※西国の野菜シチュー
【王国暦124年1月1日 17:08】
年内にケリをつけるつもりだったけど、越年しちゃった。
三日連続の国境越え、ウェルズ入り。そしてレーン邸通い。
「うん、血色もいいし。少しずつ運動をしていきましょう」
「はい、先生」
しっかりとした声で答えたのはルビー嬢だ。三日目ともなると、もう『治癒』は必要なく、関節の痛みも消え、体の薄さ以外は病人だったとは思えない。この黄緑の女の子がベッドの上で上半身を持ち上げると、なんだろう、大いなる壁が出現したような気分になる。
肩も張ってるものだから余計に元の世界のウルトラマンに出てきた、首のない棲星怪獣を思い出しちゃう。ついでに、元は人間だったという悲しいエピソードも思い出す。ああ、水にも弱かったっけ……。
ルビー嬢の顔は悪くない、むしろ可愛らしい。しかし、その顔の下には壁がデーンと……。
うおう、もう壁にしか見えねえ……。正面から見ると普通なんだけど、横から見ると違和感がある…………。
ハッ。
これが二次元美少女ってやつか……?
「黒魔女殿、本当に何と言っていいか……」
娘が快方に向かって、ブレンダンが喜んでるやら泣いているやら困っているやら、不思議な顔をしていた。
「……………」
困った顔一色なのはヴィニー・レーン伯爵夫人。ルビーが健康そうに見えるのは今だけだ、ということを言ってあるから。
環境がこのままなら、いずれ再び、呼吸器へのダメージを負う。歳を重ねて成長し、多少は耐性を得るだろうけど、本質はそう変わらない。
「旦那様、夕食の用意ができております」
何とも言えない微妙な空気の中、メイドさんがルビーの部屋に入って告げる。
「ああ、今行く。ルビーも着替えたら来なさい」
「はい、お父様」
壁少女が柔らかく微笑んだ。
【王国暦124年1月1日 17:45】
「ほうほうほう、これがウェルズ名物、ウェルシュ・シチューですか……!」
「名物と言われると恥ずかしいが……。まあ、そうだな。地元ではコウルと呼んでいる」
このメニューをリクエストしたのは私で、ルビーの体質改善にヒントが得られるかもしれないと、普段食べているものを聞き出して、興味を持ったから。
自家製ペヤ○グなんか常食してる私が何言ってんだ、って話ではあるけど、それはそれで。ホラ、私って医者の不養生ってやつだし?
まあ、元の世界のウェルシュ・シチューも知らなかったし、どんなものなのかな、と。
かのシチューの味付けは塩のみ、肉は兎。入っている野菜は根菜が多く、タマネギ、イモ、白ニンジン、北方カブ。それに白ニンジンの葉の部分も入っている。
何というか、元の世界なら、ここからカレールーを投入するところ……という感じで、作りかけの料理みたい。調理した料理人さんも同席してもらって、料理の解説をしてもらう。
「説明するほどでもないのですが、ウェルシュ・シチューは白ニンジンと北方カブが入っていれば、あとは何を入れても構いません。肉も子羊の時もありますし、鶏のこともあります」
融通無碍でいい、ということらしい。『シチュー』は元々ソース煮込みの意味だから、元の世界の日本人的にはとろみの付いたものを想像するけど、これは透明のスープだった。西の海峡を渡ったイアラランドにも、イアリッシュ・シチューなる、似た料理が存在するんだと。
この料理の匂いは悪くないし、丁寧な仕事がうかがえた。
「お待たせ致しました」
