ボの人の行方
【王国暦123年6月18日 10:14】
あの昼食会の翌日は、冒険者ギルド支部の建物を仕上げに入った。
マールが約束通りオーク材を納品してくれたので、木材については心配がいらなくなり、さらにもう一軒、宿屋を建てることにした。
今日は朝からご近所さんの村民を雇用して基礎石を設置、基礎が終わったところで短文が入ってきた。フェイからだった。
用件は二つあり、一つ目は商業ギルド、ウィンター村支部から通信サーバと通信端末導入の要請があり、現在検討中、とのことだった。
もう一件は、ボ……の人の件だった。フェイによれば、ボ……の人は、奥さんと子供とは既に別れているはず、とのことなんだけど。
ナンノコッチャ、ともう少し文面を見てみる。幾つかはザンから聞いた話らしい。
内部情報漏洩事件の後、しばらくの間ボの人は冒険者ギルド内部に軟禁されていた。
その間に愛想を尽かした奥さんと子供は離縁状を突きつけて実家に帰っちゃったのは確かなんだけど、元々ポートマットへはずっと単身赴任状態で、奥さんと子供は王都にずっといたらしい。ボ……の人がポートマット支部に、副支部長として赴任したのは今から約二年前。つまり、別居したのはもっと以前から、ってことになる。
この世界でも一応離婚、という制度はあるけど、旦那の稼ぎをアテにしなくても生きていけると宣言したわけで、この場合の別居は、もう実質の一家離散と言っていい。
ここからはザンに聞いた話が混じる。
ボの人は職務復帰した時に、離婚という現実を受け入れられないままだったそうな。多くの冒険者ギルド員たちを危険に晒した男への寛大な処置は、ヒラの受付業務担当者に降格、ということで、それは落胆した様子だったんだってさ。それが――――ある時からテンション高めで業務をこなすようになって、周囲は訝しげに見ていたけれど、特に害もないので放っておいたそうな。
で、フェイが何を言いたかったのか、というと、ボの人が単身赴任、って言ってたのはおかしいね、ってこと……。それだけ?
いや、そうじゃないわね。違和感に気付け、って言ってるのか。
ザンはボの人が商業ギルドに情報を流してたんじゃないか、って疑ってた。
ワシントン爺さんも、マールも、それは否定してなかった。それはいい。
だけど、それは何のために情報を流してたんだろう? お金? 家族もいないのに? 慰謝料とか発生してるわけもないし……。
十時の休憩の時に、お茶を振る舞いに来たラーラに、ボの人が住んでいる場所を訊いてみることにした。西って言ってたし、場所くらい知ってるんじゃないかと。
「むむ……西の方としか……」
ハッキリ知らないのか。支部の建物にいたティボールドにも訊いてみると、
「村の西にある、小さな一軒家に住んでいます。一応、冒険者ギルドの寮として借り上げているのですが」
「へえ……」
今後も使えるかどうか、ちょっと検分しに行こうかしら。
建築作業が終わる夕方に、ティボールドと、その一軒家に行ってみることにした。
【王国暦123年6月18日 16:32】
狭いウィンター村の、さらに疎らな町並み、目的の一軒家はすぐに見つかった。っていうかティボールドが案内してくれた。
「うーん……」
まだ太陽は沈んではいないものの、そろそろランプを点灯してもいい時間。明かり取りの窓は閉まっていて、中に人がいないのは明らかだった。
「入ってみましょう」
ティボールドが合い鍵を取り出して解錠する。鍵ってほどの代物じゃなくて、扉に付いている穴にクランク状に曲がった鍵棒を突っ込んで、中の閂を横にスライドさせただけ。セキュリティというほどじゃないというか、そもそも扉も壊せそうだしなぁ。
中に入ると真っ暗だったので、『灯り』を複数出して照らしてみた。
「…………」
私もティボールドも声を出さない。
当たり前だけど無人だったのを確認しただけ。建物は小さいながら2DK、最初に入った部屋がダイニングになっていた。一応の自炊はできるけど、厨房には料理をした形跡がまるでない。
テーブルの上には黒パンが幾分かカットされていた状態で置かれているだけ。椅子は四脚あったけれど、埃の跡から、三脚はほとんど動かしていない様子。
