※海峡の直下
【王国暦127年4月18日 13:56】
技術的には可能ではあったものの、その機会もなかったから、やることはない、と思っていた時期がありました。
エマ女王陛下の発想の幾つかは、ロンデニオン西迷宮にあった書架にある書籍を元ネタにしている。だから話自体はあり得る、と覚悟はしていた。だけど実際にオーダーされてみると、難工事に直面したのだった。
「いくよー。――――『掘削』」
ボコッと目の前の泥の壁がなくなる。
「支保工急げ!」
「支えろ!」
ノーブルオーク、ノーブルミノタウロスたちがワラワラとよってたかって、支えを失ったトンネルの断面に支保工を取り付ける。仮止めを終えたところで出水がないかどうかの確認。
「よし、石材を取り付け開始」
「ウィーッス」
誰が始めたか、建設ギルド員に影響されたか、魔物の作業員たちも、この掛け声を常用するようになっている。
で。
この工事は単なるトンネル工事ではない。
トンネルの上、頭上には海が広がっている。つまり、ここは海底の、そのまた下。
「英仏海峡トンネルを掘ることになるとはおもわなんだ……」
ドバ―海峡を横断するトンネルの終着地はカーン。グリテン島と大陸が陸続きになることを目指している。工事は半月前くらいから始まり、地質調査もかなり適当に始めた。適当に始めた理由の一つは、このトンネル空間は迷宮の一部だから。
ドバ―の村はポートマットの衛星村の一つで、ポートマット領主の館から見ると北東にある。それなりに収穫のある、古い農村だ。もうちょっと北にいくと、ペグ、ノブの姉弟が経営していた醸造所があった村がある。彼らも今は拠点をロンデニオン西迷宮に移しちゃってるので、そこにあるのは醤油の業者くらいなものだけど。
まあとにかく、トンネルの入り口をポートマットに近づけるため、ポートマットとドバ―村の中間近くを起点にして、そこから北、つまり海に向けてトンネルの掘削を開始した。
掘削するにあたって、最初にしたことは、ここに新規迷宮を作ることで、ここは『ポートマット東迷宮』と名付けた。塔を同時に二棟建設して、当初は魔物レス迷宮として稼働させる設計。トンネルの区切りがそのまま迷宮の階層に相当するように設定、それがこの、迷宮として作る海底トンネル、というわけ。
工事の進捗状況はといえば、グリテン島側から掘り進んで、間もなくカーンの街、北側に出るところ。地層が変わるため、出水しやすいので注意が必要ね。地中の水溜まりというものは地層の境目にできることが多く、特に現場は海底でもあるので、時折、出水がある。それも単に全部抜いちゃえばいい、というわけではなく、凍らせたり、凝固剤を入れて固めたりしなければならない。陥没の危険性が常にあるというのはある意味ではギャンブルに近い。
それなら適当に掘り進むなよ! とツッコミを受けそうだけど、とりあえず掘ってみないことには地質の変化はわかりにくい。なので、今掘っているのは先導孔であり、開通後はサービストンネルとして使用することになっている。冗長性の向上とリスク回避のため、この後は上下一本ずつ掘る予定。なので、全部で三本掘るんだぜぇ……。
「シールドの展開が終わったら次いくよー。気を抜くな―」
気の抜けた声で、私は魔物たちに声を掛けた。
「ウィーッス!」
魔物たちは律儀に、元気よく返答してくれた。
【王国暦127年5月30日 7:23】
先導孔を掘り終えた足で点検しつつグリテン側に戻り、下り線を掘って点検しつつ戻り、上り線を掘り終えて点検しつつ戻り……。
「ついに掘り終えた!」
「ウィーッス」
疲労の見える魔物作業員たちを労いつつも、厳しい一言を発する。
「まだ、この海峡トンネルは真の完成を見ていない。まだまだ、これからが重要なのだっ!」
「ウイーッス」
「気合いが足りない! が、皆も疲労していることは承知している。今から丸一日は安息日とする。身体を休め、英気を養うように」
「ウィーッス」
「なお、下り線トンネルは魔力吸収を行っていない。壁面から魔力が得られるようにしてある。グリテン側五百メトルの位置を限度に休息せよ」
「ウィーッス」
物凄くブラックな気もするけれど、魔物に対してはお金でもお酒でも食事でも報酬にならない。魔力を与えることだけが、彼らの癒しであり、娯楽であり、糧なのだから。
【王国暦127年6月10日 8:02】
