空中庭園の黒魔女
【王国暦123年8月19日 7:54】
「つまるところ、酵母を見つけろ、と言うんだな?」
「っていうかカビですね」
「カビって何だ? 酵母か?」
「カビ、キノコ、酵母はお仲間です」
「嘘言うな、キノコはキノコだ」
「キノコはどうやって増えるのか知ってますか?」
「しらん」
「じゃあ、どうして嘘だと決めつけるんでしょう? 酵母はどうやって増えるか知ってますよね?」
「麦で増やす」
「外部の有機物を利用することで栄養を摂取して、胞子を放出して仲間を増やしているんです」
「????」
久しぶりに会ったノブ・ギネスは相変わらずの頑固者で無知だった。先代の教育が途中で終わっていることを窺わせる。
迷宮内部に併設されている『トーマス商店醸造部』は、スティル・ポットが四組並んでいる。本来、熱源は泥炭を使うのだけども、ここで作っているのはお酒ではなく、高濃度アルコールだから、迷宮の魔力による火系魔法が熱源になっている。
「ではまず。カビとキノコと酵母は仲間。お友達です」
「そうなのか?」
「仲間ということにして下さい。麦だとか野菜屑だとか、何か栄養になるものに目に見えないくらい小さな、種のようなもの――――が付着します。種は栄養を吸い取って成長します。成長したら、お仲間の種をぶわーっと吐き出します。そうやって増えていくのがカビであり、キノコであり、酵母なのです」
「そうなのか」
「そうなのです。目に見えない――――とは言いましたが、この道具を使うと、拡大して見ることができます」
いつぞやか作った顕微鏡を取り出して、ノブに見せる。
「なんだこれは?」
「小さなものを観察するための道具です。魔道具じゃないです」
「なあ、こんな馬鹿で無知な俺に、お前さんは何をさせようっていうんだ? 姉貴にやらせた方が……」
「ああ、情熱があるからです。新しい酵母を見つけることは新しいお酒が造れる可能性がありますし、新しいカビを見つけることは、宝物を見つけることかもしれないんです」
「宝物? 酒が?」
「お酒だけじゃないですよ。体にいい成分だったり、一定の鉱物を分解したり、有用なものが多いんです」
「そうなのか……」
「この作業は情熱を持って継続してくれる人材が必要なんです。そこに能力は……敢えて言ってしまえば必要ありません。気合いが入っていればいいです」
「そうなのか――――」
ノブの能力には期待していない。そうじゃなくて、旗を振り続ける人が欲しい。上手くいかない新しい酒造りにめげない精神力こそが重要なのだ。
「必要な施設や道具はこちらで用意します。ペグさんが新しい従業員を採用してきたら、当初は酒造りを教えて下さい。それが研究者教育の代わりになります」
「新しい酒造り……やっていいのか?」
「いいですよ? でも、あくまでもお酒の方は副産物、副業です。ノブさんは他の人に酒造りを伝えて醸造作業をやらせて、ご自分は菌類の研究を主導する――――という形にして頂きたいのです」
「菌類……というんだな。わかった。言うことを聞こう」
ふう、説得が済んだ。
「じゃあ、この顕微鏡の使い方と、寒天を使った培養地の作り方を説明していきますね」
覚えきれるかどうか心配だけど、やる気でやればきっと出来る! 折れそうになったら熱い言葉を掛けにいこう。
【王国暦123年8月19日 11:01】
ノブへの説明が終わり、必要なところはメモを取らせて、イストンプトンの村に現在建っている醸造所を、まるごと移築することも決めた。
無菌室もある、『塔』の基礎である地下空間に移築もできたんだけど、さすがに火を扱うので外部にあった方が良い、ということになり、『塔』の東側に基礎だけを作り、あとは建設ギルドにお任せすることにした。
こんな時のために移築技術を鍛えていた……わけじゃないけどさ。運搬用のゴーレムを一台、専従でつけることにしたんだけど、老馬のグラーヴェとラルゴはいよいよ調子が悪いそうな。大抵の場合、体温の調節機能が怪しくなる夏に死ぬし、所用が終わったら建設ギルドの厩へ向かうことにしよう。
一度工房に降りて、テーブルの試作品を幾つか作る。
ガーデンテーブルだから、ここは白。白い粘土はあるから陶器で作ればいいかしらね。元々、グリテンの陶器は黒茶っぽい土を元にしていて、粘土の質も良くはないから、素朴な陶器しかなかったのよね。ところがあるところにはあるもので、白い粘土はブリストにあった。加工方法も確立しているから一大産地になっていたけど、食器以外の焼きモノでは、すでにポートマットの方が生産量が多いかもしれない。トーマス商店は安い原価で大きな利益だけを手にしていることになる。
これ一応、迷宮の主たる私にお金は支払われているんだけど、市場価格としては激安の設定にしてある。それでも個人が持つ金額じゃなくなってるし、ウィンターに資金を投入したところで揺るがないもんね。
