女王陛下の行幸2
【王国暦124年11月25日 19:26】
夕方頃にブリスト南迷宮に到着すると、オネガイシマス以下半魔物たちや住人たちに大歓迎された。本日の宿は迷宮内部ね。
「聖女様、お待ちしておりました!」
ライトアップされた『塔』と迷宮都市の賑やかさは、ロンデニオン西迷宮に勝るとも劣らない発展ぶりだ。発展といえば、迷宮の西側に広がるノクスフォド公爵領の街も恐ろしく発展している。明日の朝はオースティンがいるだろう公館で軽く話し合いが持たれ、午後にはストルフォド村に移動、という予定になっている。
夕食は迷宮都市住人だけで歓迎会が開かれた。会場は『塔』の一階部分で、テーブルと椅子が持ち込まれて半分立席の形式だった。
料理の方はバリエーションの広がりをこれでもか! と見せつけた豆腐料理のオンパレードで、メニューの一部はお付きの人たちにも振る舞われた。
「んー、こんなに食材を放出しちゃって大丈夫なの?」
「はい、マスター。ギギギ……。生産能力は飛躍的に向上しております」
ホントかよ、とバイゴットを疑って帳簿などの資料を見ると、西側の街を建設するにあたって、合流した建設ギルド員の協力もあって、外貨を物凄く稼いでいる。半分ノクスフォド領地側の公共事業みたいなものなので、その金で周辺のブリスト衛星村から作物を買ったり、こちらから売ったりで経済が活発化してるんだという。ポートマットに化粧品の原料も売ってるし、ウハウハっぽい。
本来、ここは、迷宮内部にある土地だけで完結する規模だし、実質的な独立国家でもあるから、内向きになろうと思えばお金を貯められるんだけど、敢えて吐き出してる感じ。それで周囲から人が集まり、また経済圏が大きくなり……と、今のところ、この場所は好循環で回っている。
歓迎の席で、カサンドラは子供を抱いて登場した。
「ああ、大きくなりましたね」
「はい、陛下のお陰です」
スペクトルは今のところ魔物っぽくはない。成長は……普通? まだ一歳だか二歳だかだし、言葉を喋るなら発達が早いと言えるけど、今のところはそんな兆候はないそうだ。
それにしても、産婆さんの経験がある女王陛下っていうのもなかなか凄いなぁと思ったり。戴冠前は一月に一回くらい、ピンク色のハート様アバターにチェンジしてカサンドラ親子の様子を見ていたらしいけど、それでも実際に見ると違うんだとさ。
子供を抱いて眼を細めるエミーは、近い将来、自分たちの子供たちにも、あんな風に慈愛の笑みを見せるんだろうか。そう考えると、ちょっと体の奥が熱くなった。
《俺様のせいじゃないぜ?》
《何をいっとるんじゃ……?》
イフリートが弁解するのを、ノーム爺さんがからかう。このやり取りが見えているのはエミーだけで、クスリ、と笑った。違和感なく、その笑みは歓談に向けられる。
「皆さん、お変わりはありませんか?」
「はい、陛下、今のところ、危険な兆候はありません。魔物化は止まっています」
受け答えをするのは、実質の首長に据えているオネガイシマスだ。今のところ、と但し書きがついてはいるものの、安定しているのは間違いない。
「皆さんに不自由がないよう、可能な限りの便宜は図ります。いつでも申し出て下さい」
正確には、この迷宮はグリテン王国ではない。にも拘わらず、エミーは便宜を図ると言った。
「ありがとうございます、陛下」
オネガイシマスは、エミーの言葉が二つの意味を含んでいることを察している。一つは無償の気遣いであり、もう一つはグリテン王国に帰属してほしいという婉曲な勧めだ。エミーはこの迷宮の副管理者でもあるので、強制的に命令することはできる。