ロンデニオン東迷宮は正方形ではなく、かなり細長い。外から見ると、東北に向けて溝が掘られているかのよう。よく見れば溝は傾斜していて、傾斜の先は石で封印がされている。一見して、これが迷宮だとは思えない。
トンネルの入り口はその封印の奥にあり、傾斜はずっとずっと先まで続くことになる。具体的には海峡の半分辺りまで。
現段階では作業員以外に魔物はおらず、しばらくは国軍が警備を担う。それがどんなに小規模であっても魔物を配置した方がセキュリティ上は都合がいいので、この後はポートマットの冒険者ギルド支部と話し合って、規模を決めてから通常迷宮部分を作っていくつもり。
「正味三ヶ月とは……さすがお姉様」
「うん、世紀のプロジェクトだった。苦労した」
「ちょっと……スケールが大きすぎて……さすが母上としか言いようがありませんな」
「まったくです。海軍に頼らずとも大陸へ輸送が可能となれば、戦略の幅が飛躍的に広がります。これは画期的でもあり、連合国軍にとって大きなアドバンテージになるでしょう」
トンネルが完成したので、見学がてら大陸へ行ってみよう! という、まるで遠足のようなノリで、グリテン連合王国首脳陣の一部が集まっている。残念ながら遠足日和ではなく、小雨の降る、ぐずついた天気だったけれども、見せるのはトンネルだし、あんまり天気は関係ないかなぁ。
内覧会の面子は、エミー、マッコー、ファリスと、リアム・フッカー。この人選はとても面白い。護衛の人間はゴリアテ以下数名と、女王陛下の行幸にしては質素で、これには訳がある。
遠足のようなノリではあるけれど、カーンの街の責任者、つまり町長と密かに顔を合わせておきたいという女王の意向があったから。リアムを連れてきたのは、外交の現場を見せようというマッコーの気遣いらしい。
カーンの街周辺の情勢が安定したことも、エミーの行動を促したみたい。プロセアの内戦は貴族領ごとに分裂、まで進んでしまって、百年、二百年前の状況まで戻った、だなんて揶揄されるほど。
カーンの街はグリテン連合王国軍が駐留しているため、いまだ圧倒的な武力を誇る。今、カーンの街を攻めるのは自殺行為とわかっているのだろう。その意味で派遣軍の撤兵は悪手に違いない。だから公式には撤兵は発表しない。だけどいつまでも精鋭をカーンの街に駐留させておくわけにもいかない。
そこで。
船での撤兵だとバレてしまうので、それ以外の手段で深夜に移動手段があればいいじゃないか、というのがエミーの発想だったらしい。それが海峡トンネルだったということ。
それだけのためにトンネルを掘らせた……わけではなく、迅速に派兵も可能ということで、兵隊の流動性を高めるツールになり得る。着工に至った流れからすると、海峡トンネルは軍事用の性格が強く、しばらくは一般通行には開放できない。ユーロトンネル社の設立はまだまだ先ということね。
よく見れば封印は三箇所あり、左が下りトンネル、中央がサービストンネル、右が上りトンネル。ここでも左側通行は外さない。んー? 大陸は右側通行だって? そんなの大陸側で交差させてよね。私はやんないよ。
で、今回は左側の方へ歩き、封印を解く。っていうか『道具箱』に入れる。
「さ、中へどうぞ」
トンネルの外に警備の者を残し、見学者と護衛を招き入れる。
トンネルは石造りと言えなくもない。いや、もうずばりコンクリートと言っていい質感をしていた。魔法陣付きの半魔鉄鋼を使った鉄筋を中心に、ポートマット西迷宮産の石材で周囲を覆ったもの。例によって部材はノーム爺さんに文句を言われつつ作ってもらい、それを迷宮の一部として強化。外観はシールド工法そのものだけど、物凄く丈夫な構造物になっている。
それでも僅かな隙間から水が染み出てくるので、恒常的な排水作業は欠かせない。
そして――――床には鉄板と軟性スライム板で直接路盤に接続する――――いわゆるスラブ軌道で、鉄製のレールが敷かれていた。このレールも半魔鉄鋼製。コストを考えた時に、この素材はかなり有用なのよね。
《酷使されとるのう……儂……?》
ノーム爺さんによれば、これほどまでに土精霊を使った主はいなかったらしい。
《今まではぶっ壊すだけだったけどよう……何かを作るのも悪かねえな?》
物作りに火精霊を使う存在も珍しいらしい。
一つ言えることは、このトンネルを、同じ仕様で掘るのは、私以外には無理だということ。スラブ軌道でレールを敷くのは、やり方さえわかれば出来るだろうけど、同じ素材ではきっと不可能。それはわかっていたので、面倒だけれども一本だけではなく、三本もトンネルを掘った。将来的に交通量が増えた時、もう一本の上り線を使えばいい。
