早朝のブリスト
【王国暦122年10月27日 6:01】
干し草のベッドに憧れていた時期もありました。
ちゃんと干されていればいいけど、そうじゃない干し草はそんなにいいものじゃない。確かに白い豪華なベッドは二台購入してきたけど、マットレスがなくて、結局は干し草を敷いて寝た。
エミーとサリーは宿に備え付けのベッドで寝てもらって、干し草ベッドは私とカサンドラ。カサンドラは妊娠中でもあるので、固辞したけれど強引にベッドに寝かせた。だったら馬車なんぞで旅行させるな、って話ではあるけど、あの馬車は殆ど浮いてるから揺れないのよね。
それはいいとして、今日も早起き、と。
男性陣も起きていたので、朝食を抜いたまま、冒険者ギルド支部へ向かうことにした。
「女将さん、また来ますね」
「そうかい! 待ってるよ!」
昨晩(主に半魔物たちが)大量に食べてしまったので、徹夜の女将さんは仕込みに忙しいらしく、朝食は出なかった。一人でやってるとこういうコトもあるらしい。
ああ、そろそろアーサお婆ちゃんの料理が恋しくなってきたわ……。
などとかなり失礼なことを思いつつ、手を振って冒険者ギルドへと向かう。
昨晩、アビゲイル女史は、帰宅というか冒険者ギルドへ戻った。普段から泊まり込んでいるようで、仕事が詰まっているのか、と思いきや、どうも帰るのが面倒、みたいな理由らしい。西区のかなり西側に自宅があるそうなのだけど、夜に坂道を登って、誰もいない家に帰るのが嫌、ということもあるみたい。その気持ちはわからないでもないなぁ。
カアルが狙っていることからわかるように、アビゲイル女史はしっかり独身なんだとさ。それ以上は突っ込んで訊けなかったから、やっぱりサリーとの関係は訊けずじまい。
私やエミーはともかく、サリーは頻繁にここに来る、というわけではないから、身内とかなら出自を明かしてほしいなぁ。うーん、まさかサリーを捨てた母親だとか言うなら、それはそれでカミングアウトしにくいかもしれない。
「ハッ……」
またまたカアルの言っていたことがフラッシュバックする。性急に過ぎるから注意せよ、ね。ちくしょう、あんなに軽い男に言われたことが気になるとか……。これも『魅了』の効果なのかしら?
ああ! 元の世界の乙女ゲームにあったような、主人公を否定してから親密度を上げていくパターンだとか? そうはいかないぞ!
冒険者ギルド支部に入ると、受付ホールは昨夕と同じように人でごった返していた。朝ラッシュの時間ね。
私たちがホールに入ると、冒険者たちが訝しげな表情を見せた。いかにも異質な集団で、多少腕に覚えのある冒険者なら、脅威を感じたかもしれない。それに、王都本部では割とこういう場面には出会うから慣れっこ。
「やあやあ、おはよう」
と、そこに朝から何が楽しいのか、テンションの上がったカアルが受付カウンターの奥からやってきた。何となく不穏な空気が醸成されていたところを、一発の突風で吹き飛ばしたかのよう。
「おはようございます、支部長。納品に来ました」
「うん、こっちにきておくれよ」
カアルに呼ばれて支部長室へと全員移動する。と、ソファには先客が既に座っていた。
「ああ、座ってていいよ。紹介するよ。こちら普段は受付をやってるゾーラとミント。詳細は………今短文を送った」
カアルは慣れた手つきで通信端末を操作する。
私は『道具箱』から端末を出すと、すぐに数通の短文を着信した。
フェイ、ザン、ブリジット、ドロシー、そしてカアルからの短文だ。
「………………」
カアルからの短文には、調子を合わせてほしい、と書かれていた。内緒話に使われるとはなぁ。
その短文の補足によると、ゾーラ・リンドは………。カアルの兄嫁に相当する。要はカレルの奥さんだ。
もう一方のミントはカレルの愛人の一人。
