緑の父
【王国暦123年12月28日 10:30】
「私がグリテン冒険者ギルド本部より派遣されました、特級冒険者の――――」
「貴殿が『黒魔女』か。カディフ騎士団総長、ブレンダン・ジーク・パウロ・レーンだ」
ブレンダン総長は深い緑の髪の毛を持つ体格の良い男で、四十代半ばくらいに見えた。実年齢と変わらない、かな。
ここはウェルズ王国の首都、カディフにあるウェルズ王国冒険者ギルド本部。ウェルズの冒険者ギルドはグリテンの冒険者ギルドとは別の組織ではあるものの、いわゆる『横の関係』として相互協力の提携くらいはしている。
しかしながら魔核販売で潤っているグリテンの冒険者ギルドとは違って、こちらの方は建物からしてお金が無さそうなのが見て取れた。
古い木造の建物の二階、その一室では、会談が行われている。今、部屋にいるのは私とアンセルム・アチソン本部長、そしてブレンダン・レーン総長だけ。
私は二日前にブリストの冒険者ギルドに川を越えて入り、そこでブリスト副支部長のアビゲイル女史と合流して、再度、今度は正式にウェルズ王国入りをした。カアル支部長がお留守番なのは、無用に『魅了』しちゃうから、ウェルズ王国側に慎んで拒否されてるんだってさ。
ザンとエミーから、救援としても特使としても私が適任だろう、ということで送り出された訳なんだけど、元々カディフにいたので、こんな動きをした、というわけね。
で、冒険者ギルドにいるのに、どうしてカディフ騎士団のトップがいるのか――――というと、向こうから会談を申し込まれたそうな。
「俺も断れなくてな」
と、申し訳なさの欠片もなく嘯いたのはアンセルム本部長だった。アンセルムは、目配せをしてきて、これでいいのか? と訊いてきている。私も、これでいい、と目で返しておいた。アンセルムはすでにインプラントの影響下にあって思考誘導されており、迷宮の不利益になるようなことは出来ない。
つまり、カディフ騎士団側から申し込まれた、この会談をアンセルムが了承したのは、迷宮の利益になると判断しているということ。私もそれに同意して受け入れた。
「貴殿はグリテン王国で迷宮の専門家だと聞いている。意見を聞かせてほしいのだ」
ブレンダンは、これでも精一杯謙っているんだろう。言い方は剛直だけど、表情は困り果てて切羽詰まっている中で、出来る限り柔和に接しようとしているのが感じられる。
この人が黄緑くんの父君なのか……。決して美形ではないけども、実直な感じはする。少なくとも自身の身分を笠に着て、無闇に威張り散らす人物ではないと。ウェルズ王国が小国だということも関係しているかもしれない。私なんてド平民だから、威張って接してくれても、ちょっとイラっとするだけなんだけどさ。
「役に立てるような助言ができますかどうか……」
だなんて、一見殊勝な、裏事情を知っている人からは何いってんだコイツ的な発言をしておく。
「ブレンダン総長閣下。一通り状況を教えてやった方がいいぞ?」
アンセルムは閣下呼ばわりしているのに、物凄く雑な言い方をした。二人が知己で、直近までコミュニケーションを取っていたからだろう。
「そうだな……。五日前の話は聞いているか?」
「はい。その……」
私がアンセルムを見ると、アンセルムはフン、と鼻を鳴らした。
「俺がやられた日だな」
「ザン本部長から事前に聞いていた話では、アンセルム本部長はかなりの強者であると聞き及んでいます。その本部長があっさりとやられたとなると……迷宮からの要求を受け入れることは必然ではないかと思います」
「いいや、あっさりでも無かったぞ? 少なくとも一対一では負けてなかった」
アンセルムは負けん気を発揮した。アバター相手に評価されてもなぁ。
「本部長と戦ったのはゴーレムだと言ってましたね? ということは、アレを量産できるということになりますよね?」
「そうなるな……」
ブレンダンが渋面を作って頷く。その気になればミラーワールド、オルタナティブまで含めて再現できるよ!
