※黒魔女の奔走1
【王国暦123年8月28日 12:34】
運河の海側取水堰は、閘門になっている。
閘門と言えば伊400だけど、この世界は別に照和世界ではないので紺碧な何かもない。
グリテン島南東部は季節によるけれども潮位差が激しく、船が出入りするためには水位を保つ必要があったから。
ポンプは取水堰にある魔道具とほぼ同じもので、ポンプの奥に浸透膜があるかどうか。取水口から水を取り入れて螺旋状の管に送る。管の内部には回転する羽根があり、これを風系魔法で回して水流を起こしている。
羽根の直径は半メトルほどあり、水圧を考えるとトルクも出さなければならず、羽根自体も丈夫に作った。羽根の素材はスライムカーボンファイバーで、これもサリーには作り出せなかった。
どのくらい耐用年数があるのかはわからないので、十枚分の予備を作り、迷宮の倉庫に入れておいた。カーボンファイバーが製造できなくても、鋳造品で代用はできそうだけど、海水による劣化を考えると現状がベストの素材ではないかと思う。
運河は『ホテル・エメラルド』の建物の南側にまで伸びている。そこに取水口があるんだけど、ホテルからみたロケーションはなかなかのもの。
「都会の宿には運河がないとね!」
「アンタの感性には時々ついていけないわ」
ドロシーは呆れながらそう言う。男と女とタグボート。うん、運河にはドラマがあるよね。
海側の閘門とホテル側のポンプは二台ずつの、合計四台を設置してある。これはどのくらいのスピードが必要なのか、サッパリわからなかったから。一台で十分かもしれないし、二台では足りなかったかもしれないけど、それはもう知らないっと。
閘門のポンプとホテル側ポンプの違いは、水流が進んだ先に浸透膜である三次フィルターがあるかどうか。
『ホテル・エメラルド』の方は建物の地下に貯水池があり、ポンプを通過して淡水化した海水は、濾過された雨水と一緒にされる。ここから屋上の貯水タンクにまで、またポンプで汲み上げて、『浄化』されて、そこからは水圧と自然流下で各部屋に分配される。グリテンではあまり見ないけど給水塔は実在するし、以前、ギルバート親方が作った監視塔も、どうやら大陸のどこかに給水塔として元ネタがあるそうな。
ポンプはもう一組、中央暖房装置にも使っている。
これらの大型魔道具は同じく屋上にある太陽光から魔力を取り出すシステムで全ての魔力を賄っている。屋上には丸いタンクと太陽光パネルという、サイバー感たっぷりの光景が広がっているわけで、私的には満足のいく建物になった。
ちなみに、魔力の分配は配線(アルパカ銀線ね)を直結させている場所はポンプと暖房用の熱源くらいで、あとはまあ、人工魔核パックに魔力を充填して、その魔核を各部屋に持っていって魔導ランプを点けている。このシステムはまあまあ上手く稼働しているみたい。
まあまあ、なのは、建物の管理に、それなりに人手が必要なこと。ドロシーことミセス・エメラルドは、奴隷じゃないけど娼婦としての就労が困難な女性を積極的に採用していたりするし、元々が娼館の統廃合を目的にしていたから、人員の方は問題ないみたい。
ミセス・エメラルドじゃない立場のドロシーと、商業ギルドの数人には、複式簿記の概念を教えておいた。こんなの数日でどうにかなるものじゃないから導入部と概要だけではあったものの、すぐにその利便性に気付いたみたい。
ウィンターで導入したのは、借金も資産! と言いたかっただけだったので、ちゃんと商売に利用してくれるのは、ポートマットの商業ギルドが噛み砕いて理解を深めてからじゃないか、と思う。
大体、元の世界では四級しか持ってなかった気がするのよね。そんな理解の浅い私が伝えていいものか迷うけど、これは今更かな……。
「わからなかったら、短文で訊くからいいわ」
「あー、うん」
大体、ドロシーの方が頭の回転は早い。一を聞いて十を知る人だし。エミーは、十を知るには十聞かないと駄目な人。どっちも天才だと思うけど、想像力にレベルがあるとするなら、それはきっとドロシーの方が高いんじゃないかと。
【王国暦123年8月28日 13:34】
「なんなの、その変な食べ物?」
フローレンスが美しい顔を歪めて私を罵倒してくれた。