で、この場所にはカサンドラもいるわけだから、修羅場になるのは必至というもの。いや、この場所で粛清でもするのかしらね。
何をやるつもりなんですか、と視線で訴えると、カアルはウィンクをしてきた。コイツ……やっぱり殴りたい……。
「おはようございます。昨晩はよく眠れましたか?」
アビゲイル女史は昨日よりも表情が柔和な気がする。こういう微妙な変化を楽しむのもクーデレマニアなんだろうね。
「はい、お陰様で。朝食は仕込みが終わってませんでしたけど」
ははは、と言いながらソファに座る。座ったのは私とエミー、サリーだけ。ヴァンサンとラルフには座るように促したけど、二人とも小さく首を横に振った。
「で、支部長、このお二人が何か?」
「うん、出張所の人選にどうかなと思ってね」
ふーん、問題児二人を押しつけね。先に短文で情報を知らせてくれていなければ屁理屈を捏ねて暴れているところだけど、思惑があるみたいだから乗っておくか。
「支部長の人選なら間違いないでしょう。全面的にお任せしますよ」
間違いだらけで任せられないなぁ。
「そうかい! そう言ってくれると助かるよ! 二人とも長期出向することになるけど、問題ないね?」
「ええ、まあ、はい」
「まかせます~」
ミント嬢は焦りを隠すように。
ゾーラ嬢は軽い調子で。
それぞれ了承した。
「じゃあ、二人とも今日は戻っていいよ。『黒魔女』殿、向こうの住環境はどうなっているのかな?」
「建物はすぐにでも。しかし生活必需品が全然足りていません。家具やら寝具やら、衣服やら。食料品も十分とは言えません。そうですねぇ、住むだけの環境を整えるなら五日、辛うじて人間らしく生きられる住環境なら一月というところですね」
「そうかそうか! じゃあ、一月後に合わせて出向するということで、今日は内示というところだね」
「は、はい」
「はい~」
明らかに挙動不審なミント嬢と、ぽや~んとしているゾーラ嬢は、対照的な返事をすると、一礼して支部長室を出ていった。
「――――『遮音』。茶番に付き合わせて済まなかったね」
二人が出ていくと、今までにこやかだったカアルが真面目な顔になった。
「あの二人は、リンド所長の関係者ですよね」
ピクッ、と後ろでカサンドラが反応したのがわかった。
「うん、あの二人が、そのままの関係性を保って迷宮出張所に出向することは、恐らく、ない」
「有り体に言えば、ブリスト支部の不祥事ですから。これも兄上の目論みの一つなんでしょうか?」
アビゲイル女史が珍しく怒気を滲ませる。
「そうかもしれないね。ボンマット出張所所長は交代か、もしくは閉鎖だね」
支部長と副支部長は嘆息しあった。
「まあ、確かに、冒険者ギルド的にはグレーゾーンでも、他国に情報を流すことは普通に内通罪ですし……王都騎士団が嗅ぎ付けたら冒険者ギルドがどんな罰を負わされるか。迷宮の件で意固地になってたりすれば、ブリスト騎士団と王都騎士団の共闘さえあり得る事態でしょう」
「それなんだよね。嫌がらせで故意にやってるとしか思えないところが悪質だよ」
つまるところ、表面上はともかく、カレル、カアル兄弟の仲はよろしくなく、解消しないままに今まで来てしまったと。
「情けは人のためならず、か」
ボソッと、カアルは日本語で呟いた。
【王国暦122年10月27日 6:22】
「ちょっ、これっ、自動改札機じゃないか」
自動改札機の木製模型を、ギルド支部一階の空き部屋に設置して、カアルが発した言葉はそれだった。この部屋に今いるのはカアルと私だけ。
「ええ、まあ……そうみたいですね」
「しかも東芝製のモックアップ……。知ってるかい、自動改札機の特許は東芝とオムロンが殆どを握っているってことを」
……こいつ……できるな……!
