迷宮近辺の黒魔女
【王国暦123年8月18日 11:05】
一度迷宮に戻って幾つか工作をする。
フレデリカには『簡易盾』をプレゼントしようと思う。召喚光球による『障壁』も考えたんだけど、そもそも『召喚』スキルは覚えている人が少なく、フレデリカも覚えていなかったりする。
魔道具製作が終わったら、あとは小物を幾つか作る。
シスター・リンダの役に立てるように、病院用の足踏み式噴霧器と、同じく足踏み式の簡易手袋装着装置を作る。
ジャクソン神父以前に足踏み式の機織り機は既にあるんだから、ここから自動化、って流れは止められないと思うんだけど、『使徒』の思惑に合致するには、要するに石炭、石油文明を阻止出来ればいいんじゃないかしら。
大規模娼館にある、太陽光から魔力を蓄える魔道具は、迷宮の効率に比べると1/10以下ではあるものの、エネルギーを自前調達できることは大きい。サリーであれば、あの魔道具を調査してコピー品を作るのは造作もないことだと思うから、あのシステムが広がっていくのなら『使徒』もご満悦なのでは……。
ただ、あのシステムを携帯できるレベルにまで落とし込めるには相当な技術革新が必要だし、車両に載せる大きさにするのも、技術というか、魔力持ちが必要になりそう。となると結局、化石燃料と内燃機関の組み合わせは、特に移動手段として採用される可能性がまだ残っている。
……ということは、魔力を用いた交通機関の確立さえできれば、魔法文明に一気に進むことになる。ゴーレム運送は取っ掛かりになるかもしれないけど、私と無関係の人にまで供与するのも何だかなぁ……。迷宮に集まるような体制になれば不特定多数の人も含めて幸せになるかもしれないけどさ。
「んー、あとは……」
せっかくなので、軽食堂用にも噴霧器と簡易手袋装着装置と、あとは金工もしておこう。
【王国暦123年8月18日 13:05】
お昼ラッシュが終わりつつある軽食堂へ。それでも忙しそうだから本当は遠慮したい時間帯なんだけど――――。
「そっ、その道具はっ?」
ギザギザの金属の塊に柄が付いている道具……。コルンは、一目見て、それを何に使うのか見抜いたようだった。
「ウロコ取り。どうよ?」
「ありがたいです……!」
今までは包丁だったり、鬼オロシみたいなのでやってたりしてたんだよね。
「一応ね、黒鋼だからめちゃ重い。これでも中抜きはしてあるんだけどね」
「これ、は、ふんっ、鍛えられ! ます! ね!」
「ある程度重さがあった方がいいと思ったんだけど、ちょっと重すぎたかなぁ」
「かる! い! 方が!」
コルンが必死になって使っているけど、もう腕が疲れてきちゃったみたい。失敗作だなぁ。
「じゃあ仕方がない、アルパカ銀製のウロコ取りがコレ」
「おっ、これは軽いです! パリパリ取れます!」
「黒い方は回収するよ……」
シャレで作ったんだけど、一分で駄目出し食らっちゃねぇ。アルパカ銀製は中をハニカム構造にしてあり、少量の魔力で微冷却をする魔法陣が内蔵されている。本当は真鍮の方がいいんだけど、魔道具にしたかっただけなのよね。これ以上の効率を求めるとなると、自動ウロコ取り機なんてものを作らなきゃいけなくなる。
小型で強力なモーターなんていうのは、今のところ低出力しか出せない魔核からのエネルギー供給の具合を考えると、製作は難しい。
「冷たいです……」
おや、魔道具に内蔵された魔法陣が発動したようね。そんなコルンに、さっき作ったスライム溶液の簡易手袋装着装置をプレゼントする。
「手袋ですか! 衛生的な環境になるのは間違いないです!」
「うん、小さな手の傷とかも防止できるし、ウロコ取りの冷たさも気にならなくなると思うの。溶液の方はトーマス商店に注文出してね。後、これは噴霧器ね。お酢用とアルコール用」
これらは魔道具ではなく、単に足踏み式の霧吹き。
「ますます頑張ります!」
「うん、女奴隷も来たことだし、頑張ってちょうだい」
「あっ、はいっ!」
コルンに手を振って店を出ようとしたところで、勇者オダと出会った。
「小さい親方……!」
「おや、オダさん。フィッシュ&チップスですか。いつもお買い上げありがとうございます」
「うん、『雌牛の角亭』のも好きだけど、こっちの味に慣れちゃって……」
「油ものは美味しいですもんね」
「最近のヒットはエビかな。いろんなのが出てきて飽きないよ」
実はエビが一般的に広まっていないので、消費先として、軽食堂がメニューに加えた、という経緯もあるんだけど、順調に売り上げが伸びている。美味しいよね? エビって!
