困惑の聖者
【王国暦124年11月4日 10:14】
朝に聖教本部に伺います、と言っていた手前、一応は朝と言える時間に到着したことでホッと胸をなで下ろす。十分に余裕を持っての攻略だったんだけど、徹夜での迷宮攻略は、やっぱり時間が読めなかったわね。ちょっと反省しきりだわ。
「遅れまして申し訳ありません」
「いえいえ。お待ちしておりましたよ」
ネイハム司教自らが出迎えてくれた。聖教本部を訪問する客人としては最上級のもてなし……なのがとても気持ち悪い。
通された応接室には、他に三人いた。
マザー・ウィロメラとマッコー、そして――――。
「あ……。小さい親方。久しぶり……でもないかな?」
「オダさん……」
ポートマットでハーブを売ってたはずの勇者オダも同席していた。ポートマットで話は聞いていたものの、本当に連れてこられているとは。溜息をついて落胆の意を表すると、ネイハム司教は私の神経を逆撫でするように柔和な言葉を掛けた。
「オダ殿は黒魔女殿のお役に立ちたい、と。そう申し出て下さいましてな。私共も、オダ殿の献身的な心がけに感涙を禁じ得ません」
「そうですか」
冷淡に答える。昨晩は寝てないもので、疲労もあって体が重い。少しお腹も痛いし……いや、これって生理が始まりそうなのかな。ここのところ不順だったから、昨晩の無理でちょっと早まっちゃったのかもしれない。
どうぞ、お座り下さい、と言われるも、話とやらを早く切り上げたいという姿勢を示すために無理をして立ち続ける。
マザー・ウィロメラは諦めたのか、そのまま話し出した。
「黒魔女殿には『神託』があります。グリテン山脈にいる火の精霊と、このオダ殿の契約を手伝って頂きたいのです」
穏やかにマザー・ウィロメラが宣う。その『神託』を受けて、今まで実行役として動いてきたマッコーは、あからさまに渋面を作った。
「マザー・ウィロメラ、私は貴方たちのチームに所属している訳ではありません。その命令に従う道理がありませんが?」
嫌悪感を前面に出して拒否をしてみる。オダが同席しているけど、ここにいるということは、様々な事情を説明されてきたんだろうね。ということは、『ラーヴァ』の正体が何なのかも知っているということになる。
『使徒』のことは知ってるみたいだけど……まあ、ボカして話せばいいか。
「そうは仰いますが、『使徒』から降りてくる『神託』はどれも同質のものです。『使徒』が複数であるのはお気づきかと思います。その誰もが、『神託』スキルの持ち主に伝えることの出来る祝詞なのですから」
マザー・ウィロメラが言いたいのは、たとえば私を重用している『使徒』が、マザー・ウィロメラに対しても『神託』を伝えてくることもあるのだ、ということ。『神託』の受け手は誰でもいいのだから、本質的に同じものだと言いたいわけね。
「遠回しに死ね、と言われるのが『神託』だと仰いますか。私には到底、貴方たちを信じることはできませんね。何度死にかけたと思ってるんですか?」
口の端を釣り上げながら右腕に『光刃』を纏わせると、ネイハム司教とマザー・ウィロメラの表情が、にこやかなまま固まった。
「ここは神聖なる神のおわす座ですよ」
「はあ、そうですか。いい加減ウンザリしているんです。貴方たちが黒幕気取りで計画したことで、どれだけ迷惑したことか。殺さなくてもいい人を殺しましたしね。それでいて貴方たちは手も汚さずにいる。罪悪感の欠如は度し難いほどに罪深い。当事者の自覚が足りないことに原因があるんじゃありませんか?」
「罪の意識はあります」
ネイハム司教は真面目に言ったけども、宗教家の真面目な表情ほど胡散臭いものはない。
「ありませんね。現に今回も大人しくしていたオダさんを引っ張り出して私を害そうとしている。いい加減、他人を使うのはやめませんか?」
