遠見の手鏡
トーマス商店のカウンターで、ドロシーは腕を組んで仁王立ちしていた。
バーン! とか効果音が聞こえてきそうだ。
「しばらく来なかったから心配したわよ!」
ドロシーの目が吊り上がっている。
これじゃまるで、帰りが遅い旦那を叱責する奥さんじゃないですか!
「ごめん」
と謝る私も、どこか……おかしいのかもしれない……。
「これで許してください」
とお土産を渡してしまう私は、飼い馴らされた駄目夫のようです。
「あ……」
「まず、こっちはセーター。約束の初作品ね。出来たてだよ。それと、これは手鏡ね。一応魔道具なんだけど……」
「一応?」
「うん、あげる人の承認受けてからにしようと思ってさ。だからそれは半完成品なの」
「へぇ……」
そう言って、ドロシーは店内に客がいないのを再度確認する。夕闇が迫る時間帯では、トーマス商店への客は少ない。
「じゃあ、完成させてよ」
「魔力供給を本人からしなきゃいけないから、鏡を見る度に吸い取られるけど、いい?」
ドロシーは私の言葉にフフン、と鼻を鳴らした。
「構わないわ。どうせ今でも幾つか吸い取られてるわけだし」
そういえばそうだったか。花が浮き出るお守り(?)と守護の指輪。全く魔力を使わない生活をしていた人よりは魔力の吸い取りに慣れている……と思う。一般人よりは魔力が多いか。
「わかった。ちょっと待ってね」
そう言って私はカウンターの中に入り、工房へ入る。
小さな魔核を柄の根元、というか鏡に触れるように埋める。この鏡の魔法陣は、持ち主の魔力パターンを認識するようには作っていない。だから魔核に触れた人なら誰でも魔力を吸い取られてしまう。
だけど、手鏡の個体差は設定してあって、各々を認識するようになっている。じゃないとお互いに通信できないし。
鏡部分を木製部分から取り出して、一度銀と鉄を剥がし、魔法陣を『転写』する。
この状態から魔核に向けて回路を繋げると魔法陣が完成。本当は魔核のサイズに合わせて魔法陣の方も調整しなきゃいけないんだけど、その辺は魔法陣側に融通が利くように、魔力容量に余裕のある構成にしておいた。ぶっちゃけ手抜きだね。
再度銀と鉄を貼り合わせて木製部分に取り付ける。
鏡に歪みがないかチェック。
「うん」
鏡の下部に赤い魔核のアクセント。出来たての道具としては風格がある。中々の出来じゃなかろうか。
で、これは二本、完成させた。
「できたよー」
手鏡を持ってカウンターに行く。ドロシーは閉店作業中で、店内掃除を始めようか、というところだった。
「ふうん。それで、魔道具って、何が出来るのよ?」
「フフフフ、よくぞ聞いてくれました。どうぞ手に持ってくださいな」
二本あるうちの一本をドロシーに渡す。
「わぁ……」
ドロシーは鏡を見て、ウットリしている。自分に見惚れているわけじゃないと思う。ピカピカの鏡面や、裏返してレリーフを見ては感嘆の声をあげている。
「あんまり凝らないで、実用向きの簡素な装飾にしてみたよ。あ、ちょっと鏡を覗いてみてよ。あ、魔核のところに指添えてね」
ドロシーが、私の言う通りに魔核に指を添えて手鏡を握る。
「あっ?」
この世界で使う数字―――アラビア数字に相当する―――『00』の文字が、鏡に浮かび上がる。
「その文字に触ってみて?」
我ながら荒っぽいインターフェイスだと思う。ドロシーは言われた通り、自分の鏡に浮かび上がる『00』に触る。
「えっ? 何で? どうして?」
と、自分の鏡に現れたのは、鏡を覗いている、私の顔―――のはず。
私は、自分の鏡をドロシーに向ける。
ドロシーは、私が向けた鏡と、自分の鏡を見比べている。
「どうなってるの、これ?」
「私の鏡さんは『00』って名前なんだ。ドロシーの鏡は『01』ね。お互いの『鏡』を呼び出して、姿を見せて、会話ができる、ってだけなんだけど」
だけかよ、というツッコミが入りそう。
「これ、すごい魔道具じゃない? すごいことじゃない? 売ったらすごい値段にならない?」
トーマスみたいな反応をするようになってきたなぁ……。
「ううん、これは売り物にはしないつもり。問題点もあるし」
「そうなの?」
私は頷く。
この魔法陣は転送魔法陣を応用したものだ。もの凄く小型なので、つまるところ、音声と映像の『転送』は長距離には対応できない。もう一つは、軍事的な利用価値の高さを懸念している。
その辺りをドロシーに説明する。
「なるほどね。でも、改良の余地はあるんでしょ?」
ドロシーの指摘は鋭い。
「うん、距離を延ばすのは可能。単に大きくすればいいし、映像に拘らないで、音声だけにすれば、もっと延びるよ」
