※道具屋のアルバイト
朝起きてカーテン替わりの布をめくり、濁った窓を覗くと、東の空が紫色になっていた。
ちゃんとこの世界では、太陽が東から昇り、西に沈む。ついでに人々にも東西南北の概念がある。
季節があるということは、太陽の通り道が毎日ちょっとずつずれていって、一年で元に戻るということで、それは、この大地が天体であるということの証明でもある。
月は一つだけど、私が知っている模様とは違う。でも、ちゃんと満ち欠けもある。それに従って大潮があったり、潮の干満にも影響があったりする。
年月の単位については元の世界と違和感がなかった。一ヶ月が三十日、十二ヶ月の三百六十日。閏年の概念がないのは、時間を曖昧に示されるので何となくわかっていた。
というのは、日時計くらいしか時間を計測するモノがないのだ。つまり、早朝・朝・昼前・昼・昼過ぎ・夕方・夜・深夜……程度の区別しかない。一応、アバウト一時間に相当するのは『一刻』という言い方もあるし、一日を八分割した『八半日(曖昧に三時間くらい)』みたいな言い方はある。ということは分数の概念もあるということでもある。
案外共通している部分が多い、という印象がある……。
「ふわ……」
欠伸をして、部屋を見渡す。
簡素なベッドと無垢の木製テーブル。家具屋さんにテーブルとセットで売りつけられた、無骨な椅子が四脚。中には何も入っていないタンス。
木工製品に囲まれているせいか、殺風景であるにも拘わらず、最低限の生活感はある。花瓶に花を生けていたり、ぬいぐるみでもあれば女の子らしい部屋になるんだろうけど、生憎と私にそんな乙女心はない。
というか、この世界に、ぬいぐるみの文化はあるのだろうか。布が貴重品だから、ないかもなぁ……。貴族の子供なら持っていそうだけど。
この木造の借家(一応庭付き)は、『元の世界』でいえば2DKというところ。寝室兼リビングの他、もう一部屋は倉庫というか工房というか実験室というか。ちょっとした工作をするスペースにしている。
私は『道具箱』から薄いピンクのチュニックを取り出して、木綿のシャツの上に着る。茶色の髪はポニーテールにまとめる。
「いい加減、鏡があった方がいいかなぁ」
身支度のときに確認したいところだ。水鏡は面倒だし……。姿見が欲しい。時間と気力があるときにでも作るかな。なーんて思ってるうちはやらないんだろうなぁ。
おっと、そろそろ行かないと。
家の外に出ると、『道具箱』から無骨な錠前を出して、入り口を施錠する。これは本当に無骨で、二十センチ×十五センチ(センチについては、長さの単位と名称は同じだった)ほどの鉄の塊だ。まあ、こんな鉄の塊でもそれなりの剣技スキルの持ち主なら真っ二つだし、そもそも盗まれてもいいような物しか置いてはいない。『元の世界』の中世までの防犯意識と似たり寄ったりだろう。ほとんどの家庭では誰かが必ず留守番をしている状態で、内側からしか施錠できない。家人がゼロになる状況を想定していないのだ。
まあ、それも文化というものだ。なーんて納得でもしないと、根底から違う異世界で暮らしてはいけない。
この借家は例のロータリーから見てかなり西側にある。まずは少し南に向かい、大通りに出る。これが西通り、通称『夕焼け通り』だ。夕刻になると、この通りに夕日が落ちる(ように見える)。なかなかロマンチックで、いいネーミングだと思う。
夕焼け通りに出たら東へ。ロータリーの中心へと向かう。
トーマス商店はロータリーの脇にある。冒険者ギルドに一番近い道具屋(というか雑貨屋だ)で、その地理条件の良さから大繁盛している。都市計画の隙間を縫うような立地を選んだトーマスが凄いのか、何かカラクリがあるのか……。
トーマスの髭面を思い出すと、絶対に裏があると断言できる。
ロータリーに着くと店の裏口へ回り、扉を開ける。
「おはようございます」
それなりに元気に声を上げたつもり……。
「なーに、アンタ、元気ないわねぇ」
赤毛で軽くウェーブがかかった髪の少女が、フン、と不満げに挨拶を返してきた。
「あ、ドロシー。おはよう」
私はドロシーの表情などお構いなしに、最大限のニコニコ顔を作る。
