風の刺客
【王国暦122年11月21日 2:36】
汚い『使徒』汚い。その赤ん坊を、私が殺せるわけがないじゃないか。
《それは私も同じことです。この体は思ったよりも自由度が低いのですね?》
そりゃ、赤ん坊だしねぇ。それでも殺害指令ってことは、手段がないわけじゃないんでしょ?
《それは……こういうことですね?》
隣の部屋から壁越しに伝わるのは……何コレ? 魔力が凝縮していってるのが感じられる。
《これは…………シルフじゃの。風の最上位精霊じゃのう。何でここにいるのかのう?》
ノーム爺さんが解説してくれた。
《その声はノームですか。久しいですね。何故貴方がここに?》
《この小さなドワーフみたいなのが儂の主だからじゃよ? 主を排除するとか、楽しいことを言うのう?》
《楽しい……楽しいですか。それは面白いのですか?》
《面白くはないのう。言葉のアヤというやつじゃ。言い直そう。冗談は言っちゃいかんのう?》
《私は冗談を言っているつもりはないのですが?》
うーん、あのう、精霊さんたちや。ここは家人が寝ておりましてですね。二人が戦うのはいいんですけど、みんな死んじゃうので、他でやりましょうか。その赤ん坊も巻き添えを食いそうですし。
《それは困りますね。私はその赤子に寄生しているようなものです。本体が破壊されると私の存在をつなぎ止めることができなくなりますね?》
まあ、そうだろうね。弱点って言いたいのならそうなんだろうね。だけど、私がその赤ん坊を殺せないことを知ってて言ってるよね。ふうん、最上位の風精霊ともあろうものが、そんな卑怯な手を使うのか………。
《幻滅じゃのう。見損なったのう?》
《私は卑怯な存在ではありません。物事の方向を司る風の精霊、その最上位ですよ?》
その最上位精霊は、人質を取って、無抵抗な相手を嬲りたいわけだよね。悪趣味だよねぇ。
《全くじゃ。変態趣味じゃのう?》
《私は! そのような低俗な存在ではありませんよ!?》
ドン!
「そうっ? なにっ? なにかしら?」
壁に人型の穴ができちゃった。アーサお婆ちゃんが起きちゃった。
「んっ……なに?」
ドロシーも起きちゃったなぁ。風の最上位精霊様は、無関係な人たちを巻き込んでも意に介さないわけだねぇ。
《無粋じゃのう?》
スマートじゃないよねぇ。
《ぐっ、ぐぬぬぬ………。私は管理者から命じられたのですよ? それを貴方たちは?》
でも、黙ってやられるわけにはいかないよねぇ。
《儂がいる時点で、引き分けは確定じゃのう? 魔力総量の差で圧倒出来ちゃうかもしれないのう?》
《私がノーム如きに負けると仰る?》
《如きとは失礼じゃのう。儂に言わせればシルフの分際で、というところかの?》
うーん、精霊同士が戦っても、土俵が違うんだから、そもそも争いになるかどうか……。グランドホッケーとエアホッケーで得点を競い合ってるような不毛さが見て取れるねぇ。
《ならば私が直接貴方を排除しますね?》
ビュウ!
っと風刃の精霊版か。切れ味が良さそうだねぇ。しかし! この程度なら手づかみできるわね。
ガッキーン!
《受け止めた? どうして?》
《クスクスクス……その程度とは、全くお笑いじゃのう?》
酷い金属音だなぁ。さすがに精霊、ちょっと指が切れちゃったよ。何で受け止められたか、ネタバラしはしないわよ。
「――――『治癒』」
「ちょっとアンタ……何が起きてるのよ?」
「ん、ドロシー、ちょっと危ないから寝てて。動かないでいて。アーサお婆ちゃんも」
「そ、そう? どうなってるの?」
人型の穴から顔を覗かせるアーサお婆ちゃんがちょっとラブリー。あ、ベッキーさんも起きちゃったか。
《お婆ちゃん、お母さん……?》
そうだねぇ、いつ赤ん坊に寄生したのかわからないけど、あの人たちを巻き込んでも平気なんだ?
