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異世界でカボチャプリン  作者: マーブル
ブリスト方面波高し
462/870

とある研究者のレポート

なんと主人公が出てきません……。


 この文章は報告書ではなく、備忘録である。

 誰かに読まれるものとして記述したものではない。しかし、これを読み取り、活用出来る者が未来において現れることを切に願うものである。



0.迷宮からの指令


『迷宮』は将来的に、その活動を著しく縮小、休眠することを想定し、残存する研究班三名に対して指令を下した。


① 使用魔力を極限まで省力化できること

② 長期間において効力を発揮すること

③ 侵入者を無力化と同時に迷宮の防衛戦力として転用できること


 どれも矛盾しない要件であり、手法の道筋を示すものである。②に関しては休眠措置の後、一定の条件で起動することで実現は可能と思われた(※1)。



1.魔物の定義についての考察


 魔物とは、一般的には死後に『魔核』と呼ばれる魔力凝縮体を生成し、死体に有する現象を持つ生物を指す。

 ただしこれには例外が幾つも存在することが確認されている。

 例外の代表的な形態としては以下の三点がある。


a.生前に於いても魔核を体内に有するもの

b.死後に於いても魔核を生成しないもの

c.生前も死後も魔核を生成しないもの


 abの要件を我々にも理解しやすい形で含むのは、たとえば一部の粘菌の魔物である。

 これは一般的に『スライム』と呼んでいるが、スライムは一つの種類ではなく、明らかに出自が異なる種類も存在する(※2)。

 もっともありふれたスライムである『グリーン・プレーン・スライム』、『サウザン・アイランド・スライム』で言えば、不定形の魔核を持つことが確認されており、死後は形を維持できずに消失し、新規の魔核は生成されない。

 もう一つの例を挙げるとすれば、一部の不死者であろう。一般的な不死者、腐鬼(グール)はすでに死んでいる存在であるため、その存在が消えた時に、再度魔核を生成しない場合がある。

 不死者の一形態である、霊体を主体とする魔物にも魔核の存在が確認されないことが多い。

 また、cの要件を満たした場合、それは魔物ではなく、ヒューマンであると認識することが正しいはずだが、明らかにヒューマンではなく異形の者たちであって、性質も魔物そのものであれば、『魔物』として捉えることが自然である(※3)。


 このように、多くの例外があるために、緩やかな定義は可能であるものの、生物の成り立ちについての研究が進んでおらず、厳格な形では『魔物』を定義することは困難である。

 分類することの不毛さを問う意見も存在するが、迷宮において明確に『魔物』が存在することから、この考察に於いて備忘録を残すことにも一定の意義が見出せるものと確信している。



2.魔物の分類についての考察


 魔物は多種多様な形態を持っており、一部の魔物は変形、変身、変質など、自身の性質まで短期間で変えてしまう。環境の変化に適応するための仕組みだと推察される。

 そのため、分類方法についても多方面からの考察が求められる。


a.形態による分類

b.既知の生物分類に準拠した分類

c.生殖方法による分類

d.社会適応性の高低による分類

e.生成の過程による分類

f.保持する特殊能力による分類

g.生育環境による分類


 分類方法についても諸説あり、これだけでも様々な議論を呼ぶことだろう。

 なお、これらの分類方法は『迷宮』からの助言を基に考察したものである。

 ヒューマン型であるか否か、既知の生物に類似のものはいるか、単体生殖が可能か、会話か可能か、自然発生したものか、特殊能力の有無は……と考察を進めていけば、おおよその分類は可能であると信ずるものである。


 ここで注目すべきはeである。

 不死者に代表される、生物の死後に魔物になるという現象は、世界にありふれているものの、生存している側からすれば理不尽なものである。だが、忌避感を排除して考察してみると、そこには『機能の後付け』が行われているのではないか、との推論が成り立つ。