でも、今のところ王国に帰属するメリットが殆どないし、周辺経済が『コントロールできる他国』を中心に上手く回っているので迂闊に触れない方がいい。軍事的に制圧するのは、今の王都騎士団、ブリスト騎士団なら可能かもしれないけれど、多大な被害が想定される。何より仲間意識が双方にあるから、他国という意識は希薄だろうと思う。
エミーの帰属への迂遠な勧めは、これもポーズであり、帯同しているマッコー辺りを意識したものと思われる。とはいえ、当のマッコーでさえも、現状維持が一番良い、という判断をしているはず。
今回の行幸には根刮ぎ拉致してきたので、王宮に偉い人は一人も残っていない。王都への帰着は明後日の予定だけど、三日間は国政がまるで止まってしまう。大陸では内戦が起こりつつあるそうだし、プロセア以外にもグリテンを脅威に感じて攻め入ろうとする勢力があるとも聞く。周辺勢力は総じて不穏だし、呑気に過ぎるとは思う。
しかしエミーには休息が必要なのも確かで、張り詰めたままでいたら、いずれ切れてしまう。自分でリラックスの方法を模索しているのだろう。いい意味で区切りをつけよう、というのだ。
ところで――――。
マッコーはパイゴットたちを唆して、ブリスト南迷宮へ行くように仕向けた、いわば半魔物たちを創り出した黒幕とも言える。マッコーは表面上を繕って落ち着いてはいるものの、内心は冷や汗を流している。
「まあまあ、宰相殿。一杯どうぞ」
「む……うむ……」
「こちらも美味いですよ……ギギギギギ……」
「うむ……」
「ではこちらもお試しになっては如何でしょう?」
「むむむ……」
意趣返しのつもりか、半魔物たちと未亡人たちが入れ替わり立ち替わり、ブリスト産のワインやエール、はたまた蒸留酒、この迷宮で試作中の日本酒など……を注いでいる。半分ドワーフの血が入っているマッコーは、気を張ってアルコール攻撃に耐えている。
元々ドワーフの体はトーマスがそうであるようにアルコールには強く、火が点きそうなアルコール濃度のお酒でもガブガブ飲んじゃう人が多いそうな。マーガレット女史もあれでかなり酒豪だけど、やっぱり限度はあるらしく、肝臓をやられるのがドワーフの死因のトップなんだとか聞いた。あれだけアルコールが入ってると、死んでも腐らないんじゃなかろうか。これで死んだら、収集している剥製やらの隣に本人も飾ってあげようと思う。
「どうぞどうぞ」
「う……む……ぉぇ」
マッコーは赤ら顔だったのが、段々青くなってきた。良い感じに急性アルコール中毒だなぁ。
「さあさあ」
「ぐっ、ぐぬっ、うぅっ」
「まあまあ、もう一杯」
マッコーの目が澱んで、助けて母上、だなんて甘えてるので、ニッコリ笑っておいた。この程度で済んでるんだからありがたいと思わないとねぇ。
「きゅう」
いい年をしたマッコーが小動物みたいな啼き声で、ついにダウンした。ワッと半魔物たちが鬨を挙げた。
「うん、可愛らしい意趣返しに、可愛い反応で落ちたね」
「なかなかえげつない攻撃だった」
ラルフがニヤニヤと笑って、半魔物たちとハイタッチをした。どうやら、このアルコール責めは義理の息子のアイデアらしい。
「まあ、このままじゃ普通に死んじゃうから」
私も苦笑しつつ、『解毒』でマッコーのアルコールを抜いてやる。青い顔が赤ら顔になり、呼吸が安定したのを確認する。
「宰相殿はどうしよう?」
「その辺に寝せておけばいいよ。ウンディーネが介抱してくれるでしょ」
《面倒だけど仕方がないわね》
ウンディーネは嬉しそうに現界して、マッコーの側についた。うん、歓迎会で急性アルコール中毒死寸前まで行ったことは、きっとトラウマになるだろうね! しかし、マッコーも献杯を拒否しなかった辺り、とっても九州男児だなぁ!
