教会の黒魔女
【王国暦123年8月18日 17:04】
ナナフシ嬢たちの体調は問題なく、せいぜいお酢を使った食事を増やして下さい、とアドバイスをした程度で、お茶会を辞した。
オダが心配しているのは、むしろオーガスタの精神面で、旦那予定の男がいるヴェロニカとは違って、拠り所が皆無だ、ってことね。
オダ自身がそうなればいいんだけど、使用人の立場に近いモノがあるから、どうにも踏み込めないでいるんだろうね。一発逆転でオーガスタがオダと結婚……なんて決断してくれればお互いに精神的支柱になれるはずなんだけど。
オダは勇者としての実績がほとんどなく、ただ『死んで生き返った』ってだけだもんね。自分に自信がないんだろうね。
テーブルと引出物の試作品は、明日の午後に見せに来る、ということにした。案外、この二人と話しているのは、老成している……と言っていいのか……落ち着くのよね。
「また明日、お茶を飲みに来ます」
そう言ってから私は西漁港へと向かった。
現在、漁協の建物は西漁港へと移っている。一年ほど前には、プロセア軍から鹵獲した船が、改装もされないまま係留されていたんだけど、今は漁船や貨物船に改装されて運用を始めている。ポートマットの漁船、商船には冷蔵設備が当たり前のように設置されていて、この町の漁港で水揚げされた魚が美味しい理由の一つにもなっている。
アイザイアやトーマスの慧眼が光るのは、どうやっても軍船以外に使えない形状の船以外は、格安で漁協にうっぱらってしまったこと。漁協の協会長であるエイハヴ、副協会長のモーゼズは、それを受けて、漁民たちの再編成を行った。小舟での小さな規模の漁ではなく、中型以上の船を漁師複数人で共同管理して、より規模の大きな漁をするようにしたのだ。
結果として漁獲高は激増し、ポートマット住民が増えて胃袋の数が増えても、賄えていると。
余剰になった小舟も無駄にすることなく、養殖や海藻採りに使っているそうで、その勿体ない精神にアッパレを贈ってしまうわね。
「寒天の収穫量を増やしてくれ、か……」
モーゼズは潮の香りと体臭の混じった独特の匂いを振りまいて唸った。夏だからというわけじゃなくて、割と一年中、モーゼズは半裸だ。
「そうなんです。一割増くらいでいいので……」
「あの食材の使い道は俺にもわかんねえし、わかった。群生地も把握できてるし、全部採らなきゃ生えてくるしな」
海の男は荒っぽく言った。日焼けした肌に、相変わらずの白い歯が眩しい。テングサは日当たりのいい、一定の方向を向いた斜面の岩場に多く群生しているそうな。
「あの海藻は、世界を救う……かもしれません」
「うそつけ」
モーゼズは噴き出した。煮込むと海藻臭く、水にとろみが付く……だけの食材だと思っているんだろうねぇ……。
「いやホントに。ええと、その他の海産物なんですけど、オヒョウの生きた個体が手に入ったのなら、生かして持ってきてほしいんですけど」
「んー、化け物カレイか。フィッシュ&チップスになった奴は食ったことあるがよ、不味くない味っていうか、どこかボケたような味でなぁ」
「大型の魚は得てしてそんなものです。大型のツーナだって最近まで捨てられてたんでしょう?」
へえ、とモーゼズは感心した表情を見せた。
「よく知ってるな。勇者様が氷で冷やす保存法を漁師の間に広めてから、ツーナが市場に出回ることになった。ああ、軽食堂に納入する魚はツーナじゃ駄目なのか?」
「悪くないんですけど、揚げた時に生臭みが出るので、白身魚の方がいいんですよ」
「赤身じゃだめなのか……」
「駄目ってことじゃないです。適材適所、ってことですよ」
「そういうもんか」
そういうもんです、と私は頷いておいた。