「タルタルソース、というかマヨネーズ? の量産がどうも追いつかないようで。甘辛ケチャップソースをお勧めしているみたいですね」
「俺はマヨラーじゃないから、そこは不満はないな。ああ、ポートマットに戻ってきているなら、後で姫様を診てやってほしいんだ」
「ん、体調が悪い?」
「夏バテ? かもしれない」
グリテンの夏は体調を崩すほど暑くはならないというのに。
「わかりました。夕方になる前に行きますよ」
「うん、待ってる」
オダは今食べているものの他に、二、三の包みをテイクアウトしていた。顔が油ギッシュになること請け合いね。揚げ物は贅沢品なのに、ここはリーズナブルな価格だし、油に塩、甘味のあるソースとくれば、ヒットしない道理がない。
素材のお魚の入荷が不安定ではあるけど、エビ―――のフリッターに近い――――の導入で、魚は売り切れたら終わり、以降はエビ、としたところ、エビのご指名も増えてるみたい。
ムール貝の養殖も順調みたいだし、フフッ、今夜はパエリアにするかなぁ!
【王国暦123年8月18日 14:12】
ペグ・ギネスさんは、トーマス商店迷宮醸造所の所長さんで、髭面のドワーフ(♀)だ。女性的には髭の身だしなみは重要で、ちゃんと櫛で梳いてちゃんと切り揃えてある。髭は濃い、ってわけじゃなくて、ナントカ増毛法のテストで付けたような、そこは髪の毛じゃありません、みたいな感じで頬と顎に付いている。
「ノブさんは向こうの醸造所ですか?」
「はい……あの……すみません」
ノブさんはペグさんの弟で、金にならない醸造家ね。
「いえ。こっちの醸造の方は順調みたいですね」
「はい……近代的な醸造所と蒸留施設がありますから……」
この醸造所は『塔』エリアの基礎部分、地下空間を利用している。物凄く広いので……今後やろうとしていることへの備えとして、無菌室も複数部屋、用意してある。
「ここの施設で出来るものはお酒じゃなくて、単なる酒精ですよね。ノブさんがそこに忸怩たる思いを持っているのは理解できますから。彼は新しい味覚の、美味しいお酒を造りたいんですよね?」
「はい……そう、そうなんです……」
ペグさんは元気なく言った。
「そこでですね、醸造所の従業員をですね、今の倍に増やして下さい。雇用条件なんかはドロシーかトーマスさんと決めて下さいな。で、ここと、お酒の醸造所と、定期的に従業員を順番に交代させてくださいな。将来的には、ここの従業員たちが、酒造りを理解していて、その上で高濃度アルコールを作っている、という状況にしてほしいんです」
ドロシーから聞いている限りでは醸造所の従業員は全部で五人いるはず。だから十人程度にしてくれればいい。
「あの……それは……何故でしょうか……?」
「ああ、お酒作りの工程を学ぶことも重要だからですよ。私はお酒は飲めませんけど、文化として大事だと認識もしているんです。これはノブさんへの助力……とも言えますが、ノブさんには酒造りだけをさせておくわけにもいきません。後進の育成と共に、やってほしいことがあるんです」
「あの……そ、それは……?」
ビクビクしながらペグさんが訊く。
「んー、直接説明した方がいいかも。その、やってほしいことは、もしかしたら、お酒だけじゃなくて、人類を救うかもしれません」
「人類を! そんな、まさか……」
いや、本当よ? カビの培養と試験、それを行うには醸造に携わった者が必要になる。だから従業員を倍増させたいのよね。
「うん、なので――――。そうね、明日の朝イチにでも、この醸造所に呼び出ししておいて下さいな」
「はい……」
オドオドしながら、ペグさんは了承した。
【王国暦123年8月18日 15:23】
「黒魔女先生、ようこそいらっしゃいました」
「黒魔女先生、ご機嫌麗しゅう。お久しぶりでございます」
字面だけを見ると豪華姉妹のようにも見えるんだけど、実際に、この言葉を発しているのは激細の貧弱なお姫様だ。
それにしても何ですか、黒魔女先生って……。ビッグマグナム黒岩先生の親戚ですか……?