 現行の生物に於いて機能の後付けをしたもの、それが魔物ではないか、との推論も可能である。



3.魔物の改良についての考察


 この研究室は、元々、環境に適合した魔物の改良案を『迷宮』に対して提供する目的で設立され、公募によって集められた精鋭によって運営されている。

 そのため、迷宮に提示された要件を満たすための方策として、既存の魔物を改良して運用を行うのは当然の帰結というものである。

 我々の本懐である魔物の改良方法には、確立されたもの、机上案でしかないものも含めて、以下のようなものがある。


Ⅰ.特定の環境に押し込める

Ⅱ.特定の刺激を与える

Ⅲ.別種個体を融合させる

Ⅳ.『切り貼り』する

Ⅴ.特定の魔道具を埋め込む

Ⅵ.ウィルス(※4)に感染させる


『迷宮』から提示された概念の一つである『細胞』は生物の最小単位であり、自らを複製することで生体活動を営んでいる。

 ところがこの複製作業は完璧ではなく、時として複製に失敗する。自然に失敗することもあれば、生物が自らの形質を環境に適応させるために、故意に失敗させることもあるという。これは確率的(※5)であり、実験に於いて確実に失敗(または成功)を導ける性質のものではない。

 そも『迷宮』にこれまで提示されていた魔物の改良といえば、Ⅰ、Ⅱの手法を用いて、細胞複製の失敗の確率を上げ、環境に適応した形質を獲得するまで繰り返す、というものである。

『迷宮』はこれまで行ってきた作業よりも高度な手法を開示し、Ⅰ、Ⅱ以上に明示的な形質の変容を促すように指示を出した。



4.合成型魔物の生成実験


 まず迷宮が提示した魔物改良の方法は、Ⅲの手法である。

 別種の魔物、たとえばミノタウロスとオーク、ゴブリンとワーウルフなど。

 生体の一部を取り出し、お互いに取り込むことで、本来存在しない形質を獲得させるというものである。

 我々は、ここで二種類の実験を行った。


① ミノタウロス頭部の角をオークに移植

② ワーウルフの皮膚をゴブリンに移植


 ①②とも、結論から言えば失敗した。生体組織が癒合しなかったのである。

 ①の対象は角であり、血が通わぬことを原因と見た我々は、ひとまず②に注力することにした。

 ②の予備実験として、同種同士での皮膚の一部を交換する施術を行った。二体のゴブリンを用意し、臀部の皮膚を切り出し、お互いに交換し、豚の腸で作った紐にて縫い合わせた。

 片方はそのまま様子を見ることにし、もう片方は治癒魔法にて癒合を促進させた。

 放置した場合は癒合が遅れたが成功、治癒魔法は早期に成功が見えた。

 五組十匹のゴブリンに対して同種の施術を行ったところ、成功が三例、失敗は二例であった。


『迷宮』に対して助言を求めたところ、①の失敗と同様に、『拒否反応』に依るものであるという回答を得た。

 つまり生物が持っている仕組みである、体内に入った異物を排除するための働きであると示唆された。

 ゴブリン同士では五回のうち三例の成功(『迷宮』によれば六十パーセントの成功率、と呼称するらしい)があったが、異種間同士では、治癒魔法を併用したにも拘わらず、全例が失敗した。

 このため、根本的に異種間同士の組織融合による魔物強化の手法は見直しを迫られた。



5.魔物化の実験


 合成型魔物の実験に於いて、『迷宮』の資産である魔物を消費することを『迷宮』が忌避したため、実験に供する魔物について、別の手法が模索されることになった。

 死亡した魔物の死骸から魔核を取り出し、健常な一般生物に埋め込み、擬似的に魔物として扱うようにすれば、迷宮資産の消耗は低減できるのではないか、と考慮しての実験である。

 当初、捕獲したネズミを実験に使用しようとしたところ、『迷宮』から持ち込みを拒否された。

 理由は二点、近辺にいるネズミは『衛生的』ではなく、繁殖させた場合、迷宮内部の環境を悪化させてしまう可能性がある、ということ。実験中に迷宮内に放たれた場合、迷宮の構造物を囓るなどの物理的な被害が出る可能性があること。

