団欒の浴場
【王国暦124年11月27日 13:51】
女王陛下とフレデリカはド級で王都に向けて先発した。残るロイヤルトランスポーターは、と言えば、ラルフがこの後、乗って帰るんだけど……。
バス=スパ温泉の仮設浴槽からは湯気が立っているのが見える。
「ブレンダン・ジーク・パウロ・レーンが息子、トリスタン・ブレンダン・フィリップ・レーンと申します。お初にお目に掛かります、宰相閣下」
黄緑くんが直立不動でマッコーに話し掛け、自分の紹介が終わった後、傍らの壁妹を促した。
「ルビー・ヴィニー・マリア・レーンと申します。よろしくお願い申し上げます」
壁のような妹は、薄いスカートの端を掴んで、ちょこん、と挨拶をした。顔が赤いのは薄着のせいもあるだろうけど……。
「こちらがハーキュリーズ・ルカ・マッコーキンデール閣下だ。王国宰相の地位を賜っている」
ラルフが義父を紹介した。ああ、うん、家族の絆を深める入浴会だから、混浴なのよ。他意はないわ。
要するにこれは婚約者と保護者の会というやつ。本来ならトリスタンじゃなくて父親のブレンダンが出張ってくるはずだったんだけど、年明けにもウェルズの実質併合が宣言されるため、根回しやインプラント作業の監督、国政の掌握などに忙しく、代理として来たのが黄緑くんだったというわけ。
私はと言えば、お湯加減を調整しながら、その四人の混浴を離れた位置から、しかも『不可視』状態で見守っている。ギヒヒヒッ、三助でごんす。
おっと、見守っているのはウンディーネもなんだけど、完全に正妻ポジションでマッコーの隣にいる。その表情は完全に姑のそれで、息子の嫁を見極めてやろう、としていた。元の世界で言えば○ピン子……。どこを輪切りにしても嫌味しか出てこない、恐ろしいものの片鱗を見てしまったわ。
「まずは、入浴してみようじゃないか。女王陛下の計らいで、この入浴施設を使って良い、とのことだ。気遣いを頂いたからには、試してみなければな」
エミーにしてみれば、自分たちだけじゃ勿体ないから、是非、皆で良いように使ってほしい、ってだけね。ということで、順番に、親睦を深めたい者同士が時間制で貸し切る、という形になっていた。まあ、まさかみんなで女王陛下と一緒に入浴イエーイ! だなんて話はないから、こうなるのは当然ではある。エミーは別にいい、みたいな事を言ってたけど、露出癖があるとかじゃないよね?
エミーとフレデリカ、私が入った時は素っ裸だったけど、本来は入浴着を着るものらしい。元の世界の日本人からすれば駄目だそんなの、『許可を得て撮影しています』くらいけしからん話だわ。
とまあ、薄い着衣は許可しちゃってるんだけどね。壁妹がスカートの裾を掴んで挨拶していたけど、四人とも貫頭衣みたいなのを着ているわけね。
「お待ち下さい義父上。浴槽に入る前には体の汚れを落としてから湯船に入る、というのが公衆浴場でのマナーです」
「そ、そうか……!」
マッコーが義理の息子に窘められて、焦った様子になり浴槽脇で湯を被る。ちゃんと腰掛けがあり、マッコーの背中をラルフが洗おうとして、入浴着が邪魔だと気付き、マッコーとラルフが思案顔になった後、決意を固めた表情になる。
「脱ぐか、息子よ」
「脱ぎましょう、義父上」
「はっ」
「えっ……?」
黄緑くんも追従する中、この中で唯一女性である壁妹が大いに困惑した。
しかし! そんなこともあろうかと、壁妹には黒魔女謹製水着を着せていたのだった。スライム繊維による水着なんだけど、以前、エミーがロンデニオン西迷宮下のプールで運動していたときと同型のもの。サイズは勿論違うわよ? トップとアンダーに殆ど差がないプラだけど後ぐりは長く、サイズは85。どんだけ薄いんだかわかろうと言うもの。どこを輪切りにしても薄切りにしかならないってことねー。
ババッ、と入浴着を男三人が脱ぐと…………。
「きゃっ」
壁娘が自分の目を覆う。
しかし! こんなこともあろうかと、三人の下半身には黒魔女謹製水着を着せていたのだった!
