大人の魔道具
【王国暦122年12月28日 13:42】
レックスには、新素材を使った製品の流通を限定的にするように言っておいた。皮革も、布地も、天然素材を使えるうちは使った方がいいのだ。いずれ、合成繊維の素材として、化石燃料に目を向けられてしまうことは想像に難くないから。
ということで、小出しにしながら、技術開発を水面下で継続すべし、ということで納得してもらった。当面は身内用の白いタイツ……薄手なのでパンティストッキングを作るらしい。どうでもいいけどパンティストッキングっていうのは元の世界の和製英語で、パンスト、って言ってもレックスには通じなかった。でも、響きに淫猥さを感じたらしく、パンスト、パンスト、とブツブツ呟いていたから、きっと気に入ったに違いない。
ああ、また一つ、レックスの怪しい性的嗜好を開放してしまったようだ。
トーマス商店本店に到着すると、やっぱりドロシーとサリーに捕まった。
「来たわね」
「来ましたね」
捕食者の目をしたドロシーとサリーは、私を二階の応接室へと連れて行った。応接室に入ると、サリーが後ろ手に扉に施錠し、ドロシーは正面のカーテンを閉めて、魔導ランプを点けた。
監禁……いや、怪しい魔道具のテストかしら……。
「まずは見てちょうだい」
ドキッとした。
けど、取り出したのは単なる白木の棒だった。よかった、妙にリアルな張り型とかじゃなくて……。
「これをつけて、と」
もう一つ取り出したのは、直径四センチほどのリングに、小さな袋が付いている物……魔道具なのかな、これ?
「この袋には二種類の液体が入っています……」
サリーの冷静な声が恐ろしい。サリーはその道具を木の棒の先端にセットした。
「袋の真ん中を押しながら、回転させながら……下の方へ押し下げます。下げきったら、外します………」
ニュ~と黒い液体が白木の棒を覆っていき、サリーが道具を外すと、やがて液体が固まり、黒く薄い膜を形成した。
「おっ、お~」
私が驚きの声を上げると、ドロシーもサリーも、薄明かりの中で、ニヤリと笑った。まるで自分自身に笑いかけられているような気分だった。
「これは既に従業員のお姉さんに使ってもらったわ。かなり乱暴に扱っても、短時間なら破れないみたいね」
ヒューマン語が直訳してきた。おおおい、ドロシー、どんな表現したんだー!
「概ね、十回程度は使えるように、袋の中の量を調整しました。濃度も試しました」
フフフフフ、とサリーが笑う。
「お姉さん方には好評よ……。これが港病の予防になるって知ったら、全員がプライベート用に購入を希望したわ……」
ククククク、とドロシーも笑う。
秘密結社みたいになってきたなぁ。
「うん、良くできてる」
リングの部分は精巧に出来ていて、材質は銅みたい。このリングは中空になっていて、そこに袋を押して液体二種類を流し込み、小さな穴から染み出させる。回転させるのは手動と割り切っているわけね。この回転の動作は、膜を密着させるのに必要らしくて、最後に根元を厚くして、ストッパーの役割をさせるみたい。
袋の接続部からリング内に液体を流入させる箇所には一工夫がしてあって、口の部分からリング内中空に至るまでの短い間に、パイプ部分を捻ってある。ついでに出口を細い板で区切ってある。これで混ざり合う補助にしているわけね。その点を褒めると、
「これは、姉さんが先に改造していた編み機で、スライム溶液と酢水を混ぜる方法を参考にしたんですよ」
とのこと。一を聞いて十を知る、じゃないけど、三を聞いて五くらいにはなってるってだけでも、サリーは十分に麒麟児なんだと思う。
作るのが面倒で高価なリング部分は再利用するようにして、袋を交換可能にしたのも良いアイデアね。これなら両方の液体を分けて買う人もいないだろうし、せっかく本体を買ったからとリピーターも増やせるという。元の世界のゲームハードみたいね。
「普及させるためにはある程度価格を抑えたいけど。今のところ、加工ができるのはサリーかレックスしかいないわ」
「他にも色々作っているので……頑張って一日二十個というところです」
「それだけ作れれば十分じゃないかな……。娼館関係者に行き渡ったら一度売り上げは落ちると思う。そうしたら、今度は貴族に売り込むといいね」
「貴族? 何でよ? 子作りは貴族の義務じゃないの?」
余計な知識を知ってるなぁ……。
「んー、それがねー、一定数、浮気したい男っていうのはいるものなのさ。塩味に飽きたから甘いもの、みたいなのね」
「失礼しちゃうわね」
「なるほど、姉さんは、そういう脇の甘い貴族に向けて売り込めば、不貞の子を産み出さずに済む、と」
「うん。誰にも望まれない……なんて子が生まれるのを減らせるかも」
人道上の観点からですよ、と強弁してみてるけど、売れれば何でもいい、というのが本音ね。