 そのため、近隣で捕獲した昆虫を、卵から孵化させ、使用することにした。昆虫の使用は『迷宮』からも歓迎、承認された。


 ゴブリンの死骸から取り出した魔核を八等分し、孵化させて最終令まで育成した昆虫の体内に挿入、十六匹に対してこの処置を行った。

 半数の八匹が生き残り、大型化、硬質化し、魔物の性質を見せた。

 この試みは成功したと言っていいだろう。人工的に『魔物』を作る『魔物化』に成功したのだ。

 この『魔物化』した昆虫を使うことで、実験の効率は飛躍的に向上することになった。



6.『遺伝子』の切り貼り


 Ⅳの『切り貼り』には補足説明が必要である。

『遺伝子』は通常目に見えないが、特定の薬品を使い、遺伝子のみを抽出することに成功した。これは『迷宮』に提示された方法である。

 その後に『迷宮』の力を使い、極小のものを観察する技術も提供された。なお、この技術を用いて「比較検討せよ」というのは『迷宮』からの指示でもある(※6)。


① 魔物化していない昆虫の素体

② 実験により魔核を受け付けられて安定化し魔物になった昆虫


 ①と②について『遺伝子』を比較したところ、明確に異なる部分が数カ所発見された。

 再度薬品を使い、差異の部分を切り取る技術を会得した我々は、差異部分をaに向けて貼り付ける作業を行った。


③ 差異を貼り付けた細胞を培養した結果産まれた昆虫魔物


 その結果、③が誕生した。ただし非常に短命であり、さらなる改良が求められた。

 改良の手法は以下のようなものである。


④ 短命に影響していると思われる遺伝子の調整をした昆虫魔物

⑤ 後付けで遺伝子改良を行う薬品の投与を継続的に行った昆虫魔物


 結論からいえば④⑤ともに良好であり健常に生育が可能な段階にまで進歩した。

 ⑤の研究の副産物として、ウィルスによる遺伝子運搬、及び連結が可能になり、ここでも我々は飛躍的な進歩を果たしたのである。


 人為的に魔物を生成できるようになった我々だが、ただし、その成果は今のところ限定的である。


・魔物、非魔物の両方が存在する生物に限られること

・任意の機能付加が成功していないこと

・二種類の魔物に於いて遺伝子の合成が成功していないこと


 とはいえ、改良技術の進歩はめざましく、ウィルスによる遺伝子運搬も良好なことから、我々は楽観視している。

 それには継続的な実験と検証作業が必要である。



7.特定の魔道具を埋め込む


 遺伝子の改良と並行して、継続性はないものの、もっと直接的な手段を試みることにした。

 具体的には二種類の方法である。なお、『迷宮』によると、『埋め込み』は『インプラント』と呼称するようである。


・金属インプラント

・生体インプラント


 金属インプラントは、ミスリル銀板に記述した魔法陣を魔物の生体に埋め込む施術である。実験に使用した魔法陣は、元々の魔法陣が小さい『灯り』を使用した。

 実際に予備実験をしたところ、複数の問題点が発覚した。基本的に金属は生体にとって毒であり、生体に内包することで毒性は顕著になった。また、金属板そのものも腐食が起こり、毒性が増すという悪循環が確認された。

 これは事前に想定していたことであり、金属インプラントは本命ではない。それにも拘わらず予備実験を行ったのは、生体インプラントなるものが本当に動作し得るのか、不安視されていたからだ。


 初期の生体インプラント製造は非常に原始的な手法を用いられて作られた。

 健常な魔物の生体の皮膚を魔法陣の形に傷付ける手法が採用されたものの、皮膚は伸縮するものであり、一定の形状を保つのは困難だと結論付けられた。記述(傷付ける)している間に、皮膚の形が変わってしまうのである。一度に刻印する手段として焼き印も検討されたが、これでは魔法陣に関係のない部分まで損傷を与えてしまい、予後に手間がかかるばかりか、場合によっては腐食が元で生体機能が著しく低下する。