「で、あれば、迷宮の言う通り、撤退が正しい判断だと思いますよ?」
「む……」
三日後までに撤退せよ、というアナウンスは正確に伝わっていたみたいで、カディフ東迷宮が存在する森から、騎士団と冒険者たちは撤退をした。そのうち、騎士団は森の出入り口付近で駐屯し、警戒を始めた。冒険者の方がアンセルムの一声で全員が引き上げたため、余計に戦力を割く必要があった。
もう一押しかな、とブレンダンの説得を続ける。
「迷宮の建設場所について色々と考えてみたことがあるんです。そこが魔力溜まりだったり、有望な産出物があったり、防衛拠点だったり……一つ一つ、その場所にある意味があるように思うんです」
私が産出物、と言った時に、ブレンダンの眉根が僅かに寄った。案外わかりやすい人かも。
「意味、か。このカディフ迷宮には一体どんな意味がある、と貴殿は考えるんだ?」
「防衛拠点でしょうね。迷宮はこのグリテン島にしか見つかっていません。島外から上陸しやすい地形の場所には、その監視と防御のために迷宮があるように思います」
実際、ブリスト南迷宮は少し内陸ながら、その湾の奥にある。ポートマット西迷宮は、建設された当時、港は整備されておらず、上陸ポイントといえば、プロセア軍が上陸しようとしていた、迷宮のちょっと東側にある岩場くらい。ウィンター村迷宮も、少し高い建物を建てれば東側の海を見渡せる。
「なるほどな…………」
ブレンダンはパープル北迷宮のことも含めて納得したのだろう、深く頷いた。
「ですから、過剰な干渉を止めれば、迷宮側から何かを仕掛けてくる、という事態にはならないように思いますね」
「ふむ……。アンセルム本部長、貴様が遭遇したという戦士は間違いなくゴーレムだったのだな?」
私に向かって頷いた後、ブレンダンはアンセルムに向き直って訊いた。
「ん? ああ、そうだな」
アンセルムは肯定こそしたものの、曖昧な返答をした。
「過去……と言っても伝説の類なのだが、迷宮は半透明の、ガラスで出来たようなゴーレムを使役する、という話があってな」
「はぁ」
ブレンダンの発言から裏が読めなくて、私も曖昧な返事をする。
「ウチの騎士団員が、そんな伝説の、ガラスのゴーレムに遭遇した、という報告をしてきたのだ」
どこで、誰が、とはブレンダンは明言しない。こちらから情報を引きだそうとしているのかしら。
「はい。……お続け下さい」
私の反応を見ようとしていたブレンダンに、言葉を促す。
「半透明のゴーレムと、アンセルム本部長が遭遇したというゴーレム。素材の違いはあれど、中身は同じなのではないか、とな」
「中身? ですか?」
真意がわからない時は、相手の言葉をそのまま繰り返して疑問調で返す……。こんなものはテクニックでも何でもないけど、ブレンダンが予想外の切り込み方をしてきたので、対応を考える間が欲しかった。
「そうだ、中身だ。迷宮管理人――――なるものがいたとして、その者が直接操作していたのではないかと」
「レーン総長閣下は、何故、そう考えたのですか?」
「会話が流暢すぎる。剣技でヒューマンに匹敵するゴーレムがいるとは思えぬ。一瞬動作に間があるという話もある。他にもまだあるが、言うか?」
ブレンダン本人が出会って検分したわけじゃないだろうから、ここは伝聞調。黄緑くんからの報告かしら。
「理解しました。では、レーン総長閣下は、カディフの迷宮に迷宮管理人が存在するとお考えなのですね?」
その通りだ、とブレンダンは頷いた。
「迷宮管理人が存在し、裏で糸を引いている。こちらはそのように考えている」
ジロリ、とブレンダンは私を見た。言外には、私が関わってると疑っているわけね。無論、公式には私は一昨日ウェルズ王国に入国したことになってるし、当然ながら、その前はグリテン国内にいたことになっている。グリテン側で私の存在証明がされたとして、ウェルズ側にそれを確かめる術はないのだけど。
しかし、逆に言えば、ウェルズ国内にずっといたという疑惑も否定できない。グリテン側の証言がそもそも確証に満ちたものではないから。
こちら、と言ったのは、カディフ騎士団だけではなく、ウェルズ王国首脳陣もそう考えているということ。首都カディフの騎士団はウェルズ王国国王ヴィクター・ウェルズの私設騎士団でもあるから、実質の国家騎士団でもある。
疑義を持っていると宣言した狙いは、私へプレッシャーを掛けよう、ということなのか。
無駄なことを…………。
「そのお考えも理解しました。その上で、ウェルズ王国は、私に何をお望みですか?」
私が迷宮管理人だと認めたとも言えるし、否定したとも取れる。
「そうだな……。迷宮管理人がいたとして、だ。何を狙っているのだ?」
そんなもの、馬鹿正直に答えるわけがないじゃん、と思いつつ、無難な返答をする。
「うーん、迷宮管理人さんがいたとして。私にはとんと思いつきませんねぇ」
表の立場的にも、裏の立場的にも言えるわけないじゃんね。
「そうか……それならいい」
