月の兎か、月の蟹か3
【王国暦129年7月24日 7:53】
『ルナタンク』を降りて卵バスの脇に立つ。大きなドアはそのままでは開かず、床下にあるレバーを引くと、プシュ……と空気が排出される音がして、手動で開けるようになった。
中に入ってみると……デッキがあり、そこにも扉があった。客室内には巨人用の椅子と思われるものが片側一列に四脚、それが両側にあるので八席。デッキの反対側に運転席と思われる椅子が中央に一つ。
「ワンマンバスじゃないか」
つい整理券発行機を探してしまうけど、当たり前ながら何も無い。デッキで客室を区切っているのは砂対策だろうか。ちょっと厳寒地区の鉄道車両にある雪切り室を思い出しちゃう。
運転席にはスクリーンパネルが一つと、幾つかのボタン。方向舵のようなものはない。もしかしてボタンで全ての操作をするのかしら。インベーダーゲームのアップライト筐体みたいな? 前面は……恐らく、これもガラスだったんだろうけど、劣化していて曇り、石になっている。
「うーん」
運転席にも客席にも、何かがいた痕跡はない。ただ椅子のサイズが大きいことが痕跡といえば痕跡か。
一度外に出てみて、床下を見てみるも、動力や推進方法がイマイチわからない。何しろ車輪がないし、ホバークラフトってわけでもない。
これは……持ち帰って分解だな!
「よいしょっと」
このまま『道具箱』に入れてしまう。
「おおっ、さすがマスター、『サナダ・サーン』です」
よくわからない褒められ方をして、微妙な気分になりながら、施設の方に視線を移す。
「入ってみよう」
円筒形の底から一段上がった――――窪みにある小さな宇宙港。その対面に位置する場所には、よく見れば色が違う場所がある。卵バスの前面ガラスと似た感じがするから、何らかの部屋、普通に考えれば操作室とかそんなのだろう。
今いる場所の内壁にはシャッターらしきものが引き上げられた状態で、施設に入る場所では、逆にシャッターが降りていた。開閉ボタンなんて見当たらないから途方に暮れていたけれど……。
《破ればいいんじゃよ?》
というノーム爺さんの勇ましい一言で、最小限の穴を空けることにした。妙に固い……。これも、あの謎金属か。
ビョウッ、と空気が漏れる。
「急いで入ってちょうだい」
ハッカとムソゴローに手招きしつつ、先に入ると。
「わっぷ」
何かにぶつかり、驚いた私は盛大に転んだ。
【王国暦129年7月24日 8:20】
「マスター?」
「いたたた……」
低重力でも痛いものは痛い。
くっそ、何にぶつかったのかしら……。『暗視』を行使して見てみると、それは――――ゴブリン――――に似た生物の干物だった。
「ちょっと色が違いますね」
ハッカの言う通り、通常のゴブリンは緑色の肌をしている。普通のゴブリンなら裸なんだけど、このミイラはピッチリとした服を着ていたみたい。うん、ピチピチなのにカサカサなんだぜぇ。
暗視映像なので正確なところはわからないけど、これは多分灰色の肌をしている。それに、子鬼ではなく、グレイと言った方がしっくりくる造形をしていた。両種が近縁種だ、と言われても、納得できるかなぁ……。案外ゴブリンって筋肉質で、一部の地域では可食魔物として割とポピュラーなんだと。どう調理しても美味しくないんだけどねぇ。対してグレイは細身で肉があまりないようにも見える。ミイラじゃなければ、それなりに肉があるのかしら? 食べたいとは思わないけどね……。
「しかし、この数……不死者ですか?」
ムソゴローが警戒を解かずに訊いてくる。彼らには『鑑定』のスキルはない。
「いや、普通のミイラだね。自然にできたものだと思う。――――『遺伝子改良』」
スキルを発動してみる。このスキルは本来改変するためのスキルだけど、遺伝子の比較にも使える。それによれば……ゴブリンと近縁種には違いなかった。イノシシとブタ程度には違う、という感じ。
パッと見で通路らしき場所に散見されるグレイのミイラは十体ほど。そのどれもが四肢を広げた、変な格好のまま固まっている。
ここは低いながらも重力があるので、それらが床に伏せた状態で散乱している様は、ちょっとしたホラーだ。
入り口のシャッターに空けた穴を元通りの形に成形して塞ぐ。溶接はイフリートの専門ということで。
《全くよォ、便利屋扱いかよォ?》