 ここで検討されたのは、インプラントの材質、及び設置位置である。

 昆虫魔物に対して埋め込まれた材質は、


① 素体の組織を切り取り、培養したもの

② 同種の他の個体の皮膚


 であったが、施術には成功するものの、いずれも『治癒』を施すと魔法陣の刻印が甘くなってしまい、短期間で魔法陣は機能を失った。

 魔法陣が機能を保つためには同種ではいけないのだ。逆転の発想ではあるが、異種魔物の組織を埋め込むことで機能が維持される。

 ここで適合する性質を持つ魔物が検索され、いくつかの予備実験の後、


③ 植物の魔物の表皮


 が適していると判断された。これは曰く『魔力的に丈夫な木材』であり、それ自体に魔力を含有するものではないので金属板の代用とはならないものの、溝を深く刻み、インプラントされた側の体液が溝に入り込むことで魔法陣が発動することが確認された。

 問題点を一つ挙げるとするならば、年単位の長期間に於いては運用実績が皆無であるということだ。そのため、インプラントされた魔物の健康状態への影響など、不明な点も多い。将来に渡って継続的な観察が必要な事案だろう。



8.特定機能の遺伝子への組み込み


 前項での実験に於いて、植物型魔物の表皮に刻まれた溝に入り込んだ血肉を採取してみると、興味深い事実が判明した。

 極めて自然な形で、インプラントされた側の組織に変容が見られ、一部の組織には、本来備わっていない遺伝子が追加されていたのだ。

 変容した部分を取り出して培養、魔物として成立させてみたところ、誕生時より『灯り』の機能を持つ昆虫魔物が生まれた。

 さらに、追加された遺伝子を特定、切り離した後にウィルスを使用して素の昆虫に感染させたところ、半数の昆虫が死亡、生き残った半数は遺伝子の改変が確認され、『灯り』の機能を後付けされた状態となった。

 つまり、魔法陣で得られる機能は、遺伝子の形に変換することで追加が可能である、と証明されたことになる。

 また、目的の機能を持つ遺伝子の特定と選別、という作業が事前に必要だとはいえ、我々は任意の機能を、素体魔物に対して積極的に改変を促すことに成功したと言えるだろう。

 あとは有用な機能を持つ魔物、及び遺伝子を選定していく作業になる。



9.機能の選定


『迷宮』が目標として提示していた要件を再掲する。


① 使用魔力を極限まで省力化できること

② 長期間において効力を発揮すること

③ 侵入者を無力化と同時に迷宮の防衛戦力として転用できること


『迷宮』は休眠状態に入ろうとしている。休眠状態であっても有効な防衛手段は、なるほど侵入者を操り、仲間割れを誘発させながら殲滅を図るというのは素晴らしい発想だと評価したい。

 この③を基準にして考えた場合、『迷宮』の意に沿うように操るには、迷宮産の魔物に見られるように、隷属させてしまえばいい。

『迷宮』に意見を求めたところ、『魔物使役』というスキルを提示された。

 これは魔物が自身の傀儡を作るために、精神なり肉体なりの制御優先権を獲得するスキルである。

 このスキルが対象に効果を及ぼすためには条件がある。


・『魔物』であること

・基準よりもスキルに対しての耐性が低いこと


 ここで冒頭の『魔物とは何か』という議論が再燃してしまうが、一般的にヒューマンに対してはほとんど効果がない。侵入者がヒューマンであった場合、『魔物使役』の効果を及ぼすためには、対象を魔物化した後に魔物使役スキルの影響下に置く、という手順を踏まなければならない。

 つまり、迷宮に使役されている魔物が『魔物使役』スキルを使えればいいことになる。

 同時に『魔物化』できる手段を持てば良い。

 その他、筋力向上や俊敏さの向上など、魔法陣を『翻訳』して遺伝子に組み込み、ウィルスとして散布する機能を持つ…………。

 生物として安定化が図れるのかどうか、という問題点を残しつつも、適合性のある魔物を選定していくことにした。



10.素体魔物の選定


 予備実験を十種類ほど行ったところ、最終的に三種類の魔物が候補に挙がった。


・ハーメルン(悪魔系)

・ビッグコックローチ(昆虫系)

・ジャイアントモック(植物系)


