※聖教会の聖少女
ここのところ連日、トーマスが商談に出かけていて、お陰様でドロシーと店番の毎日だ。
「アンタ、一昨日会った時はヒドイ顔してたけど。段々マシになってきたわね」
「そ、そうかな……」
鏡がないのでわからないけど、きっとそうなのだろう。穏やかな日々って素晴らしい。
朝ラッシュが終わり、ホッと一息のところで、ドロシーは二階に上がり、朝食を用意する。いつもの適当な野菜や肉の余りを適当に煮込んだスープと白パン。白パンは正式名称ではないけど、固い黒パンが一般的だった時代が嘘だったように、このポートマット、もといグリテン王国で受け入れられている、とのこと。本当に過去の『異世界人』―――いや日本人―――様々だ。
元々、パンとスープ、という組み合わせは、保存食でもある固い黒パンをスープに浸して柔らかくして食べる、というスタイルが定着したものだ。この辺りの事情は『元の世界』と変わらないらしい。
「はい、出来てるよ。食べてきて」
ドロシーが言うと、店番を交代して私は二階に上がる。短い間だったけど、ここで暮らしていたこともある。勝手知ったる道具屋の二階、だ。
スープを自分で注いで、木製のスプーンで一口。
「うん」
超メチャウマ! というわけではない。『シモダ屋』の味噌スープのように望郷の念を強くするわけではない。ただいまでもない、おかえりでもない。お袋の味ではなく、姉か妹が不器用に作ったような……。うん、そんな感じの、適当に作ったはずなのに、優しい味だった。
朝食を食べ終わると、一階に降りる。一階は商品を売るカウンターの他に、例の『保管庫』と倉庫、工房がある。
ポーションは一昨日の昼間に大量生産したんだけど……、一番面倒なのは小分けの作業で、二万本などと気軽に言われたのを、気軽にホイホイ了承したのが運の尽きというか。
「錬成はいいとして、効率のいい小分けの方法を編み出さないといけないなぁ」
別に私の本職は『錬金術師』ではないんだけど、手伝う動機と手段とを持っていれば、やるしかない。まあ、これはまた次回までに考えよう。
「スープ、おいしかったよ」
ドロシーに声をかける。丁度、接客が終わったところのようだ。
「なーに、その疑問形?」
ふん、と鼻を鳴らすドロシー。小憎らしいところが可愛らしい。
「まあいいわ。教会に配達お願いできるかしら」
く、まるで女主人……。でもまあ、ドロシーだからいいか。
「りょうかーい」
硬直しつつ両手を合わせる。『元の世界』の敬礼は、騎士団所属の騎士さえ合掌している、この世界では多分理解されないだろうから。
私の返答に満足そうなドロシーは、木箱を指差した。これを配達しろということか。
「というかね、アンタご指名なのよね」
教会からご指名を受けるとは……何のプレイかしら。ああ、そうじゃないのか。
「ああ、ユリアン司教ね」
「そうそう。司教様が配達ついでにアンタを寄越してくれだってさ。何か厄介ごとでもあるの?」
ユリアンはフェイ、トーマスと同じく、暗殺の協力者の一人だ。冒険者ギルド支部長、商人ギルド副支部長に加えて、教会支部長である司教までが勇者暗殺に関わっている。暗部は実に根深い。その意味で、ドロシーの問いは正鵠を射ていると言える。
「うーん? ……思い付かないなぁ……」
私は腕を組んで、目を瞑り、唸った。
「いいわ。帰りにお昼、何か買ってきてよね」
うう……暴君すぎる……。でも甘い私は嬉々としてお土産買って来ちゃうんだろうなぁ。私、Mなのかしら。
いやいやいや。心の中でブンブン首を横に振る。
ドロシーから木箱を受け取ると『道具箱』の中に入れてしまう。
「いつも思うけど、アンタ、その魔法は反則だわ!」
「と、言われましても……」
返答に困る。こういう時は逃げるに限る。
「えーと、行ってきます」
カランカラン、とベルを鳴らして、店の入り口から夕焼け通りに出る。
馬車に気をつけるのよ! とドロシーの声が背後から聞こえた。ママかよっ。
ロータリーの辺りはいわゆる旧市街で、夕焼け通りを西へ行くと、新市街に向かうことになる。
