冬のロンデニオン3
【王国暦126年1月2日 9:17】
ちょっと微妙な問題でもあるので、フェイを通じてブリジット姉さんに訊いてみた。
二人はグリテン王国の諜報組織育成のため、拠点をポートマットに置いている。その重要人物が魔族側に情報を流していたのではないか、という疑惑は、冒険者ギルドをはじめ、ロンデニオン、ポートマット両騎士団にとっても看過できるものではない。
「それで結果はどうだったんですか?」
エミーは自宅とも言える、ロンデニオン西迷宮の居住区にあるログハウスで紅茶を啜りながら訊いた。年始三日は、落ち着く場所で子守りと読書三昧だそうで、それもあって昨日はお城にいなかった。天井が高いとはいえ、落ち着く場所が地下空間っていうのも病んでる気がするけど、それは言わないでおいた。
「うーん、グレー?」
「灰色ですか」
「バラン族はラスゴには多いけど、最大種族ってわけでもないみたいでさ。辿っていけば大体親戚なんだってさ。その伝手で親戚――――その人も冒険者ね――――に会った時に、私の話になったそうで。それもかなり前の話なんだってさ。三~四年前のことだね。それで、私のことを単に『魔女』だと呼んでたみたい」
現在、ブリジット姉さんはインプラントの影響下にあり、偽証の可能性は著しく低い。でも、これが他の人ならまだしも、よりにもよって実力者であるブリジット姉さんだから、インプラントを無効化できる術を持っているのでは……などと考えたりもする。
「ああ、なるほど。オルブライトさんの、今までの実績を考えると、不可抗力と信じたいところですね。だーだー」
疑ってはキリがない、とエミーは曖昧な結論を出す。仮に、本当にブリジット姉さんがスパイだったとしても、魔族領をグリテン王国に組み込むことは既定路線で、全てを内包してしまう。そこに罪はない、と見るのが未来志向というものかもしれない。
「だー、だー」
「だー」
ジョージとウィリアムがあやされている。傍目にはエミーも十分幼妻で、幼母だと思う。
「メアリ嬢には一度会ってるんだっけ?」
「年末に会いました。その後はマッコーキンデール卿に任せて、フレデリカさんと年始の準備をしていましたよ」
「そっか。じゃあ、和平交渉の結果も知らないで招待したわけね」
「そうなりますね」
ふふ、とエミーは笑った。午後のお茶にメアリとエンジン公を、この迷宮に招待しているのだ。フレデリカはといえば厨房でスコーンを焼いている。彼女はあまり料理とかはできなかったのに、母親になってからは頑張ってやってるみたい。
「女王陛下。サンドイッチは……キュウリがいいのだな?」
そんな風に女王陛下を呼ぶ人はフレデリカ以外にいないと思う。キュウリは季節ではないのでポートマット迷宮のハウス栽培モノ。この世界では物凄く画期的なことなのよ?
「あ、お邪魔してるよ。ケネスは元気?」
「うん。背中で大人しくしてる」
フレデリカは器用に首を曲げて背負う我が子を見やる。首が据わったかどうか、って時期なのに大胆だなぁ。息子たちは面白いことに、長命種だからと、幼少期の成長は遅いわけではなく、むしろ早い気がする。それもあってケニーは耳が目立つので、こうやって見ると、まるで親子亀みたい。実際に親子だから間違ってないけどさ。
「それで、お姉様の印象は?」
「メアリ嬢のこと? うーん、いじりがいがあるというか……」
「それは気に入ったということか?」
「どうかなぁ。私のイケナイ部分を刺激する人物なのは間違いないわね」
「ふふ、ちょっと妬けちゃいますね」
エミーがネットリした視線で溜息をついた。この視線もまた、私のイケナイ部分を刺激しそうだ。
「ん、でも、まあ、インプラントの影響下でも、ブーブー文句言ってた。あれだけ意見を言えるのなら傑物だと思うよ。エミーがいなかったら、グリテンは魔族によって統一されていたかもしれない」
「ということは、『使徒』の人物選定眼は正しかったと?」
「客観的に見て、『使徒』たちの能力は高いと思う。それこそどういう選定基準なのかわかんないけど、その『使徒』を選んだ『上』の存在の能力こそ脅威じゃないかな」
先日の『使徒』との会話は二人に話してある。こういう何気ない会話はブレインストーミングの一環と言えなくはないけれど、人間の意思を超越した存在の思惑を推察することも、また現実的な死活問題だったりする。
