※黒魔女の平凡な、そして特別な日2
【王国暦127年7月05日 12:33】
この世界では量子なるものは検出できていないので、量子コンピュータの製造は今のところ不可能だと断言して良い。物凄く演算の速い、処理能力の大きいコンピュータ……を作りたいのなら、別段、量子コンピュータに拘ることもない。
並列化した魔導コンピュータを三台、それをまとめるものを一台、それを一組として三組、さらにそれをまとめる一台として合計十三台。全体として一つの魔導コンピュータとして扱うことも可能だし、分けて処理をすることも可能。
これら魔導コンピュータ群は、迷宮管理用に使っているものとは違って、擬似的に人工知能として運用している。これまでに蓄積したノウハウもあるから、分析、予測の能力は飛躍的に向上している。今回の建造で再認識したのは、人工知能はどこまでいってもプログラムであり、自発的に創造的な何かを『考える』のは、やはり苦手だ、ということ。
人工知能的には関連する物事が何か、と『考える』ことはせず、あくまでそれは演算の結果で提示をするだけ。『風が吹けば桶屋が儲かる』に理屈と過程を見出すことはできても、そこから生まれる物語なんて作り出さない。ウィットとかユーモアのセンスは期待できないわけね。
ん、そう考えるとサリーなんてAIみたいだよねぇ。でも、愉快なデザインを出してきたりするんだから、それをしてサリーはAIなんかじゃない、とも言えるか。
ロンデニオン西迷宮に最近完成した、二つ目の『塔』はウルフレース場の近くにある。元々、ウルフレース場そのものが避難施設として作られているので、迷宮の外壁よりも中にあるのは当然のこと。新規の『塔』を建てるのにはちょっとスペースが足りず、北側に向かって、外壁を外に拡張することになった。元々、この外壁は旧政権に対して迷宮の領地を主張するための仕切りだった。今となっては少々の優遇はあれど、ロンデニオン市と国家に対して普通に税金も払っている。
市政上、ここはロンデニオン市の一部と見なされている。結構な人口密度になってきて、迷宮の東側は宿泊施設やマンションが建ち並び、ロンデニオンの他の地区と比較しても飛躍的な速度で開発が進んでいる。
今の内に北側の土地を確保しておこう、というのが表向きの理由で、本当の理由は、迷宮の直下にある施設に触れさせたくないから。全体としては北側に大きく張りだした形で外壁を新たに構築、その中央には大きな池も作った。この池は一見貯水池ながら、底部に隠しドックがある。
この迷宮の魔物たち、特に土木に関係する魔物たちは、土木経験値が多いのに加えて、最近ではあまり拡張もしてなかったので暇だったこと。ノーブルオーク、ノーブルミノタウロスの一大産地なので工事現場を指揮する魔物には事欠かなかったこと。そんな消極的な理由もあって、教育の一環という言い訳をしつつ、突貫工事で整えてもらった。
「お、お嬢様、待ってたんで」
と、池のほとりには、水陸両用モビルスーツ……じゃない、エスモンド・ヘッドが陸上形態で待っていた。
「待たせたね。準備は?」
「整ってるんで」
「よし、じゃあ、連れて行っておくれ」
「はっ!」
私はエスモンドに近づき、後を向いて、そのまま倒れ込んだ。エスモンドはそれを体ごと受け止め、外殻を開き、私を飲み込んでいく。エスモンドの体組織は固めのゲル状で、ひんやりした感触が心地良い。
《げふっ。では、行きますんで》
エスモンドは外に向けて発声したけれども、エスモンドの体内にいる私には、響いて伝わった。
そして、ジャポン、と水の中に落ちる音が響いてきた。外が見えない私はお任せするしかない。
エスモンドの体内は意外にも快適で、特に空気の循環はしていないけれど、数分だからこれで問題ない。隠しドックの、さらにその奥にある隠し扉へ向かって、私たちは移動を開始した。
【王国暦127年7月05日 12:39】
「おえっ。到着しましたんで」
「ご苦労。その場で待機……と言いたいところだけど……何日かになる可能性もある」
エスモンドから吐き出された私は、だだっ広い、空の隠しドックで、必要な日数について懸案する。
「何日でも……待ちますんで」
「じゃあ、十日を目処にしてほしい。十日後のお昼までに連絡がなければ、本迷宮へ戻って、副迷宮管理人に状況を伝えておくれ」
「了解しましたんで。ご武運をお祈りしてますんで」
「うん、ありがとう」
死体を蘇生して魔物にした――――という経緯があるにも拘わらず、エスモンドの忠義厚い発言は、私の胸に心地良く響く。怨敵ラシーンは、これも運命のイタズラか、私のイタズラか、エスモンドと同じく魔道具に封じられている。元の仲良しさんになればいいな、とは思っているけど、普段生活している場所が違うため、現在の二人にはあまり接点がない。ま、エスモンドとすれば暗い過去は忘れて、人魚さんたちと戯れている方が幸福に違いない。
モビルスーツと人魚の間に恋が成立するのか、生殖が可能なのか、ちょっと考えてみる。けど、どう考えても性交そのものが成立しないなぁ、と妄想をやめた。
「主よ」
と、ここで話し掛けてきたのは、肩乗りスライムのランド卿だった。最近ではアクセサリー程度にしか周囲に思われていないけど、私の切り札の一つだもんね。
「ランド卿はここに残ってくれるかしら?」
「こんな儂でも視野を広げてきたのだ。ただの魔物とは言えまい? 役に立てるぞ?」
「いーや、ただの魔物だね。ランド卿はいずれお願いしたいことがあるんだ。だから今はここにいておくれよ」
