結婚式当日の朝
朝も早くから起きて地下室の仕上げを終えると、工房としての環境が整った。
アーサ宅の地下工房は、外光を取り入れる構造になっているので、太陽が照っているうちはそれなりに光が差し込む。鏡を時間に合わせて動かしているので、その指定角度を見ると、まだ早朝だということがわかる。厳密ではないけれど、これは時計代わりになるかな。
「これとこれも出して……これはここに……」
普段『道具箱』に入れている道具や工具類も、ここに置いてしまう。持ち歩くのは最低限でいいし。
地下工房から台所に上がると、アーサお婆ちゃんが今日の宴用料理の仕上げをしていた。ベッキーはすでに教会に向かったそうだ。主役だものね。着付けもそっちでやるんだとさ。
「おはようございます。お魚買ってきますね」
「そうね。おはよう。蒸し魚にするから、お鍋に入る大きさで頼むわ?」
魚の種類は指定されなかったから、見栄えの良い、蒸し鍋に入る大きさならいいわけだ。すっかり蒸し料理もアーサお婆ちゃんのレパートリーとして消化されてしまった感がある。
「わかりました。ちょっと借家にも寄って、荷物を全部引き上げてきます」
「そう、いってらっしゃい」
手を振って、借家に行く。
徒歩五分ほどの距離は、近いはずなのに遠く感じる。心情的には、もう、借家の住人ではないのだ。
借家の中に入ると、しばらく不在だったからか、少しだけあった生活感も失せている。そんなノスタルジーに浸りながら、調理道具やクローゼット、備え付け以外の私物は全て『道具箱』に入れていく。
「ベッドはいいか……」
これは置いておこう。客間用にでも転用してくれればいい。
よし。これで借家は空になった。
「いままでありがとう。また来ます」
誰もいない空間に語りかけて、簡易の魔法陣で入り口を施錠した。無骨な錠前は私の私物だから。
借家を出て、まっすぐ南下する。
ポートマットの漁港は、東側の旧港と、荷揚げ港よりも西側にある新港がある。今回は西側漁港へ。西側への移行は進んでいるみたいで、いずれ東側地区は整理されるんだろう。
近海物などは深夜から明け方にかけて漁をするので、朝には新鮮な魚が水揚げされる。新漁港は、西側の漁場の開発もあって漁獲高の伸びが凄いみたいだ。
漁港に近づくと、ネコが増える。町の北側には殆どおらず、集中して漁港地区にネコがいるのは面白い。漁港の移転に、猫も付いてきたんだそうな。ちょっと萌える話よね。
網職人の工房もチラホラ見える。元々は漁港が荷揚げ港近くにあったから、ネスビット商店みたいに、東地区に網職人の工房が残っているケースもあるのだけど、漁港近くに工房があった方が便利には違いない。
この漁港と、荷揚げ港の中間くらいに、例の赤煉瓦倉庫があって、いまでは売り物の魚は、水揚げ直後には倉庫に持ち込まれる。
―――という流れになっているのだけど、アーサお婆ちゃんが漁港で買ってこい、というのは、漁師から直接仕入れてこい、その方が鮮度良くてお値段が安いから、という指示なのだ。無茶振りするなぁ。
「お」
丁度、接岸しようとしている魔導船があった。
帆が立っている。風の魔導船みたいだ。数人がかりで帆に受ける風を調整して操作しているらしい。漁師さんたちが全て自前の魔法を使っている船もあるけれど、そういうのは比較的小規模な船ね。このくらいの大きさになると、操作用の魔法陣が設置されて建造されていることが多い。見えている船は後者で、つまり、あれも魔道具の一種と言えなくもない。
ちなみに水魔導船は機動力に優れる。火魔導船というのはあるにはあるけど試作の域を越えない。中を見せてもらったことはないから、詳しくはわからないけど、私が改良すると影響がありそうだから、ノータッチでいこう。ボイラーはいいとしても蒸気機関の発明は『使徒』の介入を招きかねない。鉄道の発明はかなり先の話になりそうで残念ではある……。いや、何もかもすっ飛ばして電車を作ればいいんじゃないか、と思わなくもないけれど。
「あの! おはようございます! 魚を売ってほしいんですけど!」
ロープを係留柱に引っ掛けている漁師に走り寄り、叫ぶ。ここは、如何にもお使いにきた町の少女……を装うのが大事。
「んー? 直売かい? 困ったな、倉庫に持って行かなきゃならないんだが……」
漁師の若者は、日焼けした顔を困らせながら拒否をする。くそっ、トーマス商店で磨いた演技力を舐めるなよ?