「その『上』っていうのは、お姉様の想像だと、何らかの集合意識ではないか、とのことでしたけど」
「うん、他に言いようがないのよね。概念っていうか、人間性が希薄っていうのかな……」
その意味では、空間精霊もそう。他の最上級精霊は意思を持って私の中にいるというのに。
「有り体に言えば、意思を持った人間ではない、と」
「『使徒』が人間臭い理由は、それが『上』に皆無だから欲した、ということか」
結局はフレデリカの言葉に集約される。『使徒』がコンピュータに使役される人間そのものに見えるから。
「大元を辿ってみると、私たちは魔道具……たとえば魔導コンピュータに管理されていることになりますよね? 迷宮に管理されている魔物たちのように」
あら、エミーも同じことを思ってたか。元の世界には、『全部夢でした! 本当の貴方は寝ています! 全員寝てます!』って映画なんてものもあるし。
「その関係性そのものじゃないかなぁ……。本質的なところでその大元に、私たちは逆らえないのかもしれない」
「物凄く逆らっているようにしか見えないのだが」
フレデリカに揶揄される。
「うーん、自覚はないけど、私としては、これでも世界平和のために良かれと思ってやってるんだけどねぇ。結果的にグリテンが一人勝ちになっているというだけで。エミーが女王になる、って言い出さなければ、別に盛り立てる必要なんてなかったしさ」
「それはグリテン国民を代表してお礼を言わせていただきますよ、お姉様。今でさえ、何万人の国民の命が救われていることか。……この迷宮の書架にあった本を見ると、お姉様の元の世界に存在した大英帝国は、その世界のキーパーソンであり、下手をすると諸悪の根源です。全てが同じ道を辿ることはないと思いますが、少しでも正したい。この迷宮に籠もっている時に、強く思ったのです」
エミーは息子たちをあやしながらも真面目な目で私を射貫いた。
「この迷宮にエミーを保護するように言ってきたのも『使徒』なんだよね。で、ここに書架があって、それをエミーに読ませるように仕組んだ、とも言えるのよね。その結果、エミーは私を活用して強引に女王様になっちゃった」
自身が道具である、と自嘲すると、エミーは毎回、悲しそうな顔をする。私は私の作りたいものを、作る機会に恵まれている。それは国という単位でしか機能しないものも多い。大戦艦や攻撃型潜水艦なんて、その最たるものだろう。私の物作りは生存の証を作るという逃避行動に端を発している。今となっては単なる文化ハザードのような気もしてるけど……。外見を似せているだけのものもあるし、ははは、許容範囲だよね、多分。
「その話は聞いた。それと今回の『使徒』の話を併せて考えてみると、聖女様が女王陛下になるように仕向けたのは、『使徒』じゃなくて『上』じゃないのか?」
フレデリカの推察に目が点になる。
「どうしてそう思うのさ?」
「大英帝国の話なんてうろ覚えで、正しい知識なんて無かった。でも、ここにある本が正しければ、ある意味で、イギリスの振る舞いが自己利益や保身の追求じゃなくて、世界のための博愛であったなら、私たちがいた元の世界は違ったものになっていたんじゃないかと思って。特異点? 転換点?」
「うん」
フレデリカを促す。
「元々『使徒』は、人類? が道を間違えないように、誘導してたじゃないか。石炭や石油を使わせないようにしていたのと同様に、イギリスを違う方向に誘導しようとした……」
「その指導者としてエミーが選ばれた?」
「うん。なってみて気付かされたけど、グリテンのどこを探しても、聖女様以外に適任者はいなかったんじゃないか? 能力? 資質? 的な意味で」
優秀な人間は他にもいるかもしれない。でも、グリテン王族関係者、血縁者、という縛りがあると、いきなり間口が狭くなる。
「私がこの世界に来たのは『使徒』じゃなくて『上』の指示だった、って言ってたから、それを信じるとすれば………」
フレデリカが頷く。
「聖女様のフォローをするために呼んだ。だから、聖女様を女王にしたかったのは『使徒』じゃなくて『上』ということだ」
