カメラの述懐
【王国暦127年6月10日 20:25】
カメラは伏せた目を真っ直ぐに戻して、私を見据えた。
「君の言うことが本当なら、殴るのは無理そう、ということだよね?」
「何らかの素体に入れることは可能みたいなので、それをすれば、受肉した状態になります。それなら殴れますけど、『使徒』と同じ土俵で、『使徒』として殴るのは無理そうですね」
「そうかあ……」
「いつ受肉するのか、なんてわかりません。それに、ホムンクルスの生産施設は現在、完全に私の管理下にあり、製造を禁じています」
「迷宮管理者か……それなら、それは仕方がない。殴るのは諦めることにするよ」
カメラは割とあっさり諦めた。
「『ハーケン』と、チームメンバーの敵を取ろう、ってわけじゃないんですか?」
「チームを殺った実行犯は、拘束して、家族を一人一人生皮剥いで見せつけたしね。フリードリヒは側近と奥さん、子供全部、同じように殺して生き地獄継続中だし。『使徒』に関しては――――好き勝手に命令しやがってこの野郎、って気持ちはあるけどね。『ハーケン』は……………彼は死にたがってた。本人からも聞いたから間違いないよ。良い機会だと喜び勇んで死んでいったのかもしれないね。ああ、僕自身もそうかもしれない。本心がどうなのか、自分でもよくわからないんだよね。未だ、この身体が僕の身体だ、って信じられてないんだ。生きているのが不安なんだよ」
フリードリヒを捨て鉢にさせた張本人は、カメラだったのか。失うものが何もない状態にしちゃったのなら、禍根のある弟たちにフリードリヒの意識が向くのは当然だもんねぇ。
「何というか……プロセアの内戦って、貴方が作り出して、さらに拡大させたんですね」
「僕としてはいつぞやか、ヒーラー勇者を討ち漏らした時の詫びのつもりだったんだけどね。迷惑だったかい?」
私は薄く笑って首を横に振った。状況をわかっていて、律儀に恩を返してくれた相手に言う文句なんかない。カーンの街がプロセアと敵対するのは時間の問題だった――――ってことにしておこう。プロセア帝国の崩壊をかなり早めてしまったような気もするけど、ま、今となっては詮無きこと。
「いえ、これも『使徒』の策略で四方面と同時に戦う羽目に陥ってましたからね。正直助かりました」
「そうだろう、そうだろう。だから僕にパンツを見せてくれてもいいじゃないか」
パンツを見たいのは生来の趣味だろう。だけど、同時に話題を明るい方向へ変えようという気遣いも見えた。カメラはコミュ力の高い変態なのだと私は感心した。
「あー、お約束として、自分のパンツを見て、ハァハァはしなかったんですか?」
「えっ? だって、自分の身体には萌えないよ?」
なるほど、変態性の対象は、自分以外に向いていると。
とりあえず、この人物はレックスに紹介してはいけない。それだけは強く思った。
【王国暦127年6月10日 20:33】
とっておきの紅茶を淹れると、カメラは目を輝かせた。
「さすがは女王陛下の懐刀だね。高級な飲み物を出してくれるね」
「あー、日本茶の方が良かったですか?」
「いいや、それよりはコーヒーが欲しいね」
「タンポポで作った代用コーヒーならありますけど」
「いやいや、それなら紅茶だよ。僕は『おいしい無糖』派でね。おいしいとか自分で言っちゃってるのが恥知らずで良い感じだよ」
午後○紅茶か……。私はレモンティー派だったっけなぁ。
少し話してみると、カメラは日本にいたみたいだ。
「DTPデザイナーだったんですね」
「うん、多分ね。インデザインも使ってたけどね、どうやって使うのかという知識はあれど、それで仕事をした記憶はないけどね」
「ああ、なるほど……」
知識としてはあっても、自分がその仕事をしていた記憶はないのだという。こういう現象は私にもあって、学芸会の歌は覚えていても、学芸会で何をやったのかは覚えていなかったり。卒業式の輪唱は覚えていても、卒業式に出た覚えがない……などなど。
「縦書きに関しては拘りがあるかもしれないね。これはもう呪いだね」
「そうかもしれませんねぇ」
「言葉もさ、今だって日本語で話してるだけなんだけどね。もう意識さえしなくなったよ。ああ、『ハーケン』の中身はドイツ系だね。カリーブルストって知ってるかい?」
「ドイツにしかない、ドイツ人にしか愛されていないという……?」
「そうそう! よく知ってるね! 元の世界にしか存在しない名詞は、そのまま発音されることがあるからね」
「なるほど」
そういう見分け方をしていたのか。私の周囲で言えば、フェイやフレデリカはサブカル系の話題に問題なく付いてきてたから、どう考えても日本人、と決めつけていたけど、外国人、ってケースもあり得るのか。
