夏のラスゴ2
【王国暦126年9月9日 10:00】
ラスゴスタジアムは収容人数三万人。
我ながらなんと巨大な施設を作っちゃったんだろうかと首を捻る。しかし実際には告知をしまくって入場も無料にしたことから満員で、入場できない人さえいる。住民の数から考えれば五人に一人が来ている勘定になるか。
急造したロンデニオン代表チームと、同じく急造したラスゴ代表チーム。本当は十一月十一日のサッカーの日に開催するべきかな、と思ったんだけど、鉄は熱いうちに打てともいうので、最速のタイミングでの開催となった。
選手が子供を連れてピッチに入ってくる。何とも偽善的だと思うけど、子供が見ても恥ずかしくない、紳士的なプレーをします、という誓いみたいなもの。ここまでやってもラフプレーは出るだろう。だから審判の他に、ラスゴ騎士団も武装済みで待機させている。
サッカーは米語で、フットボールが英語。人類の歴史が始まってから、ある種の、球を蹴る遊びは存在したと言われている。
現在の形式に最も近いのは、元の世界で言えば十五世紀のイタリアにあるとも言われている。イングランドを含めて、ヨーロッパ各地で様々なルール……殺人さえ辞さない乱暴な球技として行われていた。
実際、グリテンでも古い資料を漁ると、ロンデニオン市長が、フットボールを禁じる布告を出したりしている。本当に殺人競技だったわけね。元の世界では、それでも農村部で盛んだったフットボールが、産業革命で都市部に転出するようになって、やがて廃れていったそう。
この世界では産業革命が起こっていないので、いまだ農村部ではフットボールを嗜む素地がある。
そこで統一され、安全に配慮したルールに則り、スポーツとして提示してみた。ここに近代フットボールの歴史が開くのだ―――――。
「国歌斉唱!」
最初に流れたのは魔族領――――国家としての名称は『アスコットランド』――――の国歌だ。バグパイプと太鼓による演奏で、正面にあるオーロラビジョンに歌詞が映し出される。作詞作曲はアスコットランド人と明記されているけど、実はコレ、マリアの姉であるマルタの変名だったりする。その土地の特徴や、住人の気質なんていうのは、住んでいる当人たちよりも、外から見た方が比較しやすいみたい。吟遊詩人として各地を旅していたマルタは、もちろん魔族領にも足を伸ばしていて、十分ほどで作り上げた。彼女は盲目なので、楽譜に起こしたのはマリア。
曲調が何となく、『ブレイブ・スコットランド』に似てるのは、それが自然の流れだったってことなのかなぁ。
これを歌っているのはアスコットランドイレブンの皆さん。野太い声で高らかに歌い上げる様は、勇壮な曲調も相まって、なかなか格好良い。
「グリテン王国国歌斉唱!」
次に流れたのはグリテン王国国歌。これは以前からあったもので、騎士団には伝わっているものの、一般には馴染みがない。ある意味では初お披露目と言える。これを歌うのは盲目の吟遊詩人マルタ。彼女の名前は地味に知っている人が多く、心に染み渡るような歌声が『拡声』によってスタジアム中に広がる。
オオオオオ………。
歌が終わった後、スタジアムにどよめきが走った。上手い歌手が歌うと、どんな歌でも感動できる作品になる。そう、サザエさんを歌った玉置浩○みたいな……。マルタが歌ったことで、実質戦争に負けた相手であるグリテンへの悪感情が幾分か和らいだ気がする。
魔族領――――アスコットランドとグリテン、ウェルズの両王国は、どうやら戦争をしていたらしい……という噂は流れているみたい。だけど公式にはそんなものはなかった、とされている。
グリテンのエマ女王は即位したばかりで、戦争に勝つということは、それだけで国内の人気が急上昇するというのに、特に発表しなかったのだ。これはイアラランドについても同様で、戦争があった、と公表されたのは、実はカステラ王国とだけ。シアン帝国はマティルダが嫁いでいたことから親近感があり、あっさり打ち破った艦隊の正体は謎である、と、表向きにはそうなっている。
無論、公式な……公文書には、どこの誰兵衛がどうなった、くらいは書いてある。ここにまた一つ裏の歴史が存在するというわけね。
今、このスタジアムにいる大半の人間にはインプラントがされていない。アスコットランドに於ける冒険者ギルド組織は立ち上がったばかりで、迷宮への認知度も低く住民の生活に欠かせないほどの存在とはなっていない。ただし、住民登録をする法律が制定され、今後はインプラントが義務化される。
おおよそ三ヶ月、年内には完了させる予定なので、それまでは大人しくグリテンとアスコットランドの融和を図ることになる。
