あしゅらの実験
【王国暦123年6月15日 5:12】
起床してから通信端末をチェックすると、トーマスから返信がきていた。
「む~ん」
まだ回っていない頭で文面を反芻する。
ふむふむ……。
お互いに譲歩しないのであれば、お互いが痛みを感じる提案をしてみてはどうか、か。昨晩、ティボールドと話していた内容そのままだったけど、トーマスのアドバイスはもう少し具体的だった。ウィンター村が置かれている立地と、商業ギルドの思惑を熟知しているからこそのアイデアだった。
ふむふむ……。
壁で隔離された街道をもう一本造り、そこを通過する分には免税とする……。
っていうアイデアが書いてあった。
なるほど、商業ギルドの言い分っていうのは、『単なる道であって村じゃない』から徴税の対象じゃない、ってことだもんね。それが本当に真実なら、付帯施設さえも排除しちゃえば公平だろ? 商業ギルドの言い分通りだろ? と、煽る目的もあるらしい。
代官側からこれを見ると、商業ギルドがウィンター村に拘るのは中継施設があるからであって、そちらを使えないのであればウィンター村を経由する必要性そのものを否定してしまう。徴税できても旨味は少ないことになる。商業ギルドが中継地を別途作ることになり、それは第二第三のウィンター村を作るだけなので堂々巡りで、さらに言えばインフラを自費で作る分、商業ギルドが損をする。
というか、人口増の要因があるんだから、時間が経過するだけ商業ギルドは損。意地を張ってないで早々に和解した方がいいよね、という提案か。
加えて、双方の会談を中立の立場で開催して見守ってはどうか、という意見もあった。
さすがトーマス、年の功というやつね。
トーマスから連絡が行っていたのか、フェイからも短文がきていた。ボの人の件だ。
フェイはボの人が異動していたのは知らなかったみたいで、単身赴任みたいですよ、と返したら、疑問符のついた返信があった。
「ん?」
何だろう、フェイにしてはあやふやだなぁ。
ギルバート親方とマテオからも短文があった。
ウィンター村の商業ギルドから、ポートマットの建設ギルドに向けて依頼があったものの、私の判断待ち、という話になっている、とのこと。元々、ウィンター村のトラブルが飛び火しているだけだから、これは当然よね。
マテオからは、マールは積極的に他人を騙す人間ではない、との人物評も加えられていた。だから騙す騙されない、の戦いになるならワシントンの動きに注目するべきだ、と。
建設ギルドの方は、例の娼館の建築も、内装がそろそろ終わり、という段階に入ったらしい。
そこでミセス・エメラルドことドロシーに準備はどうなのか、と連絡を取ってみた。
すると、すでに従業員の人選が始まっていて、肉体的、精神的に限界を感じて廃業する娼婦さんたちの処遇についても話が進行中、とのこと。奴隷として雇用されていた人たちは、まとめて公衆浴場に持っていくがいいか? と確認してきた。
無論おっけー、と返信しておいた。仮にドロシーの奴隷としておくけども、本筋としては私が管理すべきだから、早く帰ってきてよね、とちょっぴりデレな部分も覗かせてくれた。
なお、新婦の方があまりにも多忙なため、式は年内にできるか微妙、だってさ。
ああ、本当にドロシーは……嫁にいっちゃうのか……。経済的にはエドワードの婿入りな気もするけど……。
ちょっと寂しい気分になりながら、ティボールドとラーラに挨拶をして、私は迷宮へ向かった。
【王国暦123年6月15日 6:08】
第十二階層でボンヤリと座り込み、虚空を見つめているラシーン・セルウェンに会いに行く。
サビィ・モンローとの融合が進むのか、と思いきや、別人格として確立しつつあるらしい。この状況には既視感があった。
《ふむ……?》
《うん……?》
《儂らのことだな》
「あ」
そう、精霊たちが心の中に同居しているのに似ているんじゃないか、と。ランド卿は肩に乗ってるだけで、私の内部にいるわけじゃないけどさ。
