ご注文の○○○ですか??
【王国暦122年10月26日 19:26】
「もしよろしければ」
本当に僅かに微笑んだまま、アビゲイル女史は(多分)機嫌良く口を開いた。
「名前の方で呼んで頂けると嬉しいです」
口調は平坦だから、本当に嬉しいのかどうかはわからないけど、その提案には乗っておくことにした。
しかしなるほど、ほんのちょっとの変化が大きな感情の差を表現している。この程度では全然『デレ』じゃないけど、ギャップ萌えとしてはジワジワ来る分、こっちの方が破壊力があるものなんだね。
「アビゲイルさん。でいいですね。アビゲイルさんは大陸出身なんですか?」
そこはツッコミを入れてほしいところだから、自分から言い出したのだろう、とアタリをつけてみる。
「ええ、はい。元々は大陸で冒険者をやっていました。色々ありましてここでご厄介になっていますが」
その色々、を訊きたいんだけどなぁ。
尋問モードに入りそうになったところで、大きな足音が戻ってきた。
「ああ、ごめんごめん。部屋の方は大丈夫だよ。二部屋用意したよ。ベッドが足りないから、床に藁を敷いといたけど、それでいいね?」
女将さんがドカドカと慌ただしく言った。
「はい、構いません」
ベッドは二つあればそれでよし。あとの二台はポケットの中にあるし。
「小さい隊長、オレは護衛だし、寝ずに部屋の前で番をするよ」
「はん、いいから寝ておきなよ。心意気は受け取ったからさ。女将さん、スープと芋のおかわりお願いします。パンがあったら、どんなのでもいいので貰えますか?」
そういう女将さんは料理を持ってきていた。
「いい食いっぷりじゃないか。よし、まずはこれ」
大皿に豪快に盛られた……ハンバーグ?
「小魚の叩き焼きさね。もう一つは……ちょっと待っておくれ」
「女将さん、手伝います」
アビゲイル女史が立ち上がった。女将さんは物凄くそれに慌てて、
「だっ、大丈夫だよ! 座ってておくれよ!」
と、必死な形相で断った。アビゲイル女史は無表情ながら、少しだけ目を伏せて、椅子に座った。あの慌てっぷり、アビゲイル女史はたぶん――――ドジっ子属性持ちだな。それはそれで見てみたい気がする。
「とにかく頂きましょう」
私もそうだけど、この魚のハンバーグ――――フィッシュケーキ――――にはエミーが興味津々だった。何せ、先日同じようなものを作っていたもんね。
「ん……」
木のフォーク一本では辛い固さ。かなりしっかり身が詰まっていて焼き固められている。ソース代わりに溶かしたバターが添えられてきた。
一口大に切ったフィッシュケーキをバターソースに付けて………。
固い……けど、咀嚼していくとじんわり魚の旨味が広がり、バターの乳脂肪が旨味の土台を補強する。
「固いですけど、歯ごたえがあるのも、これはこれで」
聖女パワーが料理の解析に使われ始めた。
「バターが案外いい仕事してるね」
「どちらかだけだと単調になりますものね」
エミーは料理不思議発見とか大好きだものね。一緒にグルメ旅とかしたら楽しいだろうなぁ。
「肉汁が出ない分をバターが補っているのかも」
ボソボソしているわけじゃないけど、しっとり感はフィッシュケーキ自体にはないからねぇ。
「魚なのにお肉を食べているみたいです」
「ああ――――」
サリーの感想になるほど、と思った。これ、しょっぱく味付けした肉を目指してるんだわ。不思議と魚っぽくなくて、焼いていることで香ばしさを出して、生臭さを消していると。スパイスに頼らないやり方としては面白い。
「お姉様、これはたとえば豆腐を混ぜたりしたら……」
「もう少し風味が軽くなると思うよ。食感も柔らかくなるね。肉を目指しているのなら、肉汁が全くでないのは問題があるね」
「成形することに意識が向いているということですか?」
「いんや、作り貯めが利くようにという配慮だろうね。提供形態の問題だと思うよ」
殆ど料理研究家だなぁ。
「肉汁を多く含ませたいのなら、バンガースみたいにパン粉を入れる手もあるよね」
バンガースは王都で流行中の安い素材で混ぜモノを多くしたソーセージ。あの安い感じがいい。
「ちょっと厚くて固くて、パンに挟めなさそうです」
サリーの小さな口では挟めても難しそうね。薄くしたらサンドイッチにできるかしらね。
ああ、そうだ、パンは来ないのかしら。
「はいよ! 黒パンでいいのかい?」
「はい、スープおかわり下さい」