断言されちゃったけど、そう言われてみるとなるほどだなぁ。普段はぶっきらぼうに話すフレデリカの流暢な説明を聞くと、失礼ながら何だか頭が良さそうに見える。今でこそフレデリカは騎士口調っぽい話し方だけど、彼女と召喚された直後に出会った時の……辿々しい……まるで対人恐怖症の人のように怯えていたのを思い出す。だからこそ説得に応じてくれたのかもしれない。
ホムンクルスとは違って、勇者は『勇者召喚』スキルの指定オプションに従ってやってくる。つまり、スキル持ちの指定に依るわけで、そこに『使徒』の意思は介在できない。でも、『使徒』は『勇者召喚』の内容を知ってる風だったから、それこそ覗き見をしていたんだろうか。『勇者召喚』の魔法陣は物凄く精緻で複雑で、素人にはわからないものなんだけど、単純に魔法の知識があるか、何か知りうる手段があるのかしら? 少なくともアマンダにはそういう知識はなかったと思ったんだけど。
「多分に大袈裟に思えますし、僭越ではありますけど、もし、本当に私がそういう役目として選ばれているのなら、身の引き締まる思いです。身を粉にして働きますよ」
エミーは柔らかく笑った。身を粉にして働くのはどっちかといえば私のような気はしたけれども。
【王国暦126年1月2日 13:09】
グラスメイドに連れられて、エンジン公とメアリが居住区内のログハウスへとやってきた。
「ようこそいらっしゃいました。エンジン公、メアリ嬢。歓迎しますよ」
「この度はお招きに与り至極光栄に存じます」
「お招きありがとうございます、陛下」
エンジン公はグリテン風に膝を突き、目を合わせずに合掌した。メアリの方はドレスの裾をちょん、と持ち上げての挨拶だった。
「しかし……ここは何というか……迷宮の中に家があるのですな」
「ええ。王族用の住まいは先王が使っていましてね。この家は長く住んでいたこともあって、こちらの方が実家のような気がしますよ」
それは家を建てた私への気遣いだろう。エミーの『実家』はポートマットの聖教会だろうから。
「庭に野菜、山羊……魔物……?」
「その山羊は普通の山羊です。魔物ではありません。野菜も普通の……手間の掛からないものだけですよ。冬野菜は根菜が中心になりますね」
ログハウス周辺の庭は、今が一月であるのに合わせて気候も合わせてあるので寒々しい。元々、この家が隠遁生活用に建てたもので、外に出た際、違和感を持たないように空調を設定してあるから。
女王陛下の私生活が、広大な空間とはいえ迷宮の地下に木造住宅を建てて、そこで野菜を作り、山羊を飼い、自分で食事を作るという、村でありがちな暮らしだとは想像していなかったのだろう。
エンジン公はもちろん、メアリはポカーンと口を開けてキョロキョロと天井を見たり、家を見たり、庭を見たりと落ち着かない。
「意外でしたか?」
イタズラっ子のようにエミーが訊く。
「はい、いえ! その!」
「この家も、迷宮も、あそこにいるお姉様が作って下さったのです」
「お姉様…………?」
メアリの目には混乱が見て取れた。どうして黒魔女が女王陛下の姉なのか、っていうかドワーフの妹がヒューマンとかおかしい、お姉様ってことはもしかして、あのチビドワーフと女王陛下が禁断の関係とかあわわわわ……。でも子供がいるってどういうこと? などと顔に書かれている。
ははあ、素の彼女は当たり前だけど年齢相応なんだなぁ。エミーみたいに老成してるのがおかしいんだわ。
エミーがいなければメアリがグリテン島を統一していた、なんて評価してたけど、精神力や知識に関しては隔絶した差があるわ。やっぱり、エミーじゃなきゃ統一はできてなかった、と今なら断言できる。
「ふふ、さあ、中へどうぞ。美味しいお茶とお菓子を用意してありますよ」
ブワッ、とエミーが聖女オーラを展開させた。ブライト・ユニコーンが張り切って光っている。
「は、はっ、はいっ」
「はっ、いっ」
並の人間なら無条件に平伏してしまうほどの圧力を受けて、エンジン公とメアリは顔を歪めながらもその場に踏ん張った。それでも、返事をする頃には二人とも弛緩した、だらしのない表情になっていた。
【王国暦126年1月2日 13:21】
優雅にお茶会が始まり、雑談が続いている。
午後の紅茶は女主人が仕切るもの。ということなので、フレデリカも着席している。お茶をサーブしているのはエミーだ。
