地下工房の黒魔女
【王国暦123年8月18日 18:33】
アーサ宅に戻ってもドロシー、サリー、レックスとの相談事や話し合いは続いた。
「姉さん、これがオルゴールの試作品です」
「高精度アバターの問題点について、姉さんの意見を聞きたいんです」
「アンタなに、セメントの大量注文が来たわよ? 奴隷たちに避妊具? っていうかアンタ、女奴隷を引き取りなさいよね? ペグさんが従業員を増やしたいって言ってきたわよ? 寒天? あれもどうするのよ?」
三人が一度に喋るので、聖徳太子ではない私は、とりあえず掌を皆に向けた。
「一件ずつ行きます。まずレックス。歯車を組み合わせて加減速する手法は知ってるね? この試作品だと一定の回転速度に固定されちゃってるから、可変できるようにした方がいいね」
「え、何でですか……?」
「このままの状態で、円盤一周で何分?」
「分? とは? 単位の名前ですか?」
そうだった。『一時間』の概念がないんだった。
「んーとね、一日を半分に分けます。それをさらに十二に分けます。これを一時間、とするよ。一時間を六十で割ったものが一分。さらに六十で割ったものを一秒、と既定します」
「何で十二で割ったり六十で割ったりするのよ?」
「ダースを思い出してくれると、十二で割るのも不自然じゃないかなぁ」
黄道十二宮や十二使徒なんてものもないし、この世界では十二に特別な意味はないのかも。だけど迷宮の方では、一日をジャスト二十四時間として時間を管理しているし、元の世界から持ち込んだ概念だとしても、この世界でも通用するものだから、ここで既定しちゃおう。世界的にとんでもなく重大な決定をサラッとしてる気もするけど、もはや今更よね!
「一ダース……うん、まあ、そういう言い方はあるわね」
「だから一時間を十二で割ったものが五分。大体さ、一周をその時間に合わせてみてよ」
「何でですか?」
「マリアに聞いた曲は、長くてもそのくらいの時間のものが多かったから」
「なるほど……」
「短いものだと、さらにその半分、二分半くらいのもあったから、その二種類の速度に合わせればいいんじゃないかな」
「その『一分』はどうやったら計測できるんですか?」
はて。
それはちょっと困った。スキルでしか時刻を知り得なかったわけで……。公的にどう決めるのか、なんて考えたこともなかったからなぁ。
「ロンデニオン西迷宮が知らせてくる時刻があるんだけど……四つの迷宮の時刻は一致しているから……そこから情報を引っ張ってくるのが一番正確かなぁ。この世界的に計測する手段はあるけど、それが迷宮の時刻と一致するかどうかはわからない」
私がそう言うと、サリーは何かを察したかのように補足を求めてきた。
「つまり姉さん、迷宮の時刻というのは、どこか違う場所で得られた情報を基に決められている、ということですか?」
「その理解で間違いないわね」
いきなり正解、これが麒麟児というやつかっ。
「じゃあ姉さん、このオルゴールは、公的に『時刻』が決まらないと正確な時間が計れないのでは?」
レックスが尤もなことを言ってくる。
「その理解で間違いないわね……」
「時計台か何かの……時刻を告知する魔道具が必要ですね!」
サリーが喜びながら言う。
「アンタね……。小さな物作りがどんどん大袈裟になっていくじゃないの……」
「全くその通りで何とも弁解のしようもございません」
こうして、私は時計の製作をするハメになった。
「そうね、そろそろ夕食にするわよ。難しいお話は中断しなさい」
アーサお婆ちゃんが騒がしい私たちに業を煮やして、配膳を手伝うように言ってきた。
「はい、お婆ちゃん」
私は偽善者でもあるので、よい子を演じることにする。
食事中は会話を禁じられているわけじゃないけど、アーサお婆ちゃんは割と黙って食べなさい、という人だから、サリーやレックスも大人しくしているだろう。
しかしなー、時計かー。簡単なものなら通信端末の同期用に使っているから、それをそのまま画面に表示させればいいんだけどさ。これは魔法陣を追加しなきゃいけないから、結局全部の端末を改良しなきゃいけない。それに、通信端末だけで話が済んでしまうのなら、腕時計の文化を無くしてしまう恐れもあるし、つまんないよね。それなら別添えにして通信端末からの情報を得るようにすればいいかな……。
するとこんな形に……。
単体じゃ役立たないけど、時計と二~三アプリを添付すれば便利グッズになるかも。機械式時計をすっ飛ばして水晶時計もすっ飛ばして魔力による時計か……。まあいいか。
これを提案の一つとしてみるか。
別ルートで時計機能を付加、待ち受け画面にした新型端末も入れ替えを念頭にしてみようかな。
【王国暦123年8月18日 20:57】
食事後は地下工房に降りて、チマチマと製作を行う。
「腕時計……と言うんだけど、いきなりこんな小型化がされていいものか……」