「まったく。アンタ、ちょっと来なさいよ」
最初にドロシーに出会った時は、すわイジワル女子だー! と、イラ○ザ辺りを思い出してしまったのだけど、ドロシーの本質はツンデレだ。美人じゃないけど可愛げがある。
「まったく。こんなに髪ボサボサで……。ん、艶は悪くないわね。ちゃんと櫛を通さないと駄目じゃないの」
「うん……」
しおらしく、私はドロシーのなすがままになる。見た目の年齢はドロシーの方が少し年上に見える。うん。出会った時は同じくらいだったんだけど……。ドロシーが育っちゃったんだね。私と違ってヒューマンだからね。
出会った時からお姉さんぶっていたけど、最近ではそれにも違和感がなくなっている。私本人が見ても違和感がないのだから、もう諦めの境地ではある。精神年齢は、おそらく……私の方が上なのだけど……。逆らえない……。
「お、来たか。今日はよろしくな。相変わらず仲がいいな!」
二階から降りてきたトーマスが、私たちに声を掛ける。トーマス商店の二階は居住スペースだ。
「おはようございます」
ドロシーのブラッシングから解放された私は、トーマスに向かってお辞儀をする。手を合わせてのお辞儀は、この世界―――たぶん、この国限定―――の正式な挨拶だ。ここにも日本人の影響が見えるのが面白いというか、ここまで来ると恐ろしい。
「うん、今日はドロシーと店番を頼むな。昼過ぎには戻る。戻ったらポーションの錬成を手伝ってくれるか?」
「あー、材料置いておいてください。やっておきます。何本作ればいいですか?」
「む、そうか。二万本ほど頼めるか? 材料は『保管庫』に入れておくぞ」
『保管庫』は、貯蓄した魔力で稼働させる冷蔵庫のようなものだ。
なまじ魔力を利用する方法に長けているせいで、ほかのエネルギー開発が発達しないのもあり、電力で動くものではない。それに、二万本も体力回復ポーションを保管できる『保管庫』はもちろん業務用だ。
というか、軽く二万本、とか言ったよね? この髭は。
「うん、いいわね」
ドロシーは立ち上がった私の姿を見て満足げに頷く。両耳の上でそれぞれ結われた髪型は、いわゆるツインテールだ。この世界にもあるんだ、と驚きと諦観が混じった私の目には、ちょっと涙が溜まっていたかもしれない。
「さ、店開けるわね。トーマスさんは行ってらっしゃい~」
「お、おう。行ってくる。今日は商業ギルドホールな」
ドロシーは雇われ(しかも住み込み)店員のくせに、店主を追い出して店を開ける豪胆な女の子だ。トーマスは商業ギルドの会合にも参加しなければならないし、店を空ける機会も多く、そのくらいの胆力がなければ切り盛りはできないのだろう。
なお、私が今、トーマス商店にいるのは、要するに臨時店員なんだけど。決して髪型を整えられるために来たわけじゃない。多忙なトーマスのフォロー、と言えば聞こえは良いんだけど……。私が召喚されてこの世界に来た時に、一時的な身分保証のための勤務先で、そのまま居着いたという経緯がある。冒険者としての生活に目処がついてからも、こうやって時々店番を手伝っている。
「いらっしゃいませ!」
開店直後から、冒険者がゾロゾロ、と入ってくる。冒険者は太陽が出ている時間帯を長く使いたいわけで、日の出前から行動するのが常識だ。灯りに乏しい生活では当然のことだろう。そのため、最も忙しいのは開店直後だったりする。
「中級を四十本くれ」
「はい、ありがとうございます。七千八百ゴルドになります」
「はい。二百ゴルドのお返しです。こちらが商品です。ありがとうございました!」
「中級を十本と虫十本」
「はい、ありがとうございます……」
などと、いきなり戦場のような忙しさ。トーマス不在時には、この混雑をドロシー一人で捌いているわけで、彼女の能力の高さが際立つというものだ。『元の世界』ではそれほど特殊というわけではないけど、この世界では、この程度の暗算能力でも十分に異能と言える。
ちなみにお値段は日替わりで、接客カウンターの横に掲示してある。
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初級体力回復ポーション 103ゴルド