「うむ、了解した。無事に戻ってくるよう、祈っている」
「うん」
エスモンドとランド卿を残して、隠し扉を開く。まだセキュリティ設定はしてなかったので、ここで一緒にやっておく。もう二回、隠し扉を抜けると、大広間に出た。
「おおおっ……」
脳内では水木一郎兄貴が絶叫している。
この、一見して怪しげな、大破壊を企らんじゃう風の外装。要するに、重力を操る十七番目の護衛ロボットを作らず、仮に作ったとしても怪しげな人工知能を搭載しなければいいのだ。そうすれば十七番目のロボットの反乱も起こらないし、十八番目のロボットと兄弟愛を深めることもないし、南少年とか登場させないし。うっふふふー。
まあ、大破壊なんて企むかもしれないけど、多分やらない。
この外装は実はダミーで、単なるインターフェイスでしかない。
外装にあるメンテナンス用のドアを開けて――――。このドアはダミーだった―――ので、外装そのものを持ち上げて、その隙間から入り込む。
と、中央に空間があり、そこには下に向かって、径の小さな螺旋階段があった。妊娠していたら通れないほどの狭さの階段を、深々と――――具体的には二十五メトル下――――まで下りると魔導コンピュータ群が、整然と輪になっているのが見えた。二棟目の『塔』から得られた魔力の一部が、ここに回されて、この魔導コンピュータは既に稼働状態になっている。
「うん」
特に何も演算していない訳ではなく、恐らくは、天体観測衛星『スターチャイルド』で撮影した画像データの比較をしている。
遠洋航海術の発展と占星術は本来セットになっているのだけど、古代アスリム、古代ロマンに幾つか見られるだけで、占星術があまり発展しているようには見えない。ここまでの画像を検討したところ、太陽に近いところに一つ(これは定かではない)、この星より外側に三つ、恐らく惑星がある。この程度の数だと占星術にならないんじゃなかろうか。外側三つの惑星には、ほぼ確実に複数の衛星があり、幸いと言っていいものか、大きな小惑星帯は内縁部にはなく、あるとすれば外縁部。
なお、アスリム文化圏では月がとても大切らしく、暦は勿論、初期の遠洋航海術はアスリムから伝播している。学術都市ノックスは、持ち帰ったアスリムの叡智を研究するための研究機関が集まった街だった。今となってはそれほど目新しくはないけれども、持ち帰った当初は最先端の知識だったに違いない。綿々と紡がれた星にまつわる話、位置や動き方などは、人工衛星で天体観測を始めるにあたっても重要な教本になった。
私が宇宙を観測する必要性を感じたのは、たとえばブリストの街がクレーターそのものであることなど、隕石落下の可能性を恐れているから。
定期的にやってくる―――――いわゆる彗星は、アスリムの文献もあたって、今のところ周回するものは二つの天体を発見している。『アース』に衝突しそうな軌道を取るものは発見されていないけれど、把握している数が少なすぎて何とも言えない。
とても不思議なことだけれども、『アース』が元の世界の地球に似せて作られているのなら、太陽系の他の惑星も同数、似た感じになっているとばかり思っていたので、この観測結果はちょっと意外。生存可能領域に位置する惑星は『アース』だけだし、その衛星である『月』も、配置こそ似ているものの、やはり別物と言えた。
そういえば、『アース』の地形についても、元の世界と大まかには似ているけれど、細かいところが全然違うというか、雑な印象がある。有り体に言えば作り込んでいない……という感じなのよね。
魔導コンピュータ群で作った疑似AIでも、観察結果は出しても、それが何を示しているのか、ということまでは提示しない。AIの限界と言えるけれど、それはそれでいいんじゃないか、と思う。
魔導コンピュータ群の中央に小さな円形のハッチがあり、今度はそれを開けて、下りていく。ハッチはケーブルの通り道でもあって、下と繋がっている、太い通信ケーブルが背中に当たる。
「ひょおおお」
ここも狭くて下を見るのも窮屈なのだけど、頑張って下を見ると……底が見えない。ハシゴから手を離したらミンチ確定。ここは五十メトルくらいだっけなぁ。
恐る恐るハシゴを下りきると、ヒンヤリした空気が肌に刺さり、水が満たされた小島のような場所に出た。小島はミスリル銀で出来ていて、綺麗な円形をしていた。その円は三箇所あり、それぞれ直径は二十メトルほど。中央にはハシゴに沿って太いケーブルが通っていて、これは直上の魔導コンピュータ群に繋がっている。周囲の水は静かに流れている。この場所はかなり地中深くにあるので、水温は低くはならないはずなのに、やや冷涼に感じるのは、本当に冷却しているから。
このミスリル銀でできた小島の、水没している部分の外側に、巨大な温度管理の魔法陣が設置してあり、この空間の上部に設置してある排水、給水パイプを通じて、直上にある貯水池の水が循環するようになっている。今、この空間には空気があるけれど、全ての作業後、水で満たされることになる。
この小島……構造物は外殻だ。
そして、中にあるものは……培養された脳組織そのものだ。
「やあ、元気にしてたかなー?」
もちろん、話し掛けても、返答はない。実験区画にあった生体コンピュータの試作機である、三号機、四号機、五号機が、そのまま移植されている。外殻の中は三つに仕切られており、仕切り内に一つずつ、生体コンピュータが収められている。
試作段階では頑なに思えるほどに、結局意識は発生せず、まるでこれから使う魔法を待ち望んでいるかのよう。何という行儀の良さ、さすが私の細胞ね!
