冬のロンデニオン4
【王国暦126年1月5日 10:04】
北東海域で捕虜にしたシアン帝国の面々は、総勢二百二十三名。多いんだか少ないんだかわからないけれど、これだけの人数を一つの場所に収監する施設はなかったため、ロンデニオン東迷宮に空き部屋を作り、そこに放り込んである。
ただし、その中でも三人の人物は、ロンデニオン城の牢獄に収監した。
そのうちの一人はオットー・アレクサンドロフなる、実質の艦隊総司令として派遣されていた人物だ。
アレクサンドロフ男爵は熊のような体躯、熊のような髭。ミハイルと呼ぶには可愛げはないけれど、きっとシアン帝国の熊は可愛げのないものなんだろう。
「どのような経緯で、我が国への侵攻に至ったのか、お聞かせ願えますか?」
そう丁寧に訊いたのは、黄色い人ことニール・マッキロイ。今は第一騎士団に異動して、諜報の真似事をやっている。それで今回の尋問担当官になったそうな。
「……………………」
その質問は何度目なんだ、と、やや蔑んだような視線がマッキロイに送られる。私はマッキロイの後に立ち、尋問を見守っている。
この男爵様はとても頑固な人で、インプラントの影響下にあるのに、あまり質問には答えず、黙り込んでいるのが常なんだってさ。いいね、やはりロシアの男は寡黙でなければ。これでも素直になった方で、一応は質問に答えるようになった。ただ、幾つかの肝心な質問には答えてくれていない。
「既にアデル元王子、ミルワード卿からは証言が得られています。こうやって貴君に尋ねるのは確認でしかありません」
マッキロイは一度言葉を句切って、私の方をチラリ、と見た。私が頷くのを見ると、再び句を継ぐ。
「貴君は領主でもいらっしゃる。領地は帝都、聖ピーテルの南にあるそうですな? 貴艦隊が遭遇した我が国の船……アレを貴君の領地に差し向けても構わないのですが?」
「……………………」
「ああ、我が国の船、その性能をお疑いになる? その気になれば十日後にでも貴領を灰にした報告が出来ると思うのですが」
「……………………」
安い脅しに、アレクサンドロフ男爵の眉がピクリと動いた。
「その後には帝都を蹂躙しましょう。報復というわけです。我が国は攻められたわけですから、その権利はあるはずです。ああ、無論、我が国の法がそのままお国に適用されるとは限りませんからな。広域に警告はすることになろうと思います。いやあ、遷都されたばかりで新しく、美しい都とのことでしたなぁ。我が国の専門家に言わせれば、そのような美しい街を灰燼に帰してしまうのは忍びないとも言っていましたが」
その専門家とやらは私のことだ。異文化、異宗教、異人種の建造物がどんなものか見てみたい、と言っただけなんだけどね。
「……………………出来るわけがない」
お、大熊ミーシャが口を開いたぞ。
「逆にお伺いしたいですな。出来ない理由を」
マッキロイが畳み掛ける。
「………………」
うん、マッキロイを始め、新設の諜報部とは、かなり質疑応答を繰り返して訓練させたから、私と話し方が似てきてるわ。それはいいとして、埒が明かないのも面倒だなぁ。
「では、私の方から」
マッキロイを制して、私が尋問官を買って出る。今までは背後で見ていたり、マジックミラー越しに別室から見ていただけだったから、アレクサンドロフ男爵と会話をするのはこれが初めて。
「…………………やっと親玉のお出ましか」
大熊ミーシャがシニカルに笑う。なかなか渋い感じで……エンジン公も格好いい中年だったけど、この人も格好いいわね。髭を剃ったら違う顔かもしれないけどね。
「ええ、そうです。私が親玉ですよ。わかりますか?」
「…………………尋問の現場に子供がいるんだ。おかしいと思わない方がおかしい」
「それもそうですね。では、あの船に乗ってみたくはありませんか?」
「あの木造船に……?」
大熊ミーシャが言っているのはド級のこと。『グレート・キングダム・オブ・グリテン』が殆どの攻撃をしたことは露見していない。
「そうです。その目で自領の崩壊を見定めると良いでしょう」
私はニッコリ笑い掛けた。脅しではあるものの、これ以上折れなければ一番見たくないものを、その目で見てもらおう。本気だよ?
