桃色のアバター
【王国暦123年3月14日 17:17】
「おっ、おおっ、おおお~っ、おおっ!」
ピンク色に光るエミーアバターを見て、ケダモノのように吠えたのは、王都第二騎士団長、パスカル・サミュエル・メイスフィールドだった。彼は体格の良い筋肉をプルプル……と震わせた。
そんなパスカルを冷ややかな目で見ていたのは、王都第一騎士団長、ファリス・ニコライ・ブノア。中肉中背の優男だ。
「まあ、お掛け下さい。遠路お疲れでしょう?」
ニコニコ、と笑って着席を勧めるのは、冒険者ギルド、ロンデニオン西迷宮支部長、リチャード・ラル。いつもニコニコとしているので、逆に表情が読めないという不思議な人物だ。
「はい。えー、あー、こちらは、エマ・ヴィヴィアン・ミカエル・ワイアット嬢……のアバターです。アバターというのは身代わり人形のようなものです。これがあるからこそ、迷宮管理人は肉体を持たずとも、こうして人間同士のような会話が可能になります」
「エマ嬢は迷宮の中にいるのだな?」
パスカルは人形の中身がエミーだと知ると、急にテンションを下げた。
というのは、ちょっと複雑になるんだけど、パスカルの実家であるメイスフィールド家――――パスカルの父親の弟さんには、ヴィヴィアンの実姉が嫁いでいる。
つまり、パスカルの義理の叔母がヴィヴィアンの姉で、パスカルの出世は同年代の、義理の叔母であるヴィヴィアンが口添えしたものでは、なんて言われてるそうだ。えーと、要するに、エミーとパスカルは義理の従弟なんだね。
「はい、いますよ」
桃色のアバターが微動だにせず肯定する。
「会いますか?」
「いや、いい。ヴァーナ叔母さんに似ていたらショックだからな」
私が提案すると、パスカルは即座に拒否をした。
ははぁ、そういうことね。案外パスカル少年の初恋がヴィヴィアンのお姉さんだったりしてさ。まだ人形に心を動かされない初々しい時期があったのかもね。
「まあ、本題に入りましょう」
リチャードはニコニコしながらもちょっと怖い。話を進めようよ、と言っている。この人は見た目の柔和さとは反対に、かなりせっかちな人だもんね。
「はい、その前に、もう一人紹介します。エマ嬢の護衛でラルフと言います。中級冒険者です」
ラルフには家名がない。単なるラルフだ。生まれはポートマット周辺の開拓村だって言ってたから、あまり恵まれた環境で育ったとは言えないんだろう。今のところグリテンには戸籍はあるようなないような半端な状態なので、家名は名乗ったらそれが初代。だから適当な名前を名乗っちゃってもいいのだ。オレは今からキンケドゥ・ナゥだ、とか言ってもいいわけ。
いわゆる通名で世界を渡って行けちゃうのが凄いというか。人間たちが思っているよりも、家の繋がりとか、軽いものなんじゃないか、なんて思っちゃう。
「はい、ラルフと申します。ポートマット支部所属の中級です」
「ラルフは後で、ここの迷宮支部に移籍させます。手続きをお願いしたいのです」
「それは構いませんよ。優秀な冒険者が所属してくれるのなら万々歳です」
リチャードさんは、本音かどうかわからないけど、ニコニコしたままだった。
「黒魔女殿。まずはお聞かせ願いたいのです。我々騎士団との協定を破って、魔物の軍勢を出撃させましたね。理由があるならお聞かせ下さい」
ファリスは第一騎士団長とは思えないほどに下手に出た。申し開きをしてみろ、ということなのだけど、右手のしていることを左手が知らないとか、大組織って訳でもないのに、はて、どうしたものか。
「迷宮から魔物を出撃させたのは、ウィザー城西迷宮が大量の魔物を放出したからで、その一部が、当迷宮へと侵攻を始めたためです。自衛のために必要な措置だった、とロンデニオン西迷宮管理人からは聞いています」
私は可哀想な人を見るような目でファリスに接した。ウィザー城西迷宮の状況を知らずに、こちらを詰問しようなどと情弱にも程がある。ウーゴを左遷させた、とか言ってたけど、その弊害だとしたらファリスは不憫だ。