「ロンデニオンは如何ですか?」
「はい陛下、以前に来た時とは違い、発展しておりますな」
女王陛下のお陰で、と世辞を言外に滲ませるに留めたのは、エミーにとって好印象だろう。それが事実であっても直接的な世辞は空疎に聞こえるから。
「猫が……多いですね」
メアリの方は少女らしい感想を述べた。その通り、彼女は猫を被っているのだ。メアリはこうやって、侮られるように仕向け、隙を作り、相手をやり込めてきたのだろう。そのことがよくわかる一言だった。
「もう一杯如何ですか?」
ティーポットを掲げて、エミーがメアリに問う。興味深い、という私のメアリ評に納得している表情だった。
「頂きます。……女王陛下は普段からこのようなお茶を飲まれているのですか?」
「もちろん、今日が特別な日だからに決まってるじゃありませんか」
メアリが問うと、エミーは茶目っ気たっぷりにウィンクをした。
エミーの言う通り、普段は色々なハーブティーを飲んでいる。だから今日のお茶が紅茶なのは、本当に特別な日だからだ。
「もっと東との交易が盛んになればいいのだがな」
フレデリカの嘆息は、戦争なんか仕掛けやがって、という非難も十全に含んでいる。
この世界でいうインドであるインディア、中国であるホワとの貿易は物凄く注意しなければならない。プランテーションが産む利益と地元に与える影響を考慮しつつの運営は、シビアな匙加減を要求されるだろう。それでもグリテン国民は紅茶を知ってしまったから、もう戻れないかもしれない。日光草が恐らくはアヘンそのものであるからして……栽培してホワの国に売りつけてお茶と陶器の代金にするという誘惑に抗えるだろうか。行き着く先はアヘン戦争で、それに勝利したら香港ができて……。あ、ジャッキー・チェンには会いたいなぁ! やっぱりやらなきゃダメか……?
「今回の戦争で鹵獲した船がありますし、戦争が終われば大型魔導船を交易路に投入できます。自国での栽培も視野に入れていますが、お茶の入手は死活問題になりそうです」
木人と戦うジャッキーを頭から追い出して、エミーの言葉を反芻する。ああ、『キング・スチュワート』級を交易船に転用するのか。もしくは、ダウングレードして、交易に適した形にした新型艦を作るのかな。……作るのは私じゃないよね?
「木材は船を建造するのに欠かせません。魔族……いえ北方諸国には良質な木材があると聞きます。是非活用したいところですね」
「陛下、我々は未だ国の体裁を整えてはいません。とは言っても、そのままグリテン王国の一部となることは拒否反応があると思われます」
現行の領地を所領にして、グリテン王国に帰属させてしまう……のは恐らく暴論なのだろう。外敵たるグリテン王国に屈した今、緩く統一された魔族領は方向性を見失い、分裂して元に戻ってしまうのではないか、とエンジン公は懸念しているのだ。
「マッコーキンデールからは、もっと詳しい話があると思います。大きくラスゴ、アバ、カール、エンジンの四つにまとめて、その上でエンジンに首都を置いた、新しい国を作ってほしいのです」
「統一国家を作り、その上にグリテン王国が立つ、と仰いますか」
「いいえエンジン公。グリテン王国、ウェルズ王国に並ぶ国ですよ。私は連合王国を作りたいのです」
「初めて聞く言葉ですな……」
エンジン公の困惑と対照的に、メアリは口元に手を当てていた。思わず口元が綻んだのを隠すためだ。エミーは目敏くそれを観察していて、こちらもニヤリと笑っていた。そのエミーを見て私が、その私を見てフレデリカが、それぞれ順にニヤリと笑ったので、この場にいるエンジン公以外の女性全員が性質の悪そうな微笑みを浮かべていた。
「メアリ嬢、あなたとラスゴ公の子供――――娘が出来たら、ウチの第一王子との婚約を希望します。その確約をもって正当性の根拠と為し、国をまとめて下さい」
「はい、女王陛下」
メアリは満面の笑みで即答した。自らの子が国母になる可能性がある、魔族領はまだ死んでいない――――とすぐに気付いたのだ。メアリの笑みを見て、エンジン公もそのことに気付いたようで、ここにようやく全員が笑みを浮かべた。
――――ひとつ、これからの親戚付き合いをヨロシクお願いしますよ……。ククク……。