トーマス商店の二階、応接室に設置されている簡易厨房で、私は練った小麦粉を棒状にしてから等分に切り分け、麺棒で薄く伸ばし、荒く叩いたエビのミンチをくるみ、口を閉じた。
「エビ餃子。美味しいよ?」
罵倒の風を涼やかに受けて、私は答えた。
「フローレンス、食べ物に変なものはないわ」
ドロシーが窘めると、フローレンスはビクッと体を震わせて、
「ごめんなさい……」
と、しおらしくなった。ドロシーは麒麟児の誉れ高い、孤児院の伝説的な人物で、店の先輩で上司。いくらフローレンスがツンツンでも、元祖ツンデレには敵わないということか。
「いや、グリテンでは珍しい料理には違いないけどさ。料理の真価は食べてみてから、じゃないかな!」
「アンタね、その理屈でゲテモノも食べてるわけよね」
「まあ、そうね。エビもゲテモノにされてるけど、こんなに美味しい食材はないよ?」
「エビは……うん、美味しいかも。甲虫とかセミとかはやっぱり苦手だわ」
「セミっ?」
「揚げ甲虫も揚げセミも美味しいよ?」
「フローレンス、前言撤回するわ。変な食べ物もあるわ」
「はぁ……?」
納得いかない、と変顔のフローレンスにちょっと笑ってしまった。
餃子は米粉なら蒸した方がムチムチ、シャッキリポンなんだけど、今回はポートマット特産小麦粉なので茹でてみた。チュルンとパッってツルッとした食感でズバッとプルプル、ネットリだよね! 何言ってるんだか訳がわからないよね!
なお、この餃子はトマトソースを掛けて食べる。エビチリも考えたんだけど――――豆板醤が入手できなかったのよね。元の世界の『ジャックと豆の木』に出てくるのは確かソラマメだったはずなので、きっとグリテンにもあるはずなんだけど……往々にしてこういう食材って魔族領にあったりするからなぁ。どっちにしても仕込みに半年とか一年とかかかるから、材料はあってもどうしようもない。仕込み方法そのものは味噌と変わらないんだけどね……。
「この料理は前菜だね。領主様の結婚式に出る料理の試作品」
「えっ、それもアンタが考えてるの?」
「一品だけね。お魚料理、って話だったんだけどさ、幾つか試作して、コルンに食べさせたら微妙な顔をしてたから。一番受けがよかったのがエビ料理とパスタで、それだとちょっと重いかな、と思って」
オリーブオイルを使っているから、餃子の皮をパスタだと思えばイタリア料理っぽいと強弁しておこう。
「ぐっ……トマトソースが美味しそう……」
フローレンスが悔しそうな顔をしていたので、お湯を切った餃子に、トマトソースをドバドバ掛けて手渡す。
「ほれ、食べてみて。私の考えでは、餃子は完全食になると思う……」
「はあ? 何言ってんだかわかんないわ。私にも食べさせてよ」
ドロシーがスルーしてくれたので、同じようにソースを掛けて小皿を渡す。
「おあがりよ!」
ドロシーとフローレンスは、恐る恐る……スプーンでソースごと……餃子をかきこむ。チュルッ、と音がして、赤いソースが跳ねた。
「んっ!」
「んんっ!」
おお、二人とも目が丸くなった。
「エビって……こんなにプリプリしてるの?」
「いやドロシー姉さん、これはブリブリですよ」
「プルプルじゃないんだ?」
「プリプリね」
「ブリブリですよ」
うーん、擬音祭りが始まってしまったか。元の世界の京都でも開催されているという……。
「もっと水っぽいかと思ったら、これ……ただのお湯じゃないわね?」
「フッ、さすがドロシー。鶏のスープで茹でたのです」
「エビと鶏とトマト……」
私も試食してみる。うん、プルプルじゃない、プリプリかな。皮が美味しい。
「よし、レシピはこれで決定。作るのは私じゃないし」
「ああ、モーさんが作るんだっけ?」
「そうそう。ホテル・トーマスのレストランでも死ぬほど忙しそうだけどね。ああ、そういえばさ、リュミさんっていたでしょ。あの人、ウィンターにいるよ」
「え、そうなんだ? いつの間にか辞めちゃったのよね」
「うん、商業ギルドのコックさんやってた。一つの職場で長続きしない人なんだよ」
「ふうん。いい職場だと思うんだけど。アンタをライバル視してたとか?」
「料理の分野で?」
私、そんな鉄人じゃないんだけどなぁ。