なお、このレールは一本が五百メトルある、スーパーロングレール。保守と熱膨張対策ね。ついでに列車運行システムは中央制御で、ポートマット東迷宮にあるコントロールルームで監視をしている。まあ、トンネル内を三つの閉塞区間に区切ってるだけなんだけどね。だからトンネルには信号機がない。出発進行、ってパネルに向かって言わなきゃいけないのは、旅情の点ではマイナスかしら。
「お姉様、これ、ケーブルカー……ではないんですね? 大丈夫なんですか?」
中央にケーブルがないし、地下鉄でもない。エミーは目敏くそれを指摘する。単なる鉄道ではないのか、と。
単なる鉄道という定義については論じないけれど、エミーの指摘は間違いではない。
「大丈夫。多分」
あまり確信の持てない表情でエミーに答え、トンネル内を先導する。
少し下ったところには、平坦になっている場所があり、そこには留置されているモノがあった。その脇にはミネルヴァがいて、不機嫌そう。
「……結局手伝わされた……」
うん、褐色の肌なのに隈が目立つもんね。ご苦労様ね。
「ひっ!」
ぬっと暗がりから現れたのは青い機関車だった。
「うん、まあ、驚くよね」
「これは……ゴーレムですか?」
「顔がついているけど、正確にはゴーレムじゃないよ」
タイプ1機関車、と名付けている。煙突もついてるけどダミーで、これはミネルヴァに渡したパワーサプライゴーレム、通称エンジンゴーレムを動力にしたもの。一番単純な使い方である、シリンダー内のピストンを動かして動輪を動かす方式を使っている。トンネル内は今のところ非電化なので、この方式が一番熱も持たず、ゴーレムの保ちもいい。
パワーサプライゴーレムで発電してモーターを使って、それで車両を動かす、なんて方式も考えてたんだけど、台車やバネ、連結器など、他の規格を決める方が大変で、手が回らなかったという事情がある。急遽ミネルヴァを呼びつけて手伝わせた、というわけ。
「どうして、その、目が……?」
「うーん、これはねぇ、何故か直らなかったんだよね」
不思議なことに、何度やっても斜視になってしまう。土地柄だとでも言うのかしら……?
「お姉様……。これで大陸に乗り付けたら、鉄道が一気に拡散しますよ?」
「うん、敵に塩を送るつもりはないから、当面は軍用にしか使わないでほしいなぁ。有蓋車も作っておくから、物資輸送と兵員輸送に活用してほしい」
「母上が楽しそうにしていたので何事かと思えば。こんなものを作っていたとは……」
「さすがに貴賓車を作る時間はなかったので、一般車両に試乗してもらいます。いいかしら?」
「もちろんです。乗ってみたいです」
エミーは好奇心一杯に、目をキラキラさせた。
「さ、皆さんも乗って乗って。カーンの街へ出発しますよー」
今回、客車は三両だけ製造した。トンネル内なのでA-A基準を満たした方が安全、ということで、ステンレス車をいきなり作った。塗装こそ濃紺鉄道色にしたものの、塗装を剥がすと、営団三〇〇〇系の中間車みたいな感じ。台車も二軸を二箇所に、車両と独立した回転が可能なようにした。つまりボギー台車で、軸受けがある。連結器だけはリンク式(ねじ式)で緩衝器つき。そこに違和感があるけど、今回は急拵えなので仕方がない。
本当は木製で、マッチ箱みたいな客車がよかったんだけど、長大なトンネルを通過する車両が燃えやすいなんてあり得ない。すでに元の世界では先人たちが苦労しているのだから、それを糧にすることこそがチートであると、私は力説したい。
「意外に広いですね……。それに椅子が長い………」
エミーの言うとおり、進行方向に対して直角に長い椅子、何故か一車両に扉は三つ、九メトル級の車体……。要するに十八メートル三扉ロングシート。内装は化粧板仕上げ、扇風機がアクセント、中吊り広告はスタンバイ状態。間に合えば女性雑誌の広告を出したかった……。まだそんなもの、この世界にはないけど。
「間もなく出発します。お掛けになってお待ち下さーい」
私はノリノリでタイプ1に向かった。
これからトンネル内を走ることになるのだけど…………。
――――それはまた、別のお話。
森本レオのナレーションが脳内に響きます……。
なお、前面が黄色いのは国内鉄道基準に合わせたもの。