「この魔法陣は………私でもそんなに小型化できないですよ?」
サリー曰く、縮小化で使用する魔力量の関係で、最初からアセンブリの形で極小魔法陣を『転写』するにはサリーの魔力量だと厳しいのだという。せいぜい直径五十センチがいいところらしい。
「それなら置き型には使えそうね。元々、こういうのは精緻な歯車を使った機械の方が作りやすいのよ」
「歯車には興味があります!」
話を聞いていたレックスがキラーン☆と目を輝かせた。
「うん、動力には人力、太陽光、魔力のいずれかにしておくことが肝要ね」
サリーとレックスが大きく頷く。
「じゃあ、この腕時計は……サリーとレックス、ドロシーとトーマスさん……」
「アンタがくれるというなら貰うわ。領主様とヴェロニカ嬢にもお祝い品として贈ったらどう?」
「うーん、ある程度、保有魔力量が多い方がいいんだけど……」
自動巻装置とかあったら補助になるかしら? それこそ次世代の発展に任せるべきかしら? 機械化文明の象徴の一つである歯車を多用したオルゴールや時計を、元の世界のイメージのまま発展させたら、せっかく魔法化文明へシフトしつつある現状を変えてしまうかもしれない。であれば、歯車の使用は最低限にするべきよね。
それ以前に、魔力を動力源として動く世界の確立を急いだ方がいいかもしれない。流れが出来てしまえば、エネルギーとしての石炭を掘る理由がなくなる。
素材としては石炭も石油も有用だからわかんないけど、元の世界みたいに石油を巡って争いが起きることはないかも。
「じゃあさ、サリーが負担にならない程度の大きさで、一つ置き型の『時計』を作ってみてよ。『腕時計』の方は仕様が特殊だから、渡す人が限られちゃうしさ」
「面白そうです!」
サリーが快諾する。
「この、バンドの部分は色々好みがあると思うからさ。作りやすく色付けしやすいのは硬く成型した発泡スライム……の消泡したもの……がいいと思う」
ノーム爺さんに手伝ってもらいながら、腕時計の外殻、転写して折り畳む前の極小魔法陣アセンブリ、表面パネル用の強化ガラス、色付けしたバンド、合計で十個分を作った。組み立てキット、というところかしら。
「三つはザン本部長、ブリジット姉さん、キャロル副本部長に渡すからさ」
「残りの三つは、クィン支部長、領主様、ダグラス騎士団長、というところでしょうか?」
「うん、そうしてちょうだいな。フェイ……クィン支部長はいい意見をくれると思うよ」
キットの組み立てはサリーに任せることにする。彼女なら魔法陣の解析をして、置き型時計の製作に生かしてくれるだろう。腕時計の方は個人認証が必要になるけど、置き型時計はその縛りは必要ない。持ち去られないようにする程度の防犯の仕組みは必要だろうけどさ。ま、時刻を表示して告知することで産まれる社会的な変化はアイザイアならいい方向に持っていってくれるだろう。時計台の発注くらいはするよね。
「次はドロシーね。セメントの大量注文は運河の建設のためね。建設ギルドが在庫として持っているセメントだけじゃ足りないから、その分も含めての発注だね。奴隷たちに避妊具、っていうのは女奴隷が来たから、一部でハッスルしてる人がいるんだよ。で、病気予防の必要性が高まったわけね。女奴隷はもう暫くドロシーが管理しててよ。ペグさんが従業員を増やしたいって件は、関連する新事業の準備。寒天はそれに使うよ」
「寒天……。アンタね……。説明してくれるんでしょうね?」
もちろん、と私は頷いた。
「醸造所には色んな菌が住み着いてるよね。カビとか酵母とか。その中には有用なモノがあるはずなのさ。それを継続して試験して、発見、培養なんかをしてほしいわけ」
「ノブさんはお酒造りにしか興味ないわよ?」
「うん、あの人が求めているのは売れる酒じゃなくて、自分好みの美味しいお酒だからさ。菌の研究は、その目的に合致すると思うんだ」
「じゃあ、自分好みのお酒が造れたら、菌の研究なんて止めちゃうじゃない」
「うん、ところがね、菌はそれこそ何千種、何万種もあるから、絶対に終わらないよ。その中で有用なものを探せ、っていうのは砂漠で砂粒を探すようなものだよ。だから、ノブさんが自分好みの酒を作り上げたとしても、それは妥協が多分に含まれているのよ」
「ああ、だから、本質的には絶対に終わらない、ってことね」
「そういうこと。百年単位でやらせてくれたら、いくつも有用な菌が見つかるはず。研究データは迷宮に送るような仕組みを作っておくよ」
砂漠という表現で通じたかどうかはわかんないけど、そのまま話を続けちゃおう。
「ふうん? なら迷宮に継続してやらせればいいんじゃないの?」
「うん、ところがね、味覚や風味に関するもの、美味しい、不味いの判断は、迷宮にはできないのさ。『リヒューマン』はその辺りを補助するための存在ではあるけど、彼らでも、あまり複雑な命令を複数はこなせないのよ」