「今日、お母さんが結婚するの。お魚を食べさせてあげたくて……」
「ほう! そいつはおめでとう! しかしな、んー」
迷っている若者の奧で声がした。
「売ってやれ。その娘さんは錬金術師だ。あの倉庫の製作者の一人だ」
ちっ、ばれてるじゃないか。
精悍な肉体を見せつけるように、奧から男が出てきた。
「俺ぁ、モーゼズっていう。漁協の副会長やってる。一度建築現場を見にいってな。アンタを見かけたことがあるんだ」
ボサボサの黒髪、日焼けした肌、白い歯…………と胸毛。冬なのに半裸だもんね。
「兄貴っ?」
わ、この人、夜も兄貴なのかな!
「いいんだ。好きなの持っていけ。これでいいか?」
中型のカレイっぽい魚を持ち上げて、モーゼズは笑った。
「はい、ありがとうございます! こちら、お代です」
金貨を握らせる。たぶん、法外にお高い。
「ちっ、金なんざぁいらねえよ。あの倉庫が出来て、俺らはすげー助かってる。俺らみたいな小さな船でもおまんまが食えるってもんだ」
おまんま、は、きっとヒューマン語スキルも訳するのに迷った結果なんだろうな、と思いつつ、カレイを差し出すモーゼズに笑いかける。
「はっ、わかったんなら持ってけ! チビのくせにいい笑顔じゃねえか。なぁ?」
そうだそうだ、と奧からも三人でてきた。最初の若者も頷いている。
あー? ロリコン軍団? っていうか、私くらいの年齢でもあれか、色恋に巻き込まれるものか。ドロシーがそうだもんね。
「ありがとう、モーゼズさん。ちゃんとお母さんに食べてもらいますね」
くそ、ヤケだ。笑顔全開。ベッキーは私のお母さんみたいな人だし、嘘じゃないかもしれないし!
「おう! 食え食え!」
合掌してお礼を言って後を振り向くと、
「またな!」
と後からモーゼズの声が響いた。私もまた振り向いて、再度お辞儀をした。
ふーん、海の男か。無駄に裸体アピールなのは良いとして……。結構ナイスガイ(死語)だなぁ。港女子にモテモテ(死語)じゃないか?
ピチピチ(死語)に新鮮なカレイを抱えて、アーサ宅へ戻る。
「お魚、入手したぜ!」
ゲットだぜ! と言ったつもりだったんだけど! 直訳すぎるヒューマン語スキルはニュアンスを正確に伝えない。
「そう。あらあら、いいザブトンね。金貨一枚はしそうね」
そう言ってアーサお婆ちゃんは財布からお金を出そうとしたけれど、
「漁師のモーゼズさんから、無料で頂いちゃいました。ありがたく料理して食いやがれ! だそうです」
と言ってアーサの手を止めた。
「それと、私が持ってくる食材やらなんやらはお家賃のようなものなので。黙って受け取って下されば幸いです」
地下倉庫は食料品で埋まりつつある。備蓄としては過ぎた量だ。
「そう……わかったわ」
アーサは納得したのか、苦笑しながら、ザブトンを受け取った。
「お魚、冷蔵しておきましょうか」
鍋に入る一杯の大きさの魚だから、ある程度熟成させたほうがいい。単純に『道具箱』に入れるだけでは駄目な場合もある。
「そうね。できる?」
「ちょっと応急ですけど、やっておきます」
地下に降りて、空のオーク樽を『道具箱』から取り出す。
これは本来は紙作り用に確保していた樽だけど、ここで使っちゃおう。
樽の前方を切り開いて、ドアのように開けられるように加工する。ヒンジは単に引っ掛けるだけの簡単仕様。
上フタの部分を取り外して、厚めの銅板を張り付ける。銅板自身が冷却剤になる。
一定の温度になったら、一定の温度に下がるまで、銅板自身を冷やすように魔法陣を一つ描く。小さな魔核を一粒置いて動力源に。
こんな単純なやり方でも一晩以上冷却が可能だろう。
ただし、魔力補給をしようと魔核に触る際、銅板も触ってしまうと、手がくっついてしまう可能性があるから、ここは改良が必要かな。
オーク樽は密閉性が高いから、とりあえずはこれで冷気も漏れにくいはず。本当なら樽みたいな円形のものじゃなくて長方形の箱の方がいいんだけど。他にいい容器がないからしょうがない。