ついでに言えばロンデニオン西迷宮もウルフレースをやっているので集金体制が整っているし……。綺麗に経済が循環しているのはブリスト南迷宮くらいじゃなかろうか。
丸テーブルを基本に、猫脚を四本。高さは七十センチくらい。量産するのでシンプルな方がいい。ついでに言えば、ある程度収納性も高い方がいいわよね。
こういう『いきなり陶器』を作るのはノーム爺さんお手の物だけど、同じ形を量産するのは飽きるらしくて、毎回愚痴られる。
《面白い形とかを作るのは好きなんじゃがのう……?》
耐熱アバター装備を作る時とか、楽しそうだもんね。
実際にテーブルを作ってみると、天板部分が意外に重くてトップヘビーの状態になった。脚の強度もちょっと怪しい。
「天板を軽量化しよう。透かし彫りかしらね」
花の模様を天板に描いて、模様以外を切り抜く。地透かしってやつね。
《面白いのう……?》
土精霊的には、透かし彫りは楽しいらしい。あれでしょ、縁日のお祭りの型抜きみたいでしょ。
《祭りにそんなものがあるのか……?》
私のいたところではあったのよ。うーん、グリテンの風土に合うように広めてみようかしら……。
透かし彫りを終えてみると、今度は天板の強度が怪しくなった。全体的に壊れやすいテーブルになってしまった。
「脚は補強入れよう。天板はガラス板を上に載せて、スライム溶液を膜にしてコーティング」
《たかがテーブルに手間がかかるのう……?》
いやあ、本来はこんな短時間で出来るものでもないからさ。手間とも言えないよ?
私に注文されたのは丸テーブルが五十組。
長テーブルも必要らしいけど、そっちは他の人に注文が行ってるらしい。こういうのはテートさんかなぁ。
試作品ができて、強度とバランスを確かめる。スライムでコーティングしたことでガラスは薄くて済んだし、かえって強度が高まった。
「うん、これでいこう」
ご満悦の私と土精霊たちに、工房の空気が弛緩する。
と、そこで、置きっぱなしになっていた、サリーの試作品が目に入った。
アバターには目がないんだけど、実際にアバターに『チェンジ』した場合には、特に違和感なく、物を見られるし、感じられるし、聞き取れる。
これ、目の形になっている部位の周囲に魔法陣があって、何やら波長を感じ取っているみたい。つまり、魔力で見たり聞いたり、というのは一つの器官で済むわけよね。
サリーの試作品は頭部を大型化してあって、どうも、この部分を強化しようと試行錯誤していた形跡がある。センサーとして感知領域を広げてみよう、とする試みは面白い。出力を上げたところで感知能力が上がるわけじゃないんだけど、その辺りも含めて試作ってことね。
「うーん」
内蔵式だから頭部が大型化しちゃうのであって、これは別に外付けでもいいじゃんね。バイザーの形にしてみよう。頭部を元の大きさに戻して、バイザーにセンサーを二箇所つけてみる。本体の物を含めて合計で四箇所になった。各々はミスリル銀線を使って繋ぎ、魔核ももう一箇所増やしてみる。
こうやってアバターを分解しながら改造していると、ガラスのくせに内部のあっちこっちに魔法陣が形成されていることがわかる。あのホットサンドメーカーみたいなアバター製造器は、何回かに分けて、こうやってプリントをしているわけね。
両手は手首の先からを作り直すことにした。骨格をミスリル銀で作り、同じくミスリル銀線を骨格に巻いていく。それをスライム粉溶液に浸けて皮膚の代わりに。これなら触覚が得られるんじゃないか、と思ったわけで。
結局、骨格は手首だけでは済まず、それを支えるために肘、肩、肩胛骨、背骨までを結局作るはめに。
なお、最初に存在していただろう魔核には精緻な魔法陣が細かく積層になって記述されていた。二つめの魔核はサリーが追加したもので、出力の強化のみに使われていた。ここをちょっと改良して、センサー部分、両手の三箇所をそれぞれ担当するように変更してみる。
試しに魔力を流してみると、内部の骨がピカーッと光って、かなり怖いアバターになってしまった。
最初の一つを解析したことで、この魔核がオペレーティングシステムみたいなことをしていることもわかった。何事もやってみるもので、これで人工魔核と、『流体~』さえあれば、どこでもアバターは作れるようになった。ただ、完成度の高いアバターを製作するシステムを利用しない手はない。今のところは、結局迷宮で作った方がいいかしらね。
注意書きを書いて、そっと弟子の作った作品を魔改造して去っていく私……。元々作ってあった手は、ラシーン用に流用させてもらうことにしよう。
【王国暦123年8月19日 13:07】
「テーブルの試作品を持ってくるとのことだったしな。私も同席しようかと思ってな」
決して暇な訳がないアイザイアも、午後の紅茶に同席していた。ここのところは天気がいいから、今日も外でお茶を頂く。
「女主人がお茶会を仕切るのはグリテンの伝統……」