「それなら売り込む価値はあるわ。大陸の新教や旧教はともかく、グリテンの聖教は、避妊に関しては寛容だから、国内ではそれなりに数が出るかもしれないわ」
大陸では、元の世界のキリスト教がそうだったように、派閥で教義が分かれて、大元の聖典は同じなのに、違う宗教になってしまった。
新教とやらは割と聖教に近いみたいだけど、旧教は避妊も堕胎も禁じている。女性が、『子供を産む機械』扱いされないという点では、聖教や新教の方が受け入れられやすいかも。反面、生物としての有り様を求めるという意味では、旧教の方が正しいようにも思う。女性と子供の扱いの差は、わかりやすく宗教の色の違いを見せていると言えるかしら。
「アンタの了承が出たら、これ……名前は何にしようかしら……は正式に売り出すわ」
「リング?」
サリーの命名センスはド直球だ。
「スキン・リングかなぁ、わかりやすい名称としては」
私の命名センスはちょっとスライダーかしら。
「あ、それはいいですね」
「アンタ、芸術的なセンスはないのに、言葉のセンスは悪くないわよね」
ドロシーが褒めてくれない。けど、元の世界由来の名称だから何とも微妙な気分。リングもスキンもね。
【王国暦122年12月28日 14:36】
サリーにはセキュリティパッケージの追加の意義と方法について説明をした。
「え、そんな魔道具があったんですか」
あんまり驚いたように見えないけど、サリー的にはこれでも驚いているんだろうなぁ。
「うん、そういった、魔道具が生み出す波形と、生体が生み出す波形は、今のところ差異を検知できないのよね。だから、生体でしか出せない印とか信号を別途拾って、併用せざるを得ないのさ」
非感知領域をどうにかして感知、再現できれば、また話は違ってくるだろうけど。
「え、指紋とか掌紋とかって、人によって違うの?」
「うん、個人で違うけど、親族だと似るよ。魔力波形と一緒だね」
なるほど、そう一括りにしてみると、指紋も掌紋もパターンの結果でしかないから、波といえば波か。
「でも、血管ですか、それも併用しているということは……指紋も掌紋も、偽造が可能なんですか?」
「うん、これは魔法的じゃなくて、物理的に可能。型を取ればいい。皮脂が必要ならその場でつければいいし。体温は型から取って造型したものを人肌に温めれば済むでしょ。だけど血管は体内にあるし、細かい物を含めて偽造しようとなると、かなり難易度が高いのよ。これは恐らく魔法的にも無理」
「でも姉さん、こう、腕を切って、鍵になる人の手も切って、一時的にでも繋げられれば、光系の『治癒』で繋がるんじゃ?」
軽く残酷なことを言うわね。
「いや、それも無理。元の腕が生えるだけ。乱暴にくっつけても繋がらないよ。丁寧につけてみたら……普通に外科的にやれば、大きな血管だけでも繋げられたら……、可能性はほんの少しだけあるかな……」
血管に血を流入させて、血管として認識すればいいんだし、腕一本と解錠を交換する…………か。価値が釣り合うなら、やる人はいるかもしれないなぁ。
でも、ブラックジャックにだって難しいと思うんだよね。で、実はちゃんと血が巡るとも限らないから、それで認証が出来るかどうかも疑問。それこそ試してみるしかない。
「そう考えると、血管での認証も完璧とは言えないんですね」
サリーはあまり落胆していないように見えるけど、軽い溜息は落胆している……に違いない。
「そうだね。魔力感知の精度を上げていくしかないね」
「魔力波形にも上下に、ある程度の幅がある、という話ですね?」
迷宮でやっている『短期間で複数回の走査』の意味を伝えたところ、サリーはここに食い付いた。つまり、魔力波形は、生体が発しているものだから、同じ人でも体調や気分によって微妙に違う。魔道具でコピーすれば、その差はなく、同じ波形を繰り返して発信するだけになるから、そこで差がでるかもしれない、ってだけ。
「うん、もっとズバリ、根本的な対策があればいいんだけど」
キーワードも根本的とは言えないからなぁ。
「……姉さん、こんな感じですか?」
「うん、動かしてみて?」
「はい…………」
サリーが金庫に取り付けた認証装置に掌を乗せると、カチャリ、と解錠された音がした。
「いいね。正常動作。ドロシーにマスターを設定してあるから、後で必要な人の登録をしてよね」
「わかったわ」
ドロシーが頷いたところで、トーマス商店本店での作業は完了。
私の血を取り込んだ人たちは刻々と波形が変化しているから、差が許容できるうちに再登録の作業も継続していかないといけない。概ね一月に一度は更新するようにお願いして、私たちはこのまま商業ギルドへと向かうことにする。
【王国暦122年12月28日 14:52】
商業ギルド、ポートマット支部の建物は、トーマス商店から南にちょっと降りたところ。ギンザ通りの南側にある。ごちゃごちゃした道を歩くから、徒歩数分といった感覚でも、人によっては違うかもしれない。