二人きりなので、こういうどうでもいい無駄知識を開陳しているわけだけど……。本当にどうでもいい。それにしても、カアルは私と近い時代の人なのかな。召喚が一度に行われていない以上、タイムラグみたいなものがあっても良さそうなものなんだけど……。
こういう無駄知識に無駄に反応するのは召喚者の証拠と言っていい。自動改札機がリトマス試験紙……っていうのも字面が何か変。
「ふうん、王都西迷宮の管理人っていうのも、シャレがわかるじゃないか。しかしなるほど、これなら管理は楽かもね。こうなってくるとさ、文字入力の方も改善をお願いしたいね」
「あー、キーボードはちょっと遠慮してたんですよ」
「何故だい? キーが多すぎるから?」
そうです、と私は頷いた。
「別にアルファベット全部を作らなくてもいいじゃないか。速記用のキーボードを知ってるかい?」
「ああ、なるほど、その手がありましたね」
複数のシフトキーを使えば少ないキーでも実用になるか。それなら小型にもなるし。タッチスクリーンっていう手もあるし、いっちょ本格的に考えてみなきゃなぁ。
「落ち着いたら考えてみますよ」
「うん。それでね。ちょっと二人きりにさせてもらったけどさ。直属の上司に当たるボクや、本部の方も、所長クラスの素行の悪さには有効な手が打てないのが実情なんだ。これはオルブライトとも話したんだけど、現段階では、現職から外して金銭的なペナルティを科す程度のことしかできないんだよ。いわゆる『島流し』にしたらしたで勝手なことを始めるし………」
カアルが私と二人きりになりたがったのは、アビゲイル女史に言えないような相談だろう、ということは想像がついていたけどさ。暗にこれは始末してくれ、ってことなんだろうか。
「一つ案がないこともないのですが。私じゃなくても暗殺……というか普通に刺されて殺されると思いますけど……」
「どんな案だい?」
「迷宮出張所に、カレル氏を冒険者として出向させるのです。何の役職にも就けず、単独で迷宮の攻略をさせるのです。攻略に失敗して死亡してもよし、成功してもそれは冒険者ギルドが利益の殆どを天引きする」
「なるほど。町中で刺されてもいいわけだ」
「それ以前に迷宮でもカサンドラに襲撃されると思いますけどね」
「一緒にいた? カサンドラ? 『リベルテ』の?」
「はい。彼女のお腹の中には、カレル氏の子供がいますよ」
「なんだって……」
そのぐらい気付けよ、と思ったけど、案外世の男性なんてそんなものかも。
「ヴァンサンが育てるつもりでいるみたいですけど、ちゃんと訊いてないので、どうなるのかは知りません。元の世界の感覚なら養育費を請求してもいい立場でしょうね」
「そうか……。産まれる子に後ろ楯がないのなら、血縁でもあるボクがなろう。それは伝えておいてくれるかい?」
「はい、それはいいんですけど、カサンドラは既に半分魔物なんです」
「あ……そうだったね。あれはどういうことなんだい?」
「詳しくは言えません。ウィルスのようなものに感染した結果、とだけ」
「じゃあ、母子感染してる可能性が大きいとか?」
理解が早い。カアルは馬鹿じゃないわ。
「…………既に感染しています。産まれる子供はエルフ50、ヒューマン25、魔物25ってところですね」
「……軽く言うね。新人類が産まれるかもしれないのに」
「そんな謎人類、排斥されるのがオチですよ。そんな彼らを守るのも、あの迷宮の役目ですから」
「なるほどね………。ああ、もちろん、後ろ楯の話は伝えてくれて良いよ。血縁に変わりはない。ははっ……。ボクもこっちの世界に来て長いから、忌避感とかなくなっちゃったのかな」
私と話してみたかった、っていうカアルは、フェイではなく、違う人に弱音を吐きたかったのだろう。私にカアルを癒す義務なんてないけど、同郷のよしみってやつかなぁ。