樽の中に台を置いて、棚の代わりにする。これでワインやら魚やらを冷やしてしまおう。
台所に上がると、すでにスープなどの火は落とされている。アーサお婆ちゃんは台所にはおらず、自室へ戻っているようだ。着替えているのかな。
「そう、そろそろ着替えてちょうだい」
と、アーサお婆ちゃんが黒い礼服を着て台所に入ってきた。
「はいー」
と、私は、黒いローブを羽織る。魔術師はこれだけで十分。ただし、髪の毛はアーサお婆ちゃんに直された。
「そう、女の子はちゃんとしなきゃ」
ドロシーとは違う、乾いた手で髪を梳かれるのも、案外悪くない。
「そう。これでいいわ。いきましょう」
勝手口も閉めて、窓も閉めて、玄関に出た所でアーサお婆ちゃんが途方に暮れた。
「そう……施錠しなきゃ……」
誰かが家にいるのが前提の、この世界の防犯意識だけに、施錠をする機会というのがなかったらしい。
任せてください、と魔法陣を羊皮紙に描いて、玄関の扉に噛ませてから発動。魔法陣自体が魔力を内包するので、これで数時間は玄関の扉に触れることが出来ない。『施錠』の魔法と俗に言われるけれど、要するに状態固定の魔法だ。この魔法陣は、トーマス商店の金庫にも使っている。解除自体は私にしかできないけども、時限性で、四半日で効果が切れるようになってるから、発動や運用は別の人でも構わない。
「そう、便利なのね」
「その指輪で開くようにしましょうか」
「そうね、お願いできるかしら」
指輪は作り直すか……。むしろ別の魔道具として作った方が機能的には単純になるか。
「はは、いきましょう」
「そうね、ゆっくりいきましょう」
教会は近い。アーサお婆ちゃんの足腰はまだまだ元気だし、支えて歩く訳でもないけれど、さすがに歩く速度は遅い。今日は少し寒い日で、まだ冬が自己主張をしているかのようだ。
「そうね、寒いわね」
「でも良い天気です。結婚式に相応しい天気です」
「そうね……」
ポカポカではない、むしろ寒々しいけれど、変わりやすいグリテンの天気にしては安定して晴れだ。十分にお天道様が祝福していると思える。
「もう、着きますよ」
「そうね」
教会の敷地に入ると、エミーが待っていた。相変わらずセンサーが働くのかな……。
「こんにちは。新婦様のお母様ですね?」
「そうです。私がレベッカの母、アーサです」
エミーが話し掛け、聖女オーラを一心に浴びて、少し放心しかけたアーサお婆ちゃんだったけど、気丈にも返答した。すでにその聖女オーラ、凶器レベルじゃないのか?
アーサお婆ちゃんは、私とエミーに挟まれる形で、表扉から礼拝堂に入っていった。
すでに冒険者ギルド、冒険者の何人か―――セドリック、クリストファー、エドワード、ルイス、シド――に加えて商業ギルド、大工ギルド、漁協の、それぞれギルド長、支部長クラスの人間が集まっていた。後の方には孤児たちがいたし、教会関係者もいる。
驚いたのは漁協の代表でモーゼズ(さすがに服を着ていた)が来ていたことか。あ、目配せしてるし。エドワードと悶着起こさないといいな。
また、アーサ宅の近所のおじ様おば様、紡績の仲間からも代表が来ているようだ。
ドロシーが来ていないけど、時間的にまだ店を閉められないのかも。お昼過ぎないと閉められないものね。
私とアーサお婆ちゃんは一番前の席に座らされた。特に新郎側、新婦側に分かれているわけではなさそうで、アーサお婆ちゃんは私の隣に座り、私の隣には痩せた体躯、白髪まじりの髭を持つ老人が座っていた。
「失礼します」
一声掛けてから私は腰掛ける。
「ああ………。お嬢ちゃんがトーマスのところの……。儂は商業ギルドのワシントンじゃ。話だけはいつも聞いていてな。一度会ってみたいと思っておったんじゃ」
まるきり仙人みたいな口調だ。これがワシントン……ポートマット商業ギルドのトップか。恰幅は良いとは言えないのに圧力が感じられる。これが『気』ってやつか?