建物は古い石造りで、三階建て。建設当時には背の高い建物だったに違いない。今は他に高階層の建物が増えてきたから、逆に目立たないけど。
中に入ると、ほんわかと暖かい。これで夏はヒンヤリするから、外気温を遮断している効果は侮れない。トーマス商店本店の建物も案外古いけれど最近改装しちゃったし、この建物は領主の館、冒険者ギルド支部に続いて古いかも。
入り口はホールになっていて、天井には古くて小さなシャンデリアがポツン、と取り付けられていて、淡い光を発していた。
「この古い建物も悪くないわ」
だなんてドロシーは言うけれど、あれかね、廃墟マニアとか古城マニアとかの素養があるのかしら。
「新しくするだけが建築じゃないですね」
サリーがしたり顔で言った。
私もこういうのは嫌いじゃない。リノベーション万歳主義者かもしれない。こういう古い建物の見た目を変えずに、内部を魔改造する、っていうのは本当に楽しい。
たとえば、暖房器具、照明器具は全て魔道具にしちゃったとか。私がポートマットに来て、割と初期にやったのが、ここに使う魔道具の量産だったし。煤が出ないので、内部環境が大幅に改善されたと好評だった記憶がある。言うなれば電池で動かしているようなものなので、配線が不要なのも、取り替えがしやすかった一因かも。
今ではアルパカ銀もあるから、依頼があれば集中魔力方式に変えてしまってもいいわね。長期的にはその方が割安だし、管理も楽になるし。
石の階段をコツコツ……と昇って三階へ。
ここに計算機室とサーバルームがある。と、計算機室にはトーマスがいた。
「おう、おかえり。保安設備の仕様を変えるとか言ってたな?」
「ああ、はい、ただいまです。そうです。今作業中で、こちらに伺いました」
「ふむ……何かあったんだな?」
先に支部長室に通されて、そこで話をすることになった。
「ほう……そんな魔道具が……」
トーマスに、例のコピーカードを見せると、興味深そうに検分し出した。
「全く厄介ですよ……」
作業量に多少ウンザリしているところ。思わず声色に出る。
「うむ、しかしな、考えてもみろ。魔力波形を検知して鍵にするんだから、それが正解だ、と錠前側には記録されているわけだよな? 要するにそれを取り出しているだけだ」
それもそうだなぁ……。鍵と錠を作ることができれば、記録する手段もあるわけだから、それを発信する道具があればいいことになる。
「そう考えると、防犯装置としては不安を感じるわね」
「対応としては生体が持っている性質や形質を利用しようと思いまして」
「ふむ、それで指紋と掌紋、それに血管か……。それはそれで追加した方がいいだろうな」
トーマスはそう言ってから、顎に手を添えた。
「というと、何か案があったりするんですか?」
「案というかな……。たとえばだな、『灯り』とか、魔法を使うとするよな。あれって、皆同じか?」
「はい?」
言ってる意味がわからなかった。
「つまりな、同じ魔法でも、使用者によって癖があるんじゃないかと思ってな」
「え、そんなことあるんですか?」
「論より証拠だ。ちょっとやってみようじゃないか」
そこで、トーマスと私が『灯り』を同時に発動し続けて、それをサリーに検知してもらうことにした。
パァッ、と支部長室が光に包まれる。
「眩しいっ」
「お前な、ちょっと抑えてくれ」
「あ、はい」
明るさをトーマスと合わせる。
「ん~?」
「う~ん?」
「むぅ?」
三人とも首を捻った。差があるとは思えなかったからだ。
ここで蚊帳の外だったドロシーが言った。
「魔法そのものは同じに感じられるわ。だけど、何て言うのかな、魔力総量に対する割合が違う、っていうのかな……」
「私のはかなり抑えてる」
「儂はかなり頑張ってる」
「これも差と言えなくはないですね」
しかし、検知する方法もないし、魔力総量はかなり上下する。
でも、この二つの指摘は示唆に富んでいる。突破口になる発想としては面白い。
「いや、でも、何となく。つまり、生体が発した魔法だと検知できる仕組みがあればいいわけですよね。単に波形を記録するよりも、よっぽど複雑な魔力の使い方をするんじゃないか、って仮説が立証できれば、鍵として機能しそうです」
ヒントはその辺りにあるか。
うん、さすがに年の功というか、一人の発想じゃ辿り着かないなぁ。
「その防犯魔道具関連に問題が出た、というのは、この後議題にしてくれ」
私は頷いた。あれ、サリーは裏会議のことを知ってたっけ? そのサリーを見ると、平然としていた。えーと、これは、知っているってことでいいのかな。確かにサリーもポートマットに深く絡んだ人物だけどさ。レックスはおかしいからいいとしても、サリーには阿漕な大人の世界を余り見せたくない気もするんだけど……。
――――ドロシーも絡んじゃってるし、いまさらかな?