《平気ではありません。いいでしょう、場所を変えようではありませんか?》
「ちょっと出てきます。赤ん坊を救うために!」
「えっ?」
「そうなの?」
「何言ってんのアンタ?」
家人からの追及を逃れるために早歩きで海岸へ向かう。シルフは……付いてきているね。
《どこまで行くつもりですか?》
そりゃ、暴れても被害のないところまでに決まってるよね。
《壁でも作るかのう?》
そうだねぇ、被害を考えればそうだろうねぇ。
ここの海岸も懐かしいなぁ。サリーやレックスやジゼルはよく来てるみたいだけど、環境破壊も甚だしいわね。地形が微妙に毎回違うもんね。しかも何だか海岸線がカクカクしてるし………。これはサリーの仕業ね……。
《いいでしょう、ここなら邪魔が入らない、誰にも迷惑を掛けないというわけですね?》
シルフは実体化しないの? 透明人間とか当てにくいんだけど。
《いいでしょう、実体化しても構いませんよ?》
ビュオオオオオオオ…………。
小さな竜巻が幾つか。それが集まって、微妙に人型と呼べる形状になった。
「おー」
これがシルフか。空気の渦って見えるものなんだねぇ。ほそーくした某タイヤメーカーのマスコットキャラみたいだなぁ。
《びばん……? なんです?》
いいんだよ、この世界の理に生きる人には関係ないし。ダムつければとりあえず格好良いみたいな。
で、この、ウチまで伸びている紐みたいなものは何?
《これは、あの赤子の魂と私とを結びつけているものですよ?》
ふうん、寄生してるって言ってたわよね。シルフを切り離すとどうなるの?
《単なる赤子の魂に戻るだけですよ?》
じゃあ、障害とかは残らないんだね?
《そう―――――》
「――――『風刃』」
サクッ
《あっ?》
《あー?》
その紐、切ってみたよ。どう?
《ど、どう? じゃないですよ? ああっ、あああっ?》
うーん、生き延びたい? 消えたくない?
《そりゃっ! 消えたくないですよ!?》
《クスクスクス……お笑いじゃのう?》
《の、ノオムゥぅうウ! ああっ! きえるっ! 消えたくないっ?》
へぇ、生き延びたい? 契約してみる?
《するっ! させてくださいっ!?》
うん。
――――風精霊シルフと契約しました
――――スキル:精霊魔法(風)LV10を習得しました
《あっはっはっはっは! これは愉快じゃのう?》
《何!? 何で? どうしてこうなったのでしょうか!?》
ふふふふ、シルフさんや、私が主になったよ。さあ、色々吐いてもらおうかねぇ……。
【王国暦122年11月21日 2:53】
ふむふむ、なるほど、どうやら『使徒』にも二勢力があると。
《そうではありません。現在、その使徒? ですか? は三人、一人が主を敵対視し、一人は擁護し、一人は傍観しているといったところです。片方の『使徒』には主を排除するように。片方の『使徒』には主と同調するように言われました。私にどうしろと言うのでしょうか?》
《興味深いのう?》
ああ、それで、騙し討ちをしないで、こんなフェアプレーみたいな攻撃をしようとしてたわけね。
《その、『使徒』とは何なのだ?》
ここまで最上位精霊に気後れして会話に入れなかったウォールト卿が口を挟んでくる。元領主、元貴族のくせに良い感じに小市民だわ。『使徒』っていうのは、上位存在だよ。
《小市民……まあいい。つまり国王のようなものか?》
国王よりは偉いかなぁ。うん、国王より凄いってことにしておこう。
しかしなぁ、薄々そうじゃないかとは思っていたけど、私を排除しようとしている『使徒』がちゃんと存在するんだなぁ。困ったもんだなぁ。救いとしては、擁護してくれている『使徒』もいるってところか。
それにしても、精霊を刺客に持ってくるとはおもわなんだ。っていうか黙って風刃でも見舞えば、それなりにダメージを与えられただろうに。
《それをするには寄生していた赤子が成長するのを待たねばなりませんでした。しかし、育つ前に主に気付かれたでしょうね。それに、奇襲ができたところで……今なら理解できますが、一撃で主を倒すのは無理だったでしょうね。自分でわかってて言ってますね?》
そうだね。自分でわかってて言ってるよ。障壁が二枚あるし、当たっても、一撃で首と胴体を離すようなことをしなければ復活するねぇ。周囲の被害を考えなければ、単体でも最上位精霊には負けないと思う。近距離で対峙しなけりゃならない状況が、そもそもシルフの負けなんじゃないの?