 我々の研究が昆虫型魔物を基軸に進められていることもあるが、筋力の向上、繁殖力、外皮の耐衝撃性、卵生、耐乾燥姓などから、魔物化した昆虫を選ぶことは必然だったと思われる。

 ハーメルンは『魔物使役』スキル持ちでもあり、悪魔系ということもあり、長寿命が期待された。

 ウィルスの散布に適した魔物がおらず、ジャイアントモックは窮余の策として採用した。


 初期にはビッグコックローチに機能付加をする形で進められたが、やがて頑強な肉体を持つハーメルンに対して機能付加をする形になった。

 ここで一つの問題が持ち上がる。ウィルスの形にした遺伝子情報は、空気中に散布した場合、著しく劣化してしまうことが確認された。これはつまり、広い範囲に散布という形ではなく、対象に直接注入する形にしなければならないことを意味する。

 しかし、この問題にはすぐに解決策が見つかった。


・ススパイダー(虫系)


 の形質を合わせることで、『毒液注入』をする『種』を飛ばす魔物が完成した。

 仮に『キング・ハーメルン・ワン』と名付けることとする。



11.羅患実験素体の変更


 さて、ハーメルン(劣化(レッサー)デーモン種)を基準にした機能付加こそ成功し、魔物として一応の完成を見たわけだが、肝心のヒューマンへの影響を観察するためには、実際に実験をしてみなければならない。

 しかしながら現在『迷宮』の周囲にはヒューマンはおろか人間に類するものがおらず、捕獲もままらぬ状況である。


 そこで、緊急避難的措置ではあるものの、過去に却下された経緯のあるネズミを試験体として使用することを『迷宮』に渋々ながら承諾させることに成功した。

 ネズミは繁殖力が旺盛で、世代交代も早いことは昆虫と同様だが、主要器官の構造がヒューマンと似通っており、研究効率が大幅に向上した。

 改良したネズミ型ハーメルンは、実際に非魔物のネズミを捕獲、魔物化し、眷属にするまでに至る。

 このネズミは、仮に『キング・ハーメルン・ツー』と名付けることにした。



12.事故への警鐘


 順調に進んでいた研究ではあるが、大きな事故が発生し、研究が止まってしまった。

 三人いた研究者のうち、一名が、『キング・ハーメルン・ツー』の毒矢を受けてしまったのだ。幸いにして『キング・ハーメルン・ツー』に使役されるようなことにはならなかったが、容態は深刻だった。

 皮膚が黒ずみ、会話が不明瞭になり、発熱、筋力の低下、やがて虫がそうするように繭を形成し、その中で眠る状態となった。残された我々には、それを見守ることしかできなかった。


 このような事故が起こったのは、もちろん注意力の欠如が最大の原因だ。

 しかし、『キング・ハーメルン・ツー』の能力を甘く見ていたのも要因の一つだろう。『キング・ハーメルン・ツー』はもとの体長十五センチから、現在は五十センチに迫る勢いで巨大化している。見た目はもはやネズミとは思えぬほどに醜悪で、飼育箱は三度作り直した。つまり、三度大きくなったのである。

 これは成長したのではなく、『迷宮』によれば『自己進化』と呼ばれる現象らしい。つまり、外的環境に依らず、自らの意志で進化を遂げたのだという。

 何のために? という問いに、『迷宮』は我々に厳しい言葉を投げた。『キング・ハーメルン・ツー』が持っている感情を列挙されたのだ。

 否定、困惑、憤怒。

 それが『キング・ハーメルン・ツー』が、我々に対して持つ感情だった。

『迷宮』が我々を非難しているようにも聞こえ、しばらくの間研究は中断することになった。



13.人体に対する魔物化の影響


 冒頭で、この文章が備忘録である、と書いたのは理由がある。付帯する実験記録と共に、この文章は報告書になるはずだった。誰あろう、『迷宮』に対して報告するためだ。

 しかしながら『迷宮』に否定されたような気分になり、事故が発生し、その対処に追われるうち、まとまった形で記録を検証できる体制ではなくなった。実労働力が一名減ったことも当然原因の一つだが、本当の理由はそうではない。


