ベッキー宅への訪問
本当は巡回に一回行く予定だったのだけど、騎士団の魔術師たちへのレクチャーに連日通うことになって、一段落ついたのが昨日ということもあって、サボりを了承してもらった。
まあ、急いでやれば巡回も行けなくはないのだけど、生憎とそういう性質の巡回は望まれていない。ゆっくりジワジワ、違和感を見つけていく。ついでに示威行動でもあるわけで、風のように通り過ぎてしまっては巡回の意味もない。
「で、巡回は結局、明日の朝に行くことになりました」
「ははははは、何だかお前も忙しいなぁ」
隣に並んで歩いているトーマスは、これ以上ない、と思われるニコニコ顔を私に向ける。 ちっ、中年のにやけ顔とか、誰得だよ。
「ま、アンタは丈夫だから。倒れはしないでしょ」
隣にいるドロシーも、フン、と鼻息を鳴らしながらも、ちょっとニコニコ顔だ。半日とはいえ、お休みを貰えたのが嬉しいのかもしれない。
「それにしても、結構近くにあったんですねぇ」
私が漏らした言葉に、トーマスはニヤリと黒い笑みを見せる。
「そりゃそうだ。お前のところの借家の大家さんだぞ? アーサさん」
アーサさん、というのは、ベッキーさんの母親のことだ。
「え、そうなんですか?」
私の借家を用意したのはトーマスなわけで……ということは知り合いだったのか。
「うむ。引退はしているが手紡ぎの職人でな。結構有名人だよ」
「へぇ~」
その、アーサさんとベッキーさん宅の場所は、私の借家から見ると少しだけ西にある。大きな家という訳でもなく、品の良いコンパクトな邸宅で、通りがかりにセンスがいいなぁ、と思っていたものだ。
落ち着いた茶色の木材と白い漆喰のバランスが見事でコントラストが美しい。如何にも中世ヨーロッパにいるような錯覚をさせてくれる。
筋交いなどの木材も外壁として見せていて、私が借りている借家もそうだけど、この辺りの建物に使われている外壁材はかなり分厚くて、保温性がいい。住んでみると、なるほど、元の世界の日本の家はウサギ小屋なのだなと実感する。その点だけは召喚されてよかった……かも……。
「ここかしら」
ドロシーが表札を見てから、私たちの方に向き直って確認をする。
と、そこにベッキーが姿を見せた。
「いらっしゃい」
「ほ、本日はお日柄もよく……」
エプロン姿のベッキーに、トーマスは大興奮で、よくわからない事を言っているようだ。
「本日はお招きにあずかりまして、ありがとうございます」
「ありがとうございます」
私とドロシーは合掌して礼をする。トーマスも慌てて倣う。ちょっと釘を刺しておくか。
「トーマスさん、慌てすぎですよ?」
「ああ、うん」
聞いてないか。
「まあまあ、中へどうぞ。母もお待ち申し上げておりますわ」
はにかむベッキー。友達の家のお母さんみたいだ。
あれ、それにしてもトーマスの挨拶は日本語っぽい言い回しだったなぁ。
スキル『ヒューマン語』は基本的には、この世界の言葉を、私が理解できる言葉―――たぶん日本語―――に直訳しているはず。ん、じゃあなんだ、トーマスが言ってたのは、この世界でも使う言い回しなんだろうか。縁起が良いとか悪いとかもあるんだろうか。
うーん、チートスキルといえども細かいニュアンスとかは齟齬もあるかもしれないから、他人と話す時には一層注意しないといけないなー。一応、一拍入れて話すクセはついているんだけど……。
ベッキーに促されて、私たち三人は家の中に入った。
「あったかい……」
外の寒さから隔離されると、柔らかく暖い空気が体中を包んだ。
「そう、いらっしゃい。アーサです」
アーサさんは―――お孫さんがいるはずなのに、皮膚が若々しい。ベッキーの姉というよりは妹に見える、小柄なお婆さんだった。
「お久しぶりです」
トーマスがやや恐縮しながら挨拶して、私とドロシーを紹介する。
「そう、この娘さんが?」
「はい、大家さん、初めまして―――」
―――生産スキル:手編みLV8を習得しました(LV3>LV8)
―――生活系スキル:調理LV6を習得しました(LV4>LV6)
―――生活系スキル:清掃LV6を習得しました(LV2>LV6)
―――生活系スキル:洗濯LV6を習得しました(LVLV2>LV6)
―――生産スキル:手紡ぎLV6を習得しました
―――生産スキル:紡績LV6を習得しました
うおっ。
何だこれ、高レベル生活系スキルの塊じゃないか、このお婆さんは。
手紡ぎと紡績は別のスキルなのか。最低でも糸車は存在するってことなのかな。やばい、眠り姫が実在するかもしれない!