「僕はこっちに来てからは、元の世界で言うスペインとかポルトガル辺りを担当していてね。トルコ辺りまで遠征したことがあるよ。その時に東洋人のご同業と出会ったこともあるよ」
「えっ?」
言葉の意味が理解できずに訊き直した。
「だからね、僕らみたいに素体に魂? を入れられてるんじゃなくてね。単なるヒューマンだったよ。だからつまり――――」
「召喚した勇者に、邪魔な勇者を排除させていた?」
「そうなんだろうね。僕らホムンクルスは元々、迷宮の防衛システムなんだろう?」
カメラは大袈裟に肩を竦めた。
「よく知ってますね」
「僕のチームは有能なベテラン揃いでね。どこに行くのも一緒だったよ……」
私のこともかなり詳しく知っていたし、そのチームのメンバーであれば、ホムンクルスについて一定の知識があってもおかしくはない。遠い目をしているのは、壊滅したチームを思ってのことか。
私のチームで言えば、フェイなら相当の武力がある。こう言っては本人が鼻高々になるかもしれないけど、剣の師匠の一人だもんね。だから襲われてもどうにか切り抜けそうではある。でも、トーマスやユリアンが襲われたら、守る術は限られる。RPGで言うところの、フェイが『せんし』、ユリアンが『そうりょ』、私が『まほうつかい』で、トーマスは『しょうにん』だからなぁ。手練れ百人に囲まれたら、私以外はやっぱりやられるだろう。
カメラのチームも、そんな感じで大人数の兵と戦ったらしい。宿屋での籠城戦で大立ち回りを続けて、ついに力尽きたのだと。カメラは仲間の武勇伝を寂しそうに語った。
「『使徒』にとって都合のいい勇者がいる一方で、そうじゃない勇者もいると。私たちはそうじゃない方を始末させられてたと」
「『使徒』が排除を決めていた要因や要素っていうのは、この世界にとって害悪かどうか、だとは思うんだよね。ただ、そうなると君なんて、とびっきりの害悪の塊だよね」
悪びれもせずに言うカメラに、事実過ぎて反論できなかった私は、素直に頷いた。
「考えてみれば、罠みたいな『神託』が増えたのは、物作りを本格的に始めた頃からですね。しかも多勢に無勢みたいなやり方をしてきます」
「国を動かしてくるしね。君がそれらを乗り越えられたのは、スキルをコピーする能力のお陰かい?」
「あのう、貴方の『鑑定』でも私のスキルは詳しく見られないんですか?」
「うん、名前は毎回変わってる。今は『ピン・ポン』だね。スキルは文字化けしているのもあるくらいで全くわからない。『鑑定』は自分でも見られるはずだけどダメなのかい?」
「見られません」
「もはや、そういうスキルが『鑑定』を邪魔してるとしか思えないね」
「実害は無いんですけどね。スキル名もわからなければオフにはできないみたいでして」
軽く嘆息した。
「その東洋人とは二回ほど絡んだんだよね。名は煎餅。その時は冗談みたいな名前だと思ったけど、今考えればコードネームのようなものかもしれないね。彼はトルコ辺りよりも東の国について語ってくれたんだよね」
「インドや中国ですか」
この両地域は、グリテンとは非定期ながらも航路が開拓されている。わずかではあるけれど情報が入ってくる。
「紅茶があるということは交易が成立しているってことだよね。僕が聞いたのは国情というか歴史というか」
煎餅氏……本名だったらアラレちゃんを作りそうな名前だけど……が、カメラに語ったのは、中国が統一国家ではない、という話だった。モンゴル帝国や秦に相当する国は過去に存在して、何度か統一はされたものの、すぐに内戦が始まってしまうのだという。どこかで聞いたような話だなぁ……。結果として国土は荒れ果てていて、救世主が出ては腐敗する、を繰り返す。
ここでポイントになっているのは火薬の存在で、どうやら『使徒』は火薬関係を根刮ぎ壊滅させたらしく、戦争の形態として、いまだ騎馬が戦車代わりであったり、スパルタンも有効な戦術だったりしてる。
火薬関係者は魔法関係者でもあったらしく、グリテンのように代替手段としての攻撃魔法が発達しているわけでもないそうな。それで戦争といえば兵隊の数頼みという状況は、先日のカーン防衛戦と差異がないのだという。
「インドは宗教対立が激しく、カースト制度も浸透しているらしいね。発展しているのは宗教的な概念や解釈の技術と、愚民政策のやり方だけ、って話だったね」
領土問題に宗教問題に階級問題。数百年以上も続く争いは、今後も数百年続くんだろうね。ある意味、ここで変化をもたらす存在は外威、となるわけで、功罪の議論はあれど、winーwinの関係として関われたら素敵なことだ。
でも、きっとそうはならない気がする。対等の関係で交易をしても儲からないだろうから。武力を背景にした不平等な交易を強要できるのなら、そうしちゃうだろう。当の私が、それを非難できない。
