編み物名人のおばあさん
料理を食べた後、食器の片付けをしながら、レシピや調理法について、私とドロシーは、主にアーサに訊いていた。
「そうね。葱はどんなものでもいいわ。ただし朝採れの物がいいわね」
「鮮度ですか……」
専業主婦なら家庭内菜園やら、養鶏やらもやりたいところなんだけどなぁ。実際、この家の裏手には菜園と鶏舎があったりする。それはとても羨ましい環境といえた。
「鳥肉は……ここのものですか?」
アーサは頷く。わざわざ絞めてくれたのだ。お土産がカボチャプリン程度じゃ申し訳ない気持ちになる。
「そうね。『蒸す』? 教えてくれるかしら?」
ああ、そうだった。むしろアーサ的にはそっちに興味があるのか。
「もう使わなくなった鍋とか、ありますか?」
基本的に鉄製品は貴重品で、使われなくなったとしても鍛冶屋に売ったりと資産価値があったりする。ので、使わなくなった『鉄鍋』は多分ない。
「そうね。土鍋ならあるわ?」
というわけで焼き物や陶製品ならあると。
「それ、穴を空けてもいいでしょうか?」
へっ? と口を開けているアーサとドロシーをよそ目に、受け取った土鍋にスキルを使う。魔力制御、弱く、細かく。
「―――『水刃』」
直径二十センチほどの土鍋に、五ミリほどの穴を二十個ほど空ける。
うん、美しい穴。魔力制御も完璧。
「アンタ、それ凄い技ね……」
割と私の細工の様子を見慣れているドロシーも驚きの声をあげた。
フフン、もっと褒めてくれていいんですよ?
っと、とりあえずは何か調理してみないことには、蒸し料理の有用性を提示することはできない。
「あのう、調理していないおイモって、ありますか?」
わかりやすいのはイモだ。茹でとも風味が変わるし。
「そうね。これしかないわ?」
三つ渡されたので、早速蒸してみる。
「下の鍋でお湯を沸かして、上にもう一つ、この鍋を被せて、蓋もしちゃいます。あ、蓋は蒸気穴を空けて……。お湯は沸騰したら極弱火に。お芋には布を被せて、二十分以上蒸すといいですね」
「そうね。変わった調理法ね?」
「湯気で加熱していくんです。茹でるのと違って、お湯に栄養が逃げません。余計な水分も含みませんから、食材が適度に柔らかくなります」
べっちゃりしないで、しっとり仕上がる。食材や調理時間にも左右されると思うけど。
「そう。じゃあ、火加減見ててちょうだいね。私は編み物の用意をするわ」
「はい、よろしくお願いします」
手編みは、ドロシーも一緒に習うことになっている。エドワードにでもプレゼントするのかしら。
しかし、今回『手紡ぎ』『紡績』を覚えられたのは大きいかもしれない。スキルは、覚えた時点で、一度もやったことが無くても、『何となく理屈がわかる』ようになる。使いこなす、というには程遠いから、何度か実際にやってみないとダメだけど。
実はエレクトリックサンダーの毛をどうにかして活用したいと思っていたので、糸の形に出来れば応用が利くようになるんじゃないかと。毛の状態から糸にする方法も知りたいなぁと思っていたところだったので、これは渡りに船だった。
元の世界の知識がある私は、紡績と機織りの効率化が産業革命に繋がることも知っている。どうも『使徒』たちが産業革命を望まず、その代わりとして魔法文明の発達を推進しているらしいことも感じている。
いやしかし、鍛冶屋には魔法炉があったりするから……。魔法利用であればいいのかなぁ。線引きは案外その辺にある気がする。
まあ、その弊害として、布や衣服がものすごく高額商品になっているわけなんだけど、オシャレ女子的には、これは困った問題になっている。どうにか、全てをフォローする妙案を思い付くといいなぁ。
「そうね、簡単なのから行くわね?」
アーサが毛糸と、二本の細い木の棒―――編み針―――を手に戻ってきて、私の思考は中断された。
「何も模様を付けない編み方、ですね?」
「そうね。最初だけがちょっと面倒ね。でも、これも慣れだと思うわ?」