「……………………貴様、悪魔か……?」
「そう呼んで頂いても構わないんですけどね。私が迷宮管理者です」
「迷宮………? うっ……」
おお、大熊ミーシャが葛藤している。インプラントが真の効果を発揮し出したのだから、頭が割れそうなくらい神経に圧迫感があるだろう。
「どうでしょう、私としては我が国への派兵を決めた人物に、責任を取って頂きたいだけなのです」
「責任……とは?」
息を荒くして大熊ミーシャが訊き返す。
「まあ、グリテンに安易に手を出すと火傷どころか滅びるよ、と歴史書に刻んで頂きたいのです。その実例となって頂きます」
「皇帝……陛下を……」
「まあ、そうなるでしょうねぇ」
「そうはさせん……」
「いやどうでしょうねぇ。アベル元王子の口車に乗り、姉君であるお妃様が故国を取り戻したいと、そちらの皇帝に働きかけた。合ってますか?」
「ぐっ……ぬっ……その通りだ……」
「教会関係者から何らかの仄めかしを受けた?」
「っぐっ……。そう聞いている……。正教会の……司祭の一人……」
「その司祭の名前はわかりますか?」
「キリル神父……」
「それ、本名なんでしょうか? フルネームはわかりますか?」
「ぐっ……キリル・ボブリコフ神父。本名かどうかはわからん……」
まあ、それだけわかれば調べようはある。『神託』を送ってみればいいわけだし。
「これからは訊かれたことに率直に答えて頂けますか?」
「………………善処しよう」
私は頷いて、後をマッキロイに任せることにした。
【王国暦126年1月5日 11:02】
「久しぶりですね」
「ええ、そうですね」
収監されてはいるものの、ウーゴ・コロンバ・ミルワードは、良い食べ物を与えられ、血色は良かった。仇敵とも言える私に対しても、穏やかに見えた。もちろん、インプラントも施術済み。自白剤とどっちが人道的かしらね。
ウーゴくんには、これまでに何度か他の人が尋問をしている。アベル元王子がシアン帝国にいる姉、マティルダを頼り、義理の兄に相当するシアン皇帝が船と兵を貸与した、というのが今回の大筋だ。
問題になっているのは、それ以前の亡命幇助ね。
「アベル元王子に付き添って亡命したのは当時のファリス騎士団長の命だったのですか?」
ウーゴくんは首を横に振った。
「いいえ。アベル王子を国外に出して亡命を誘導したのは、私の意志です。ブノア卿は関わりがありません」
ウーゴくんはファリスからの関与を否定した。事件当時、王都騎士団はファリスをはじめ、ウィルス感染、インプラント作業のまっただ中だった。そんな中、ウーゴくんは余計なこと――――アベル王子の求めに応じてグリテン島脱出、亡命の手助けをしたのだ。無論、ウーゴくんは騎士団が私に汚染されつつあることは知らず、命令系統は混乱していた――――。
ウーゴくんは元々ブノア家に仕える従士の家系で、清廉潔白を旨とするファリスにとって、汚れ仕事を率先してやってくれる副官は貴重で、代えの利かない存在だった。
前述の理由もあり、ウーゴくんには情状酌量の余地あり、罪に問わないでほしい、という請願がされたのも当然の流れと言えた。
「私からの強制力がない状態のブノア騎士団長から指示をされたのであれば、それを実行したに過ぎません。罪には問いません。関係者に迷惑も掛かりませんよ」
「………………」
この男も頑なだなぁ。
「偽証を禁じます。これで喋ってくれますか?」
ビクビクッ、とウーゴくんのこめかみに筋が走った。
「ほっ、仄めかしはありましたがっ、せっ、正確には団長から指示されたことではっ、ありまっせん。王位継承権一位のお方をお守りするのは騎士団員の義務と考えましたっ。騎士団が何者かに乗っ取られていると感じ、指揮系統からの逸脱を決意しましたっ」
「そう感じたのは何故ですか?」
「斥候に向かわせた部下が一向に戻ってこず、符丁もないまま消息を絶ったからですっ」
つまり、異変が確信になったというわけね。インプラントの影響下にあるなら、これは正しい証言だ。
「なるほど。ミルワード卿は一定の監視期間の後、元職に近い形で復職できるように掛け合いましょう」
「ありがとうございます。寛大な処置に感謝致します」
これがあのウーゴくんか……。インプラントって怖いわね!