「で、喧嘩の方は?」
「なに、早く出ていってちょうだい!」
「ラシーン、もう無駄だよ」
と、交互に喋るラシーン本体。考えてみれば肉体は一つで声帯も一つなんだから、某あしゅら男爵は、男の声と女の声が一緒に聞こえるのは声帯が二つなきゃおかしいよね。
で、未だにラシーン本体は裸なんだけど、実に興味深いことに、乳房が縮小して、下半身……ぶっちゃけ陰核……が肥大しているように見えた。今では小さな男の子の男性器くらいある。ごめん、小さな男の子のしか見たことないんだっ。テヘっ☆
肉体が中性化しているみたいなんだけど、ラシーンも、モンローもだらしない中年の肉体だったので、お腹周りは相変わらずだらしない。
肉体は魂に引きずられる……。つまり、自分を男だと思えば男性化しちゃうってことか。多数のサンプルを採った訳じゃないから断言は出来ないけど、そういう傾向がある、っていうのは確認できた。
もう一つ、それを確認できた件があって、どうもモンローは左腕が少し不自由だったみたい。そのことがネガティブに感じられているからか、ラシーン本体の肉体、その左側はやや毛深くなっていたし、左側からみれば、ちょっとオッパイの大きなオッサンに見える。逆に右側から見ると、オッパイの小さなオバサンに見える。これはまさに第三の性……と言えるかも。
この状況は私が面白半分に作った訳じゃないけど、迷宮で起こった事故だから、私に出来ることはしてあげたいな、と思う。
「で、その左手、感覚はあるわけ?」
「ないわよ!」
「動かす感覚などは皆無です」
大興奮したままのラシーンの意見は置いておいて。憑依した側のモンローの実に冷静なことよ。
「じゃあ、ちょっと治療……というより実験になるかも。左手を治すことで、二人の精神……この場合は魂……に好影響があるかもしれない」
「ちくしょう、コイツを追い出す方法を考えてよ……」
「うーん、多分ね、何か器を用意すれば、モンローさんの魂を移すことは可能だと思うよ。だけど、セルウェンさんの魂は、すでに一人分に足りないのよね。今、モンローさんを抜いちゃうと、もっと得体の知れないモノが入り込んじゃう可能性があるんだけど?」
「なに、それ……」
「たとえば、迷宮内部で彷徨っている、五百年前のゴブリンの魂とか」
「ヒイイイ」
人間の身からすれば、それが体の中に入り込むなんて、おぞましい想像だろう。今の状況だって十分におぞましいけどね。
「それにですね、案外、二人はお似合いですよ」
エキセントリックなラシーンと、妙に落ち着いているモンロー。足して二で割ったら……時々エキセントリックで、時々落ち着いた人物が二人できあがる……意味ないか。
「馬鹿なことを言うな!」
「うふふ、お似合い……うふふ」
喧嘩を再開したラシーン内部の会話には参加せず、左手を精査してみた。
「――――『魔力感知』」
『魔力感知』は能動的に生体に対して使うと、魔力スキャナみたいに使える。このスキルも妙に応用範囲が広いわよね。
患部からは乱れた魔力の流れが感じられる。胴体側から来た魔力が、左肘の先で拡散しちゃってる感じ。比較のために自分の左腕も魔力的に見てみる。
「うーん……」
幾つかの紐同士が結ばれている感じ。この紐が神経、ってことでいいのかなぁ。単純にイコールじゃないとは思うけど、電気信号が行き交う電線……みたいなイメージで捉えてみればいいかな。
再度、ラシーン本体の左腕を診る。
ああ、さっきよりもずっとわかりやすいや。信号が散漫になって途絶してる感じがする。
肉体は魂に影響される、の発想から、魂をいじりやすい魔力で、元の形を思い出させてみるか。
「痛かったらごめんね。ちょっと我慢ね」
ゆっくりと、『魔力操作』で散っている神経をまとめたり、もしくは延長したりしてみる。全体的に皮膚表面まで神経が到達していない感じがするから。
「っ」
「痛いっ」
二人は感覚を共有している。痛がった、ということは、神経の延長が上手くいった、とみていいかな。