《…………》
《まあ、いじめてやるでない。寄生していた個体が悪かったと思うしかないのう?》
そうそう、それそれ。かなりピンポイントでイヤらしい人選よね。
《先に主の魔力に触れていましたよね? あれがあったから、私が起きるのが早まったのですよ?》
ん? どゆこと? 寄生した赤ん坊がもっと育って、自力で移動できるようになってから目覚める予定だったってこと?
《そのように理解していますが?》
え、じゃあ、あの輪っかになって魔力操作の練習……いや、戯れが役に立ったってことかぁ。何が幸いするかわかんないものだなぁ。
それよりも、あの赤ん坊に寄生した経緯について教えてよ。
《前の主が没した後、どのくらいの時間が過ぎたのかわかりませんが……『使徒』ですか。上位存在に呼ばれて、指示を与えられたのです。私はその指示を受け入れ、気がつけば出生前の幼生体に寄生していた、というわけですが?》
その呼ばれたのって、暗い部屋みたいなところ?
《そうです。そこに三人いましたよ?》
転生の部屋か……。朧気ながら、そこで変な名前を貰った記憶があるわ。ということは、シルフも転生した、とも言えるわけか。前の主の事は覚えてる?
《あまり覚えていないのです。というのは、主が正常な状況ではなかった、と言えるでしょうか?》
正常じゃない……。つまり精神的におかしかったってことかな?
《その理解でいいと思います。外観は主と似た感じでしたよ?》
え、じゃあ、過去の、私と同型ホムンクルスってことかな? 名前は覚えてる?
《スマート・フォン?》
聞いたことあるなぁ。確か、転生を受け入れられなかった、とか言ってたような。じゃあ、その転生した魂の器、ホムンクルスに、スキルとして付与されていたわけね?
《スキル……はい、そうです。スマート・フォンは自害しましたので……。その前は大陸にいましたが、その時の主は寿命で死亡しましたよ?》
なるほど……。シルフは、主が誰かに倒されて契約の更新を迫られた経験がなかったわけね。
《契約か……。儂の時も驚いたが、上位精霊と三つも契約し、内包して、主の魂は大丈夫なのか?》
ウォールト卿に心配されるとは……。どうなんだろうね、三重人格が四重人格になったところでかわんないよ。多分ね。
《いい意味で図太いから大丈夫じゃろ。世界一、精霊使いの荒い主だとは思うがのう?》
《儂……あんまり使われておらんぞ》
闇精霊は使い処が難しいのよ。玄人向けだよね。
《玄人か! そうだな! 儂は玄人向けだからな!》
そうそう。だから切り札として待機しててよ。
さ、家に戻ろう。赤ん坊がちょっと心配になってきたからさ。
【王国暦122年11月21日 3:17】
アーサ宅に戻ってみると、深夜だというのに全員が起きて私を待っていた。
「ただいま戻りました」
「そう、何がどうなっているのか、説明して頂戴」
リビングでアーサお婆ちゃんが珍しく厳めしい顔で詰問してくる。
あの人型の壁の穴、その原因が赤ん坊だとは結びつけられていないみたいね。全部を説明するとなると、アーサお婆ちゃんとベッキーさんにも『使徒』のことを説明しなきゃいけなくなる。危機について説明することが危機を招くのでは本末転倒、時にはミスリードさせておいた方がいいかもしれない。
「私を狙った刺客の襲撃でした。もう対処しましたが……赤ん坊に影響があったかもしれません」
「どういうことだい、嬢ちゃん。あの赤ん坊も狙われていたとか……?」
「その可能性があります」
可能性に言及しているだけなので、嘘はついてない。
「この家の防御網を突破して、いきなり襲撃ですか……」
サリーが、外側から突破された形跡がないことを指摘してくる。すぐそれに気付くとか、さすがは麒麟児……。