この施設そのものは既に完成していたんだけど、最後の仕上げの部分を躊躇していたのだ。踏み切らせたのはカメラとの邂逅に間違いない。ホムンクルスな私にも、人間らしい感傷があったんだと自嘲する。
「ふうーっ」
深呼吸を一つ。
今から発動しようとする魔法は、生体の意識を魔道具にコピーする魔法だ。対象者が内包する魔力を根刮ぎ持っていき、記憶と意識を任意の場所に移す。その結果として、対象は死亡する。
単に死亡するだけなら『不死』スキルが働いて普通に復活するけれど、問題なのは『魔力を根刮ぎ』の部分だ。これは『不死』スキルのレベルが上がることを意味する。現在の『不死』レベルは3。
生体コンピュータは三つで一組。もちろん、一つだけでも運用に問題はないけど、三つあると三者間で相談ができるし、各々の負担が減って寿命が延びるし、何しろ寂しくない。
悠久の時を過ごすのだから寂しくないのはとても重要なこと。精神の安定を保つことは、生体コンピュータが意識を持つ以上、メインテーマといっていい。
たとえば、最長寿の魔物の一つ、ロンデニオン西迷宮にいるヴァンパイア・ロードは、配下を教育したり、冒険者狩りを趣向を凝らして楽しんでいたりと、工夫しながら生きている。それも単体ではなく、コミュニケーションが必須であるという環境があってこそ。一人で生きるのはとても辛いことなのだ。
それに比べれば、『不死』レベルが上がることなど些末なこと。
私は、今から私を殺して、私を生む。マイナス、プラスでゼロ? いや、私が増えるんだからプラスなのかな? だから、これは自殺なんかではない。犠牲、とも違う。何だろうか、自分の魂でさえ魔道具の材料に出来ちゃうメンタリティっていうのは、我ながら凄まじい物作りへの執念だと思う。
生きた証をいったい、幾つ作れば、私は気が済むのだろうか。しかし、この生体コンピュータこそは、私がやらねばならないこと。下手をすれば数年しか生きられないホムンクルスが千年生きるなんて……こんなに愉快なことが他にあるだろうか。
何かに逆らったモニュメント。それが生体コンピュータなんだろうか。
「んー、コトはもっと単純なのよね。要は、作りたいから作る。それでいいじゃんか」
自分で解答に行き着く。自問自答する自分に失笑する。
「よしっ」
覚悟完了。自分への言い訳も完了。『道具箱』の中身も全て倉庫やら残土置き場に吐き出してきた。
あとは……やるだけ。
三つある魔法陣台の一つ、三号機に移動し、その中央に立つ。
「――――――――――」
この魔法に名前はない。敢えて名付けるとすれば『魂の複写、及び定着』とでもなるのかしら。
「――――――――――」
ギュルギュル、と体内から魔力が奪われていき、魔法陣は光り輝きながら記述されて、層になって積み重なっていく。この魔法陣自体は元々百メトル単位の大きさで、これを魔法陣台の大きさに合わせると七層になる。それに加えて私の個体に合わせた調整を行うともう六層増えて、合計十三層の、分厚い魔法陣となった。何度も検討したけれども、どうやっても死ぬのは確定だし、どうやっても魔力残量が空になる。術者の全てを持っていく――――のだけど、ユニークスキルがどうなるのかはわからない。仮に、ユニークスキルも持って行かれた場合、『不死』は発動しないので、複写が成功したとしても、生体コンピュータはボッチのまま生きながらえ、私の本体は普通に死ぬ。
「――――――――――」
十三層目の記述が完了した。魔法陣の展開が終わり、あとは最終スイッチを入れるだけ。
「――――――――――」
発動。
「がはっ」
自らの口が血を吐いたのが見えた。
――――そして、世界が暗転した。