「では、シアン帝国の話をお願いしましょう。シアン皇帝は、マティルダとの子に、グリテン王国継承の権利がある、と見ていましたか?」
「肯定します。マティルダ夫人と共に、正統性があると断じておりました」
「その子供は何人いましたか?」
「皇子が二人です。皇帝陛下とマティルダ夫人を含め、王族と呼ばれているのは全部で十名、今の時期であれば、ほぼ全員が冬の離宮にいらっしゃるはずです」
「離宮?」
「はい、寒いのです。シアン帝国は」
「ああ……」
なるほど、極寒を避けてるわけか。避寒地が必要になるくらいの極寒の地に、どうして人が住むのか、寒さ嫌いの私にはわかりかねる事象だわ。
離宮は帝都であるサンクトビーテルよりも遥かに南……内海の……元の世界で言うと黒海近くにあるそうな。こういう地域的な事情を知っておくのは大事ね。皇帝が不在の帝都で脅しても何もならないしね。それにしても、王族が十名っていうのは多いのか少ないのかわかんないなぁ。大帝国であれば少ない、と言えるのかしら。
「一度、アベル王子に随伴して行ったことがあります。地理は覚えております」
「うん、ではシアン帝国襲撃の際は同行を願います」
「はっ」
段々と、ウーゴくんが王都騎士団員に戻っていく……そんな気がした。
【王国暦126年1月5日 13:08】
元第二王子アベルは、私の顔を見ると、憔悴しきっていた姿勢から、一気に激昂した。
「貴様っ! この魔女め! 貴様がっ!」
「アベルさん、落ち着いて下さい」
「きっさまぁ! 私の! グリテンを! 国を! 返せ!」
ああ、王位を簒奪されたことを怒ってるのね。納得納得。
「正当な手段で、前国王スチュワート陛下から禅譲されたのです。王位を退かれた時に、第一継承者であるアベルさんは国内に不在でした。自らの権利を放棄されているのですから、文句はご自分に言われてみては如何でしょう?」
「父に! 母に! 何をした!」
「先王陛下を父とも、第二妃陛下を母とも思っていない貴方が言うのは少々違和感がありますが……禅譲に至る経緯は、ご自分たちの治世ではグリテンを導けないと悟っての、賢明な判断だと聞いておりますよ。それより、アベルさんご自身の処遇について、考えることはないんですか?」
「エマの即位に異議を申し立てる。第一継承者である、このアベルを即時、国王として認めるよう、要求する!」
尋問室にいた面々は揃って盛大な溜息をついた。
「誰に、何と言って申し立てをするのか……。それは良いとして、現実が見えていないという点で、今後のグリテンを背負う人材としては力不足かと存じます。また……アベルさんが存命だと、王位継承権を巡って波風を立てる輩が周囲に集まります。アベルさんは存在そのものが重大な国家反逆罪の誘発装置なのです」
「?」
アベルは私の言葉を理解できただろうか。眉根を寄せただけだった。
「アベルさんを主人公にした貴種流離譚は成立させませんし、存在させません。……アベルさんを手伝った人間は相応の罪がありますので、探しだし、国家反逆罪で処罰することになります。マティルダ元王女、シアン皇帝、二人の王子にも」
私は首を薙ぐジェスチャーをした。
「馬鹿な……。彼らに罪はない。私に協力するのはグリテンのためだと信じて……」
「いいえ。アベルさんを手伝ったこと、それが既に罪です。自覚がないようですが、貴方は罪人なんです。否応なく周囲を巻き込むのに、その影響を考えられない。独善はお互い様ですが、私たちから見れば、アベルさんの行動は正統性もない、単なる利己主義で、害悪に過ぎませんから」
「だっ、ダニエルは! オーガスタは! ヴェロニカは!」
「彼らは早い段階で恭順の意を示してくれました。ダニエル騎士団長はとても有能ですよ? オーガスタ嬢は勇者オダと仲良く暮らしています。ヴェロニカ嬢はポートマット領主の細君としてご活躍なさっています。マティルダ元王女の処遇は後日になりますが、どうぞ、きょうだいの幸福を願って……こちらをどうぞ」
私は『道具箱』からワインを一本取り出し、グラスに半分注いだ。
「――――『毒生成』。どの時代、どの世界であっても、王位継承にまつわる後始末というのはコレに変わりがないというのは、ちょっと野蛮ではありますね」
指先からちょろり、と一滴だけ毒をワインにたらす。
「あ……え……?」
名誉ある自死を選択させようとしている。そう気付いたアベルは私を凝視して、困惑に染まった表情で、ポカン、と口を開けた。飲ませろってことかしら?
「どうぞ」
周囲にいた尋問担当官たちが、アベルを後から羽交い締めにする。
「やめっ、やめろ! 私はグリテン王国第二王子……んがっ」
「せめて名誉ある死を。グリテン王国万歳」
――――そして私は、アベルの鼻を摘んで、口からワインを流し込んだ。