お貴族様なので、ちゃんと夕食用の薄緑色のドレスに着替えてきたルビーは、わざわざその色にしなくても良さそうなものなのに、もう壁型宇宙人を意識しちゃってるようにしか見えなかった。一般的なドレスはコルセットの着用が大前提なので、多少のくびれは見えるはずなのに、今のルビーにはくびれがなく、可動式のフェンスじゃないかとツッコミを入れたくなった。
というのは、コルセットの着用をしばらく止めてもらうようにお願いしたから。
「コルセットがないので、とても楽です。はぁ~。楽です」
コルセットは巷の市民でさえも、ドレスを着用するような婦人なら欠かせない。でも、これは常用すると体幹の筋肉を弱めてしまう。食べるばかりで運動もしないようだと、お肌の曲がり角を過ぎた辺りからブクブク太ってしまう。母親はあまり太ってはいないのが幸いと言うべきか、体質的には太りやすくはないみたいだけど、ケアをしないとやはり肥満に至るのは自明の理というもの。そして、肥満は万病の元、だ。概してこの世界、この時代の人は塩分摂りすぎなのよね。
ルビーが席に着き、ロウソクの灯りの中、静かに夕食が始まった。ちょっと暗いけれど、話によれば、ルビーが眩しがるから、この暗さにしているんだとさ。今はそんなに眩しがっている様子はないけれど……。
「本当はもっと豪華なメニューにしたかったのだがな……」
「いえ、十分豪華ですよ」
ちょっとニヤリとして私は答えた。というのは……パイなのは見てわかるんだけど、魚が突き刺さってる……絵面が凄い料理がテーブルに鎮座していた。
これ、スターゲイジーパイってやつで、某ジブリの映画で主人公の魔女が届けていたパイ。どうしてこんな奇天烈な形なのかは諸説あれど、伝統というやつらしい。パイは意外に作るのが面倒だし、バターは高級品。これだけでも歓待の姿勢が見えた。良い感じにゲテっぽいじゃないか……!
あとはレイヴァー、とだけ教えられた黒い塊。
「これ、海藻ですか?」
「うむ。美味いかどうかは……食べ慣れているというだけだな……」
普段は温野菜のサラダがあったりするみたいだけど、ウェルシュ・シチューに野菜が入っている時は省略するらしい。今回はこのレイヴァーが野菜代わりみたい。
パンも干しブドウが入った蒸しパン。これも伝統料理なんだそうな。
明らかにロンデニオンともポートマットとも、一番近いブリストとも、違う食文化だとわかる。
これに飲み物はウェルシュ・ワインを合わせるんだから、舌がどうなってるんだ、とツッコミを入れたくなる。
ところで、私はアルコールが駄目だ、ということを伝えたら、何と…………。
「おお、ノンアルコールビールですか……!」
以前、アビゲイル女史に『バリー』って銘柄を貰ったけれど、今回は違う銘柄みたい……。
「子供の飲み物以下、という評価を受けているが……。黒魔女殿はどうにも変わっているな」
要するに、酔えない酒に意味はないだろう? と言いたいみたい。味はまあ……気の抜けた、味の抜けた、薄い甘味のある、ビール風? の飲み物だった。『バリー』より炭酸は強いし、後味はビールというより発泡酒に近い気がする。舌が安いのか、こっちの方が親しみを感じる味かも。うん、コレいい、気に入ったかも。
「この銘柄ですが、販売店を紹介して頂けないでしょうか」
「構わんよ。後で知らせよう」
「ありがとうございます」
本当にこれで酔わないのかな……。いや。やっぱり、すこーしだけアルコールが入ってるや。醸造しているなら、全くのノンアルコールにするのは難しいのかな?