私は言葉を続ける。
「これは協定で決められた範囲内の権利であり、違反ではないと断言しましょう。それ以前にウィザー城西迷宮が魔物を放出したことを第一騎士団も第二騎士団も知らなかったこと、それは重要な問題だと感じております」
失望した、と私は目を伏せた。
「情報収集も出来ないようでは、協定を結ぶ意味もない、と?」
暗に言ってみたのに、ファリスは憤然として直接的に言い返してきた。どうにも腹芸というのが苦手な御仁ね。それはファリスの長所でもあり短所でもあるのよね。
っていうか、マッコーがファリスに知らせてない、ということは、彼らが一枚岩ではないということを示唆しているわね。
「その通りです。また、ウィザー城駐留の騎士団については関知しない、と言うのなら別ですが、行軍中の私たちを、包囲しつつ攻撃してきました。誤射である、との強弁は可能でしょうが、許されざる行為です」
「なんと……」
ファリスもパスカルも盛大に驚いた。
「もう一つ。協定破り、という意味では……近衛騎士団。ご存じですよね?」
「新設された騎士団です。よくご存じですね? フッカー卿が栄転しましたが……まさか……」
「そのまさかです。近衛騎士団は誤射ではなく、明確に、我々を……敢えて直接的に申し上げるなら、エマ嬢を狙って攻撃してきました。ロンデニオン西迷宮と王都騎士団との間に交わされた協定では、お互いに戦闘行為をしない、とありました。これをもって、迷宮は先制攻撃を受けた、と認識しております」
「…………」
「ほんの数日前、フッカー卿はオーガスタ姫、ヴェロニカ姫の護衛でポートマットに見えましたけれども、あれさえも偵察の一環だったと思うと、協定とは何だったのか、人間不信にもなるというものです」
いや、私自身は性悪説で動いているけれども、それでも善性を信じたいのよね。まあ、守り通してくれる人に出会ってないってだけで。
「それは……まことに……申し訳ない……」
まあ、それしか言えないよねぇ。ファリスも、パスカルも、席を立って、床に座り込んで、合掌してお辞儀をした。騎士団長とは思えない所作だった。
「ブノア騎士団長からの手紙を持参したのがフッカー卿だったわけで……。その知らせを受けてエマ嬢の移送を決断した経緯を踏まえますと、罠というか、騙されちゃったかなぁ、とも感じています」
「それは誓って! 私が黒魔女殿に不利益をもたらすなど考えもしないことです!」
いいようにマッコーに操られている……。私は哀れみの視線をファリスに向けた。
それがウーゴくんを左遷させたことで加速しちゃってるというなら、ギースからウーゴくんの名前を出させて、ファリスから引き離したのも謀略の一つだったとでもいうのか。
本当に哀れだ。
ここでファリスを許す発言をすることはない。期待することはもはや……ない。
「えー、本来なら、迷宮管理者はお怒りになりまして、王城……いや王都を灰にするところなんですけど、私がフッカー卿に伺ったところ、その行いは愚策であり、宰相殿の思うツボであると」
「…………!」
「迷宮管理人も私と同じ意見でしたが、人間同士の争いは人間同士で片を付けて下さい。迷宮や私を巻き込んで利用しようというのは間違っています。こんなことを諭すのはおかしいですか?」
「いえっ、おかしくありません。我々が間違っています」
「悪意ある接触が今後も続くようですと、騎士団より先に始末しなければならない人が出てきます。私や迷宮管理人の沸点を探るのも結構ですが、いつまでも受け身ではありませんよ?」
「必ず伝えます」
ファリスは即答した。誰に、というのは言わなくても伝わったみたい。
「そうですか。それは騎士団長のお二人に期待するとします。お二人の質問への回答は、以上でよろしいですね?」
期待を持てるはずがない、と思いつつ、話を打ち切る。
「はいっ」