中級体力回復ポーション 195ゴルド
上級体力回復ポーション 410ゴルド
毒消し(虫) 108ゴルド
毒消し(蛇) 108ゴルド
毒消し(蛙) 108ゴルド
※最下級、最上級は当店では販売しておりません
※魔力回復薬は受注販売になります
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日替わり、とは言っても正確には原材料の仕入れ値で変動する。水薬であるポーション類は生モノで、その日に売るモノをお店で手作り、が基本だ。『元の世界』で言えば豆腐のようなものだ。『保管庫』は、冷蔵によって、そんな日持ちのしないポーション類の賞味期限を劇的に延ばした、エポックメイキング的な発明品と言える。三日が五日になるだけでも、その恩恵は計り知れない。
私がこのトーマス商店に来た頃はまだ『保管庫』はなく、氷を仕込むだけの冷蔵庫でしかなかった。それを改良、改造できたのは、私のスキルが『人物解析』によって充足していったから。
考えてみれば、このトーマス商店は町で一番繁盛していて、なおかつ冒険者の来店の頻度が高い。スキルのコピー元には事欠かない。勤務を始めて三日目には、来店者の名前と一緒に、短剣使いには余り必要なさそうだけど、基礎的なスキルは覚えてしまった。
スキルを覚えた後は、組み合わせを考えればよかった。
風系魔法で微風を作って庫内に外気が入らないようにして、土系魔法でパイプを作って、水系魔法で密閉された水分(アンモニア。材料は尿ね)を霧状にして、火系魔法で熱を循環させる。火系魔法は物質の運動量、つまり熱量を操作できるため、冷却も火系魔法に分類される。
もう一つ風系魔法で循環の流れを決めて安定させる。
この気化冷却を自動発動させるための魔法陣は合計で四つ。大型化は避けられず、この『保管庫』が最小サイズになってしまった。
これらの魔法を素材に定着させて行使するのが『魔法陣』と呼ばれる、模様というか文字列で、通常は手書きで記述する。
これは『灯り』の魔法陣ね。先日のウィザー城で見たようなやつは、もっと複雑で、しかも積層魔法陣だったりするから、パッと見て解読できるものじゃない。
あれに比べれば『保管庫』に使っている魔法陣など単純もいいところ。
トーマス商店に来た際には、思い出したように魔法陣を改良してはいるけど、現状では大型化はできるものの、小型化には至っていない。まだ、一般家庭に普及するのは先の話になりそう。単純に冷やす、というだけなら簡単なんだけどねぇ……。
ちなみに継続的に魔力を送って魔法陣で魔法を発動させ続けるには、電池に相当する『魔核』を使う。魔物の死後に生成させる結晶のようなもので、個体差はあるものの、魔物の強さ(つまりレベル)によって大きさが違う。
この魔法陣群に使っているのは中級魔核。それなりに強い魔物からじゃないと採取できない。
元々、トーマスに楽をさせようと思ってトーマスのスキルである『錬成』をコピーして手伝っていた。その流れで『保管庫』を作ったんだけど…………。今現在、トーマスが外出しているのは、『保管庫』の商談のためだ。港湾用冷蔵倉庫を改装するとかで、楽をさせようと思ったら忙しくなったという、ポルナレフ状態だ。
ああ、『ジョジョ』とか、そういうのは覚えてるんだなぁ……。肝心の自分自身のことはよくわからないというのに。
まあ、最初は設置型の『道具箱』を作ろうとしていたのだけど、『道具箱』は空間魔法というやつで、『空間を認識し続けている何か』が無いと、そもそも使用できない。つまり生体が意識しないと魔法を行使できずに、諦めた結果だったりするのだけど。
「いらっしゃいませ!」
入り口のドアについているベルがチリンチリンと鳴る。考えるのをやめて、店に入ってきた冒険者に挨拶をする。
「お、久しぶりだね!」
筋肉質なヒューマンの冒険者が、満面の笑みで私に微笑みかける。
特にイケメンというわけではないだろう―――けど、日焼けして健康そうな体躯と不衛生じゃない髪の毛は好感が持てた。お客様としてやってくる、多くの冒険者の中では、中の下くらいか?