アーサはそう言うと、片方の編み針に毛糸を引っ掛けて、くるくるっと輪っかを作り、毛糸を輪っかに通していく。
「最初に幅を決めてしまうんですね」
「そうね。もっと幅を出したい時は、出来たものを横に繋げていくことになるわ?」
ああ、出来上がりに必要な幅の長さが最初に必要なのかと思った……。なるほど、ブロック単位で編んで、あとで結合すればいいのか。
「そう、だから、セーターとか幅広のものは、そこで模様を付けることもあるわ。そういうやり方じゃなくて、元から模様込みで編むこともあるわ。その場合は最初から必要な幅で編むことになるわ」
「あの模様はどうやってつけてるんですか?」
ドロシーが訊く。アーサは良い質問ですねぇ、と微笑んでから、
「そうね。編み目―――編み方ね、を変えているのよ。あとで見ると、そこが模様になるってわけね。まずは、この簡単な編み方を覚えちゃいましょうね?」
アーサから編み針と毛糸を渡されて、最初に言っていた手順で、編み針に『作り目』を作る。連続して毛糸の輪っかが並ぶように。
「あらあら、そうね、器用だとは聞いていたけれど……。本当に器用ね?」
こう言っては何なのだけども、これはアーサのスキルそのものだからなぁ……。褒められている気分はゼロだ。私は気のない返事をしつつ、アーサの手元と毛糸の動きを注視する。
「そうね、二段目からはこういう風に」
さすがに口で説明できるものではないらしく、天才の感覚的なコーチングになってしまうらしい。
左手の親指と人差し指に毛糸を張って持ち、奧の方から引っ掛けていく。
「そうね。これが『裏目』ね。奧から引っ掛けたから。こっちが『表目』ね」
そう言って、アーサは、今度は手前から毛糸を引っ掛けて、輪っかを作っていく。
輪っか同士を結び目にして、お互いを結合していく。これで糸が平面になるのだから、人間の英知って凄いものだなぁ。
編み目はそれこそ無数に種類があるらしく、この二つは超基本とのこと。
フフフ、俺たちの編み物は始まったばかりだ!
「はやい……」
ドロシーも賛辞を呟くほど、アーサは魔法のように毛糸を編んでいく。
いや本当に、熟練の職人のやっていることは、魔法そのものなのかもしれない。
「そうね、じゃあ、やってみて? ゆっくりでいいのよ?」
アーサに促されて、私とドロシーはそれぞれ毛糸を指で引っ掛けて伸ばし、作り目に足す形で裏目、表目……と編んでいく。
「ええと……こう……ですか……」
「そうね。そう、そこを交互にね」
これで二段目ができた。おおー、編んでる感じがする!
裏返して、また裏目、表目と編んでいく。
もくもく……………。
「ちょっとアンタ」
「うん?」
ドロシーが呼んでいる。ので顔を上げる。
「そうね。ちょっと編みすぎね?」
「えっ」
っと、見ると半メトルくらいの長さになっていた。
「あー、どうしましょうか……」
アーサはクスクス、と笑って、
「そうね、これは首巻きにでもしましょう?」
フフフ、セーターを作りたかったんだけど……まだ道は遠いようだよ……。
「それにしても、とんでもない速さね……」
「そうね……。器用を越えているわね……」
「ああ、この娘は昔からそうなんですよ。覚えが早いんです……」
ドロシーの非難めいた視線に、私は苦笑いを向ける。それに昔から、って言っても出会ってから三~四年くらいじゃないか……。
「あの、そろそろ蒸し上がったんじゃないですかねー」
誤魔化すように視線を鍋に向ける。鍋からは、細く、蒸気が音もなく吐き出されている。
「そう? じゃあ、見てみましょうか」
アーサは持っていた編み針を置いて、鍋に向かった。
蒸す、という調理法に、主婦の達人であるアーサやベッキーが、どう反応するのか、ちょっと不安でもあり、楽しみでもある。
って、あれ、ベッキーとトーマスはどうしたんだろう。
まさか―――二人でイチャイチャしてるんじゃないだろうな!