どうでもいいことながら、ウンディーネはラルフと黄緑くんの裸体をガン見していた。
もう一つ、どうでもいいことながら、黄緑くんは壁妹の水着姿を見て顔を赤らめた。
家族の歴史がまた一ページ、というところかしら。
【王国暦124年11月27日 19:41】
家族が一緒のお風呂に入りながら団欒をする……。
「存外にいいものですな」
入浴後にそう言って笑ったのはダニエルで、その奥さんも傍らで微笑んでいる。物凄く若い。十四歳か。
「奥様は如何でしたか?」
「はい! とても……主人も素敵でした」
そんな行為の感想までは訊いてねえよ。
っていうか後で使う人もいるんだけどなぁ……。まあ、一回一回『浄化』しているからいいんだけど、三助の身にもなってみろってえの。
幼妻さんはマチルダさんって名前で、この名前はナナフシ姫たちの姉、第一王女と同じ名前なのよね。ただ、スペルが違うらしく、こっちは『マティルダ』なんだってさ。第一王女は大陸の北の方、シアン帝国に嫁いでいるので当然ながらグリテンの王位継承権はない。このマティルダを頼って、存命と言われているアベルが逃亡している。
逃亡しているということは家族も一切合切捨ててしまっているわけで、実はアベルにも幼妻がいたのよね。正妻だったのはヨランダと言って、これはマチルダよりも年下。十一歳で、まるで棒のような体型をしている。体型はどうでもいいとして、夫が重罪人として逃亡している中、助命の請願があり、承認されて、保護者になったのがダニエルだったりする。兄の面倒を引き受けたとも言えるし、ダニエルの趣味的には合致する女性だったのかもしれない。まあ、仲は良さそうだから放っておこう。
マッコーキンデール家一行、ダニエル夫妻、リアム・フッカー一家が入浴を済ませると、男湯と女湯に時間制にして、男共は独り者のファリスに先導をお願いした。女共は私ね。侍女連中も交替制にして全員入浴させてみた。
「お風呂とは素晴らしいものですね!」
どこぞの侍女さんたちが感動していた。今まで王族や貴族の入浴を手伝うようなことはあっても、自分たちで入ったことはない……って人が多くて、これだけ大きな湯船で、たっぷりの湯量に浸かる経験は目新しいものだったらしい。今回のお客さんは皆ロンデニオンの住民なので、ロンデニオン西迷宮の大規模浴場が人気になるといいな。
お風呂に入って柔らかくなった皆さんは、猫バスに押し込んで、夜行でロンデニオンに戻すことになっている。野盗に襲われないか心配だ、なんて不安を覗かせる人もいたけど、近衛騎士団が乗っている異形の猫バスを襲おうと考える野盗の頭の方が心配になるレベルだから、それはいいのだ。
マッコーとラルフ、黄緑くんと壁妹は、ロイヤルトランスポーターでウェルズ行き。既に先発している。こちらは併呑の打ち合わせと、ブレンダンとの面会だってさ。面会や政権移行の話なんぞがスムーズに行くのなら、ウェルズで結婚式を挙げちゃう、とか言ってた。明らかにもう一回、ロンデニオンで結婚式を挙げることになりそうなんだけど、性急過ぎる気がするのは、ラルフがエミーの護衛でもあり、側近でもあるから。この後……結婚式を行うタイミングが取れるのかわからない、って不安があるんだろうか。
私はこの場に残って、グリテン王国王宮ご一行様が使ったお風呂掃除……と、今後の発掘調査についての打ち合わせ。どうしても爺との組み合わせになるのは一体、何の因果なのかしら。
【王国暦124年11月27日 22:19】
「いやはや……女王陛下があんな提案をなさるとは。まったく驚きでした。黒魔女殿の入れ知恵ですかな?」
ナサニエル師が焚き火に当たりながら私の様子を窺ってくる。
「半分はそうですね。実のところ、国もロンデニオン市も色々と作りすぎていて、資金を回収できるのは当分先なんですよ」
要するにお金がないのよねー。
「ははあ、下水道などですか」