ノンアルコールビールを一口飲んだ時に、私の体内で『解毒』が始まった。この程度ならゴクゴクは飲めないけど、チビチビ、解毒をしながらなら飲めそう。
口を潤した後は、ウェルシュ・シチューを食べてみる。
「んっ」
うん、塩味だけなのに滋味。兎肉は淡白でそれほど強い出汁が出るわけじゃないから、旨味の殆どはタマネギが出してるみたい。白ニンジンは微かに甘く、北方カブはシャクシャクしている。素朴な煮物……は素直に美味だった。
「美味しいです」
「それは良かった」
ブレンダンはホッとした表情だった。出された料理に文句を付けるのは山岡さんだけ。
魚の突き出たパイも、見た目はともかく、味はいい。これって、中にカボチャのペーストが入ってるのね。魚はニシンか。見た目は面白いけど、どうにかした方がよさそう。レイヴァーは、まあ、海苔だね。案外、過去の勇者が再現しようとして失敗した料理じゃないかと思ったりする。
面白料理を堪能しつつ、そのまま静かに夕食が進むかと思われたけど――――。
「かっ、はっ。コホッ、コホッ」
モリモリ食べていた私の目の前で、今まで普通に食べていた壁少女が突然、咳き込み始めた。
「ルビーちゃん!」
修羅のような顔つきになり、私を睨みながら、ヴィニーはルビーに駆け寄った。ホレ見たことか、このインチキ治癒術師め! と、その顔に書いてあった。
ヴィニーの私への評価は置いておいて、主治医みたいなことになってる手前、私も食事を中断して、ルビーに近寄った。
「んー?」
ルビーの、細い二の腕にじんま疹が出ていた。これは――――何かのアレルギー反応かしら。
同じく近づいていたブレンダンをチラリ、と見る。ブレンダンは察したようで、ヴィニーを背後から抱きしめるようにして押さえつけた。インプラントもしていないし、血を混ぜたわけでもないのに、意思が伝わったみたいね。
「あ、貴方……?」
こんな時に何を、って顔をしているね。でも、別に夫婦でよろしくやってもらうためにヴィニーを止めたのではない。
「ふむ……。ルビーさん、ちょっと我慢してね」
「コホコホッ」
ルビーは咳き込みながらも頷いた。
今食べた食材の中に、ルビーがアレルギーを示す食品がある。簡易的ではあるけど、ウェルシュ・シチューに入っていた食材を指で潰して、ルビーの二の腕に擦り付けていく。
「ん~?」
どの食材にも反応がない。ちょっと思い立って、白ニンジンの葉っぱを試してみると……。
「ガハッ」
ルビーの咳が酷くなった。皮膚も目立って赤くなった。コレかな?
「――――『解毒』」
白ニンジンの葉っぱを思い浮かべながら解毒を行うと、ルビーの咳は見る見る収まっていった。
このシチューを作った料理長さんは青い顔をしていた。自分の料理が原因だ、と気付いたからだ。
「黒魔女殿…………。これは……?」
「何より先にルビーさんをベッドに連れていきましょう。話はそれからです。ああ、シチューは残しておいて下さいね。よっこらしょっと」
残ったモノは私が食べるからね。
爺臭い掛け声をかけて、薄い板少女をお姫様抱っこする。エミーならここで桃色光線が出まくるシチュエーションなんだけど、ルビーだとパネルを運んでいる建設業者みたいな土木色オーラが出そう。
「先生……私、大丈夫です」
「ううん、こうなったらお部屋に戻って、消化の良い物をゆっくり食べましょう。どちらにせよ、今はお料理を楽しむ気分ではないでしょう?」
反論を封じ込めて、私は壁少女の自室へと向かった。
【王国暦124年1月1日 18:55】
「結論から言えば、白ニンジンの葉っぱ、それと茎ですか。これがルビーさんを苦しめていたようです」
「え……栄養があると思い、あの、その、彩りも……」
料理長さんは詰問されていると思ったのか、しどろもどろに弁解を始めた。それを私は真面目な顔で制する。
「これも体質による耐性に高低があるのでしょう。今回の件は原因と結果が結びつきにくいものですし、料理に非はない、と断言します」