「奥の部屋も見てみましょう」
ティボールドの提案に私も頷いて、二部屋を続けて見る。
二部屋のうち、一部屋だけを使っていたようで、魔導ランプが置いてあり、ベッドには藁が敷かれていた。もう一部屋の方にもベッドはあったけれど藁は敷いておらず、使われていなかった。
使った形跡のあった方を、もう少し精査してみる。メモらしきものも、ダイイングメッセージなんてものもなく、外に出て行ったまま、ボの人が戻っていない……という状況を裏付けるだけ。
こういうとき、虫眼鏡カーソルでもあればなぁ、なんて思っちゃうんだけど、そうなると犯人がヤスってことになっちゃうかなぁ。
「いませんな」
「いませんね」
物置かどこかに隠れている……かもしれないと、押し入れやベッドの下まで見てみたけれど、少ない私物が出てきただけだった。
私物は替えの衣服と下着、それに――――。
「巻物? 何でしょう? これは?」
「絵ですかね?」
筒になっていた羊皮紙を開いて見ると、人物のように見える線画が描かれていた。
線画、と言っても、素人が何となく描いた、デッサンもパースも狂っていて、辛うじて人物だ、とわかる程度の画力のもの。これは……サリー画伯より酷いな。
両方とも髪が長く描かれているから女性二人かもしれない。うーん、この線は墨かな? インクじゃないみたいだけど……。
「ふむ…………」
羊皮紙は幾度となく削って、その度に新しく描いたみたいで、かなり紙厚が減っていた。
「奥さんと娘さん? ですかな?」
「ああ……そうかもしれません」
「単身赴任で、家族は王都にいるとか言ってましたね」
「それが副支部長。ポートマットのクィン支部長、ザン本部長からの情報では、離別してるようなんです」
「えっ? じゃあ……嘘をついていたと?」
「いや、そうじゃないと思います。本人が現実を受け入れてない可能性があるんです。だから、ボの人の中では、三人はまだ親子だと認識しているのかも」
「……それはまた、なんとも……」
「ご本人の甲斐性や家族への接し方の問題でしょうから同情はできませんが。人質に取られていた、というのも何だか眉唾ですねぇ」
物凄く嫌な想像だけど。人質に取られていた奥さんと子供、というのもボの人の妄想だったら? この世界、この時代の存在証明なんてあやふやなものだしなぁ。
この点はちょっとザンに確認してみよう。本当に、ボの人に家族がいたのかどうか。救出した人物がいたのであれば、それは何者なのか。
「私物は一応持ち出して、支部の方で預かっておきますか」
「そうしてください。…………? ――――『魔力感知』」
視線を感じる。何だろう? 予感するものはある。だから『魔力感知』をアクティブで使ってみる。
「うわっ」
私が突然、魔法を使ったのでティボールドが驚きの声をあげるけど無視。
「あ」
微かな反応があった。何となく、『不可視』とか『隠蔽』の時の、引っかからない感触に似ている。
けど、その反応はすぐに霧散するように消えてしまった。
「どうしましたか、支部長?」
「もしかしたら、もうボの人は……いやまだ確証が持てませんね……」
「…………」
ティボールドも、それきり黙ってしまった。私の言いたいことを想像してしまったのだろう。思い当たるフシがありすぎる。
あまり良くない、その想像を振り払うように、私たちは一軒家を出て、支部へと戻った。
【王国暦123年6月18日 18:42】
ザンに確認の短文を送ったところ、調べてみる、という返答があった。ただ、奥さんと娘さんらしき人物が人質に取られていて、それを救助したというのは事実だ、とのこと。
ということは、少なくとも奥さんと娘さんらしき人物は一年前には存在した、と。
とりあえず、ボの人の目撃談を集めてみよう。
もう夕食の時間だけど、迷惑を顧みずに代官の館へと向かった。
「くっ、黒魔女……」
門番に来訪を告げて、やってきたのは、渋い顔をした便の人だった。
あんまり憎しみを向けてくると、君の名前を称えて時計台兼、大規模・大便専用公衆便所を建てるわよ?