旧市街は道幅が狭くて、馬車のすれ違いは可能な幅ではあるけど、少々猥雑な雰囲気がある。近視眼的な都市計画だなぁ、とは思うけど、何十年か先の都市の姿を完璧に想像出来るものは、神の御業だとも思う。ここは神様が関与しなかった故の道路幅なのだろう。
ポートマットは古い港町で、ほのかに潮の香りが漂う。香りが強いときは風が強く、海は荒れ模様なのだと言う。
「風は……普通かなぁ?」
何がどう普通なんだ、と自分にツッコミを入れつつ歩く。
教会は新市街に建てられている。というか、教会を中心に新市街が建設されていったわけだ。新市街の方が内陸にあるわけで、港町の成り立ちとしては普遍的なものらしい、と聞いたことがあった。
普通に歩く程度でも、私の速度は常人よりは速い。『加速』スキルを使ってもいいのだけど、これは戦士系統(肉弾戦っぽい人たち)が好んで使うスキルの一つで、短剣偏重、暗殺者のスキル構成だとバレる端緒になるかもしれない。
今の私は道具屋の臨時従業員兼、時々錬金術師兼、なんちゃって魔術師、ということになっているから、それを通した方がいいだろう。
「――『風走』」
風系の強化魔法を使う。魔力が凝縮して足回りにまとわりつく。うん、この感触は、確かに『風がまとわりついている』と思える。ホバークラフトってこんな感じなのかも。
このスキルは魔力を継続して使うので、魔術師としてならともかく、暗殺者向きではない。発生した魔力で追尾できてしまうから。
一般に『属性魔法』とは言われているけども、実はこれは正確なものではない。
これらの分類は元々、『精霊魔法』を参考にしていることに起因している。
精霊魔法は、この世界を構成していると言われる四元素、つまり火、水、風、土の四つには、それぞれ精霊が宿っている、とされる民間伝承から始まっている。伝承だと思ったら本当に精霊が存在したので、その力を借りて魔法を行使しようと研究が始まった。
一方で精霊の力を意識せずとも魔法は使えていた。これは死霊に対する光系魔法が一つの例で、それに相対する属性の闇系魔法も、一部の魔族が使っていた。
この二属性魔法を参考に、精霊魔法に似せて再現しているのが、一般の魔術師の使っている魔法、ということになる。
精霊には意思があるらしくて、人間如きが猿まねをした『疑似精霊魔法』を嫌うため、魔術師の魔法を覚えると精霊が使役を拒むようになり、精霊魔法は使えなくなってしまう。
ともあれ、魔術師の『属性魔法』というのは、事実上は存在しない。魔力で現象を再現して精霊魔法に似せたもので、便宜上『~系』と呼んでいるに過ぎない。
この辺りの話は魔術師としては常識らしく、何人もの魔術師のお客さんが(しかも全員が誇らしげに)私に語ったことだ。
体系として魔法を会得している(つもりの)人たちの自称は『魔術師』なわけで、本来の意味からすると、精霊魔法の使い手たちは別に学んだり修行しているわけではないので、こちらは『魔法使い』という自称になるらしい。ただし、口元は同じ単語を喋っているようにも見えるので、ニュアンスが微妙に違うように『ヒューマン語スキル』が訳しているみたいだ。
時々、こういう、変な拘りがヒューマン語スキルには散見される。
ところで、肉体強化、特に速度上昇系のスキルを使うと、一歩の速度が尋常ではなくなる。フェイからは目立つから余り使うな、と言われているくらいで、見た目と実際の歩幅にズレがでてくる。結果として滑っているように見える。自分でもちょっと不気味に思う。
十分も歩くと、教会の三角屋根が見えてきた。
合掌のレリーフが屋根の頂点に飾られている。祈りは世界を救うのだそうだ。本当にそうならいいのになぁ。
聖堂は白い石造りで、石工の職人が希少なことを考えると、信者からの寄付で賄っているとはいえ、かなり高コストなのが想像できる。ましてやこの大きさ。ポートマットの建築物では、領主の館を除けば一番立派なものかもしれない。