「わかります、それ」
フローレンスが憎らしげに微笑んだ。
【王国暦123年8月28日 15:06】
詳細なレシピはドロシーを通じてモーさんに伝えてもらうことにした。ちなみに餃子は私以外の面子(主にジゼル)にバクバクと食べられてしまった。私は一つしか食べられなかった。
「ぐすっ……」
餃子餃子、さよなら天さん……。
おっと、そんなことはいいとして、新建材のテストで建設ギルドへと移動する。
「おうっ、娘っ子! 来たかっ!」
「お疲れ様です、ギルバート親方。どうですか?」
ギルバート親方は、てやんでぇ! みたいに顎をしゃくった。実際には何も言ってないけど。
「悪くないなっ! 面白いっ!」
敷地内に仮に作った小屋の床が、その新建材で、防水が必要な場所、かつ人の通過が多そうな場所用の建材。材料はスライム粉、亜麻油、木の粉。これは運河の工事をしていて偶然混ざっちゃったのが、硬いゴムみたいな、弾力性を持った素材になって、そのままだと加工できなかったので、熱を加えてみたら溶けて圧着したものだから、床材に使えると思って提案していたのだ。
元はといえば、マリア先生の音楽教室で、『飲料水』スキルが発動してお漏らしした生徒さん対策なんだけどさ。すでにある音楽室は木床で音響も調整してあるので、この床を張る部屋は別途、第二音楽室として設営することになるだろう、とのこと。
なるほど、学校に第二音楽室なる不可思議なものがあるのは、きっとお漏らしをする生徒対策で増えていったと。納得したわ。
これは『スラリウム』という名称になりそうで、何百年後かに艦船の甲板に使われていたら面白いなぁ。病院の床とかトイレの床もコレになっていくとすれば、シリアスな場面で「スラリウムの冷たい床が……」だなんて台詞が後年の文学作品に出たりして……。ぷぷ、下世話な夢が広がるなぁ!
「少々製造に手間がかかるがっ!」
「こういう手順が必要な物品はレックスの方が得意ですね」
「あの少年かっ……。かなり多忙だと聞いているぞっ?」
「大丈夫でしょう。多忙なのは自覚してると思いますから、他の人に任せることを厭いません。本音では趣味に没頭したいでしょうから……」
「趣味かっ」
レックスの本当の『趣味』は下着だよなぁ。自分で売りつけて回収しようとか、これもマッチポンプっていうのかね?
「ええ、趣味ですね。グリテン史上、最大の巨…………巨人と言われる日が来るかもしれません」
「ほうっ……。サリーちゃんといい、トーマスのところは人材に恵まれているなっ」
「サリーはグリテンの歴史に残る大魔術師と呼ばれるようになると思います。建設ギルドが関わってるのは小物作りばっかりですけどね」
「それもそのうち、弟子とか取って、それにやらせるようになるんだなっ?」
「他人に頼ることを覚え始めましたからね。あの子にとっては大きな進歩です」
「娘っ子がっ。言うようになったじゃないかっ」
「私は前から、言うような女ですっ」
何となく、集まっていた建設ギルド員たちにそれを聞かれて、皆はニヤニヤと頷いてくれた。ギルバート親方に至っては、某釣り好き会社員映画の主人公みたいな顔になっていた。
「それで娘っ子よっ。またウィンターに行くのかっ?」
「やりたくないですけど支部長ですからねぇ……。ウチの領主様がご注文のテーブルとグラスを量産したら、月明けくらいに一度戻ります」
「そうかっ……」
そう言うギルバート親方は、寂しそうというより残念そうな顔だった。
私がいると作業効率が段違いだもんね。
「そうそう、ウィンターに連れて行く人選はどうなっていますか?」
「終わっているっ。妻帯者は選ばなかったぞっ。向こうで嫁さん捕まえてくればいいんだがっ」
「うーん、それはどうでしょう……嫁さんどころかあまり人がいないような……」
それ以前に私に男を紹介してほしいわ。このままだとエミーの餌食に……。
「わからないぞっ? 鬱屈した思いがバネになってだなっ!」
「仕事をしてくれれば何でもいいです……」
私が肩を竦めると、ギルバート親方もそうだなっ、と一緒に竦めた。
何故か、その場にいた建設ギルド員も一緒に肩を竦めた。
――――ちょっとミュージカルみたいだった。