グリテンはともかく、アスコットランドは僻地の平定で騎士団が活動している最中でもある。このスタジアムが短期間で建設されたこと、唐突なフットボール親善試合の開催とを併せると、どちらの立場が弱いのかは一目瞭然、グリテンから援助をされているのは明白だった。
続いての歌はグリテン連合王国のもの。これも作詞はマルタ、作曲はマリアの姉妹だ。歌うのはマリアで、『拡声』を使わなくても地声がスタンドまで届くような圧倒的な声量に、歌ばかりやりやがって、と食傷気味だった観客が黙り込み、歌を聞き逃すまいとピッチの中央に立つハーフエルフに注目する。
グリテン連合王国国歌は、グリテン、ウェルズ、イアラ、アスコットの四国の、それぞれに伝わる民族音楽を併せたような不思議な旋律だった。それでいて軍歌のように勇壮で、一定のリズムを刻み、覚えやすく耳に残りやすい。なのにゆっくり歌うと郷愁を誘うという……。
《おおお、ユニオン、四つの力が一つになああってぇ~♪》
マルタにオーダーしたのは、融和を感じさせ、四カ国の力が必要だと印象づけるような歌詞。マリアにオーダーしたのは四国に伝わる民族音楽の旋律をどこかに使うこと、ABCとメロディを三パートに分け、Cメロをサビにすること。
リテイクを繰り返したけど、いい曲に仕上がったと思う。何となくゲッター○ボっぽいのは、きっと気のせい。
レックスに言って、オルゴールを百台とディスク百枚を増産してもらってるから、アスコットランドの四領に無償配布して街中で流してもらおうかな。オルゴール普及の起爆剤になればいいし、連合王国の融和政策の宣伝にもなる。
マリアの歌が終わり、ルールの軽い説明がある。
① 一チームは十一人で交代は一試合で三人まで
② ゴールに球が入れば得点
③ ピッチ上では足のみがボールに触れられる
④ ゴール前の囲まれたエリア(ペナルティエリア)ではチームで一名のみ、手が使える
⑤ ピッチを示すラインから球が出た場合、出した方ではないチームの球となる
⑥ ⑤の場合、直接ゴールを狙えない(間接フリーキック)。また、足を使えない
⑦ 過度のラフプレーが認められた、または明確なルール違反の場合は『ファウル』となり敵の球となる
⑧ ⑦の場合、リスタートはファウルがあった場所である
⑨ ペナルティエリアでのファウルはペナルティキックとして扱われ、キーパーと一対一でリスタートされる
などなどなどなど……。
これは選手たちが説明のアナウンスに沿って手を挙げたりして場所を示し、審判も大声で『ロンデニオンボール!』などと叫んでいるので、観客たちにはそれなりに理解されたようだった。
まずはやってみせよう、ということで笛が鳴り、試合が始まった。
細かいルールはわからないけども、選手が動き、ボールを蹴り、囲まれて、パスを出して、味方に繋がり、ゴールに向けてシュートが放たれ、キーパーが手で防いで、溢れた球を押し込んで………。
《ゴォォォオオオル!》
男性の声で絶叫のアナウンスが入る。オーロラビジョンの得点板に点数が加算される。
なるほど、これはルールのある球蹴りだ、と観客たちはすぐにルールを理解して、得点が入った――――アスコット側だった――――ことに歓喜の歓声を上げた。
ウォオオオオオオオ!
声による地響き。
ちなみに今回は両チームともに試合展開を指示してある。八百長と言えなくもないので、この試合の賭け札は販売していない。明日にもう一試合やるので、そこから賭けを始める。購入権限は当然インプラントされた人間のみ。いずれはスタジアムの入場にもインプラントの有無で制限が掛かる。この辺りのギャンブル管理システムはウルフレースで培ったノウハウがあるので、ちょっと魔法陣をいじるだけで作れた。
試合は四十五分ハーフの前後半戦。前半戦の終了間際、それは起こった。
「オフサイド!」
ピッ、と審判が笛を吹く。観客にとっては、ラフプレーがあったわけでもなく、よくわからない反則だ。パスを出した瞬間にファウルが成立したのだから。
ざわめく観客に、アナウンスが入る。
《ただいまの反則は『オフサイド』です。ゴールから見て二番目に近い位置にいる選手からエンドラインと平行に引かれた線がオフサイドラインとなります。このオフサイドラインよりもゴールに近い位置に選手がいる時に、その選手に対してパスを出すと反則になります》
これは先のルール説明でも言われたけれど、一発で意味を理解するのは難しい。オーロラビジョンではオフサイドの説明をアニメーションで補足している。私ってば、なんて親切なんだろう!