「となると、アンタが気にしてるのは、変な連中に目を付けられるのが嫌だとか、そういう理由ね?」
そう、たとえばポートマットを脅かすような連中に、有用な魔道具や技術は売れない。
「うん、まあ、そうかも。売るとしても、その辺は問題が全て片付いてから、だね」
問題というのが何なのか、はドロシーには伝えない。そもそも解消できる問題なのかも怪しいし。
「だから、今回は知り合いに配布、って感じかな」
「アンタ……軽く言うわね……。この鏡、金貨が百枚じゃきかないかもしれないのに。……問題があるのに、今回配布、ってことはさ」
ドロシーが真っ直ぐに私を見る。射抜かれているかのようだ。
「うん、多分、大陸から軍隊が攻めてくる。遅くとも夏までには。私はいち早く情報が入る立場になったから、可能な限り早急に、安全な場所に移動できるように。知り合いに連絡できる手段が欲しかったんだ」
「なるほどね。他に配る人は?」
「フレデリカ、アーサさん、ベッキーさん、カーラちゃん、エミー、マリア、かな」
「トーマスさんとか、フェイさんは?」
「ドロシーかベッキーさんから伝わると思うし。基本的に男性には不要だと思う」
だって手鏡だし。チラッと手に持った鏡を見ると、ドロシーも納得の表情になる。
「まあ……トーマスさんに何かあげると調子に乗るかもね」
そこで二人で頷く。トーマスにはいつも世話しているからいいのだ。それに、フェイやトーマスは、情報を一番先に得られる位置にいるだろう。まあ、あの二人に連絡手段とか渡したら、面倒だというのもあるんだけど。
「手鏡はそれでいいとしてさ。そのセーターはどう? 大きさとか。着てみてよ?」
私が話題を変えると、ドロシーはちょっと顔を赤くした。
「後で着てみようと思ってさ」
「じゃあ、閉店作業やっておくからさ。着てみてよ。合わないようなら調整するしさ」
「あー、うん、わかった。頼むわ」
ドロシーは再三、私に試着を勧められて、二階へと上がっていった。
私はその間、掃除の残りを終えて、看板を中にしまい、入り口の施錠をして、店内の魔導ランプの灯りを落とす。
夜のこの時間、普段ならトーマスは店に帰ってきているところなのに、未だのようだ。ベッキーとデートでもしているのかなぁ。
「おっ、来てたのか」
っと、そこにトーマスが帰ってきた。思考を読まれているような気がしてならない。
「おかえりなさい。ドロシーは奧で着替えてます」
「ふうん?」
トーマスは怪訝そうな顔をしたけども、それ以上は突っ込んで訊いてこなかった。
「着替えたわよ。あ、おかえりなさい」
「ただいま。ん、ちょっと二人に相談事もあるから、上にいこうか。食事は済んだか?」
二人に? なんだろう。私はドロシーを見る。うん、サイズは少し大きいくらいか。ウールはそのうち縮むし、悪くないね。生成りの毛糸だけど、いいじゃんいいじゃん。自分の作った物が、ああやって着られて、着た人が顔を赤らめてるとか、凄い嬉しい。
「はい。どう?」
トーマスに頷いて、ドロシーに着心地を訊く。
「悪くないわ。少し大きいけれど」
「お、なんだ、ドロシーにセーターを編んだのか。儂にはないのか?」
「トーマスさんは、ベッキーさんに頼めばいいじゃないですか」
ニヤニヤ笑いながら返して、二階に上がることにした。
ドロシー謹製のいい加減スープと白パンの夕食……ではなかった。
「味が進化してる……」
「ふふん」
相談事は食事をしながら、ということになり、ドロシーがスープを配膳して、一啜りすると、以前とは味が変わっているのに気が付いた。
「魚……サバ? の骨を焼いて香ばしさを出してから出汁を取ったわけね」
「なっ! なんでわかるのよ?」
この技法は魚食いの国の技法だからだよ、ドロシー。それにしても、いつもみたいに色々な物を入れないで、品数を抑えたか。これはアーサお婆さんのやり方だなぁ。要するにドロシーは色々入れすぎだったんだね。
「これはこれで美味いじゃないか。いつものごった煮みたいのも、儂は好きだがな」
「同感です。安定しない味というのも飽きが来ませんし」
「それ、褒めてないわ」
ドロシーは不満顔だけども、慣らされた味というものがあるのだよ。まあ、ドロシーが味の向上を目指しているというのは、実に微笑ましく、いいことだと思う。考え方を改めるくらい、アーサお婆さんのスッキリした味わいのスープは衝撃的だったものね。
軽い夕食が終わると、私は余ったリンゴを振る舞った。
「お? その包丁は?」
「ルーサー師匠との共作です。これは本来、魚を切る包丁なんですけどね」