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【エドワード・ウィーダー(エドワード・アレクサンダー・ウィザー)】
性別:男
年齢:19
種族:ヒューマン
所属:ポートマット冒険者ギルド
賞罰:なし
スキル:強打LV3(汎用) 短剣LV1 両手剣LV4
補助魔法スキル:加速LV1 防御力向上LV1 攻撃力向上LV1 威圧LV1
生活系スキル:道具箱LV1 採取LV2 解体LV1 点火 飲料水 計算LV2 ヒューマン語LV3
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おおっと、男を値踏みするようになるとは……。注視すると自動的に発動してしまう鑑定系スキルが恨めしい。
この辺りはドロシーの影響もあるんだろうね……。ドロシーは毎日、あの男がいい、あの男は駄目、と呪詛のように私に呟きかける。思考回路も同調しがちになるというもの。一応同い年だし。
「エドワードさん、こんにちは。今日も回復ポーションを?」
「ああ、うん、そうだな」
エドワードは、冒険者としての腕前も、聞いたところ、中の上、というところらしい。
まだ二十歳かそこらだから、その年齢で中級の冒険者なのは、もの凄い才能があるということだ。
ここでいう『冒険者の才能』とは、エドワードに以前に聞いたことがある。「生き延びる感覚に多少優れているだけだよ」と、はにかんで笑っていたのを思い出す。まあ、スキル構成は凡庸そのものだけどね。
冒険者ギルド所属員にはランクがあり、下級、中級、上級の3ランクが基本だ。上級の上に特級というランクがあるにはあるみたいだけど、グリテンで三人、大陸に数人しかいない、レア中のレアとのこと(冒険者ギルドは根っ子を同じくする組織が大陸にもある)。
ちなみに私も中級だ。あまり討伐系の依頼はやらずに、収集系をメインにしているんだけど……。
「?」
エドワードの視線が上下するのに気付く。
男性は―――バストが豊満であるかどうかに関わらず、女性の胸部を見てから、サッと視線をずらすものなのだ。これは、この姿になってから初めて知ったことだ。
もしかしたら、かつて、私も男性で、無意識にそうしていたのかもしれない……。
「…………」
うん、今もチラリと見たよね。ごめんね、貧乳で。
別に本気で申し訳なく思ってるわけじゃないけどさ。誰とも無く謝罪しておく。
エドワードは貧乳を見た視線をカウンター上の値段表に移す。
「中級を十個。虫も十で」
「かしこまりました」
エドワードに言われた個数の商品を、カウンター下の冷蔵ストッカーから取り出す。このストッカーは単純に氷で冷やしているだけで魔道具ではない。
ポーションにはランクがあり、最上級、上級、中級、下級、最下級の五種類。パーティーに回復役がいたとしても、補助的に使うこともある。
「合計で三千三十ゴルドになります」
まさか回復の全てを回復ポーションに頼っているわけはない、よね?
余計な心配をしながら営業スマイルをゼロゴルドで押し売りしつつ、商品を差し出し、代金を受け取る。
ゴルドは通貨単位で、銭貨が一ゴルド、銅貨が百ゴルド、銀貨が千ゴルド、金貨が一万ゴルド。その上に金貨百枚分の白金貨というのがあるのだけど、一般には流通しない。
エドワードは銀貨を三枚と銅貨一枚を出してきた。七十ゴルドのお釣り。少しだけ指先を触れさせるのはサービス。
「あっ」
あっはっは、少し顔が赤くなってるね!
常連さんだからこそ、このくらいのお茶目は許される……はず……。
少し罪悪感はあるけど、「女を武器にしないで、何を武器にするのよ!」とドロシーに諭されてから、自然に女を感じさせるのは、嫌味でない範囲であれば、商売のスパイスになる。
ふっ、まさに悪女! 悪女だわ!
ちょっとだけ自分の演技に酔っているかもしれない。だけど同時にドロシーに言われた「男は案外、女の下心なんてお見通しの時もあるのよ。だったら自然に振る舞って、一喜一憂しないことね」というのも思い出す。
「はい、確かに。毎度ありがとうございます」
「あ、うん、またな!」
「はい、お気を付けて」
お釣りを渡して、穏やかに微笑みを。
私をチラ見しながらエドワードは、買ったポーション類を自分の『道具箱』に入れる。
エドワードも、きっと……多分、この表情が営業スマイルだと理解しているだろう。笑顔はコミュニケーションの潤滑剤だ。気持ち悪いより気持ちいい商売の方が、お互いに幸福になるというもの。
去り際にキラーンと歯を光らせて、片手を上げて、エドワードは道具屋を出て行く。まさか本気で誤解をしてはいないだろうか。
そこでドロシーに言われた「アンタの愛想笑いは段々高度になってきたから、勘違いする男が増えてくるかもしれないわね」という、不吉な予言? も思い出す。
――――ああ、求愛されたらどうしようかしら……。