「まあまあ。こんなに溶接が美しいのは、イフリートのお陰! さすがだよね!」
《はっ、褒めても何も出ねぇぞぉ?》
この場合もヤンデレなのかなぁ。
【王国暦129年7月24日 9:15】
侵入した場所から見ると丁度反対側になる部屋に辿り着くまでに、グレイのミイラとは二十体くらい遭遇した。円周型の廊下を歩き、シャッターを開ける度に出会う。一応、ここって空気があるんだけど、十分に酸素があるわけじゃないのよね。ほとんどが窒素で……。
「なるほど」
制御室らしき部屋に辿り着くと、その部屋に通じるシャッターだけは黒く焦げていた。火災があり、それを消火しようとしたのだろう。窒素が充満しているのはそのせいで、グレイのミイラが量産されて、しかも保存状態がいい理由もここにあるわけね。
黒いシャッターを開けると――――。
「魔物っ?」
ハッカが叫ぶ。君も間違いなく魔物だけどね。もはやそういう意識がないんだなぁ、と感慨深げに思いながら、叫んだ対象を見やる。
制御室らしき部屋の、通路側に相当する区画に、身長二メトルほどの、黒焦げた死体があった。死体はヘルメットを被っていて、これもまたピッチリした銀色のスーツを着ていた。
「ん……」
注意深くヘルメットのバイザーを上げてみると、苦悶の表情で大口を開けたミイラの顔が見えた。
「魔物じゃなくて……肌の色からすると……大柄なヒューマン、かなぁ」
恐らくは褐色、黒人に近い色の皮膚だと想像された。少々野性味があるけど……これは普通に人間じゃなかろうか。
その辺りにあった板切れで、巨人の皮膚を少し削る。
「――――『遺伝子改良』」
スキルを発動して調べてみる。辛うじて魔物ではあるものの…………ヒューマンに近いかもしれない。これも、イノシシとブタ程度の差で、同一種というには無理があるけど、近縁種には違いなかった。
「彼らは何者なのでしょうか?」
ムソゴローが訊く。
「遠いご先祖様かもしれないよ?」
「えっ?」
「その可能性もあるってこと。時系列的には『アース』にあった宇宙船の残骸と同年代か、こっちの方がちょっと古いみたいだし」
「はぁ」
ハッカもムソゴローも、こういった知識を学んでいないので、生返事。その代わり、感覚を共有していた、他の私たちから大興奮が伝わってきた。
《宇宙人は人間だった!》
《ゴブリンはグレイだった!》
《培養施設はないのかな?》
《それより、その変な施設の掌握が先じゃないかな?》
《その施設は何なんだろうねぇ?》
《マツボックリの中を見ないと判断材料がないねぇ》
「確かに、この階層だけじゃないだろうから、施設の管理権限を掌握した方が調査は捗りそう」
《持参した人工魔核だけじゃ足りない?》
《大出力の何かを運用するための施設なら足りないかも》
《巨人は他にもいないのかな?》
《グレイは阪神かなぁ》
《オール巨人さんは阪神ファンやで?》
《有吉も弟子だったんだよなぁ》
「どうでもいいトリビアはいいとして……。とりあえず魔核を探してみるよ。掌握して、酸素も作れるならそうした方がよさそうだし」
全私からの賛同を得て、私は調査を続けることにした。
【王国暦129年8月3日 6:36】
「これで……よし、と」
十日近く探索をして、石の球を発見、人工魔核と交換して、宇宙港と同様に迷宮として掌握してしまう。
《翻訳作業、こっちにも回していいよ》
《宇宙船のコックピットから得られてる文字列も加味しておくから》
《宇宙港の方もアップデートしておく》
《クレイトンが少し読めるみたい。手伝わせよう》
《ロゼッタストーンでもあったのかな?》
《ロンデニオン東迷宮に相当する石板があるんだってさ》
迷宮化が完了したところで、月表面にあった砂を利用して流体ガラスを作り、アバターを数体製作、他の私たちにも手伝ってもらうことにした。さすがは私、どんどん迷宮としての体裁が整っていく。
「マツボックリの中にはレーザー発振装置? みたいな、集束した熱を放出する装置があるみたい」
《出力もそこそこあるけど……》
《方向を変えられないから兵器じゃないよね。何だろう、通信装置?》
《この方向にめぼしい天体はないよ?》
《中継衛星が置かれてるとか?》
《いや、レーザー推進装置じゃないかな?》
《それだ!》
言われて見ればなるほど、恒星間航行用の補助推進装置じゃないか、という結論に達した。発生するエネルギー量は、魔核に貯蓄されていた熱量に由来するので、その用途以外には使えないかも。