「そうね。貴女は編み物を覚えたいとか?」
「はい、そうです!」
アーサはフフッ、と小さく笑って、
「そう。良い人に贈り物でもするのかしら?」
と、首を傾げた。
「え、いえ、そんな事はないです。いえ、贈らないってことじゃなくて、当面は自分で着るために作ろうかと思いまして」
どうせドロシーにはねだられるだろうし、元からそのつもりだし、他人に贈り物をしないってわけじゃないんだけど。
「そう。そのうち大事な人が出来たら、編んであげればいいわ」
ググッと、覗き込むようにアーサに言われる。
近い、とても近い。ドギマギしてしまう。
心情を隠すように、私は目を逸らしながら、
「これ、お土産を持ってきたんですけど」
と、手に持っていた籠をアーサに渡す。
「そう。これは?」
「カボチャのプディングです」
そう言うと、ベッキーが反応した。
「あらっ、この間、果物屋のハミルトン君が自慢げに話してたわ、それ」
スイーツと聞くと目が光るのは、古今東西、変わらぬ女性の習性らしい。
しかしちゃんと営業努力をしてるじゃないか、あの跡継ぎは。
「はい、私がレシピ教えました。どうぞ」
レシピと言っても、カボチャのプディングについて言えば、こんなものは料理をやる人間なら簡単な部類だと思う。ただし、根菜を甘く調理しようという発想を持てるかどうか、というのが問題なんだろうと思う。
「そう、ありがとうね?」
アーサは私の頭を撫でる。加齢臭とハーブの香りが混ざった、体臭がほのかに鼻につく。
あれ、何だろう、アーサの掌が温かい……。室温のせいじゃない。
お婆ちゃん……。
「そう……おや、何を泣いているんだい?」
え。
泣いているのか、私は。
くそう、アーサのなすがままじゃないか。
何故、身体が動かないんだろう。
「あの……ごめんなさい」
私はそう言うのが精一杯で、アーサの体臭に包まれる他に出来ることはなかった。
「アンタ……どうしちゃったの……?」
ドロシーの心配そうな声に、我に返る。
田舎のお婆ちゃんを思い出して、と言い訳をしようかと思ったけれど、果たして田舎やお婆ちゃんが私に存在したのかどうか。この世界に存在しないことは確かだけど……。
元の世界に存在したとして、それは懐かしい記憶で、郷愁を呼び覚ましたのかもしれない。涙の理由は、きっとそんなところだろう。
うん、理屈っぽく言えばそうなるのだけど、根底にある感情は、もっとダイレクトに私に響いてくる。
私はこんなにも感情に流されやすい人間だったのか。
それなのに暗殺者をやっているのだから笑わせる。
でも――――。
それを認めてしまえば。
弱い人間でいいじゃないか。
うん、だから強くなろうとするんだ。弱い私には、いろんな技能が必要なんだ。
「そう。涙をお拭き。さ、お食事にしましょうか」
私とそれほど変わらない背丈のアーサに肩を抱かれてリビングへの移動を促される。私たちの後に、心配そうに見守るドロシーと、興味深そうに見ているトーマスもついてくる。
「普段食べてるような料理がいい、って言ってたわね」
恥ずかしそうにベッキーがテーブルに並べられた料理を見せる。
芋を茹でたもの。ここでの一般的な芋は、ネットリ感の薄いジャガイモといった感じ。
魚のスープ。これは何の魚だろう?
鶏肉に詰め物をしてオーブンで焼いたもの。今日のメイン料理。
燻製のソーセージ。これはマイケルの店の商品ね。いつも腰にぶら下げてるらしい。
チーズが三種類。白いのとブツブツのとオレンジ色の。
季節柄、青物のサラダみたいのはないみたい。なので、全体的に茶色っぽい料理が並ぶ。
あとは――――。
「あ」
茶色いプディングがある。しかしこれは……何?
ドライフルーツの塊のような?