「すみません、お食事の時間に。ちょっと急ぎお伺いしたいことがあるんです」
「構わない……。中へ入ってくれ」
さすがに門のところで話す内容じゃないし、失礼だもんねぇ。
村長の部屋……ってことでいいのかな……に案内されると、中ではエリファレットが待っていた。
「黒魔女殿、何事だ?」
「突然の来訪を受け入れて頂きありがとうございます」
ウーゴは王都の方に宿題を持って戻っている。ベンは私を案内した後に退室しようとしていたけれど、呼び止めて同席を求めた。
「七日前のことです。ミルワード卿とブリットン副官たちが、私の制止を聞かずに迷宮内部に入りましたよね。その時に、ウチのボ……ボ……」
やべえ、名前が出てこないや。
「ボ……ボ……?」
「ボ、ボ」
「ボボ!」
「ボ!」
「わからん!」
「そうですよね……ええと、ウチのボ……みたいな名前の職員のことです」
「囁いた男か」
私は頷いた。
「その囁きは最後がいつだったか、記憶していますか?」
「三日前、例の会談の前日だな」
三日前の、その三日前、つまり六日前から囁きが始まったことになるか。
「ハッキリと背後から聞こえたんですよね?」
「うむ……」
エリファレットは曖昧に頷いた。私はベンの方に向き直る。
「七日前の突入時、その男を見かけましたか?」
「ボ……みたいな名前の職員……?」
「はい、目立たない男なので見過ごしがちですけど。行方が知れず、支部の方でも所在を探しているところなんです」
ここまで言って、エリファレットは違和感を口にした。
「ちょっと待て。行方が知れないというのは、三日前からなのか?」
「いいえ、八日前から私は見てないんです。私はその後、迷宮に入っていましたので……」
「つまり、ボ……は迷宮に入ったのではないか、と見ているんだな?」
「はい、まあ、そうかもしれません」
そっか、迷宮のログを見ればいいじゃんか。でも、整合性と行動を追うためには他の証言もあった方がいいわね。
「ベン、お前は気付かなかったのか?」
「我々の他には誰もいなかったはず……です」
「まあ、ブリットン副官殿は、まだここに戻ってから日が浅いでしょう? 団員の皆さんにも訊いて頂けると幸いです」
「わかった。その……ボ? の目撃情報を募ればいいのだな?」
ベンは偉そうに言った。先日の会談では、これ以上ないほどに小物だと自覚せざるを得ない状況に置かれたというのに、プライドを保っていられるとは感心しちゃうなぁ。
「はい、どんな些細な情報でも構いませんので」
「あいわかった。気に留めておこう」
「よろしくお願いします」
ベンを鍛える云々の話は、冒険者ギルド本部から人がまだ来ていないので話のしようがなく、私とティボールドは、代官の館をあとにした。
「いやあ、あの副官には怖がられてますな」
ティボールドが苦笑しながら茶化してきた。
「そうですか?」
「ええ、偉そうにしているのは、その裏返しでしょうな。どうしますか? 商業ギルドにも行ってみますか? 時間的にはあまり余裕はありませんが」
「ちょっと調べてみたいこともあるので、明日にしましょう。今日は支部に戻りましょう」
私たちも夕食を食べていないし、今日はキャベツ以外のものが出てくるだろうか……。
【王国暦123年6月18日 20:22】
しっかりキャベツのスープの夕食を摂ったあと、私は一人迷宮へと向かった。
あしゅら……じゃない、ラシーン本体の様子を軽く見て、あまり状況が変わったようには見えなかったので放置して、めいちゃんから管理ログを見せてもらうことにした。
私が再入場してからのログは、短時間だけれども膨大で、めいちゃんに条件を設定してログを抽出して、やっと、それらしい記述を見つけた。
「あ」
時系列的には王都第一騎士団が迷宮に入場したあとに、一人入場、リポップしたゴブリン五体に攻撃されて三体を撃破、脱出したヒューマン個体が一体、記録にあった。これが騎士団の人間かどうかは不明で、最初に入場した騎士団二十名は無事に全員が地上に送られている。
「んっ?」
しかし、迷宮内部で死亡したわけじゃないだろうに……。死体を入り口付近から引き込んで魔力として回収した、というログも発見した。
ということは、脱出後に事切れて、その後に死体だけ引き込まれた……とか? どんな特殊な状況なんだろうか。
ボの人も新型ギルドカードは持っていたはずだけど、ウィンター村に来る以前に、ロンデニオン西迷宮に入場したなら記録はされているから、他の迷宮とリンク後であれば情報を参照して、この個体の判別も可能なんだけど、デジタルな情報での参照は今のところ正確とはいえない。
やっぱり目撃情報がないと確定には至らないなぁ。ここで問題なのは、ボの人の影がとんでもなく薄いということで、目撃されていたとしてもボの人だと認識されていない可能性があるということか。
うーん、こういう時、迷宮は綺麗サッパリと吸収しちゃうからなぁ。完全犯罪が可能よね。
――――真実見抜く大人の頭脳が欲しいわ……。




