※素材の少女3
【王国暦122年12月2日 14:15】
それから幾つかの予備実験をしていた間、ピチピチシャツを着ていても蒸れることはなかった。つまりこれは、
「ゴア○ックスみたいなものかなぁ?」
良好な通気性、サラサラな感触が気持ちいい。適度な締め付け感もあるし。
実際に製品にするなら、このような下着か、上着にするなら綿を入れてサンドイッチにするか。そういう工夫が必要かも。
試供品ということで、まずはシャツの形で三着ずつ出力する。
もう一種類、形が簡単なので、フード付きレインコートの形状でも三着を出力。
これで試運転を終える。
「長い試運転だったわ」
《儂達の戦いはこれからじゃのう?》
ノーム爺さんが次回作に期待しちゃいそうな事を言った。
ところで、スライム繊維をここまで研究しているのは、炭化繊維の素材として、現状、一番適していると思われるから。石油、石炭から作る繊維はちょっとNGだし、かといって生物由来の綿や絹は論外。消去法なんだけどさ。まあ、石油や石炭は鉱物であっても広義には生物由来だけどさ……。どっちやねんって話よね。
炭化繊維を製造するには、一般的には、
① 繊維の元を作る
② 繊維を作って紡糸する
③ 二百~三百度の空気中で一刻ほど熱処理
④ 酸素を抜いた状態で、千度で熱処理
という流れなので、いかにも面倒くさい。
②までは出来ている、として、とりあえず加熱してみるか。
【王国暦122年12月2日 17:05】
結論から言うと、③の処理時間は短時間で済んだ。
というか殆ど変化がなかった。十五パーセント酢水で出力したスライム繊維は硬く、もしかしたら殆ど耐炎化が終わっている状態なのかも。
そこで④に入ってみたのだけど、試験的に小さな魔力炉(炭化炉)を作って、密閉できるように蓋を設置、その炉中の酸素を抜く魔道具を、ノーム爺さんの助言を基に作ってみた。実質、炉中は窒素が大半、って空気組成になる。
炉の中に入れる、という関係上、事前に糸を編む必要があるわね。これはいつぞやかロンデニオン西迷宮のグラスメイドを総動員した、あのポーズをここでも再現してもらった。
捻りながら、糸を束に編んでもらう。
「これは時間がかかる……」
魔法とファンタジーの世界で、一体何をやってるんだろうね。
「編み編み、っと」
これは文字通り手編みだけど、グラスメイドにやらせれば自動化は可能かしらね。この状態でもかなりの強度だけど、所詮は繊維を編んだだけのもので、布の範疇を出ていない。
これを炭化炉に入れて『点火』しつつ酸素を抜く。抜いた酸素濃度はまあ、引火したりはしないと思うけど、作業中は一応空調の流れを速めておこう。
【王国暦122年12月2日 18:32】
五分ほど加熱、艶のある、真っ黒な布ができた。えらく短時間で済んだなぁ。
よーく考えたら、これって殆どダイヤモンドの布みたいなものだよね。そりゃ普通の刃物じゃ切れないわなー。『風刃』を強めに使ってやっと切れる硬度だけど、このままだと毳立ってしまって、布のようには使えなさそう。やっぱり、この状態だと、複合素材の材料でしかないのね。
カーボンファイバー強化プラスチック(もどき)再現まで、あと少し。
母材の方は、ズバリ、プラスチックがペレットの状態で在庫があるんだけど、これはこれで貴重品なので、なるべくなら自分で作れる素材を使った方がいい。なので、ほとんど発泡しない発泡スライムを使う。
えーと、何か雌型が取れそうなものは……。
グラスメイドたちはまだアテナエクスクラメーションのポーズで編み込みを続けている。
「強度のテストでもあるから……規則的な……箱形の……完結した形状の方がいいか」