黒パンはそのまま食べるものじゃない。スープがないと食べられないよねぇ。
「はいよ!」
あからさまな料理への批評は、多少は漏れ聞こえているはずで、お店側としては愉快な話ではないだろう。
しかし、元の世界の日本人は、料理でさえ戦いにする国民だもの。国民全員が言わずにいられない山岡さんなんだから、改めて考えてみると凄い国だったんだなぁ。遠くにいて故郷を思う……か。本当に、私は何者だったんだろうねぇ……。
「みなさん、あの、ご不満でしたでしょうか……?」
私とエミーの批評を訊いて、アビゲイル女史が不安そうに訊く。あんまり表情が変わらないけど。
「いいえ。珍しい料理で興味深いです。私とエミー……は元々料理に興味がある人なので、基本的にはこれが再現できるものか、検証してるだけなんです。積極的に自分たち好みに改良しようとしている故の会話だとお考え下さい」
「あー、姉さんたちに、あるがままを食べろと諭しても無駄ですよ。一緒にお世話になっているお婆ちゃんもそういう人ですし」
サリーがフォローのつもりでアビゲイル女史に自分の現況を話す。
「ああ、サリーさんは『黒魔女』殿と一緒に住んでいるのですか?」
「サリー、と呼んで下さい。はい、そうですよ。一緒に住んでいるドロシー姉さんに言わせると、良いところも悪いところも、影響受けまくってる、って言われてます」
サリーの自慢気な発言に、さっきカアルに言われた、幸福と不幸をバラ撒いている、という言葉がフラッシュバックする。サリーの物言いは年齢の割には大人びているから賢しい印象を与えるのも相まって、アビゲイル女史はサリーを一人の大人として見ているみたい。丁寧に、腫れ物に触るように、ちょっとずつちょっとずつ、距離を縮めようとしているのが感じられる。
「常に改善、最善を目指すのです……!」
「それは素晴らしい薫陶を受けているんですね」
目を細めながら、アビゲイル女史はピッチャーから陶器製カップに水を注いだ。
ブリストで飲み物、と言うとワインなんだろうけど、私が固辞したので全員水になっている。
半魔物にアルコールを摂取したときの影響が不明だったし、魔力制御とどうやらアルコールは密接に関係しているので、そうさせてもらった。ヴァンサン辺りは飲めばいいと思うけど、この雰囲気の中では言い出しづらいよね。
「『黒魔女』殿がアルコールに弱いというのはちょっとした弱点でしょうか?」
真顔で言われるのでそう聞こえないけど、これは多分冗談だろうね。
「嗜好の問題だと思って頂ければ。そうそう、酒精の入っていないお酒がブリストやカディフにはあると聞いていたのですけど……」
女将さんに訊いてみる。
「あー、ウチには置いてないね。明日市場に行ってみたらいいよ! でも、酔えない酒なんて酒じゃないよ!」
肩を竦めながら断言された。
ああ、うん、その通りだ。でも、形だけでも飲みたい時ってあるんだよう……。まあ、明日市場に行ってみよう。酒じゃない酒とか、禅問答みたいだよねぇ。
「おかわりください!」
女将さんが何かを持ってくる度に、おかわり! が半魔物たちから連発される。
めちゃめちゃ美味しいか、と言われると、普通、と言ってしまう私たちは、かなり舌が肥えている方だと思う。けど、おかわりが連発されるのは、スープがポタポタしているので黒パンをうまく柔らかくできず、先に水分がなくなってしまうから。薄いスープにも意味があるんだなぁ、なんてよくわからない感想を持つ。
何度目かのおかわりか……と思ったところでメインディッシュがやってきた。
「はいよ。プディング」
と、出てきた半球状の物体は、店の薄暗い照明の中、怪しく黄金色に光っていた。
同時に、ポートマットの四人組も目が光った。ラルフでさえも目が光った。
「このプディングは、何のプディングでしょうね」
エミーの目が爛々としている。カボチャプディングに代表される、甘いプディングだけがプディングではなく、メインディッシュに相当するような塩気のあるものも存在する。
小さなナイフがついていたので、丁度八等分に切り分けて皆に配る。中は挽肉と野菜が層になっていた。
「牛肉? ですか?」
一口食べてから、エミーが疑問符を投げてくる。
「外側の皮はそう。パン粉と牛脂―――リオーロックスかも―――を刻んだものね。中身は………」
「リス?」
リスとドングリ大好きのサリーが目を開いて訊いてくる。
「何の肉かわからないけど、美味い!」