歓迎会が終わって解散、自由行動になると、エミーは奥様方を集めて二階の厨房に上がり、料理会を始めた。まだ食べるのか……。エミーの護衛にはフレデリカがついて、ラルフはといえば地下の演習場に拉致されていった。ファリスとリアムも何だか拉致されていったから、アルコールが入ったまま模擬戦でもするんだろうねぇ。
ここの半魔物たちは元々、王都騎士団員だったわけで、知己もいるんだろう。恨み言の一つや二つや三つや四つや五つや六つはありそうだけど、『他国の騎士団』同士の交流という範疇を超えないでくれればいいや。仲良くできるとイイネ。
私はといえば護衛の人たち数人と一緒に、『塔』二階の食堂で待機していた。女王陛下が作りたもうた聖なる料理を食す人間が必要なのと、護衛が護衛対象から目を離せないという理由による。
本来ならリアムがこの場にいなきゃいけないんだけど、せっかくだから近衛騎士団の強化っていう意味でもやらせた方が良さそう、だなんて理由で演習の拉致に協力しちゃったのよね。
こうやってボーッと料理を待ってるのは、ちょっと前ではロンデニオン西迷宮管理層で良くあった夕餉の光景だ。
もうすぐ出来ますよ、お姉様、座っててくれよ、小さい隊長、だなんて。囚われの聖女様は、いずれ外に出て蝶になるのだ! 苦労かけてるなあ…………だなんて思ってたけど、いざ蝶になってみると羽ばたくのに忙しいときたもんだ。
「豆腐が美味しい~」
「さすが女王陛下!」
エミーってば、ははぁ、歓迎会で出てきた、弟子共の作った豆腐の品質に、内心は不満があったわけね。ちゃんと食べて美味しいとか言っておいて、後になってこうだ! と見本を示したと。この豆腐を作ったのは誰だぁ~! とか言わないのは一見優しさに見えるけど、頑固職人の有り様そのままで、元の世界なら京都辺りの老舗料亭の女将みたい……。
「あんさん、違いますえ……」
「は?」
護衛の騎士の一人が振り向いた。独り言をスルーできない子は出世できないわよ。
「そのうち大量に料理が運ばれてくるから、覚悟しておくといい……」
「はっ」
はっ、じゃねえよ……。もう寝る時間だっていうのに、みんな太るよ?
【王国暦124年11月26日 9:08】
朝食も豆腐フルコースだった。禅寺にでも来たような、そんな錯覚を覚える。
護衛部隊が出立の用意をする中、私たちはオースティンが待つ公館へと向かった。
「ようこそいらっしゃいました、女王陛下」
「ブノア卿、息災でなによりです」
エミーは穏やかに言った。オースティンが結婚してくれ星人なのは知れ渡っているので、内心は穏やかではないはず。はずなんだけど…………今日のエミーは本当に穏やかだった。
「如何なさいましたか?」
「いいえ、何でもありませんよ」
エミーの言動には勝ち誇った余裕が見えて、オースティンにはそれが違和感として感じられるのだろう。得体の知れないプレッシャーを受けて、首を捻っていた。
「正式に国として、ブリスト中心部に迷宮の建設を許可します。事前交渉通りではありますけどね」
「そうですか! ありがとうございます、陛下」
ブリストの街中に迷宮を建設する計画は前々からあったけど、規模や付随する施設の決定、予定地の立ち退き、冒険者ギルドへの根回し、建材の手配が完了したので、実行段階に入ったってことね。
実際の建築は私と迷宮、魔物任せになる。今回連れてきた魔物十体は一度この迷宮に置いておいて、最終的には新迷宮の礎になるわけね。この温泉旅行……じゃない、行幸の後、私は現地解散でブリストに向かう予定になっている。
既に出来上がっている街の中心部に、魔物養育施設を新規に建設しようっていうのは、よくよく考えれば大胆な話で、ノクスフォド公爵は危険性を認識した上で渇望したのよね。
こうなってくると本当に元の世界の原発みたい。言葉のマジックで(電源)立地を言いくるめたりも札束で頬を叩いたりもしてないから、純粋に需要を満たしたかったのだと。
需要、というのは下水道、上水道と動力源。
ブリストから見れば、短期間で目も眩むような成長を遂げたブリスト南迷宮の迷宮都市を羨むだろうし、迷宮の建設自体は既定路線なのよね。
ブリストの街からブリスト南迷宮に下水道を引く、というのは距離がありすぎて、あまり現実味がない。ということで、目的の街に近い場所に迷宮を作りたい、と思うのは当然。単に作業をするのが私だけで済む、だなんて下世話なつもりかもしれないけどさ。費用に関しても、迷宮都市西側の街の建設でかなり使っちゃってるみたいなので、金銭的な余裕がないのかもしれない。
まあ……一時的な安価を求めると、碌な事にはならない気もするけど……。こっちの匙加減一つだから、手加減はしておこうかしらね。
その他、幾つか事務的な事柄を話し合って公館を出る。今回の温泉旅行は身内だけなので、オースティンは誘われておらず、ちょっと寂しそうだった。まあ、何日か後で一緒になるからいいよね。
その足で迷宮の『塔』に戻ると、出発準備を整えていたご一行様に加えて、目立つ黄緑の青年と、壁のような少女が待っていた。
―――――ギラリ、と女王陛下の目が光った。