「というわけではないでしょうけど、そうなるといいですね」
ヴェロニカがアイザイアを非難がましい視線で見るのを、やんわり制した私は、案外、この二人の間に流れる空気が悪くはないものだと気付いた。
隣に座っているオーガスタとは違って、ヴェロニカは多少、少女らしさが残っている。オーガスタの方は文字通りに枯れていると言うか……肉感的だった時期を見ているだけに、ちょっとやるせない気分になる。激やせしちゃった原因の半分くらいは私にありそうだけど。
仮に、あの時に私が『限界突破』の勇者を殺せず、彼の籠絡にオーガスタが利用されていたとして、それは幸せだっただろうか。
あれだって、それなりに苦労をした結果だとは思うけど、今の時点では自由意思を尊重してもらえる立場になれた、ということの方が幸せにみえる。どちらにしても比較論でしかないのかしらね。
「今日は私が焼いたんですよ」
いつもはどうもオーガスタがお菓子を作ってるみたいで、ヴェロニカ嬢がそんなことを言った。三角形に切ってあるパンとクッキーの中間みたいな……スコーンね。
「オダが珍しい食べ物の話をするから……」
オダは従者らしく、椅子には座らず、オーガスタの背後に立っていた。
「いいえ、ひ……オーガスタ様の好奇心の賜ですよ」
姫と言おうとしてオダは言い直した。
「オダが買ってくる食べ物はいつも油ぎっていて……食べるのが辛いわ」
フィッシュ&チップスは、王族の食べ物じゃないぞ。シャレでも食べさせちゃいかん。王女っていうのは、階段下でジェラートを食べるのが精一杯の冒険になっちゃう生き物なんだぞ!
「それも、ここに来なければ食べることはなかったわ。立場を変えたことが新しい味覚を知る機会を作ったのよ」
「オーガスタ姉さんは楽観的ね。ところでどうかしら、このスコーン」
柑橘類のジャム、赤いベリーのジャムが添えられていて、スコーン自体はそんなに出来がいいとは言えなかったけど、ジャムは美味しかった。
「美味しいです」
私はそれだけを言った。ジャムはたぶん、これ……アーサお婆ちゃんの手作りだわ。どういう経緯でナナフシ姉妹のティータイムに供されたのかはわかんないけど。
「何かしていないと不安らしくてね。その点、庭園造りやお菓子作りは終わりが見えなくていい」
アイザイアは柔和な視線をヴェロニカに向けた。ヴェロニカも、その視線に気付いて頬を染めた。へえ、本当に射止めたってことかぁ。やるじゃん、お坊ちゃん。
《……………》
ウチの闇精霊が男泣きをしているのを、ノーム爺さんとシルフが肩を叩いて宥めている様子が伝わってきた。
「ああ、それで、これが試作品なんですけど」
私が『道具箱』に入っていた試作品のテーブルを、座っていたテーブルの隣に出す。
「うわ……」
「わあ……」
「素敵……」
「すげえ……」
と、その場にいた四人の声が感嘆に染まったので、私も鼻高々になった。
《ふふん……?》
ノーム爺さんも鼻高々だ。
「この透かし彫りは……そうですね、五種類くらいにしましょうか。あんまり種類を多くしてもしょうがないので」
「黒魔女殿、これは彫っているのか? 陶器を?」
「ええ、まあ。変ですか?」
そっか、そう言われてみれば、陶器って彫るものじゃないよな……。
《いまさらかのう……?》
ノーム爺さんがツッコミをくれた。いや、彫ったものだってあるよね……?
「珍しいですわ。それに美しい」
「珍品には違いないですねぇ」
私も思わず頷く。
「うむ、これでお願いする。注文は五十組だったな」
あ、これ、使い終わったらどこぞに高値で売るつもりだね。まあいいけどさ。
テーブルは了承を得たので、軽く世間話などをする。
「この庭園もずいぶん賑やかになってきましたね」
紫色の花がチラホラ。まだ花壇、って感じじゃないけど、庭としては見られるレベルね。専門家が見ればまた違うんだろうけど。ガザさんがいるから結婚式までにはどうにかしてくれるだろう。
「ああ、ヴェロニカ嬢やオーガスタ嬢が一生懸命やってくれてるからな」
アイザイアは、まだ他人行儀な言い方をしている。初々しいことですな。それにしてもアイザイアとヴェロニカの二人の間に流れる空気は落ち着いていて、恋人でも新婚にも見えない。長年連れ添った夫婦みたいな熟れ具合に感じられる。これはなんだろうねぇ……?
「植物の世話は、したらしただけ返ってきますからね。花に満ちた暮らしなんて贅沢じゃありませんか」
このナナフシ姉妹は他人に利用され過ぎて枯れてしまった。そんな枯れた人たちが世話をしている植物っていうのもシュールな構図だと思うけど、裏切らない植物相手に、どうか人間性を取り戻してほしいものね。
ああ、何度も言うようだけど彼女たちの運命を曲げた一味である私に、そう思われちゃ終いよね。
――――オーガスタとオダも何となく見つめ合っていて……。一人ミソッカスの私です。