「どう?」
「ズキズキするわよ!」
「疼痛がします、マスター」
「うん、そこを取っ掛かりにしていこう。また後で来るから、ちょっと様子見よう」
今度は、肉体の方が修正された時、魂に影響があるかどうか、って確認作業になるかな。数時間置いて、また見に来よう。
【王国暦123年6月15日 11:16】
第四階層は途中まで壁の修繕が終わっていたからすぐに終わったんだけど、第五階層はジャングルで水分も多く、壁もそうだけど床材にダメージがあった。今すぐに崩れ落ちちゃうほどの損傷ではないとはいえ、もう五百年保つかどうか。第五階層はすでに生態系が安定しているから、土を掘り返しての作業は影響が大きい。
となると、将来の補修作業のために、予備のエリアをもう一つ作っておいた方がいいかも。
石材の入手がしやすくなるという意味では、商業ギルドが依頼してきた壁の建築は悪い話じゃないのよね。『白い壁』は迷宮壁に適した素材とは言えないけど、予備エリアならどうかなぁ。どうせなら迷宮壁に適した、ロンデニオン西迷宮産か、ブリスト南迷宮で採石している石の方がいいんだけど。
木材も結局発注できてないし、っていうか、昨日のあの空気の中で木材が、とか言えなかったわよ。素材関係の入手は、迷宮だけじゃなくて、ウィンター村全般に言えることかもしれないけどさ。流通が商業ギルド頼みなものだから、立場と状況的に頼みづらいのよね。
第五階層の壁面だけを修繕してから、再度第十二階層のラシーン本体に、会いに戻った。
「で、左手はどう?」
「ずっとチクチクするわよ!」
「感覚が元に戻って行っているような……気がします、マスター」
つまり、魂が、覚えていた肉体の形状に戻りつつあると。
「ふむふむ……」
何となくそんな気はしていた。そんなこともあろうかと真田さん! 考えていたことがあるのだ。
スライム溶液とお酢を取り出して、おもむろにラシーン本体の左腕に塗りたくる。このスライム溶液は発泡しないで膜になるやつね。
「なに…………?」
「これは? マスター?」
「うん、使い捨ての簡易手袋みたいなものなんだけど。暫くは蒸れると思うけど我慢ね」
スライム溶液を塗った後、お酢で固めて定着させる。その上からアルパカ銀を細くしたものを貼り付けていく。アルパカ銀糸の一部は元の皮膚に接触させる形にして……。指先まで、ワイヤーフレームのように編み上げていく。
その上から再度スライム溶液を塗り、お酢で固める。
この作業が終わったら、朝にやったように、神経を元の形に戻していく。その際、アルパカ銀糸を経由するようにして…………。
「なに、これ……」
「え、皮膚の感覚がある……気がする……。不思議です、マスター」
「うん、成功かなぁ」
アルパカ銀糸が神経の代用品。感触がない、っていうのはつまるところ触覚がないということなので、皮膚感覚さえあれば、魂の側が『手がある』と騙されてくれるんじゃないかと。
「これでさ、『手に感覚はある』って思い込んじゃってよ。上手くいけば光系『治癒』とコレを続けることで左手は元に戻ると思うの」
「なに……そんなことよりモンローを剥がしてちょうだいよ……」
「マスター、ありがとうございます、マスター」
ラシーン本体は裸のまま、だらしない中年かつ中性的な肉体を晒しながら、お礼を言ってきた。これがいいことなのか悪いことなのかはわからない。
だけど、この手法を応用すれば、欠損部位の再生治療が可能になるんじゃないか、と思ったりする。モンロー、いやラシーン本体は欠損があったわけじゃないからちょっとイレギュラーだけどさ。案外首とか背中とかを痛めても末端の手足に影響があったりするから、色々なケースを調べて、データを重ねていくしかないわね。
ん、適当に思いつきでやってみたけど、もしかしたら魔法による治療行為の革命を起こしてしまったかもしれない。
――――とりあえずエミーに治療法を伝えておいた。ラルフで実験してみるとかなんとか言っていた。
 