「それもそうですけど、防火ですね。木造バラックを破壊しては石造りのアパートに強制引っ越しさせていますし」
「今生きている人に対しての施策の方が重要であると。それはそうですなぁ」
「国民が豊かになり、後を振り向く余裕が出来るまではまだ掛かりそうです。それでなくともグリテン王国は移民が多く、多種族国家でもあります。自らのルーツをグリテン島に求めない人もかなりの割合でいますからね」
ううむ、とナサニエル師は唸った。
「なるほど、女王陛下が歴史的価値に重きを置いてくれなかったのは、その辺りに理由があるのですか」
「全く無視しているわけじゃない……とお考え下さい。女王陛下に働きかけて、入浴までして頂いたのです。ぶっ壊せ、と言われなかっただけでも成功だと思いますよ」
「確かにそうですなぁ。大陸では解放の名の下に侵略され、破壊も是認されていたそうですからなぁ」
ナサニエル師はあまりグリテン語が流暢ではない。時折、よくわからない言語が混じる。多分、元の世界で言うところのスペイン語、アラビア語がミックスされてるみたい。彼自身はグリテンの産まれなので、両親からの教育なのかな? 学術都市ノックスはアスリムから奪った知識を検証するために作られた経緯があるから、そこに住んでいるアスリム風の人は、強制的か同意してかはわからないけど、連れてこられた人たち、ってことよね。この辺りもちょっと罪深い話ではあるなぁ。
「本来なら、今日使った浴槽も保全すべき対象でしょうからね。保全と観光は切り離したいところですが、初期にはそうもいかないでしょう」
エミーの言ったことを素直にやろうとすればそうなるかしら。現実的な施策と折り合いを付けたいわねぇ。
「スパ……温浴施設という名を付けたのは宰相殿だと聞いていますが、別途施設を造り上げるまで、どのくらいの年月がかかるかわかりませんな……」
「水道橋もただ修復すればいい、という訳ではありませんしねぇ……」
私とナサニエル師は嘆息した。
元々、水道橋はターム川の源流である地下水から取水していて、千年前はもっと水量があったことが推定された。現在、同じ位置に取水設備を作り、水道橋を作っても、水量が確保できない。
それで今回は、ちょっと離れたところの海水を持ってきて魔法で脱塩、なんてプロセスを踏んだわけね。海水温泉にすればいいじゃないか、という案もあるにはあるんだけど、ベタベタした肌を洗うには結局淡水が必要になる。
「ボンマットの製塩と上手く組み合わせられないものか……」
「大がかりにはなりますけど、可能性はありますね。バス=スパ地域から一番近いのはストルフォド村ですけど、ボンマットからも、言うほどは遠くない。上手くやれば熱源の確保にも、水源の確保にもなりそう。まあ……何とか調査を続けられるように手は打ちますよ」
アイデアとしては出ていたけど、あまりにも大がかりになるので現実味がない、と却下していたのよね。でも、水の確保は簡単な解決策がないので、ボンマットの過疎や過重労働問題の解決に恩を着せる形で考えてみようかしらね。
「ありがとう。黒魔女殿の口添えがなければ、この発掘調査はすぐにでも頓挫していた……」
「この地域を見つけちゃったのは私なので、その責任を取っているだけなんですけどね。後はお風呂の文化を広めたいですしね」
苦笑しておくけれども、硫黄の存在は管理せざるを得ない案件で、これだけは国家管理しなければならない。王都騎士団が駐留することは既定路線で、調査費用は基本的に面倒を見ない。代官扱いにするから頑張れ、という有り難い励ましを賜ったわけで……。
「文化……なるほど、なるほど、文化を学び、広めるという大儀を頂いた。ああ、女王陛下の深き洞察と慧眼には感服するばかりです」
インプラントの影響か、純粋にエミーのカリスマ性のせいか、ナサニエル師は恍惚の表情で実質の代官の任を拝命したのだった。
――――エミーも腹黒くなってきたなぁ……。