このポートマットに限らず、グリテン王国の建築物は、煉瓦、石造り、木造、とバラエティに富んでいる。
良質な石切場が国内にあるらしく、どちらかというと石造りが多いか。
煉瓦が存在するということは、それなりの耐久力を持つ炉が存在するということだ。ただし、これは魔法で耐火性を高めているだけなのかもしれないので、技術力が高いかどうか、というのは微妙なところだと思う。
木造は民家や商店に多い。石造りと半々、みたいな建物も割と見る。建物を見るのは、その世界の生活を俯瞰的に見ることが出来て面白い。
「なにをニヤニヤしてるんですか?」
すでに教会の敷地に入っていたようだ。振り向くと、少女が柔らかい笑みで立っていた。肌は白く、そばかすの一つもなく、修道衣姿のベールから見える髪の色は濃い金色、目の色は深い蒼。日本人が思い描く欧風美少女の完璧な姿と言えるかも知れない。
「あら、エミー。ごきげんよう」
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【エミー・クラプトン(エマ・ミカエル・ヴィヴィアン・ワイアット)】
年齢:12
種族:ヒューマン
性別:女
所属:聖教会ポートマット支部預かり
賞罰:なし
スキル:鎚矛LV2 強打LV2(汎用)
魔法スキル:気配探知LV1(魔法) 浄化(光)LV2 範囲浄化(光)LV1 光球LV1
治癒魔法スキル:初級治癒LV2(光) 初級範囲治癒LV2(光)
補助魔法スキル:光刃LV1 光盾LV2 魔法盾LV1 魔法反射(光)LV1
生産系スキル:裁縫LV4 調理LV4
生活系スキル:採取LV2 解体LV2 計算LV3 点火 飲料水 ヒューマン語LV4
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私は少女、エミーに微笑みかける。エドワードもそうだったけど、『鑑定』で名前が二つ見える場合は、先に表示された方が偽名(または通称)だ。何か訳アリなんだろう。
エミーからは、こう、全身から清いオーラというか、聖なる光というか、後光がさして見える時がある。対極にいる私としては苦手な部類だ。
スキルを見る限りでは該当するものはなさそうなんだけど……。エミーのスキルは全部コピーしてるから、再現できるはずなんだけど、できやしない。
それにしても、この子、妙に育ちも良さそうだし……。戦闘訓練をしたら勇者に匹敵するスキル構成だし……。
まあ、苦手な子だし? 今回も当たり障り無く微笑んでお茶を濁そう。
「お久しぶりですね。どこかにお出掛けだったんですか?」
エミーはキラキラキラッ、と輝くような瞳で私を見つめる。私よりも少しエミーの方が背が高い(泣)けど、年齢は確かドロシーの一つ下、つまり私の一つ下ということか。
チッ、胸の膨らみは、すでにエミーの圧勝だよ……。
「んっ? まあ、そう。依頼で」
まあ、嘘ではない。
「そうですか……少し目に翳りが見えたもので……でも、大丈夫そうですね」
会う人会う人に言われるなぁ……。そんなにヒドイ顔してるのかなぁ……。でもまあ、回復傾向だって言うし。聖少女様のお告げを信じよう。
「うん、心配ありがと。司教様はいる? あと、一応回復ポーションの納品なんだ」
「はい、執務室に。ご案内します」
エミーはパァッ! と目を開いて、嬉しそうに笑った。エミーの、このリアクションは苦手ではあるんだけど、どうにも拒否できないというか。ドロシーとは違う方向のアプローチを掛けられている気がするのだけど、私が男性だったら、ここはモテ期だと勘違いしてもいいかもしれない。
向けられている感情は、恐らくは好意だろうけど、私が何かをエミーにした記憶は……。
「この指輪、大事にしているんですよ」
あー、付与魔法の練習で作った『守護の指輪』は、エミーに渡ってたんだっけ。それに、私の光魔法はエミーからコピーしたものだし、いくつかの魔法はエミーに習った(フリをしてコピーをした)から、ある意味、光魔法の師匠だとも言える。