さすがは漁師、というべきか、白身と赤身の概念はあるのね。これも醤油をもたらしたと言われている過去の勇者が広めたことかもしれないけどさ。
ああ、どうでもいいことながら、ツーナ、と一般的に言ってるのは、元の世界でいうとミナミマグロみたいなやつ。かなり南下しないと獲れないんだってさ。海流やら生育条件やらが違うようで、クロマグロみたいなのはあんまり獲れない。同じ理由でカツオもあんまり見ない。元の世界の英訳だとボニート、こっちの言い方だとボニト。群れで捕まえることができれば、カツオブシの再現に一歩進めるんだけどなぁ。
【王国暦123年8月18日 17:42】
漁協を後にして、近くにある教会へ寄る。漁協から見てすぐ北にあるのよね。
エミーが不在の今、私を発見するのはマリアの役目らしく、教会の敷地に入ると、すぐに気付かれた。
「久しぶりっ~」
喜んでいるんだろうけど間延びしているからそう聞こえないという。
「久しぶり、マリア。オルゴールの件ではレックスが世話になったみたいね」
「ううん~。音楽が仕事になるなんて思いもしなかった~」
寄付という形ではあったものの、当然ながら金銭の授受は発生している。それに、マリアは『学校』でも音楽の先生……として、最近では教会の外で活動していることが多いみたい。
「学校の方はどう?」
「うん~。ちょっと困ってることがある~」
マリア先生は歌の形で魔法の呪文を覚えさせる――――という講座をしているのだけど、覚えさせているのが主に生活魔法で、成功しちゃうと音楽室が水浸しになっちゃうんだという。
「わかった。防水シートで床を覆う工事をさせるよ」
「ありがと~。もう一件あって~」
「うん」
「みんな、歌が上手くならないの~。教え方が下手なのかな~?」
「もしかして、いきなり生活魔法の呪文を覚えさせてる?」
「あ~、うん~そう~」
「なるほど。ホラ、歌に対する感性や再現性には個人差があるじゃない? マリアが歌って、そのままを生徒さんが歌えるかどうか、っていうと……」
「うん~、個人差がある~」
「だよね。歌える人はすぐ歌える。だけど歌えない人は、そもそも歌に親しんでこなかったんだよ。だからさ、もっと簡単な歌を教えたらどうかな?」
有り体に言えば音痴な人は一定の割合でいるはずだもんね。それに、聞き分けは上手でも再現が下手とか、よくある話よね。
「あ~。簡単な歌~?」
「前に土着の歌を教えてくれたじゃない? ああいうのさ。それに、歌に拘らなくても、楽器でもいいかもしれない」
「楽器じゃ魔法は覚えられないよ~?」
「いいじゃん、それでも。とっかかりがあるのと無いのとでは違ってくるでしょ?」
「なるほど~」
「トーマスさんかユリアン司教にさ、大陸の楽器の輸入を申し出てみたらどう?」
「リュ~トみたいな~?」
マリアが言うと玄妙な楽器に思えるなぁ。
「うん、弦楽器に限らないけどさ、色んな楽器で演奏したら、きっと楽しいと思うの」
ショパン・ピアノ・スコア……過去にいたという、私の同型ホムンクルスが、大量の楽譜を残しているらしいし。その割には見たこと無いけど、誰が管理してるんだろうねぇ。
「ああ~。楽しそう~」
何を想像したのか、マリアはだらしない顔で笑った。
カミラ女史も教会に戻っている、とのことだったので、少し話ができた。私もそうだけどカミラ女史は迷宮にある製紙工場や領主会議、裏会議の連絡をしたりと、教会の実質ナンバー2として動いているだけに、腰を落ち着けられないでいる。この教会のトップはもちろん司教であるユリアンだけど、この役職は便宜上のものらしくて、実際には聖教に『位』はなかったりする。
「黒魔女殿……。例の新しい紙ですが、難航しています」
多忙なカミラ女史は疲れた女の悲哀を浮かべながら、申し訳なさそうに言った。