「こちらこそ、トーマスのところで厄介になっております」
立ち上がりはしなかったものの、合掌して軽くお辞儀をする。
「ああ………めんこい娘じゃな。トーマスだけじゃなく、儂とも金儲けに勤しもうぞ? クククク………」
仙人のような風体なのに守銭奴か。しかし、商業ギルドはそもそも守銭奴の集まりなわけだから、その長たるや想像を絶するものがある。
この一番前の席は、親族と、来賓の方々の中でも、お偉いさんが座ってるみたいだ。
ワシントンは、私とは反対の方向の男性―――若いな―――としばらく話していてたけれど、そのうちに、その男性が、ワシントン越しに話し掛けてきた。
「貴女が倉庫建設に力を貸してくれた―――失礼、私はノーマンの息子でアイザイアと申します。以後、お見知りおきを」
アイザイアは言いながら席を立ち、私に一礼をした。領主であるノーマン伯爵の息子か。
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
私も釣られて立ち上がり、お辞儀を返した。
アイザイアは黒髪に茶色い眼、意思の強そうな太い眉毛が印象的だ。好青年と言っていいけども、野心家にも見える。貴族だろうに腰が低いのは不気味に思える。
私のことを紹介しただろうワシントンをチラリと見ると、ニヤニヤと笑っている。何にでも商売に結びつけられそうだ。商業ギルド的に、私と領主が結びつくと利益が出るのだろうか。金という色眼鏡を外して、このワシントンを見ることは不可能かもしれない。
と、考えているうちに、礼拝堂内部の魔導ランプに灯が灯り、正面扉が閉められた。灯り取りから光が射し込み、僅かに舞うホコリがキラキラと輝いた。
いきなり暗くなったからか、それまでざわついていた礼拝堂の内部はシン、と静まりかえる。
目が暗がり(とはいえない明るさだったけど)に慣れた頃、合掌神像のある場所―――チャペルに相当する―――の右脇の扉から、ユリアンが黒い礼服を着て登場した。
うわ、腹黒神父なのにものすごく神聖な感じがする……。
続いて、閉められたばかりの正面扉が開き、トーマスがドロシーを伴って登場した。
なーんだ、もう、お店閉めてたのか。まあ、今日ぐらいはね。
トーマスは白い礼服、ドロシーは薄いピンクのワンピース。ああっ、恥ずかしそうなドロシーがいつもと違って可愛らしい。私と目が合うと、露骨に目を逸らした。あは、後でからかおう。
トーマスとドロシーが合掌神像前に到着すると、一度正面扉は閉められて、再度開けられる。
そして登場したのは白いワンピースに、同じく白いベールを被ったベッキー。手を繋いで現れたのはフェイだった。なるほど、父親替わりか。顔を紅潮させたベッキーとは対照的に、顔色の悪いダークエルフのフェイは無表情に真っ直ぐ前を見ている。うん、これもあとでからかおう。
ベッキーとフェイが合掌神像前に到着する直前、ベッキーはアーサお婆ちゃんの前にたち、手を取った。アーサお婆ちゃんは、ベッキーの求めるまま立ち上がり、フェイとは反対の方向に立って、神像の前に移動した。
トーマスはドロシーに何事か囁くと、今度はドロシーが私の手を取って、立つように促される。
え、私もそこに行くんですか……?
よくわからないけど、促されてるので仕方なく立ち上がり、トーマスの隣に立つ。トーマスのニヤけた表情に腹が立つけども、目出度い席なので、穏やかな笑みを作る。
「これより、トーマス・テルミーとレベッカ・ミドルトンの結婚式を始めたいと思います。一同は起立をお願いします」
ユリアンの声が室内に響く。私まで緊張してきちゃったよ……。
――――こういうのって、当人以外の方が緊張するのかも。