平行、というのをどれだけの人が理解したかはわからない。フットボールは紳士のスポーツであると同時に、教養のある人間が楽しむものでもある――――。
《間接フリーキックにて試合を再開いたします》
アナウンスが終わり、審判が笛を吹く。ボールをその場に置いて、敵の球になって再開された。
ピピーッ、と笛が鳴り、審判が手を挙げる。
《前半戦を終了します》
最初のうちは天の声で解説が必要だろう。このウグイス嬢はエンジン公の娘さんの一人で……つまりメアリの姉さんなんだとさ。数人の候補を挙げてもらい、軽く滑舌が良くなるレッスンをした中で、一番筋のいい人を選んだだけなんだけどね。
レッスンって言っても、赤巻紙青巻紙黄巻紙……と、かけきくけこかこ、くらいよ? 候補者の数人はどれも貴族の娘さんで、教養もあって、中には恰幅のいいお嬢さんもいて……ついでに全員未婚だったりした。なので、美しい声は男性を魅了しますよ、などとおだてて、婚活っぽくなった。何だか元の世界のアナウンサーみたいだなぁ、と思ったり。
【王国暦126年9月9日 13:15】
「さすがは黒魔女殿……このイベントは成功したと言えるだろう」
セスが感心したように感想を述べた。
「いえいえ。まだまだ。賭けもやってませんし、飲食店も展開して仕切らないと本当の利益は出ません。集客できるコンテンツがあるのですから、最大限利用しなければ」
「アルコールの持ち込みを禁じる、という話だったか?」
「金が絡んで、しかも酔ってると、簡単に暴徒になりますから。警備代が馬鹿になりません」
「うむ……」
セスはちょっと残念そう。そうだよねぇ、サッカーはビールを飲みながら見たいよね。私は飲めないからどうでもいいんだけど、気持ちは理解できる。
警備は前述のように騎士団が担当している。スタジアム運営は公営、という建前があるからで、冒険者が増えれば雇用することになるだろうし、信用できる人間がいるなら民間にアウトソーシングした方がいい。だけど、しばらくは権威ある騎士団の担当が続くと思う。その辺りは賭けの収益で賄うから、大幅に黒字になるだろうけどさ。
試合の方は四対四、延長十分前後半、PK戦までやらせた。ちょっと冗長かな、とは思ったんだけど、盛り上がったみたいだから杞憂だったかしら。ちなみに最後はグリテンの選手が火の出るようなシュートで決めた。
初めて見る建物、設備、競技、そして一体感。
ここはラスゴなのでロンデニオンのチームにとっては物凄くアウェー。ではあるんだけど、まだホームとアウェーの感覚は観客にはない。だから両方のチームの健闘が称えられた。ホームとかアウェーとかじゃなく、スポーツ観戦とはかくあるべきだわ。味方じゃなければ何をやってもいい、だなんて誰も褒めやしない。
「観客こそ紳士淑女たれ、ということでしょう」
「うむ、興奮しているからこそ、それを忘れてはいけないな。本当はメアリも連れてきたかったが、忠告通り、家に置いてきて正解だった」
「興奮しすぎちゃいますからね。安定期に入れば大丈夫だと思いますが」
っていうか馬車に乗せるのだってアウトだわ。外出を禁じた方が、この世界、今の時代、ラスゴに於いては母体にとって優しい。
「うむ……。スタジアム、歌、フットボール……。税収の他に公営ギャンブルか……。グリテン王国、凄いものだな」
「どれだけ先進的でも、やろうと思えば、すぐに模倣されるでしょう。まずはアスコットランドの平定、そして税収の安定を目指しましょう。我々は連合王国の仲間です。もちろん、お手伝いしますとも」
エンジン公を初め、アバ公、カール公もこのイベントに招待しているから、後で感想を訊いてみようっと。
「心強いな。迷宮でやられた時は目の前が真っ黒になったが、今は輝かしい未来しか見えない」
「ええ。共に明るい明日を目指しましょう」
セスに施したインプラントが正常に働いていることを確認して、私はニヤリと笑った。セスの方も同じようにニヤリと笑ったけれど、きっと、その意味は大きく違うんだろうなぁ。
「それにしても、だ。グリテンチームの最後のシュートは凄かったな!」
「ええ、まったくです。『ネオ・タイガーショット』と名付けましょう」
「タイガー! どのへんが虎かわからないがタイガーか! シュートではなくショットか! よくわからないがニューではなくてネオか! 格好良いな!」
セスは大興奮して、『ネオ・タイガーショーット!』などと子供のように叫び続けた。
――――ネオの前に普通のタイガーショットはどこに行ったのかは知らない。