「カボチャプディングと一緒じゃ恥ずかしいんだけど……」
これはベッキー謹製のようだ。恥ずかしがる顔を見てトーマスが萌えている。恥ずかしいなぁ。
「これはドライフルーツですか?」
「そうね。ベリー類が多いけれど、刻んだリンゴ、木の実とかが入ってるわ?」
私の質問にはアーサが答えてくれた。へー、こんなのでもプディングになるんだなぁ。
「混ぜて固めたら、何でもプディングなのよ」
あははと笑ってベッキーが補足してくれる。
これは茹でたプディングかな。
「蒸すのは一般的じゃないんでしたっけ?」
「蒸す?」
アーサとベッキーの二人が同じ角度で首を傾げる。親子だなぁ。
何故だか、この世界では蒸す料理が一般的じゃない。『飲料水』スキル持ちが多くて、水の供給が少なくてもいいような工夫がなされなかったせいだろうか。
「はい。大量の水蒸気――――湯気で加熱をする調理法です」
このカボチャのプディングもそうやって作りましたよ? と言うと、二人の背景に雷が見えたような、そんな驚き方をされた。
「そう。それは是非、後で教えてほしいわ?」
「もちろんです」
あはは、時間足りるかなぁ。
「まあまあ、とりあえずお食事を頂きましょう。さあさ、お座りくださいな」
ベッキーに促されて、トーマスとドロシー、私は席に座る。
アーサは家長ではあるけれど、自ら配膳をしてくれる。ベッキーもそれに従って動く。
いいなぁ、こういう家庭料理を皆で頂く風景って。
「さ、どうぞ。冷めないうちに」
「いただきます!」
トーマスは遠慮の欠片もなく、スープを啜る。顔が恍惚に満たされる。
なに、それほど美味しいのかな?
私も一啜り。
「んっ?」
シモダ屋のスープはいわゆるプロの味。このスープは素人の味。シモダ屋のスープはもっと多くの魚介の味がして、お互いを補い、複雑なうま味を出している。このスープは、その対極にあるシンプルさだ。
「どうして……こんなに澄んだ味になるんですか?」
ドロシー流ごった煮スープの達人が、私の疑問を代行して訊いてくれる。
「そうね。これは同じ種類の魚しか使っていないのよ?」
アーサがニコニコと答える。
はて?
それだけで出る味とは思えないのだけども……。
「つまりね、今日のお魚はトラウだけど、他の種類のお魚を混ぜてないの。出汁も同じ種類の魚から……というよりは前回の残りね」
「ああ!」
ドロシーと私はなるほど、と掌を打った。要するに、前回の残った骨を保管しておいて、次回のスープを煮込む時に再利用しているわけか。今回煮込んだ魚だけじゃうま味が薄いから、他に出汁を取る必要があるとして、同じ魚で取って濃度を増すと。
「でも、このスッキリした味わいは……」
「そうね。アクをちゃんと取ってるからかも?」
「アクなら私も取っていますけど……」
ドロシーの言外には、アク取りにも秘密があるんですね? とツッコミが入っている。
「鳥の卵の、白い方を使うのよ」
「あ~」
ベッキーの種明かしに思わず声が出る。元の世界ではフランス料理などに使われる技法だとも聞いていた。この世界でも同じ技があるんだなぁ。
「手間がかかってるんですねぇ」
「ううん、それ、手抜きよ?」
ドロシーが感嘆の声を上げると、ベッキーはぺろりと舌を出した。
トーマスが萌えているようだけど、それは放っておこう。
「そうね。お客さんがくるから、ちょっと贅沢したわ。普段はアク取りもいい加減だし、卵も全部使っちゃうのよ?」
この世界にはメモを取る、という習慣はないので、全部口伝による。ドロシーも私も、真剣な眼差しで頷き、頭の中のメモ帳に書き留める。
「ささ、他のも召し上がってくださいな」
ごちそう、というわけではない料理を褒められて恥ずかしいのだろうか。頬を染めたベッキーを、ウットリ見つめているトーマスに、生暖かい視線を送る。
「鳥肉も美味いな」
私の視線に気付いたトーマスが、当たり障りのない感想を述べる。まあ、確かに美味しいけどさ。
この鳥肉の料理も、ハーブと葱が詰め込まれていて、この葱が……鳥の脂を吸って、トロリとなって実に美味しい。鳥肉本体より美味しいかもしれない。
「お葱美味しいです」
私が言うと、アーサとベッキーは、まさに狙っていたポイントを褒められたからか、嬉しそうに微笑んだ。
―――美味しい料理はどんな人でも幸せにするものだなぁ。