「へぇ……。じゃあ、味覚を判断する魔道具を作ればいいんじゃないの?」
「え……。まあ、そう、かな」
ドロシーの一言に頭を叩かれたようなショックを受けた。味覚はデジタルなものじゃないのは確か。だけど、その補助程度ならできるんじゃないか……。と閃く。少なくとも指針にはなるかもしれない。
「味覚……ですか」
高精度アバターの製作を目指しているサリーにとっても、それは聞き逃せないキーワードだったみたい。
「五感全部を再現する必要はないと思うんだけどね」
ドロシーへの話は大体終了、かしらね。サリーに向き直り、アバター製作の話に移ることにした。
【王国暦123年8月18日 22:25】
「サリーが迷宮の工房に置いていた、作りかけのアバターね。人間を再現しようとしているのはわかったけど、決定的に駄目なところがあるのよね」
そう言うと、サリーは目を伏せて、口を尖らせながら言った。
「人体の構造をよく理解していない点……ですか?」
「その通り。これは人体を解剖しろ、っていうんじゃなくて、単に観察不足だと思うよ。たとえば、レックス」
「はい?」
急に名前を呼ばれたレックスは目をパチクリ、とさせて私を見上げた。
「レックスがジゼルに誂えた下着って見たことある?」
「え、はい…………」
同性だから、何となく機会があったのだろう。細身少女の体を律するブラジャーとパンツを……。何となくサリーの顔に赤味が差しているけど、それがどういう感情を元にしているのかは……想像できそうだけどしないでおこう。
「どう思った?」
「まるで筋肉を外付けしたような……柔らかい鎧のようにも思えました」
面白い表現だなぁ。
「うん、乳房を支えているだけなのに、こうなると女性が美しく見える……というレックス本人の嗜好が垣間見えるにせよ、よく観察しているよね」
「いやあ……」
褒めてるつもりはないけど、レックスが照れている。
「あんまり女の子らしく、って決めつけは良くないとはわかってるけど、献体があるようならヒューマンに限らず、遺体を見られるように手配しておこうか?」
「あ……」
まだ幼いサリーは、それがどういうことなのか理解しただろうか? 死体と面と向かって対話するのはなかなか勇気がいること。私は……生きてるとか死んでるとかは、単なる状態でしかない、と思ってるけどさ。ただ、身内の死に関してはきっと普通じゃいられないだろうなぁ、とは思う。
「筋肉の様子や、関節、臓器、その働きはさ、本当は生きているウチじゃないと観察できないよね。死体を解剖したところでわかるのは止まってるところだからさ。じゃあ、生きてる状態で解剖したらどうか? っていうのは愚問。血だらけで観察できないからね」
「では、どうすれば……?」
サリーは意気消沈してしまい、助けを求めるかのように言葉を吐き出した。
「うん、生きている人間を触ること。自分自身でもいいんだけど、他人の方がいいね」
「触る……?」
「ボク、触ってます!」
レックスが誇らしげに言った。だから褒めてねえよ。
「うん、触ることも含めて、人間に興味を持って観察すること。魔法陣生成の技術向上と同等に大事ね。それなら、サリーが考えている方法で、高精度アバターが作れると思う」
「人間を観察……。あれ、じゃあ、姉さんが考えている方法は違うんですか?」
「人間に近いアバターを作る、っていう意味なら、サリーの方法が最短だと思うよ。サリーが欲しかったのは、遠隔地であっても精度の高い魔法陣構築や成形作業ができるアバターだよね?」
「はい、そうです」
「なら、手と目と触覚、それに『転写』に特化したアバターを作った方が早いと思う。万能を目指すんじゃなくて、機能を絞ってしまうわけね。だからぶっちゃけ下半身は要らない」
「あー、そっか……!」
サリーはポン、と掌を合わせた。とってもラブリーなポーズだったので、ちょっとほっこりした。
「そうすれば、操作に必要な魔力は半減するでしょ? ただまあ、将来的には、下半身が欠損している状態に慣れないように、全身のアバターが必要だと思うけどさ」
「そうよ、サリー。アンタ、今だって運動不足なんだから。お腹出ちゃうわよ!」
ドロシーは暇なのか、茶々を入れだした。
サリーの手法はド直球で正確に投げようとしているようなものなので実現には時間が掛かる。とりあえずの要求を満たすようなアバターが作れればいいと思うんだけど。
サリーの試作品を見たことは刺激にはなったし、ラシーン=モンローの『器』作りの指針になった。とりあえずの入れ物があればいいや。
「お、お腹が出たら、ウェルみたいなのが産まれますか?」
サリーの乏しい性知識に、その場にいた三人は、それぞれの立場でツッコミを入れることになった。
――――レックスの性知識が正しすぎて泣けてきた。