「ひめ……いえ、オーガスタ嬢、ヴェロニカ嬢、ご機嫌麗しゅうございます。お変わりはありませんか?」
「お陰様で……。もう姫ではないのに、どうにも癖が抜けませんわ」
「わたくしも……。わたくしたちの立場は微妙なものになっているという自覚は、これでもあるんですのよ?」
そう言う二人だけど、以前のように枯れ木が鳴いている感じではなく、生木が叫んでるくらいにはなったかしら。あんまり変わらない? ううん、血色は良く、生気に溢れてはいるから、療養は成功していると言えるかしらね。夏バテとか言ってたけど、そうにも見えない。
領主の館、別館は迷宮の一部を含んでいる。二人の元姫が住んでいる場所で、迷宮がほんの少しの魔力を吸っている。これが生物には刺激を与えるらしく、起きた時にはスッキリ爽やか……になる。垢擦りみたいなものか。まあ、一種の健康ランドになっているわけね。
吸う一方で迷宮内部にも少々は魔力が漏れ出してるし、ちょっと外に出れば魔力に触れる環境ではあるだろう。だから魔力はプラスのはずなんだけどさ。
建物は迷宮の直上に建てられていて、その本体はせり出す崖にめり込むような形になり、崖上にある入り口から見れば二階建て、崖下から見ると四階建てに見える。もちろん、この下にも構造物があり、そこはプライベートルームになっている。
崖下には半地下の温室がガラス張りになって広がりを見せて、まるで宙に浮いているかのよう。別館の建物と温室の間には少し空間があるので、そこにテーブルを据えて、午後の紅茶に招かれている、というわけ。
「こ、紅茶です」
勇者オダが甲斐甲斐しくオーガスタの世話をしている。メイドさんも何人か連れてきているはずで、王位継承権を失った彼女たちにしてみれば、それでも付いてきてくれた忠臣と言えた。こういう場合のメイドさんとかって、貴族の娘さんだったりするから、花嫁修業だと思えば本人の立場はあんまり変わらないのかもね。それでも、王室に勤めているか、衛星都市に引きこもっているか、というのは周囲から見れば都落ちの印象は拭えない。
その一方で違う見方をすれば、周囲の人たちは情報通で、娘を王都から逃がしたのだ――――とも言えるかしらね。
まあ、本職のメイドがいるだろうに、明らかに家事が不慣れな男がサーブしてくれるんだから、これはニヤニヤしながら見守るのが淑女の嗜みというものよね。
「クッキーもどうぞ」
「出来映えはどうかしら」
オーガスタ姫が作ったという、ハーブ入りのクッキーは不気味なほどに緑色で、クロレラそのものなんじゃないかと疑うほど。紅茶はちょっと渋みが出ていたけど、葉っぱもそれほどロイヤルなクォリティというわけではないから、私の安い口にはこの方が合う。
「うん。苦い。固い。いやでも……保存食には、これ、いいかも」
要するに水分量が足りてないんだけど、堅焼きのクッキーは行軍食になるよね。
「忌憚のない意見をありがとう、小さい親方……」
勇者オダがお茶と同じくらいに、渋い顔になった。ゲストにそんな顔を見せるとは……。殺すぞ? すぐに生き返ると思うけど。
「こういうのは言ってあげないと改善しないものです。姫様が手ずから作った、というプレミア感は勿論ありますが」
「いえ、だからもう、姫ではないわ」