噴水用のオブジェを作りたいところだけど、強度試験には適さないかなぁ……。無難に柱を何本か作ってみようか。んー、でもあれか、H鋼みたいな形状の方がいいのかな。剛性が欲しいから、フランジに傾斜を付けたI鋼の方がいいかな。
どうでもいいけどH鋼とI鋼の断面図はこんな感じ。I鋼の方が肉厚で重いっちゃ重い。
ま、型を作ろうっと。
木材を切り出して貼り合わせ。これを土台にして陶器でコーティング、形を整える。これが雄型。成型後はニュルッと抜くわけね。
外側から圧着させる形の型を作る。これが雌型。
貼り付けて形状を出すだけなら雄型だけあれば良さそうだけど、素材の厚みを均等にしたい、という目的もある。なので、雌型は、微妙に内部の大きさを小さくしたもの、合計三種類の厚みを想定して作る。だって、上に設置する建材ほど軽くなっていく方がいいものね。
よし、今日はここまで、家に帰ろう。
ジゼルも心配だし、夕食までに帰るのは私が人間らしさを保つための大事なルーチンなのだ。
【王国暦122年12月2日 19:44】
夕食には、回復しきったジゼルも同席してきた。何か、鼻の穴に詰め物してる。
「その鼻は……?」
「わがりばぜん、妙に力が漲ってきて、鼻血が……」
鼻血属性まで付与されたとは、難儀なキャラクターになっちゃったなぁ。
「そうね、鼻血はもう止まってるみたい。お昼過ぎからは順調に回復したわ。また貴女が何かをやったんじゃないかと思って心配したわ」
アーサお婆ちゃんが鋭いことを言ったけど、まあ、想像はつくか。過剰に心配していないってことは、原因が私にある、と見抜いているわけね。
「じゃあ、夕食の後に、ちょっと診るね」
ちょっと魔力制御の練習をした方がいいかも。緊急事態ってわけじゃないけど、言うなれば、今は『ジゼルver.2』というところ。新しい体に慣れてもらわないとね。
「わがりばじだ」
ジゼルは、やばぜばびみたいな話し方で新婚さんいらっしゃい、いや、ガッテンしてくれたようだ。
「それで姉さん、スライム繊維の魔道具はどうしたんですか?」
レックスが心配そうに訊いてくる。
「ごめん、魔改造して原形を保ってないかも……」
「そ、そうですか」
「今、迷宮に置いてあるから、明日にでも見に来てよ。使い方も説明するからさ」
使い方まで変えちゃったんですか、とレックスとサリーは呆れつつも苦笑した。二人が仲睦まじい様子は微笑ましいものがあるけど、ジゼルの視線は厳しい。ジゼルは食べ物に執着したり、自らの欲求を隠さない。そういう意味では暗殺者向きではないのかも。
同じ孤児院で同じ食べ物で育って、同じように暮らしてきたはずなのに、これだけ性質に差があるっていうのも興味深い。人間ってロボットじゃないんだなぁ、と変な感慨を持つわよね。
皆、親御さんに事情があって孤児院に入ったわけだけど、それにしては、孤児特有の暗さはあまり表には出てこない。そりゃ、変態のエリートを生んでるし、仲間内の虐待もあったから、表に出てきてないだけで、心の闇は解消仕切れない程に大きいのかもしれないけどさ。
このアーサ宅での暮らしは、彼ら、彼女らの闇を照らしてくれているだろうか。出自の怪しい私がこれだけ癒されているのだから、快方に向かわないわけがない、と思うんだけど。
夕食の後、リビングでお茶を飲みながら、試作品のシャツとレインコートを披露する。
「うわ、これは……!」
取り出してすぐ、レックスが唸った。繊維が細く、密になっているのに気付いたのだ。
「確かにこれは魔改造かも」
鼻息荒く、サリーも頷いた。
「通気性も解消できてるみたい。今もまだ、私着てるし」
チラリ、と首元を見せる。見える下着が全然セクシーじゃないからか、レックスの表情は微動だにしなかった。むしろ仕事モードの凛々しい表情だった。ちっ、レオタードという好事家には人気の衣装があることを教えてやりたくなるわね!