ブレンダンは意外にもすぐに引き下がる。
「はぁ……。一般論として、迷宮が先に基準点を設けてくれているのならば、それに従う方がいいでしょう。現状で、ウェルズ国内に迷宮を攻略できる戦力があるならば別ですけど」
「うむ、それだな。黒魔女殿が迷宮の攻略を補助してくれる……のならば可能か?」
「単独、もしくは私の手勢でやるならまだしも、正式にウェルズ王国から依頼されたわけでもなく、義理もない状況で、迷宮に刃向かうには私に得がありません」
「利点を提示しろというのだな」
私は頷いた。勿論、ウェルズ王国に提示されるメリットなどに、私が靡くわけがない。
「何より、ウェルズ国内で軍事行動を起こす大義名分がありません」
「同盟国を助けるという大義名分がある」
「私にはその権限がありません」
手伝いなどするつもりはないのだ、と困ったような顔を作り、僅かに笑みを浮かべる。言外には、ウェルズ国内の迷宮を精査されることは、ウェルズ王国にとって不利になる案件だろう? だから遠慮してるのよ、と続く。いつの間にか、こうやって言葉にしない交渉もやるようになってきたなぁ。
不利になる、とわかっていて私に持ちかける意味を考えると、
① 冒険者ギルドが撤退したことで切羽詰まっている
② ウェルズでも迷宮を利用したい機運がある
などという、ある種独善的な発想と事情が先にあるわけよね。
パープル北迷宮で領主であるマブット伯爵が実質的に鉱脈を諦めたことは、黄緑くんを経由して、ブレンダンに伝わっているはず。その代わりに迷宮が存在することを内外に認めて利用したい、ということかしら。
つまり、ウェルズ王国としても、鉱脈は『なかったこと』にします、という意思表示か。
頑なにパープル北迷宮のこと、鉱脈のことを口にしない辺り、察してくれと言わんばかり。
私は自分の立場を『冒険者』だと紹介した。だけれども、この時期にウェルズにやってくるということは、グリテン王国次期女王の使者でもある、と判断しての台詞だろう。
さらに深読みすると、私が活動したかどうかは余計にウェルズ側にはわからないことながら、ウェルズにとっては全て悪い方向にしか進んでいない。
銀鉱脈は、幸福をもたらすどころか、正反対の結果をもたらした。だから、鉱脈を諦めるというのは苦渋の決断のはずだ。
なのに、ブレンダンからうかがえる落胆の度合いはそんなに大きくはない。あまりショックを受けていない様子だ。
そういえば、エミーが言ってたっけ――――。内通者がいる、と。
このブレンダン・レーンが内通者ではないのか。少なくとも内通の事実を知っていて黙認した……。
「そうだな、無理を言った」
ブレンダンは頭こそ下げなかったけど、謝意を口にした。
「いえ、お力になれず申し訳ありません」
私は合掌してお辞儀をした。次期女王が即位後、その命があれば攻略のフリはすることになると思う。
「いや、こちらから何もしなければ、迷宮は何もしてこない。それが確認できただけでも、会談の成果はあった」
「そう言って頂けると心が楽になります。何のためにウェルズまで来たのかわからなくなりますからね」
私は殊勝にも恐縮してみせる。
そこで、今まで話し合いを見守り、口を挟んでこなかったアンセルムが、戯けるように間に入ってきた。
「なに、ウチの副本部長の勇み足でもあるんだがな。慌ててカアルなんかに連絡しおってな」
カディフの冒険者ギルド本部には二人の副本部長がいて、一人は先日、迷宮の中でインプラントを施した斥候隊の一人でロビンさん。もう一人は見た目に臆病そうな女性でオリアーナさんという。このオリアーナさんが、慌てて連絡した人ね。
ブリスト支部から一番近い、お隣の冒険者ギルドっていうのは、隣国であるウェルズ王国、カディフの冒険者ギルドでもあるので、アビゲイル女史は、この三人の幹部とは当然ながら顔見知りだった。
アビゲイル女史とオリアーナさんは丁度似たような年齢なので話が合うらしく、キャッキャウフフと妙齢の二人が仲良さげにしてたっけ。
アンセルムが話し掛けたことは、会談が終わる合図になった。
フッと気を抜いたブレンダンは、またすぐに口を真一文字にした。
「黒魔女……殿。これはウェルズ王国も、カディフ騎士団も関係のない、極めて個人的な頼みなのだが……」
「いいですよ」
話を聞く前に、私は了承した。
「まだ何も言っていないのだが……」
「ええと、何でしょうか?」
一応訊いてみる。
「実は、私には娘が一人いる。が病弱でな。黒魔女殿はグリテンで名高い治癒魔法の使い手だと聞く……」
「ああ、いいですよ。私に治療できるかどうかはわかりませんけど、診てみましょう」
こういう平和なやり取りなら無条件に受けるわ。
「そっ、そうか。そうか、ありがとう……ありがとう」
うっすら涙を流して俯くブレンダンに、この治療依頼こそが、会談の本題だったのではないかと思えた。
――――緑の親バカっていうのも、いいじゃないか……。