「あー、すみません」
ナナフシ姫改め、バッタ嬢? 昆虫から離れてくれないわね。
「姫をやめたことで、健康を取り戻せたようなものだから、善し悪しというものだわ。ヴェロニカはいい人がいるからいいけれど……」
「オーガスタ嬢は療養に来た、ってことでいいじゃないですか。クレーンさんに聞いたところ、温室も、庭園も、熱心に世話をして頂いているとか。お庭は一日にしてならず、情熱を傾けてくれているのはありがたい話です」
建物の北側にガラス張り温室があり、その西側は丘陵の一部になっていて、そこには一年中、どれかが咲いているように花の苗が植えられている。今の季節ならラベンダーかしら。まだ造成途中で疎らだけど、庭園のスペースは相当に広いから、半年やそこらでの成果としては十分過ぎる。この庭は、ガラス温室も含めてガザ・クレーンさんという、元々王室のお庭番をやっていた人……の次男坊が管理してくれていて、オーガスタとヴェロニカは、それを手伝っている、という形ね。
ヴェロニカの方は領主の奥様になるということでそれなりに学ぶこともあったりするので、お庭いじりはオーガスタの方がメインかしらね。二人とも白っぽいサマードレスを着ているけど、より日焼けしているのはオーガスタだし。
「本当に日焼けしちゃって……嫌だわ」
クス、と小さく笑うオーガスタを、オダは微笑ましく見ていた。
「あれ……?」
既視感ってやつだ。この光景、どこかで見たような……。
「どうなさいましたの?」
ヴェロニカが私を覗き込む。あ、こうして見ると、オーガスタに比べて目が大きいや。目元が何となくエミーに似ている気もする……。
「ああ、いえ、生き物と一緒に生きるっていうのは心に良いことなんだなぁ、と」
「そうなんですの。黒魔女先生の提案を受けて、王立庭園での療養を勧めてくれた、マッコーキンデール卿には感謝ですわ」
「あ、そうだったんですか」
「ええ。卿がロンデニオンにいない方がいい、と助言をしてくれましたの」
それ、単に巻き込みたくなかっただけなんじゃ……。意外と言っては失礼ながら、人道主義の一面を持っている人物なのかしら?
「ヒューマンも生き物ですから、生き物に囲まれて生きることで、自然に帰る……療法とお聞きしましたわ」
「花が枯れるのも最初は悲しみましたけど、それこそが自然なんだと達観できるようになりましたの」
「なるほど……」
そっか、環境療法を最初に言い出したのはマッコーだったのか。後付けのこじつけにしてはスムーズに説得材料になったわけね。
それにしても、姫様の達観……死へと確実に向かっている筈なのに、死への恐怖が薄いというのかな……。
ああ、オダはそれを心配して見ているのか。姫様の死生観を不安視してるんだ。
じゃあ、デジャヴっぽいのは何だろう……。私が間近に見ている、死にゆくあるもの……。
アーサお婆ちゃんか?
いやまてよ? そうじゃないや。
見ているのは私じゃなくて、お婆ちゃんの方だ。私は見られている方か。
そうか、いつもお婆ちゃんが私を見ている表情は、私を死にゆくあるものとして心配している顔なんだわ。
心配しているつもりで心配させていた。不安にさせていたのか……。
――――なるほど、自分のことは気付かないものねぇ。