「うん、驚きだね。とりあえず赤ん坊が何かされていないか、確認したいのです」
私にしては珍しく、真剣な眼差しで見渡すと、半分寝ぼけ眼の連中は、そうなのかなぁ、と頷いた。
訝しげな表情のアーサお婆ちゃん、カレンとシェミーは首を捻ったままだ。ドロシー、サリー、レックスは話の流れからして、『使徒』絡みだろうと気付いているかもしれないね。
ちょっと強引だけど、とにかく赤ん坊のいる部屋に移動する。ベッキーさんはうつらうつらしていたところだった。
「あ~、おかえり。何がどうなっているのか、説明して頂戴」
と、アーサお婆ちゃんと同じことを訊いてきた。さすが親子ということか。
「刺客だったみたいです。狙いは私か、赤ん坊か、どちらかです」
「まあっ……!」
この説明には皆が納得するものがある。人型の壁の穴は、ベッキーさんの部屋からドロシー(と私)の部屋に向かって空けられたこと、私のベッドは、私が踏み込み、風刃を受けた余波でバキバキに割れていること。それが姿の見えない襲撃者の進路を示している。
「その割には落ち着いて外に襲撃者を誘導していたように見えたわ」
さすが副支部長、出産直後だというのによく見ている。
「家人には被害を出したくなかったのでしょう。矜恃に溢れた存在だということでしょう」
「それで、犯人はどうしたの?」
「消滅させました」
ってことにしておこう。
「ということは、幽霊か何かだったのね」
「霊体のようなものでしたね。正確にはわかりません」
うん、精霊も霊体のようなもの、ってことにしておこう。
「うーん、その子は無事? 何かされてない?」
ベッキーさんの心配そうな言葉に、赤ん坊に向けて『人物解析』を行う。
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【】
性別:女
年齢:0
種族:ヒューマン(ドワーフ50%)
所属:
賞罰:
スキル:
精霊魔法スキル:精霊魔法(火)LV1
精霊魔法(水)LV1
精霊魔法(風)LV5
精霊魔法(土)LV1
精霊魔法(光)LV1
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―――スキル:精霊魔法(火)LV1の習得がキャンセルされました
―――スキル:精霊魔法(水)LV1の習得がキャンセルされました
あれ、精霊魔法がある。シルフさんや、これはどういうこと?
《私の残滓のようなものですね?》
なるほど、繋がりを切った時に残っていたものが、精霊魔法(風)LV5、ってことね。感覚的にはどのくらい、この子に持って行かれたの?
《元の私を百とすれば、三十くらいは持って行かれたでしょうか?》
それで、この子の魂は欠落せずに、一般的な人間で言えば正常な形と量を保っていると思っていいわけね?
《その理解でいいと思いますよ?》
それならよかった。
それにしても、先に赤ん坊を見ておけばよかったなぁ。精霊魔法LV10なんて、警戒しまくっただろうに。
《結果は同じだったと思うぞい?》
《儂もそう思う。主は最善を選択した》
《当の私もそのように理解していますが?》
精霊たちからお墨付きをもらい、私はベッキーさんを正面から見ると、
「大丈夫です。赤ん坊に悪い影響はありません」
「よかった~」
ベッキーさん、アーサお婆ちゃん、全員の安堵が伝わる。
「そう、とりあえずはそれでいいわ。まだ時間があるから、寝られる人は寝て頂戴」
「もう、起きます。寝たら起きられないわ」
ドロシーがそう言うと、全員が頷いた。
――――うーん、何かが動き出したってことかしら……。
祝・三百万字! さんびゃくまん! 何だか凄いなぁ……。