「問題は…………」
「胸の大きな人は苦しいかもしれません」
さすがはレックス、一発で指摘してきたか。
「そうだね。バストの部分をサイズに合わせて、膨らませて出力すれば、ある程度は解消できるね」
「! ということは、下半身用の下着も……」
「うん、その部分が収まるように編めば済む話。コッドピースって知ってる?」
さすがのレックスも知らなかったか。むしろ知ってたら驚きだわ。
「大陸の貴族たちの間で……流行ってるのか、流行ってないのかわかんないけど。元々は男性の股間を保護する目的だったのが、男らしさを誇張するために、装飾されるようになってきた……。要は股袋ね」
「そんなもので女は騙されないわ」
話を聞いていたドロシーは、フン、と鼻で笑った。
「うん、発想としては、女性のコルセット……腰を細く見せることでお尻や胸を大きく見せて、女性をアピールするのと同じなんだろうね。動物の本能的なものじゃないかなぁ」
「番を見つけやすくする、って本能ですね?」
サリーが冷静に、研究者っぽい発言をする。
「うん、生物が生殖可能な時期は短いから、そこで自分に相応しい伴侶を、出来るだけ効率よく見つけたいわけね。こういう、本能的なものは商売にも流用できるものがあるよ」
「たとえば?」
ドロシーが食い付いた。
「身近な例でいえば、トーマス商店の従業員。トーマスさんが店頭に立ってるよりも、ドロシーがいた方が、お客さんは入りやすいでしょ。トーマスさんが気付いているかどうかはわからないけど、店員は基本的に若い女の子。女性用のお店には少年を立たせてる」
フローレンス辺りは、それこじつけじゃないの? という顔をしているけれども、ドロシーは真剣な表情で聞いていた。
「あとはたとえば物品デザインね。露骨にそう、とわからない程度に、男女を象徴するものをデザインに含めるのさ」
「たとえば?」
またドロシーが訊いてきたので、わかりやすい例を持ち出す。
「娼館の看板。必ず三行で、真ん中の行が短いでしょ」
「そう……かなぁ。どうかなぁ」
ドロシーは半信半疑ね。
「だいたい、WXYの落書きを見ただけで男は女体を想像しちゃうくらいなんだから、デザインの意識として人体の意匠を取り入れるっていうのは基本中の基本よ」
元の世界だと化粧品のパッケージやら、自動車の車体デザインとか。どちらもまだグリテンに登場してないから、説明しづらい。でも、今後のデザインの根幹に持ってくれば、売り上げアップ間違いなし。だといいなぁ。
「で、シャツが三枚あるのは……三人に渡せ、ということですね?」
さすがにレックス、乳ガンダムは伊達じゃないな。
「うん、一人はレックス、一人はラルフ、もう一人は、私の知る限り最高の汗かき」
「あー、ポールさんですね」
私は力強く頷いた。
「もしかしたら、本人サラサラ、ローブがビチョビチョ、なんてことがあるかも。いい実験台になるなぁ。なんて」
「わかりました。あの人が快適なら、どんな人にでも通用する下着になるかもしれません」
「騎士団に対して売り込む、というのは悪い手じゃないと思うんだよね」
「お高くなりそうですもんね」
スライム衣料はコストが問題になりそう。いずれは安価になるとしても、それはスケールメリットが出てからの話。それまで、公費で買ってもらえるなら、これ以上ない普及策になるし、筋力アップという特性にもマッチするだろうね。
今回、下着としては上半身用しか作らなかったけど、下半身用は……。
すぐにレックスは気付くだろうね。女性用ストッキングのエロさに。気付かないわけがないよね。
姉としては、レックスが興奮して気付く場面を見てみたいかな。フフフ、それが誘導されたエロだとは気付かないだろうよ……。
あー、でもグラスメイドの標準装備としてはアリかなぁ。綿のストッキングはちょっと野暮なのよね。
「こっちのレインコート? は?」
「うん、シスター・リンダと、エミー、ラルフに」
「ラルフさん、優遇されてますね?」
サリーがやっかみを混ぜて肩を竦める。
「しょうがないよ。実験に適した人材だもの。それに、この三人は――――」
「そうね、ベッキーのお産でお世話になったものね」
「アーサお婆ちゃんの指摘通りです。雨の中でも歩き回ってるから、是非お礼を含めて渡したいよね」
「シスター・リンダは、そういうの嫌がるわよ?」
ドロシーが言う。
「だからラルフとエミーに渡すのよ。二人から渡されたら、シスター・リンダは断れないで貰うでしょ」
「うん、まあ、そうかも」
お礼云々じゃなくて、実験に付き合ってくれ、という話なら、真意を見抜かれていたとしても断りにくいもんね。
「このレインコートも、騎士団向けに発注がかかれば、一儲けできそう……」
「うん、この薄い生地のままで売っていいのか微妙なところだけどね。少なくとも携帯用としては、今の段階で通用する性能だと思うの」
レインコートの方は少し厚めにしてあるしね。通気性じゃなくて、単に防水性と保温性を高めたいのであれば、アルミがあれば、蒸着する手があるわね。
「ま、基本的には魔道具で製作できるようにするよ。私がいないと製造できないんじゃ意味ないし」
「それをさらに改良できるように努力します」
サリーが真面目な顔で頷いてくれた。
レックスも同じように頷いたけれど、思案顔だ。これは……気付いているな。
――――そして彼は被るのだ、パンティストッキングを。
マドンナもビックリね!