ヒュッ、ヒュッ、と右腕で素振りをする。アーロンを脅した時のように、テーブルに穴を空けてもよかったんだけど、この応接室にあったテーブルは立派なもので、傷付けるのが躊躇われた。そんなしょうもない理由で脅し方が変わるんだから、物作り職人っていうのは呪われているのかもね。
「拒否する、と仰いますか―――――」
図星を突かれて怒気を纏いつつあったマザー・ウィロメラが、私を糾弾しようとしたのだろう、前のめりになったところで、白目を剥いた。
「マザー!?」
ネイハム司教が素早く駆け寄り、マザー・ウィロメラを抱き留める。マザー・ウィロメラは体を弛緩させて、実質の聖教会ナンバーワンという威厳もなく、だらしなく涎を垂らしていた。ユリアンもそうだったけど、『神託』受信中は物凄く格好悪くて無防備よね。
「小さい親方、これって……?」
「マザー・ウィロメラが『神託』を受けている最中だ」
オダに解答したのはマッコーだ。マッコーの立ち位置は、この場においては物凄く微妙なものとなっている。インプラントを施され、私の血肉を受けたことで逆らえなくなり軍門に下り、実質的にマザー・ウィロメラのチームから外されている。これはマッコー本人に確認したことだけど、実際に戦力外通告を受けたそうだ。それでも、『相談』と称して私を教会に連れてくるくらいのことは請け負うらしい。一筋縄ではいかない、因果な関係は続けざるを得ないんだろうね。
「これが『神託』……?」
オダの呟きに今度は反応せず、マッコーは私に向き直った。
「母上、この『神託』は拒否されるのですか?」
ユリアンからの『神託』を聞いておらず、東迷宮への侵攻もしなければ、マザー・ウィロメラの『神託』に唯々諾々と従って火の精霊と対峙していたかもしれない。その道中で生理で戦闘力が低下した状態で……となれば、偶然が重なるとはいえ、凶悪な罠だったと思う。まさか、『使徒』の方で私の生理周期をコントロール、もしくは監視してたりするんだろうか。
確かに私こそが世界の歪みなのも間違いないので、そこまでされることに一定の納得はする。けど、プライバシーの概念は『使徒』にも適用されていいと思うのよね。
「ん~、どうしようかなぁ。とりあえず新しい『神託』次第かなぁ」
素振りを続ける。
と、マザー・ウィロメラが憔悴した表情のまま、顔を上げた。『神託』を受け取り終えたみたい。
「貴女は………何をしたのですか?」
マザー・ウィロメラの第一声がそれだった。
「何を、とは?」
白々しく訊き返す。
「王都東迷宮を……」
「ええ、ロンデニオン東迷宮は、今朝攻略してきました。それが何か?」
「なんですと……!」
ネイハム司教が口を四角にして驚愕してくれた。連中の思惑を出し抜いてやったことが非常に心地良い。マッコーも驚いている。クレイトンとは知己のはずだしね。
「この場にいる以上、今し方の『神託』は、私にも聞く権利があります。何と伝えられたのでしょうか?」
「く……。ひ、東迷宮への連絡は取り消し……」
マザー・ウィロメラから、聖職者らしからぬ憤怒が私に向けられる。ああ、何て心地良いんだろうねぇ。
「火の精霊については?」
「言及されませんでした」
「なるほど、ではそちらはお受けしましょう。元々の付帯条件は? オダさんを連れて行くことでしたっけ?」
「その通りです……」
ネイハム司教が頷く。
「では、私の方からも条件を出させて頂きましょう。冒険者ギルドポートマット支部のカレン・サンダース、ブリスト騎士団のシモン・オードネル、ロンデニオン騎士団のゴリアテ・ネムツォフ。以上の三名に加えて――――」
ちらり、と聖職者二人を見ると、二人とも口を開けた。何が言いたいのか察したようだった。
「まさか……」
「はい、マザー・ウィロメラ、ネイハム司教、合計五名の徴用と同行を条件と致します」
「私が戦闘に参加したのは若い頃です。行軍についてはいけませんよ?」
「いえいえ、お二人ともご健脚でいらっしゃる。なに、お二人の歩幅でゆっくり参りましょう」