ファリスとパスカルは、床に向かって首肯した。
「黒魔女殿。私からも一つ訊いて宜しいですか?」
リチャードがニコニコしながら訊いてきた。私が頷くと、質問を継いだ。
「近衛騎士団……いや、第一騎士団第一隊を撃退したのですね?」
「しました。先方は自爆覚悟、策満載、罠満載で。ウィザー城西迷宮が協力したフシもありますね」
「なんと……。なるほど、あの顔は覚悟の顔だったのか……」
リチャードは、ニコニコしながら遠い目をした。
「ああ、お知り合いなんですか?」
「そうなんです。ポートマットから帰ってきてすぐ、私のところに来ましてね。特に何も話さず、一緒に酒を飲んだだけでしたが……」
まあ、王都の実力者はお互いに親交があっても不思議じゃない。現にザンとファリスだって知り合いなわけだしね。まあ、ファリスは出自が冒険者でもあるから、ちょっと違うかもしれないけどさ。
「そうですか……あの第一隊を……」
「いえ、黒魔女殿の能力を考えれば、彼らの敗北は必然です。むしろ、フッカー卿はそれを理解していても行かざるを得なかったのでしょう」
と、ファリスは床に座ったまま、裏話を始める。
要するにファリスと王宮とマッコーの取引なんだとさ。ファリスは、フッカーが自分の地位や扱いに不満を持っていることを知っていて、それもあって異動を承認したんだと。
「しかし、まさか、黒魔女殿と対峙するとは……。殴ってでも認めるんじゃなかった……」
「まあ、それも星の巡りが悪かったというものです」
星占いがあるのかどうかは知らないけど、きっと多分ある。
【王国暦123年3月14日 17:39】
ファリスとパスカルには元の席に戻ってもらった。彼らにとって、その土下座は安いのか高いのかは知らない。ただ話しにくかっただけ。
「リチャードさん、冒険者ギルドのスタンスとしては、迷宮に対しては政治的に不干渉、これは変わりませんね?」
「無論です。ただ、今回の迷宮都市で発令された戒厳令で、一つ問題が」
「といいますと?」
「ここのところ、大勢の冒険者が迷宮に潜っています。正確な数字ではありませんが、少ない時で二百人、多い時で五百人は滞留しているでしょう。この人数が、いきなり迷宮都市に放り出されるのです。戒厳令下とはいえ、混乱は起きます」
っていうか混乱したんだろうね。
「なるほど、それでは、一時的な収容施設を作りましょう。これは迷宮入り口や内部に於いて、冒険者たちには余計な手出しをしないでほしい、という意思表示でもあります。迷宮は牧場でもあるのですから、職場から疎んじられるような事態は避けていただければありがたいです」
「その辺りは徹底させております。メシのタネですからね」
メシ、という言い回しはグリテンにはないから、これもヒューマン語スキルの直訳だろうね。
「お願いします。施設は完成しましたら、冒険者ギルド……いえ、リチャードさんとそのお知り合い……に話を持っていきたいのですが」
私がニヤリと笑っても、リチャードさんはやっぱりニコニコとしていた。侮れない人だ。この話、というのはもちろん儲け話のことね。
「ほう、それは楽しみですね」
「ええ、もちろん、冒険者ギルドには話は通しますけども、是非リチャードさんにお願いしたい案件なのですよ、フフフ……」
「フフフフ……」
「しかし、本来は国にも噛んでほしかったところです。ああ、騎士団にも王宮にもロンデニオン市にも話を持っていけないとは。残念だなぁ」
戯けてみせるけれども、提案の内容をまだ喋っていないので、悔しがりようがないよねぇ。
その他、門扉を付けるので、閉鎖後の冒険者の処遇、迷宮都市内部の人間の処遇などを話し合った。今のところ治安に関しては自治をお願いしているので、殺人があったとしても迷宮が関与することはない。その辺りは街の『自治会』なる組織ができているので、そちらで対処するとのこと。
「その『自治会』には、私も参加することは出来ますか?」