「あ、すごく熱くなってますので! 気をつけてください!」
耐火性能が素で高い、私がやるべきかな。私も編み針と一メトルほどに延長されたマフラー? を椅子に置いて、アーサを制止してから、鍋ぶたを取る。
ほわん、と蒸気が上がる。
「わぁ……」
アーサが軽い感嘆の声をあげる。
「中に火が通っているかどうかは、何か串でも突き刺してみればわかります。あ、素手で触らない方がいいです」
言ってるのとは逆に、私は素手でイモを取り出すと、手早く皮を剥いた。
「あ、でも、お芋とか、熱いうちの方が、皮は剥きやすいです」
左の掌に剥いた芋を載せて、掌にだけ耐魔法結界を張る。
「―――『風切り』」
右手で魔法を使う。
左手に耐魔法コーティングしていないとスッパリ切断してしまう。だけどこれ、慣れれば左手にコーティングしないでも、魔力を調整すればまな板要らずになるかも。ある意味生活魔法っぽい。ゆで卵を輪切りにする道具みたいだなぁ。
「どうぞ」
「何その便利魔法」
ドロシーがジト目を投げつけてくる。私が悪いことしてるみたいじゃないか。
アーサは掌に載せられた蒸しイモをヒョイ、とつまみ上げて口に入れる。
「そうね、茹でたイモよりもネットリしてるわね」
「はい、そうですね」
デンプンが糖になるらしい。そのためにはゆっくり加熱したほうがいい。のだけど、糖と一口に言っても種類があるみたいだし、分子構造なんて説明できないので、単に頷いておく。
「うん、本当。ホクホクしてないわね。初めて食べたわ」
ドロシーも驚いている。ホクホクしているとか、ネットリしているとか、こういう表現そのものは、この世界にもあるんだなぁ。
「この調理法は、不定形のものを型に入れて加熱するとか、再加熱とか、保温とかにも向きます」
「そうね。なるほどね」
アーサは頷いて、掌をポン、と打った。
「お魚とか穀物とかお野菜の加熱にも向きます。お肉は余計な脂を出してサッパリ仕上がります」
と、補足をしておく。
別に私は、蒸し料理普及委員会とかに所属してるわけじゃないんだけど。料理のバリエーションが増えるのは文化的にきっと良い事だと思うし。
「そうね。色々試してみるわ。お夕飯も食べていって頂戴ね?」
そう言うアーサは、幾つか腹案が浮かんだようだった。
しかし二食もご馳走になるとか! これは嬉しい誤算です。
「お母さん? ちょっとお酒買ってくるわ」
そこにベッキーが入ってくる。どこで何をしていたのやら。いやでも、別に着衣の乱れは無かったから、怪しいことをしていたわけではないか。
「そう? トーマスさんが飲むの?」
お酒といえば、まだ飲んでないのがあったなぁ。私は『道具箱』からレモンの皮を入れたニャックを取り出した。
あー、入れた時のままだ。『道具箱』内部では時間が止まっちゃうのかしら。一体どういう理屈なんだか。
「よければ、これ、どうぞ。レモンの香りはあんまりしないかもですけど」
「あら……」
私がお酒を持っていたことに驚いたのか、ベッキーは少し顔をしかめる。ので言い訳というかフォローをしておこう。
「この娘はお酒が飲めないんですよ」
と、ドロシーからフォローが入った。
「あら、そうなの? ドワーフだからてっきり……」
この世界、この国では未成年という概念そのものがないし、飲酒が法律違反になる暗黒時代でも健全な時代でもないのだけど。
セドリックとクリストファーは勧めていたけど、若年層の飲酒はよろしくないみたい。目に見えない、タブーみたいなものなのかな。
「飲めないというか、すぐ酔っちゃうんです」
アルコールに弱いドワーフとか、種族中でイジメに遭いそうだ。
「そう。じゃあ、夕飯の支度は娘に任せて?」
今は編み物に戻ろう。
視線をアーサに向けると、師匠の顔で返された。
また師匠が増えたようだ。
―――とりあえず、マフラー以外の編み物をマスターしなければ……。