「そう。ちょっと恥ずかしいな」
まだ未熟なスキルを使って、銀製の指輪に付与したものだ。キーワードを宣言すると『障壁』の魔法が発動する。装備者の周囲に卵形の障壁を展開する魔法だ。展開後三十分ほどは外部からの攻撃や干渉から身を守ってくれる。だけど、その間はこちらからも何もできない。本当に守るだけ。条件設定が甘いのだ。試しに使わせたドロシーが三十分間、椅子に座れもしないで怒ったっけ……。
「いいえ、こんなに凄い魔法道具を作ることが出来るなんて。過ぎた謙遜は嫌味というものですよ?」
メッ、と、エミーは振り向いて私を目で叱る。わー、聖女様可愛いなぁ。
おおっと、いけない。エミーのペースになってしまう。本当にこの娘は苦手だ。
でもでも、もっと良いアイテムが出来たら、プレゼントしちゃおうかなー。
建物の西側はさほど広くはない墓地になっている。夜に来ると結構いい雰囲気なんだけど、この世界には怪談を楽しむ文化はないみたいだ。
裏口から建物の中へ入る。
ちなみに表口は礼拝堂の入り口でもある。こちらは西側の墓地の方に開いていて、祭壇は東側に設置されていることになる。祭壇の奧側に礼拝堂以外の教会施設がある。
どうでもいいことだけど、表から入ったことは一度もない。ホント、この世界に来てから裏街道まっしぐらだわー。
建物の中に入ると、少しヒンヤリとする。石造りは気温を下げるものなのだろうか。
「回復ポーションは倉庫でいい?」
「はい、鍵は預かっています」
何度か来ているので場所はわかっているけれども、エミーの先導で倉庫へと向かう。
着いた先でエミーが無骨な鍵を、これまた無骨な錠前に差し込むと、特に回転もさせず、解錠された。簡単なウォード錠かしらね。
古い木戸を開けると、少しカビの臭いがした。
「こちらにお願いします」
エミーに言われた通りに木箱を取り出して置く。ドロシーと違って『道具箱』スキルが卑怯だとか何だとかは言われない。良い子だね。
木箱に入っていたポーションの数を確認して、私が渡した納品書にサインをしてもらう。
「じゃ、司教さんのところへ、お願いします」
「はい」
倉庫の木戸を施錠して、エミーはチラ、と私を見てから歩き出す。何かを言おうとしてたみたい。
「もっと顔だすようにするね」
「えっ。あ、はい。はい」
顔に書いてあるから思わず先手を取ってしまった。うん、驚いて赤面するエミーも可愛いねぇ。
エミーは司教の部屋の前に立つと、ノックをする。ノックの文化も、『元の世界』と変わらない。
「お連れしました」
中から、どうぞ、という声が聞こえた。
エミーは少し残念そうに私を見つめたあと、
「それではまた」
と、呟くように言った。
「あ、うん」
笑みを送る。ぎこちなかったかな。少しだけ後ろ髪を引かれながら、部屋の中に入る。
「こんにちは。ご無沙汰しております」
私は合掌をしてお辞儀をする。異世界らしくないけれど、これが神聖な挨拶だ。
「ようこそ、お待ちしてましたよ」
ユリアンはゆったり笑って私に話し掛ける。静かな雰囲気は、どこにいても、誰であっても穏やかな気持ちにさせられる。年の頃はトーマスと同じくらいか。
いやでもどうなんだろう、トーマスはドワーフだし、トーマスの年齢と容姿が釣り合ったのが十年ほど前だとすると、ユリアンは普通に年齢を重ねた―――ヒューマンなのだから当然だけど―――と言えるか。
「さ、そちらへどうぞ」
ユリアンの物腰は柔らかい。黒いローブ状の服がよく似合っている。
ソファに座ると、ユリアンは金庫から何かを取り出し、私の対面に座った。
「まずはお疲れ様でした。こちらは報酬となります」
ユリアンが、重そうな、おそらくは白金貨が詰まった袋(金貨だけの時もあるし、混ざっていることもある)をテーブルに置く。
「あー、はい」
そうか。暗殺の報酬は教会でユリアンから受け取る、という話だったか。こんなにも柔和な表情で対面している依頼者と実行者の図は、きっと傍目には滑稽に映るだろう。ところで、このお金の出所はどうなってるんだろうね?