 繭が開いたのだ。

 いや、正確には割れなかった。だから割った。

 中にあったのは人間の髪の毛と、形状を留めない液状の組織があった。ただしかなり水分を失っており、ところどころに肉塊が散見された。

 このように醜悪な物体と化した同僚を見て怖くなったのだ。

 何か、恐怖によって頭が澄み渡ったような気がした。

 ところが、生き残ったもう一人の同僚は、この死を無駄にしてはいけない、と語り、研究の再開を訴えた。

 拒否できず、化け物が化け物を使役するための研究を、我々は再開、継続することになった。



14.顛末と結論


 図らずも人体に対する魔物化の実例と、組織を入手したことで皮肉にも研究は精度を上げる結果になった。

 当然の結果ではあるが、ネズミがネズミの魔物を作ろうとしたウィルスをヒューマンに対して投与すれば、それが正常に機能するはずがない。

『被検体三号』はそのような不利な条件であっても『自己進化』を行い、生存への望みを繋いでいた。真に意図したものかどうかは不明であるが、彼の意志によるものだと愚考するものである。


『迷宮』からは『キング・ハーメルン・ツー』の処分を言い渡された。大いに葛藤したが、結局は焼却処分にした。眷属のネズミも同様に処分を行った。すでに十分な実験記録が得られていたこともあったが、当初に『迷宮』が懸念していた通り、ネズミの魔物が増殖を始め、手に負えなくなってきたという事情もある。

 我々は都合のいい時に増やし、都合が悪くなったら殺す。そこに罪があるなら、死後に罰を受けさせてほしいと切に願うところである。


『被検体三号』から得られた記録を基に修正した遺伝子情報は、ウィルスを介して、残ったもう一人の同僚が自ら投与した。自らを『被検体四号』と名乗り、変容した彼は、ついに『被検体三号』が破れなかった繭を破り、完全なる魔物となって実験施設で産声を上げた。


 新たな実験、観察対象の登場だが、実験に関して相談できる相手はもういない。彼が自ら被検体となったということは、それが『迷宮』の指示だったことは疑いの余地がない。そして、それは遠からず自分にも訪れることなのだろう。

 私は、逃げられないまま、『被検体四号』の観察と、当初の目的の達成のために日々を費やすことだろう。


 まだ、正常な意識を保っていられるうちに、この文章を備忘録として残すものである。




(※1)

『迷宮』によると『トリガー』と呼称するという。


(※2)

 スライムについては以下の種類が確認されている。


・粘菌由来のもの

・動物が溶けた状態のまま固定化したもの

・植物由来のもの

・鉱物と生物の中間のようなもの


 いずれも体組織連絡網は粘菌由来のものに近いが、構成する物質に差異があり、その進化、生成過程については関連性がなく、突然発生した、と判断するのが妥当に思える。


(※3)

 ヒューマンの言語や、独自言語にて会話が可能である場合、魔物ではなく、ヒューマンの一部として扱うべきだとする議論もある。その場合、『魔族』とされる。


(※4)

『迷宮』に提示された概念及び用語である。生物を形作る要素の一つである『タンパク質』、生物を形作るための情報が記録されたものを『遺伝子』、生物を形作る最小単位を『細胞』と呼ぶ。『ウィルス』は『遺伝子』を運搬する用途に特化した『タンパク質』の一つであり、自身で複製を繰り返す過程で、対象の持つ正常な『細胞』に含まれた『遺伝子』を浸食し、自身の情報と置き換えていく。生物の体内で、この現象が再現された際の『拒絶反応』の一つに体温の上昇があり、既知の病気の幾つかは、ウィルスによって引き起こされているものと考えられる。


(※5)

 何回に一度、などと、特定の回数のうち、現れる回数を計測し、目安にする概念である。


(※6)

 それが確かに対象を拡大したものだと確認する術は我々にはない。





正式な論文のフォーマットには準拠しておりませんのであしからず……。あくまで「古代人」がメモとして記述したものを現代風に補完して見せているだけです。

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