国情としては、すぐ隣の村と戦争、なんてことを繰り返してるみたいで、その原因が宗教に起因するイデオロギーの違い、だったりするんだと。高尚なんだか野卑なんだかわかんないよね。
「その先の……日本は?」
日本列島が存在することは確認しているし、そこに文明があるのも確認している。
「煎餅は南中国にあった国で召喚されたらしくてね。過去には日本とは交易をしていたそうだよ」
「遣唐使とか遣隋使とかですか?」
「詳細はわからないんだ。話が通じない部分も多くてね」
「煎餅氏は日本人ではなかったとか?」
「いや、中身は日本人だったね。ただ、不思議な知識を持っていたね」
「不思議な知識……?」
カメラによれば、その煎餅氏は、発電用の宇宙ステーションがどうたらとか、量子コンピュータがどうたらとか、そんなことを言っていたそうで、それは空想の産物ではなく、青の都と呼ばれる辺り――――この世界ではイスタンブール――――に実在した、と断言したのだという。
「荒唐無稽な話だとは思うんだけどね、マンガかアニメの話をしているだけかもしれないけどね、実際に建設に参加したとかも言ってた」
カメラは視線を上下に動かしてみせた。宇宙ステーションを表現しているのだろう。まあ、煎餅氏が、駆逐するモビルスーツの話を現実だと勘違いできるほどの夢想家ならば、その話は妄想だ、と断じることはできる。だけど、真実だとすれば、煎餅氏は私やカメラよりも後の時代の人、ってことになる。これが事実なら、召喚されちゃう人、もしくは転生? は同じ時代からピックアップされているのではない、ってことになる。
「眉唾……とは思いますけど、今の私たちの状況だってかなり出鱈目ですから」
「確かにね。真実の可能性はあるね」
「煎餅氏のその後は?」
「わからないんだ。ごめんね」
カメラ自身が頻発するプロセア周辺での活動が多くなり、『ハーケン』のヘルプをすることが多くなったのだという。
「いえ。その、南中国での勇者召喚ですか。他にも勇者召喚が可能な人物、環境はあるんでしょうか?」
カメラは少し考える素振りを見せた。
「総数は不明だね。『ハーケン』は『勇者召喚』スキル持ちを忌み嫌っていたからね。晩年は召喚直後に即殺、みたいなことをしていたよ。もちろん『神託』が出る前にね。何でわかってたか、って? それはね、スキル持ちに張り付いて監視してたからなんだけどね。ま、プロセアにはスキル持ちが一人しかいなかったってだけなんだけどね。挙げ句、諸悪の根源めー! とか言ってスキル持ちを殺しちゃった。ハハハハハハ」
カメラはあまり面白くなさそうに、口元だけで乾いた笑いを漏らした。
「なるほど……『使徒』に明確に逆らったんですね……」
「そうさ。君もだろう? そして生き残っている」
「それはカメラさんも同じでは?」
「僕は、仕込みをするために逃げていただけさ。それに、そろそろ退場みたいだよ。ホラ」
カメラが袖を捲ると、細い腕が見えた。顔にはほうれい線はあれど、皮膚にはそれほど劣化が見えなかったので、余計に細く、違和感がある。
「? 何かの……病気ですか?」
「いや、たぶんね、老化だね。この一年で急に衰えてね。十年ほどで寿命を迎える個体もいるらしいから、僕はまだ長寿な方じゃないかな」
「寿命を延ばす方法はあります」
真っ直ぐにカメラを見て語気を強める。
カメラはフッと自然な笑みを見せて、首を横に振った。全てを悟り、全てを受け入れて、全てを諦めた顔だった。
そうじゃない、そうじゃないよ。
私は頭から湯気が出そうなくらい、カッとなったのが自分でもわかった。
カメラの言葉は理解できるけれど、これは理解しちゃいけない性質のものだ。
私たちホムンクルスは、理解してはいけないのだ。
だからこれは正さなければならない。諦観で満たされた境遇に納得してはいけないのだと。
「いいんだ。『ハーケン』も寿命が近づいていたんだ。僕もそれに倣うとするよ。何より疲れちゃったしね。君も遠からず――――」
カメラの言葉を遮り、私はさらに語気を強める。
「カメラさん、貴方は何かを、この世界に残したいとは思わないんですか?」
「………残す………?」
「そうです。建物、料理、文化、何でもいいんです。この世界に存在した証です。私は作りまくってますよ。死後も生きるつもりでいますから」
「それは豪気なことだね……。しかし……」
「ああ、たとえばパンツですよ。グリテン王国にはパンツの達人がいて――――」
「ほうっ! それは会ってみたいね!」
一瞬で、キラキラと、カメラは精気に溢れた顔になった。
これはこれでカメラを少しでも翻意させられたから良かった、と思う反面、一番紹介しちゃいけない人物と会わせようとしてるんじゃないか……と少しだけ後悔もした。
――――パンツに生きる意味を見出して、カメラ婆(爺?)が復活。