少なくとも、フェイは先輩召喚者として威厳を見せてくれているから、こうやって頼られるのは、戸惑いを禁じ得ない。
でも、うん、悪い気はしないかな。
「ボンマット出張所は閉鎖の方向だね。ああ、もしよければ、手伝ってくれないだろうか?」
カアルは『魅了』全開で私に言う。
「いえ、まだ迷宮でやることがありますし、迷宮からポートマットまで街道を造らなければならないのです。ポートマットに帰ったら途中になっている土木工事や建設工事をしなければなりませんし――――。半年先ならお手伝いできますけど、それじゃあ遅すぎますね」
「うん――――。いや、聞かなかったことにしてくれ。自分だけで始末を付けるべきだよね」
「いやあ、ブリスト支部としてケジメをつければいいと思いますよ。肉親の情が絡むと失敗しそうです」
「む……」
「じゃあ、自動改札機も設置したことですし。これについての説明は不要ですね? では買い物をして迷宮に戻ります」
「ああ、うん。ああ、一つだけ。兄を粛清することで、兄が君を逆恨みするようになるかもしれない。これは注意してほしい」
「恨まれるようなことはしていないつもりなんですけど?」
「一面だけを見ればね。だけど、君がボンマット出張所を通りかかったことで色々と兄が立てていた計画はご破算になった。何の計画かは――――調べが付いているものだけを見れば実に小さい野望だけどね――――」
「そのキッカケになった私を逆恨みすると?」
「狙われるのは何も君だけじゃない」
たしかに。今度は私が唸る番だった。
「忠告痛み入ります。気をつけて行動します」
「うん、それがいいよ」
カアルは無邪気に笑った。
【王国暦122年10月27日 7:46】
早朝に服を買いに行く、っていうのも不思議な気分だけど、クレーターの縁を目指して、敢えて徒歩で坂道を登り、後ろを振り返ると、雄大な景色が飛び込んできた。
太陽が左手にあり、お椀状になった、ブリストの街が一望できた。実際には背後にある西地区も同じくらいの大きさなので、一望というわけじゃないけど、横長のポートマットでは見られない光景だった。
「良い眺めだねぇ」
「ええ、素敵ですね」
「本当にすり鉢みたいなんですねぇ。どうしてこんな地形なんでしょうか」
サリーは地形の成り立ちに興味があるみたいだ。
「何でだろうね」
クスッと私は笑いかけておいた。
これだけ綺麗に丸いということは、隕石が衝突した痕ではないか。元の世界の知識を下敷きにして考えたら、隕石があるということは、惑星の成り立ちは小さな岩石が重力で集まってできたもので――――隕石は集合しきれなかった小さな岩、と考えるか。もしくは過去に彗星が通過した場所を、この星が通過している――――。と、ちゃんと天体運動として見るのが一般的なんだろうけど。
この世界基準で考えると、そんなことができるのかどうか、という議論は別にして、『使徒』がこの土地に隕石を落とした痕、って考える方がよっぽどスムーズに聞こえる。
そういえばボンマットの地形なんて、崖をスッパリ包丁で切ったような形をしていたし、キッチリしてるんだかいい加減なんだかわからないよねぇ。嵐を起こしたり巨大鯨に襲わせたり、というのは記録に残っているそうだけど、『使徒』はどこまで大地を操れるのかしらね。自由自在に隕石を落とせる……とかなら、ハッキリいって何をしても無駄だから、白旗を揚げるしかない。
そんな不穏な想像は頭の隅においやって、改めて眼下を見下ろす。
静謐な空気が冷たく頬を刺す。風はほとんどない。一般的な盆地だと空気が滞留しやすいんだろうけど、ここは半分欠けたような形になっているから、風が吹く時には吹くんだろうね。
「さ、服屋さんにいこう」
「はい!」
いつだって、新しい服を買うときは足取りが軽くなるもの。
だって、女の子ですもの!
――――朝っぱらから登坂で、いい汗かいた。