試作品として、数点の紙を見せてくれた。
「それでも従来の手漉き紙より白いと思うのですが、どうにも丈夫じゃなくて……」
「あー、水で溶けたりしますか?」
「はい……」
おー、トイレットペーパーに使えそう。
「それはそれで配合を後で教えて下さい。別の用途に使えそうです」
「使う木材をもう少し柔らかいものにするか、硬い木でも柔らかくする方法があれば、かなり材料の自由度が増します。今のところは材木の端材や廃材を使っていますので」
「再利用の観点から見るのは重要なことです。一種類だけではなく、複数種類の木でもいいかもしれませんね」
実際問題として、酸で柔らかくする……という方法は採れる。私が自前で酸を吐き出すか、ノーム爺さんに言えばいい。けど、私がいなくても回るようにしたい。
「硬軟合わせて使ってみる……ですか。単一素材に拘っていましたから、それは盲点でしたね。まだ試せるところは多々ありますので、もう少し頑張ってみます」
「はい。紙の需要が、近い将来爆発的に伸びるかと思います。他ならぬ聖教の……聖書の販売で」
「え……」
カミラ女史は、驚きの表情で私の顔を覗き込む。
「聖書販売による布教は、聖教を支配し、聖教が世界を支配するきっかけになるかもしれませんよ?」
「そんな……大それた事は……。それに何故、聖書販売の話をご存じなのでしょうか?」
紙の大量生産にはつきものだから連想しただけ……とは言わないでおく。ついでに言えば印刷技術に関しては、『転写』でどうにかなっちゃう。印刷の発想がそもそもあるから、『転写』に依らない活版印刷もすぐに登場するだろう。
で、紙を主導して作っているのが教会なのだから、次に売り物になるものと言ったら決まっている。
「今でも紙の製造で相当に儲かっているはずです。いえ、今以上に、莫大なお金が入ってきます」
「確かに、正式に合弁会社を立ち上げた方が良さそうですが……」
「そうなると有象無象の自称宗教家たちが聖教に集まってきます。自己の利益しか考えない神父……に荒らされないためにも、聖書の内容くらいはカミラ女史の恣意的な編纂をすべきです」
「私の、ですか。ユリアン司教ではなく?」
ああ、それは宗教家として心酔しているのか、男女の情愛かはわからないけど、カミラ女史にとってユリアン司教は大事な人なんだね。
「それはお任せしますよ。一人の力で出来ることではないので、聖教本部が主導でやらざるを得ないかもしれませんが。ただ、千年、二千年後にまで影響を及ぼすことが出来るのは、想像しただけで楽しくなりません?」
「ふふ……貴女は恐ろしい人ですね」
カミラ女史は怜悧な視線に戻り、口元だけを歪めて笑った。
「ふふふ……世の中を変えるには悪人でなければならないのですよ……」
そこまで偽悪的に生きているつもりはないけど、結果的にそうなってるから、もうこれでいいんじゃないか、と思ったりする。
「私にも……なれるでしょうか、悪人に」
そう訊いてくるカミラ女史の表情は真面目そのもの。
「さあ、どうでしょう? 好いた人に都合のいい世界を作りたいと願えば、自然と悪人になるかと思います」
「さすがは黒魔女です。私も……女を捨てているわけではありません。思い出してきましたよ、野望というものを」
あれ、何か変なスイッチ入れちゃったかな…………?
「まずは外堀を埋めて、既成事実を作り、モノにする……」
あのお堅い印象のあるカミラ女史の目は、狩りをする女豹の目に変わっていた。
「私が子供を産めなくなる年齢になる前に……私はやりますよ!」
「が、頑張って下さい! カミラさんなら出来ますよ!」
とりあえずセイラさんのように煽っておいた。
――――燻っていた女の想いに火が着いたようだっ。




