉とグラスメイド素体、粘土、溶鉱炉の資材やら、一般迷宮用の資材も運ばせるよ》
《あとは植物の種だね》
「ん、テラフォーミングするの?」
《ガラスも作れるし、迷宮用の製造施設を持参すれば、あとは自然に酸素が満ちるような仕組みを備えた方がいいかもね》
《水もなぁ……合成すりゃいいんだけどね……》
《南極も見てみないとダメだね。氷があると話が早い》
《結局、ある程度は開発したくなっちゃうね》
《それにしても七号の生体への負担を考えると、可能な限り、月面への滞在期間は短くした方がいいと思う》
《出発して一年超か……。『使徒』め、婉曲な嫌がらせだと思うけど、なかなか効果的なのも確か》
「んー、確かに……。生体コンピュータで実質の分体をしていなければ、『アース』に私が不在の状況を作れたし、無重力の長期航宙で弱体化も狙える……」
《『使徒』はこの状況で、何をしようとしてたのかな?》
《勇者召喚の兆候はなし、と言いたいんだけど……》
《元の世界で言うと東欧、ウィーン辺りになるのかな。そこで兆候があった》
《結論から言うと、勝手に潰れた》
《ちょっと不自然だよね》
《他も見落としてる可能性がある》
「なりふり構ってないねぇ」
《やっぱりね、私を排除しようとしている『使徒』と、何らかの目的があって誘導している『使徒』がいるよね》
《天体Xの件は私たちを攻撃するようでいて――――》
《処理される前提で、何かをさせようとしているようにも見える》
《結果的にはまたまた強化されちゃったわけだしね》
《強化と弱体化を同時に狙ってる矛盾……》
《それが何かはわからないけど、連中が仕掛けてくることには意味があるだろうね》
「月に来ることも、そうなのかな?」
《えっ?》
《どうだろう? 月を調べようっていうのは私たちの総意ではあるけど……》
《趣味と言えなくはない……。けど、私が見逃さないのも確かね》
《ということは、私という人物の行動をよく見て、知悉している人物であれば――――》
《月に寄るだろう、ことは……想像がつく》
《アマンダが『使徒』なのだから、向こうには軍師がいるに等しい》
「アマンダと月の話なんてしたこと、あったかなぁ……?」
《灯り窓から月を見上げた記憶はある》
《トーマス商店の屋根裏部屋での話だよね?》
《ミスリル銀スライムを倒した後、大量のミスリル銀を抱えて途方に暮れるのも想定済みとすれば》
《どこかに寄ることを考えるとすれば》
《『アース』に近く、重力の低い月に寄る。事前に準備していなかったとしても、寄るね》
《じゃあ、何だい、天体X騒ぎは、月に私を寄らせるための方便でしかなかった?》
グルグル回る思考は、七人いても、ちっともまとまらなかった。
それも当たり前のことで、私は私以上にはなれないのだ。
ただ、この月旅行さえ仕組まれていたんじゃないか、と思うと、見えない『使徒』のやり口に腹が立ち――――。
「ここの最深部を見てやろうじゃないか」
――――拳に力を込めて、宙に向かって……いや、月の中心に向けて啖呵を切った。