ラルフの感想がストレートでよろしいのかもしれない。私たちのやっていることは既に料理ドキュメンタリー番組だ。
「リスじゃないみたい。もっと大きい……」
「大きいリスですか!」
リスに拘るなぁ。
「あ、ウサギですね」
エミーが正解かしらね。
「うん、これを挽肉にするのは面倒だろうに、手間掛かってるなぁ」
「はいよ、スープおかわり。ああ、それね。挽肉の状態で入荷するんだよ」
女将さんはネタバラしをして、アハハ、と豪快に笑った。
「このプディング、絶品ですねぇ」
「そうかい? 皮を作るくらいだよ、面倒なのは。肉はね、ウサギ害が酷いらしくてね。ブリストではウサギ狩りが推奨されてることもあって、お安いのさ」
「へぇ~」
なるほど、ウサギはモフモフするものじゃなくてガツガツ食うもの。
「ウチは火に掛けておけば、あとはほったらかしでもいいような料理ばっかりさ」
「いやいや、相応の手間が掛かってますし、全部一人でやってるのが凄いです」
私は称賛する。女将さんが照れる。
「そんな大層なモンじゃないよ。あーっと、おかわりいるね?」
「はい! ください!」
留まるところを知らない、半魔物三人の食欲に、ヴァンサンが呆れている。今日は静かだね。
ウサギ肉のプディングは、ああ、これは蒸してるんじゃなくてプディング型ごと鍋に入れて茹でてるのか。結果的には蒸してるのと同じなんだけど、エネルギー効率的にはどうなんだろうね。容器ごと茹でてる、という話をエミーに振ったら、
「蒸したものとどう違うか、今度やってみましょうか」
いやはや、料理研究家みたいになってきたわね。
「そうだね。どちらもしっとりと出来上がるよね」
その点はプディングとして正しい仕上がりよね。この調理法のメリットは、加熱し過ぎても味が抜けないことかしら。なるほど、これはズボラ料理と言えるわ。
「ねえ、お姉様、このプディングもそうですし、黒パンなのもそうですけど、小麦粉の入手に苦労してるんでしょうか?」
「ライ麦もそんなに豊富にあるわけじゃなさそうだね。穀物の入手で苦労してないのはポートマットくらいなんじゃないの?」
それを考えると、私に使役されている闇精霊の施策は大成功だったことになる。いま食べている麦関係の産地は、おそらくポートマットだろうから。
《ふふふ……》
機嫌のいい笑い声が聞こえたところで、ウサギプディングを完食する。
「うーん」
プディングそのものはいい。だけどソースがな……。プディングに含まれる旨味だけではちょっと足りない。ここでバターでもないし……。
「お姉様、ソースですね?」
「うん。何が合うかしら」
「ウサギからだと野趣が強すぎますよね」
それに、多分ウサギの骨からはいい出汁が取れなさそう。
「牛か、リオーロックスか、豚かイノシシか……がいれば、骨髄からソースを取り出すと丁度いいかもしれないけど、物凄い手間だろうね」
「ちょっとお高いですしね」
「姉さん、鶏はどうですか?」
「いいね。鳥のスープを煮詰めればいいかも。それこそ―――――」
「この野菜スープにヒタヒタにして食べるの美味しいです!」
「それだ!」
オネガイシマスとバイゴットが同じようにして食べていた。とろみも丁度良い。
「もうちょっと塩が強ければピッタリかも」
「野菜が邪魔かもしれませんね?」
「とろみは芋だけでつければ澄んだ味になるかも」
「足元に解決策がある、っていうのは本当ですね!」
サリーが楽しそうに言うので、アビゲイル女史も楽しそうだった。
【王国暦122年10月26日 21:08】
「いえ、私が支払います」
アビゲイル女史は頑なに、宿と飲食代を払おうとしたけれど、支払額がとんでもないことになっていた。とはいえ、庶民的なお店だからたかが知れているのだけど、副支部長のポケットマネーの範疇は軽く飛び越えていたようだった。
「今度はもっと少人数で来ますから、その時にご馳走してください。いいお店を教えて頂いて、支払いまでお願いするとなると、こちらも心苦しいのですよ」
逃げ道を提示して、強引に押し通す。
「わかりました。次回は必ずご馳走させてください」
アビゲイル女史が折れた。うん、それでいいよ。
「女将さん、美味しかったです。部屋に行きますね」
「ああ、うん、そうさね! ああっ、明日売るモノがなくなっちまったよ!」
女将さんはうれし泣きをしていた。嬉しいのか悲しいのか、どっちだろうか。
――――女将さん、これから徹夜で仕込みだそうです。