と、ここでエミーアバターがピンク色に発光しながら立ち上がった。ちょっとガラスのオッパイがぷるん、と揺れた。まだロケットっぽいなぁ、なんて思いながら見ていたら、ファリスは不思議そうな顔を、パスカルは出会ったことのない親戚の女の子が健康的に育っちゃった姿を想像したのか、困惑の表情を浮かべていた。
「あくまで自治に委ねる、という姿勢ですので、立会人、もしくは単なる傍聴者としてなら、歓迎したいところではありますな」
リチャードはエミーの参加を限定的にだけど認めた。最初はこれでいい、とエミーのアバターが頷く。
「では、それでお願い致します。立派な統治機関として運営されている現場を拝見したいのです」
本で読んだだけの、頭でっかちで終わらないところがエミーは麒麟児なんだと思う。頭が下がるわ。
「わかりました。それでは……」
と、ガラスの体とはいえ、妙齢の女の子と、嬉々としてアドレスを交換するリチャードのニコニコ強度が上がった。
嬉しそうに端末を操作しているリチャードを見て、ファリスも、パスカルも、またまた歯噛みした。最低でも、マッコーキンデール卿の影響下から離れないことには、王都騎士団には『通信端末』を提供するわけにはいかない。
お預けプレイを継続したまま、他に幾つかの議題を消化して、会議は終わった。
【王国暦123年3月14日 19:18】
「同じトマトでも、迷宮で味が違うんだな……」
夕食のとき、トマトを囓っていたラルフが、そんなことを言った。
「土の中の栄養素だとか、そういうので味が変わるんだね。植物って面白いよね」
「へぇ~」
「そういう情報を記述したものも、書庫にありましたよ? 『趣味の園芸・入門編』という本が」
ピンク色のアバターから本体に戻ったエミーが、トマトを口にしながら補足した。
「追々やっていってよ。王都が落ち着くまで、どっちにしろ、エミーの立場は怪しいんだしさ」
「そうですね……。不本意ではありますけど」
「まあね、好きで産まれたわけじゃない、なんて言うけどね。それでも、ご両親に望まれて産まれた、って思おうよ?」
「…………そうだな」
「…………そうですね」
いいじゃん、私の両親なんて培養器よ? 人間の親から産まれただけでも人生成功だよ!
「で、食料の方ってどうなったんですか?」
「んーとね、冒険者ギルドの方で、トーマス商店に依頼して、食材セットを定期的に送るってさ。まあ、毒が混ぜられていても、多分、大丈夫。すぐには死なない」
「えー……。まあ、そうかもしれないけどさぁ……」
「虫じゃなければ、大丈夫ですけど……」
「虫、美味しいよ?」
私の経験上、ほとんどの虫は素揚げすれば食べられる。ほとんどの草は湯がけば食べられる。チャレンジして、その中で美味しいかどうかを調べるのは、未知との遭遇なのだ。
「王都で調達した方がいいものもあるから、そういうのも依頼として承るってさ。鶏肉とか卵とかね」
「毎食、パンを焼くわけにもいきませんし……」
「白いパンが食べたいよ……」
王都では、白いパンと黒いパンが半々くらいの割合で流通している。黒パンは保存性には優れるけど……。毎食、スープと黒パン、という食事は、ポートマットで贅沢に慣れた舌では哀しみを怒りに変えてしまう。
「迷宮都市内部にパン屋さんは二軒あるから、両方に技術提供して、美味しいパンを作ってもらおう」
「それはいい案ですね。美味しいパンは明日への活力になります」
肉に関しては……最悪、魔物たちに提供してもらうとして。いや、ブリスト南迷宮で絶賛繁殖中の鶏を分けてもらおうかな。ロンデニオン西迷宮でも自家生産した方が何かと便利。
「迷宮暮らしを快適にしよう。まだまだやることは一杯あるし」
「そうだなっ!」
「はい!」
エミーとラルフは、明るい表情で言った。私には、逆に、その表情が隠遁生活に入ろうとしている不安を振り払おうと、もがいているようにも見えた。
――――迷宮暮らしは大変です。