「今回はご苦労をかけてしまったようで……」
ユリアンは困ったような表情になるが、司教まで出世した人物だ。演技だろう。
「いいえ、待機時間が少し長かっただけですから」
報酬が入った袋を『道具箱』にしまい、私は首を振る。
「そうですか……。あまり正確な『神託』は降りてきませんので、ご迷惑をお掛けします」
そう、司教であるユリアンが、この暗殺グループに所属しているのは、この『神託』を受け取る資格を持っているからだ。『神託』は、『使徒』と呼ばれる上位存在からのメッセージのことだ。
もう異世界だから神様が直接手出しをしてきても不思議じゃない、とは思うのだけど、思っている状況とはちょっと違う。
「まあ、『神託』とは言っても、『神様』は存在しませんけどね」
肩を竦めてユリアンは軽く言う。司教のカミングアウトとしては心配になるほど大胆だ。
「ははは……」
もう私は笑うしかない。ユリアンに以前聞かされた話は、神様は有史以来、一度も現世に顔を見せたことがなく、代理人として『使徒』と呼ばれる存在が『神託』の形で接触をしてくるのだという。『神託』を受ける人間は、ほぼ例外なく教会に所属する人間で、波長が合うとか合わないとか言ってたっけ。
「本当に……アマンダ様が仰っていたように、貴方は心がお強いですね」
ユリアンは私を覗き込むように見ると、感嘆したように言う。褒めてるんだろうか?
「いえ、ええと、私を支えてくれる、優秀な人たちがいるからですよ」
ヨイショしておくか。まあ、これは本音だけどね。
ユリアンは首を振った。
「いいえ。あのアマンダ様でさえ、貴方が来る前までは、生ける屍のような形相でした。あの方は、貴方に救われたのだと思います」
「はぁ」
生返事。だって、私に実感がないのだからしょうがない。
繰り返し使える、心がタフな暗殺者は素晴らしいね! と言われているだけなのだし。
おっと、長居するとユリアンに褒め殺しされそうだ。暗殺者の死に様としてはあり得ないよね。
「今日の用件はこれだけ、ですよね?」
「はい。もうすぐエミーがお茶を持ってくると思います」
うわ、聖なるオーラ入りですか! 退散しよう。
私がソファから腰を浮かしかけると、ノックの音がして、エミーが部屋へ入ってきた。早いな! さすが調理LV4! は関係ないか……。
「お茶を持って参りました」
ニコニコ、と擬音が出てきそうな笑みを発散させて、お盆にティーセットを載せてやってくる。
「まあまあ、お茶の一杯くらい。いいじゃないですか」
暴力団事務所で、やんわり対応されているような、そんな居心地の悪さ。ユリアンもエミーも、よかれと思って勧めているから性質が悪い。浮かしかけた腰をソファに戻す。
エミーがお茶をカップに注ぐ。と、紅茶の芳香が漂ってくる。
「ありがとう。紅茶……ですね」
珍しい。このグリテンではハーブティー(カモミールだったり、ドクダミ茶だったり)が主流のはずだけど……。
「ああ、ご存じでしたか。ここのところ、輸入物は、お茶だけではなく、手に入りにくくなってきていますが……」
「そうなんですか」
初耳だった。
「失礼します」
エミーがお茶を注ぎ終えて、退出する。チラリ、とこちらを見ていたのはスルーして、ユリアンの方を注視する。エミーが扉を閉めて姿が見えなくなったのを確認してか、ユリアンは小声で囁くように、