溺愛しているくらいなんだから、まず母親が気付けよ、とは思うけどさ。良かれと思って色々やってたのが裏目に出たと考える方が、きっと精神的に楽よね。
「そんな…………」
ヴィニーが蒼白の表情で呟く。白ニンジンの葉っぱと茎を刻んで入れるように指示したのは、この母親だったんだろうね。料理長さんは指示に従ったに過ぎない……。
「お母様。誰も悪くはありませんわ。ううん、悪いのはわたくし。わたくしが病弱だったのがいけないのです。でも、それも先生が改善させて下さいました。わたくしは健康になったのです。生き続けることが出来るのです。それ以上に何を望みましょうか?」
「ルビー……お前……」
「ルビーちゃん……」
「お父様も、そんなに驚いた顔をしないで下さい。わたくしは、こうして流暢に喋ることができるようになったのですよ?」
ルビーは上半身を持ち上げて、彼女に出来る最大限の笑みを浮かべた。それはそれはとても嬉しそうで、まるでジャミラが笑っているよう……。
やべっ、いいシーンなのに、科学特捜隊のテーマが頭の中でループ演奏されてるよ。
【王国暦124年1月1日 20:13】
ルビーを寝かせて、食堂に戻り、残ったスープを頂くことにした。
確かに…………。葉っぱと茎を食べると、私の中で自動的に『解毒』が始まった。さっきはアルコールと一緒だったからわかりにくかったみたい。
「わざわざ毒入りだとわかっているものを食べなくてもよかろうに……」
付き添ったブレンダンに言われて、私も苦笑する。
「いえ、味的には葉っぱ入りの方がバランスがいいかもしれません。それに、この葉っぱ入りのコウルは、この家ではもう二度と食べられないでしょう?」
「まあ……そうだが」
全員から呆れられたけど、美味の前には衆目も気にしないわよ?
食事を終えて、ブレンダンの私室に招かれる。
こんな夜に若い女(私のことね!)を招き入れるとは大胆に過ぎるとは思ったけれど、内密の話があるんだろう、と了承した。
「酒は……やらんのだったな」
「はい」
真面目な話みたいだから、ノンアルコールビールも飲まないでおく。
「うむ…………。先に言っておくと、私はカディフ……いやウェルズ王国全体の軍事総責任者で、国王陛下に直接進言できる立場にある。その私は……娘の命と引き替えに……」
「レーン伯爵閣下、私は人道的な立場で治療をしたに過ぎません。私がここにいるのも、閣下がお呼びになったからでしょう? 僥倖にもルビーさんを治療できましたし、これも何かの思し召しというやつです。それ以上でも、それ以下でもありません」
ウェルズで活性化した三つの迷宮。それを裏から操っている者の存在。グリテン、いや、この世界中の誰よりも、一番手で疑われる資質を持っているのが、この私だ。
正直言えば、別に疑われてもいい。無実かどうかなど、どうせ証明できないのだから。
このブレンダン・レーンは、娘と引き替えに国を売った。ウェルズを火の海にしないための、愛国心に満ちた方策であったのは間違いないにせよ、規律を重んじる伝統の騎士団総長が自らそれを破った意味は大きい。信用のない人間として声高に叫んでしまったも同然なのだから、恥を知っている人間であれば、重用され続けることに心を痛めることだろう。
「次期女王陛下の思し召し、と受け取ろう。黒魔女殿、私はウェルズを愛している。だからこそ、ウェルズが残る形で…………お願いをしたい」
幸いなことに――――と言っていいものか、苦渋の表情を見せているブレンダンは愛国者でもあった。次期女王が、ウェルズを強制合併させるなどという暴挙に出ないようにしてほしいと。
「善処しましょう。全てが叶えられるとは思いませんけど」
それで構わない、とブレンダンは満足そうに頷いた。
一連の、ブレンダンとの会談は、私からこの言葉を引き出すためのものだった――――というと言い過ぎだろうか。
改めて、この緑の騎士団総長が、色々考えて私との会談に臨んでいるのだと感じさせた。
――――スターゲイジーパイは実在する!