問題は、この装置が何を企図して作られたものなのか、ということ。他の恒星系から、ここに飛来した宇宙人が、故郷に帰るために作ったものなのか、それとも『アース』や月で発生した宇宙人が、別の恒星系を目指したものなのか。
「培養槽は発見したけど……」
《かなり規模が大きいねぇ……》
《ここだけで一つの迷宮になりえる規模だね》
《百基近くあって、使えるのはないのか……》
《ン万年前の機械に、そこまで求めちゃいけないよ》
《この機械は再現できなくても、置き換えられた魔法陣を見れば機能は再現できそうだね》
《うん、殆ど同じものだわ。データも残ってるし》
「培養槽のデータからすると、巨人でも阪神でもない存在がいたことになるよね」
《操作パネルの高さから考えるに、通常のヒューマンサイズだね》
《そいつらはどこに行ったんだろうね?》
《そりゃ、『アース』にでしょ》
《そのヒューマンはどこから来たのかな?》
《データによると……培養槽から、だね》
《そのヒューマンを作った存在もいるってことか》
「ヒューマンサイズの存在は複数種類いるってことかな?」
《うん、巨人をリサイズしたヒューマンと、培養槽を操作していたヒューマンがいたはず》
《巨人と阪神も作り出された存在だねぇ。中日ってとこかな?》
《培養槽の操作パネルは背丈の違う存在向けに二系統あったもんね》
《巨人は低重力下で運用される用途で作られたのかな?》
《月面では、そのうちに巨人が主力になったか》
《ヒューマンを巨人にリサイズしたか》
「その後『アース』に降ろすにあたって、元に戻した?」
《直接に降りればよかったんじゃない?》
《できない理由があったんじゃないかなぁ?》
《ワンクッション置かないと入植できなかったとか》
《あり得る話ね。グレイの方はなんだろうね?》
《ミイラは解体してみた?》
《乾燥してるから細菌汚染はないだろうけど、ウィルスが怖いね》
「巨人も阪神も、ライトに浄化してもらいながら解体してみたよ。両方とも消化器官がほとんどない。退化してるっていうか、そもそも作られてない感じ」
《魔力供給のみで生存するように作られていたのか》
《じゃあ、使役するための魔物ってことかな?》
《遺伝的にはゴブリンのベースになったと判断していいと思う》
《『アース』型グレイ=ゴブリンか》
《現地改修型ってことかな》
《時期的にはどうだろう?》
「年代の基点が定まらないからなぁ……」
《辛うじてわかっているのは『アース』に落ちている宇宙船の方が、こっちより新しい、って程度だもんね》
《あの当時、めいちゃんの算出では二千年前から一万年の間、って言ってたね》
《『アース』から月に行ったのか、その逆なのか、わかんないね》
《往復してた、って考えるとどうだろう?》
《月から『アース』に落ちる分にはいいけど、逆は推進システムが問題》
《落下してた宇宙船の方は推進システムが不明なんだっけ?》
「そうそう。エンジンはあったけど、実際に推進する装置が無かった。設置されていた痕跡はあったけどねぇ」
《取れちゃったってことだよね》
《脱落したとして……どうしてそれは地上に落ちてこないのかな?》
《あっはっは、飛んでちゃったとか?》
《それだ!》
《足場もなく飛ぶ空力機関?》
《反重力装置みたいな?》
「じゃあ……その推進装置ってば、今頃は宇宙の果てに?」
《父の名を呼んじゃいそう》
《鉄火巻き食いてえ……》
《ああ、寿司いいね》
《海苔は発見できてるんだっけ?》
《もういっそ、海苔を生産する魔物作ろうよ》
《ワサビの方は順調だよ?》
「魔族領にあったやつね。うん、じゃあ、そっちは帰還したあとに行くよ。思いっきり和風建築なんだっけ?」
《ああ、『ノーチラス』で保護した人たちか》
《大工さんだったしね。武家屋敷みたいになってるよ》
《いいねぇ……。お寺よりずっといい》
《あれはあれで専門があるしね》
《からくりもあるらしいよ?》
《それって忍者屋敷なんじゃないの?》
話題が人類の起源や魔物の起源から……海苔巻き……そして忍者屋敷に飛んでしまったので……。
ああ、謎の推進装置もきっと、そんな感じで遠い空に飛んでいっちゃったのかしら。
――――穴蔵にいると、青い『アース』が恋しいです。