「大陸の軍隊が攻めてくるのでは、などと、トーマスさんは冗談めかして言っていましたが……」
と、困り顔で言う。
「ああ~」
あり得る話だ。向こうが輸出を絞っているか、途中で襲わせているか。こちらに物資を入れないようにしてるのだろうか。
「その影響なのか、最近は寄付も少なくなってきておりまして……」
「はぁ」
寄付をしてくるのは商人たちが多いのだろう。無い袖は振れないし、寄付をしても、教会が荷物を海賊から守ってくれる訳がない。教会が困窮しようが、知ったことではない。
が、教会付属の孤児院は、安価で良質な労働力を提供してくれる。ドロシーも孤児院出身だったはずだ。
「何か案は無いものか、貴方に伺えと、アマンダ様からの『神託』で―――」
「嘘を言ってはいけません、司教様」
真面目に指摘すると、ユリアンはイタズラがばれた子供のような笑みをこぼした。
そう。前任者のアマンダは、私に後を託すと、『使徒』になり、こうしてユリアンを通じて『神託』を下す存在になったのだ。それに関しては思うところもあるけど、まあ、ここで言うことでもないか。
ユリアンが期待を込めた視線を私に送り続ける。すごいプレッシャーだ。
うーん、仕方ない。一つアイデア出してみるか。
「護符…………を販売してはいかがでしょう?」
「護符? ですか?」
「直接の御利益を保証するものではないけれど、持っていると良い事がある、かもしれない、というモノです」
ユリアンが身を乗り出す。食いつきが凄い。トーマスより利に聡いんじゃなかろうか。ああ、でも、そのくらいじゃないと、司教には出世できないのかも。
「ほう、それは魔道具ですか?」
「いえ、単なるモノですよ。別にあっても無くても構わないような」
「ほう……?」
「そうですね、小さな布袋に、適当な石でも入れてですね。『教会が所持者の幸運を祈った』などと銘打ってですね。喜捨の代用として売り出すわけです」
「ほうほう……」
「石じゃなくても、羊皮紙の切れ端に描いた適当な魔法陣でも、何でも。原価タダみたいなものを、あるかもしれない御利益のために買ってくれれば御の字というものです」
あー、いないと言われてはいるけど、神様を冒涜してる気がする……。
「ああ……なるほど……。さすがですね。早速やってみたいと思います。ありがとうございます」
ユリアンは立ち上がり、合掌してお辞儀をした。
「ああ、思いつきですから。……ホントにやるんですか、それ」
「やはり、『神託』は間違っていませんでした!」
え、ホントにそういう神託だったのか。おいおい、『神託』を悪だくみに使ってるんじゃないよ……。
「そろそろ。急ぎの用事もありますので」
私も立ち上がり、合掌してお辞儀をする。これ以上は何だか良心が削られていきそうだ。ここ、教会だよね…………?
「ええ~?」
ユリアンは泣きそうな顔をしている。司教様が暗殺者の辞去に、そんな顔しないでくださいよ。
「また、いつでも来て下さい。私も、エミーも大歓迎ですから」
「はい、また」
私が部屋からでると、お盆を持ったエミーが待機していた。
「もうお帰りですか?」
「ああ、あ、うん。またね。お茶、美味しかったよ」
聖少女は残念そうに口を尖らせる。いけない、これ以上の深入りは!
急いで教会から出ると、私は大きく息を吐いた。
―――これが夏のエメラルドってやつか……。