私は歯を見せて両手を広げた。
「母上、この所業は無体ではありませんか?」
マッコーが気の毒そうに私を軽く詰問する。
「ううん。やらせる人には、それなりの覚悟が必要だと思うよ? 良い機会だから聖職者のお二人は、少々、現場を知って頂かないと」
善意を押しつけるつもりでにこやかに説得する。
「それは……女王陛下もお認めになっている?」
我が子の判断かどうかを訊いてるわけね。
「その通りです。承認されていますよ」
私は深々と頷く。
「貴女は……何様のつもりなのですか?」
マザー・ウィロメラには善意が通じなかったみたいで、怒気を強めた。怒り方が丁寧なのでちょっと笑っちゃうわね。
「幼気で死にそうで、哀れな魔術師ですよ」
「なんと罰当たりな……!」
普段のマザー・ウィロメラを知らないけど、悪鬼のような顔になってるわね。
「罪を決定するのはお二人ではありません。罰を与えるのは誰になるかはわかりませんが。で、私には別に火の精霊とやらに正対する必然性がまるでないんですが、行けばいいんですか?」
酷薄な笑みを聖者たちに向ける。
「何も言われていない以上は、そのまま実施すべきでしょうね」
マザー・ウィロメラの方はプンオコ状態が続いているので、まだ冷静に見えるネイハム司教が答える。
「私の条件は呑んで頂けますね?」
火の精霊は、誰が契約するかはともかく、見てみたいものね。マザーは放っておいて、ネイハム司教に確認してみる。と、そこでオダが会話に横槍を入れた。
「ちょっと待ってくれ、小さい親方の役に立つ、って言われたからここに来たんだ。親方が主体の話じゃないのか?」
「契約というか使役をしにいこうという火の精霊は暴れん坊なのよ。その昔、そこのハーキュリーズ・マッコーキンデールの父親が契約したところ、正常な意思を保てずに精神が荒れたそうだよ。そんな存在をオダさんと契約させるということは、不死の属性を持つ、狂った勇者を生み出そうとしていた、ってことよね。暴れん坊の精霊と一緒に、私に刃を向けるように仕向けてね。そう誘導しようとしてたんだよ」
「なんと。事実なのですか、それは!」
私の推測を交えた暴露を聞いて、今度はマッコーが聖者二人に怒りを向けた。
「あれ、ちゃんと説明されてなかったの?」
疑問に思ったのでマッコーに訊いてみると、私を聖教本部に連れてきてくれ、とだけ伝えていたらしく、詳細は語られていなかったんだという。
「まさか母上を害する算段だったとか……この身に埋め込まれた魔道具の効果には関係なく、それがグリテン王国にとって、どれほどの悪影響をもたらすのか、想像も付かないというのですか!」
間違いなくインプラントの効果だろうけど、マッコーが今度は聖者二人を詰問する。グリテン王国の中枢にいるマッコーは、エミーの政策決定を見ている。その政策は私なしでは行えないものが多数あるし、国の興亡に直結している。宰相としての責任感が私を重んじさせているのも、また事実だろうけど。
「ハーキュリーズが易々と取り込まれてしまったから、私たちが苦労しているのですよ? 己が不手際の後始末を代行させている自覚もないとは、そこまで愚鈍に墜ちましたか!」
あな情けなや! とばかりにマザー・ウィロメラは顔を掌で覆った。
このままだと喧嘩になって収拾がつかず、話が進まない、と危惧した私は、善意の第三者としてわざとらしい笑顔を振りまきながら、三人の間に割り込む。
「まあまあまあ。オダさんを連れて火の精霊を拝みに行けば良いのでしょう? 受諾しましたとも。ご一緒に巻き込まれに参ろうではありませんか」
そして合掌し、二人の聖者にお辞儀を見せつける。遠回しに死線に投入します、と言っているのに気付いたのか、マザー・ウィロメラも、ネイハム司教も眉根を寄せて汗を見せた。
――――オダだけが、ぽかーんと、その様子を見つめていた。