長い包丁を使ってリンゴを剥く。私の包丁捌きも中々のものだと思う。コピーしたスキルだけど。ちなみにポートマットで一番包丁を使うのが上手いのは、シモダ屋主人のチャーリーだ。まあ、料理人は余り外に出てこないから、他の料理屋には包丁名人が隠れている可能性はあるけど。
デザートを食べ終わると、トーマスが相談事とやらを話し出した。
「ベッキー……と夫婦になる……のは知っての通りだ。それでだな、コホン。一緒に住む、みたいな話になってな」
トーマスは少し恥ずかしそうに、宙に視線を動かした。
「え、じゃあ……」
ドロシーが声を上げて、トーマスは頷いてドロシーの言葉を手で制した。
「そこでな、考えてみたわけだ。店にドロシーを一人でずっと住まわせる、というのも不用心だしな。お前が店に泊まってくれるか、お前の借家にドロシーを住まわせるか」
「トーマスさんはアーサさん宅に住むことになるんですか?」
「うーん、一応そのつもりではあるんだが……。まあ歳が歳だし、子供は作らないと思うんだが……」
トーマスは髭に手をやり、少し考えているようだ。
「それでも、新婚気分は味わいたい、ということですね?」
「うむ……」
トーマスは髭の奧ではにかんだ。へぇ、こうしてみると愛らしいものがあるじゃないか。
「それでしたら、私の借家を改装なり増築なりして使えばどうでしょう? 私は工房があればどこでもいいので―――店の方でもいいですし―――何なら、アーサさん宅でも構いませんし」
「ふむ……」
「アンタが不規則な生活してるのは良くないわ。その点では、アーサさんのお宅に住むっていうのはアリね」
「ドロシーはお店に寝泊まり、っていうのは変わらないんですか?」
「いや。ドロシーもアーサ婆さん宅に、という形でも構わないな。夜の店は無人になるが」
「防犯については大丈夫です。ガッチリやらせてもらいます」
フフフ、恐ろしい魔道具を作るチャンスだわ。
「ふむ、じゃあ、その方向で、ベッキーとも、アーサ婆さんとも話してみるか。ベッキーが家を出るとなると、婆さん寂しいらしいし、家の管理も手も足りなくなるからな。ドロシーもそれでいいか?」
もうベッキー呼ばわりか。早いなぁ。
「はい、ですけど、一つ問題があります」
ドロシーは真面目な顔でトーマスに向かう。
「通いになると、もう一人か二人、従業員がいた方がいいかもしれません。販売専門で構わないと思いますが」
「あー、なるほどな。住み込みだから手が足りていた部分はあるからな。わかった、それも考慮しよう」
トーマスが頷いたところで、私も提案をする。
「それとですね――――ポーションの錬成も、トーマスさんや私が作る以外の仕組みを立ち上げた方がいいかもしれません」
トーマスは軽く目を見開いた。意味を一瞬考えたのだろう。
「どういうことだ?」
「ポーションを作り続ける場所―――専門の工場ですね。を、別に立ち上げてもいいんじゃないか、と思うんですよ。さらに原価が下がれば、それだけで利益が出ますし、他の道具屋や薬屋に、今までよりも廉価に卸せますし」
卸を兼任できてしまう現状の原価がそもそも問題なんだけどね。
「製造を一元化してしまうわけか。他の錬金術師が泣きそうだな」
「ああ、それですよ、それ。泣いちゃう錬金術師はウチの工場で働けばいいのです。どうせ錬金術師ギルドには加盟していない人達でしょう?」
つまり、ギルドの庇護下にはなく、零細でやっている人達だ。ギルドにもトーマス商店にも圧迫されているのであれば、偽善と詭弁ではあるけれど救済策にもなる。
「まあ、それはそうだが……。やり過ぎの感はあるな……。だが言わんとすることはわかるぞ。いつまでも儂が作って売るのも限界が来てる、と言いたいんだな?」
私は頷いた。結婚して、ベッキーと共働きになるかどうかは知らないけど、トーマスが自分の時間を作ろうとすれば、今の生活パターンでは結婚生活に破綻が見えている。その予想があるなら、回避すべきだと思うから。
「はい。ちょっと常識外れの数を売ってますからね、トーマス商店は。もう少し大がかりにすれば、完全にポートマットのポーション市場どころかグリテンの市場すら支配可能でしょう」
自分の幸せのために鬼になれ、トーマス。輸送手段さえあれば、グリテン全土の支配すら可能なのだから。
「うむー、その件はちょっと考えさせてくれ。ベッキーと、あとはフェイか。あの辺りと相談してみる」
「アンタ、すごい腹黒い笑顔を浮かべてるわね……」
「私たちが幸せになって、他の人達の不幸を最小限にしようと苦心しているだけなんだけど………フフフフ」
心外です、と黒く微笑む私に、二人は乾いた笑いを返してくれた。
―――一つの変化が、こうやって玉突きで周囲を変えていくものなんだなぁ。




